5. ざわめく水
「ああ、もう! 貴方の熱意は充分に分かりましたから! 少し考えさせて下さいませ!」
キアランの怒涛の求婚に、私は流されまいと叫ぶように言った。
『分かりました。結婚します』と言わなかった自分を誉めてやりたい。
キアランは、満足そうにニコリと笑った。晴れ晴れとしたどこか無邪気な笑顔だ。
それを見て、私は『あら?』っと思った。
そう言えば、この人は何歳だろう?落ち着いた雰囲気を纏っているけれど、まだ若そうだ。二十歳そこそこといったところだろうか。
「ところで、キアラン様はお幾つですの?」
「私ですか? 十七です」
え? は?
まだ十七歳? て、二つも年下っ?!
余りの衝撃に言葉を失う私に、彼は申し訳なさそうに微笑んだ。
「年齢だけは如何ともし難いので、お許しいただきたい。できるだけ貴女の横に立つに相応しいように心掛けますので」
目眩がしそう。
傷跡があるとはいえ、その美貌だけで、すでに私には相応しくないわ。
やはり断ろうと決意を固めた時、キアランがいきなりガタッと音を立てて立ち上がった。
「もう? ヤバい。早すぎる」
「キアラン様?――」
どうしたのかと問いかけようとした時、扉をノックする音がした。
侍女が立ち上がり、扉に近づく。
細く開けた扉から、兄の声がした。侍女は小声で何事かやり取りしてから、こちらを見た。
「お姫様、アルス伯イアン・グレイホーク様がお出ででございます」
アルス伯が?
近しい人達に"ホーク"と呼ばれるイアン・グレイホークは、私の友人アレクサンドラの旦那様だ。
「お通しして」
もしかして、先ほどアレクサンドラが火傷を負ったという件だろうか? 側についていた者は『軽い火傷』と言っていたけれど、もっと大きな怪我だったのでは?
兄と共に部屋に入ってきたアルス伯は、私に向かい、丁寧に礼をとった。
「ご無沙汰しております、レディ・ロザリンド」
有力な貴族であり、魔導士の最高位である"賢者"の称号を持つアルス伯は、淑女達の憧れの的である。
私も初めてお会いした時、精悍な獅子のごとき金色の瞳に見とれてボウッとなったくらいだ。もっとも彼の瞳は、子供の頃から可愛がってきたというアレクサンドラしか追ってはいなかったけれど。
「お久しゅうございます、賢者様」
私も淑女らしく、腰を屈めて礼をした。
「いきなりお訪ねした無作法をお許し下さい。実はそちらの青年に用が――」
「待て、ホーク」
遮るように、キアランが片手を上げた。
「悪かった」
「当たり前だ。少しは責任感を持て」
アルス伯は厳しい口調で叱った。
「軽率だったのは認める」
「そうだな。仕事を途中でほっぽりだすとは、どういう了見だ? お前が調整を終えないと、他の奴等の魔方陣を敷けないだろう」
「それは、ダンカンが――って、そっちの話か?!」
「それ以外に何がある?」
アルス伯はとてもいい笑顔で、キアランの首根っこを抱え込んだ。
「 王が捜索隊を出す前に戻るぞ」
「いや、待て、ホーク。実は、もう一つやらかした」
「言い訳は後で聞く」
「お前の奥方に怪我をさせたようなんだって!」
「――はあっ?」
首根っこを抱え込んだ手が、今度は胸ぐらを掴んだ。
「その話、詳しく聞かせてもらおうじゃないか、セルツ公殿?」
地を這うような低い声。
笑顔のままだけに、余計に怖い。
『ホークが怒るとムチャクチャ怖いんだよ』と、アレクサンドラが言っていたのはコレか……
アルス伯は、キアランと私からおおよその話を聞き出すと、頭を抱えた。
「どうしてあれは、大人しくしていられないのだ」
呻くように言うと、アルス伯は左手をくいっと捻って召喚呪文を唱え出した。
高位の魔導士になると、魔方陣がなくても召喚魔法を使えると聞いているが、実際に見るのは初めてだ。私のささやかな魔力でも、強力な魔法が場を支配するのを感じた。
空間に開いた異界へとつながる門から、赤く輝くサラマンダーが半分ほど顔を出して、急に動きを止めた。そして、そのサラマンダーを押し退けるようにして、別の、もっと大きくて明るい輝きのサラマンダーが現れた。
――喚び出しが遅ぇじゃないか、お師匠さん
サラマンダーは不満げに口を開いた。
聞き覚えがある。さっき、アレクサンドラの側で喋っていた声だ。
――そこの小童は締め上げたかい?
「まだだ」アルス伯が答える。「少しばかり使い道があってな。仕事で締め上げるさ――アレクサンドラはどうだ?」
――手のひらに軽く火傷した。ヒリヒリするだろうが、痕は残らない程度だ。あんたのおっ母さんが大騒ぎで包帯を巻いてたよ
「母に包帯が巻けるとは知らなかった」
――バカ言いなさんな。巻けやしねぇよ。今頃、奥方のおっ母さんが巻き直してるだろうさ。あんたはいつ帰って来るんだ?
「もう少しかかる。そこのヘタレがとっとと仕事を終わらせてくれたらすぐなんだが」
「魔法の調整は微妙な均衡の上に成り立つんだよ」
キアランがムッとしたように口を挟む。
――ご託はいらねぇよ
サラマンダーは、炎を宿した目をぐるりと回した。