4. 落ち行く石
セルツ公キアラン・アルトフェイルは、私の想像とまるで違った。
背丈こそ、見上げなくてはならないほどの長身だったけれど、筋骨隆々といった男ではなく、手足の長いひょろりとした感じの若者だった。
短く切り揃えられた髪は、輝くような金髪だ。でも、その金糸の前髪に隠れた額から左頬まで、引きつれたような長く深い傷跡があった。
大天使もかくやとばかりの整った顔立ちだけに、その傷跡がよけいに痛ましく見える。
「レディ・ロザリンドですね?」
問いかけられ、頷いてから、私は慌てて『はい』と答えた。
目が見えてないのかもしれない。
濃い色の碧眼は、左目が黒い眼帯に被われていて、もう片方も私から目線がずれていた。
「はじめまして。セルツ公キアラン・アルトフェイルです。これでも、部屋の外から声はかけたのですよ。お気づきにならなかったようだが」
「あ……はあ。話に夢中で気がつきませんでした」
「そのようですね。部屋にお一人と聞いていたのに男の声がしたので、賊かと思い勝手に入らせていただきました――それにしても、賢者ホークの奥方とは、また難儀なご友人をお持ちで」
「伯爵夫人は良き友です」
私はムッとして、友人を庇った。すると、セルツ公がフッと笑う。
「王城の壁を吹き飛ばした逸話を持つ方ですよ? 王は、彼女が苦手だとおっしゃっていました」
「そうでしょうね。正しい事を正しいと、はっきり言う方ですから」
「貴女も?」
「はい?」
「正しい事は正しいと言う?」
「そうありたいと思っています。そして今この時、この状況は、"正しくない"と言わせていただきますわ」
セルツ公が訝しげに眉を寄せる。
「未婚の男女が、個室に二人きりでいる状況です」
「ああ。そういえばそうですね……私としては、このまま貴女とお話しして、誤解を解いてしまいたいのですが。いけませんか?」
誤解?
「侍女を呼びましょう。お話はそれからお聞きします」
セルツ公は、顔をしかめた。
「ご心配なく。当家の者は口が固うございます」
「心配はしていません」
では、そのしかめっ面は何?
「とにかくお座りになって。お茶でもいかが?」
「申し訳ないが場所が分からない。椅子の横に立って、私の名を呼んでいただけませんか?」
やはり、目が不自由らしい。
手を取って椅子まで連れて行った方がよくはないだろうか?
私の迷いを感じとったように、セルツ公は微笑んだ。
「声だけで向きと距離が分かります」
私は半信半疑で、部屋の窓辺にあるテーブルと椅子の横に立った。
「公爵様、こちらです」
「どうぞキアランとお呼び下さい」
「……では……キアラン様」
「随分とためらうのですね。発音しにくい名前ではないでしょうに」
彼はからかうようにそう言うと、迷う事なく私の方へ向かって来た。目線はやはり少しずれていたけれど、目が不自由だとは思えない足取りだ。
「近くなら、いくらかは見えるのですよ」
即座に椅子を探し当てて、優雅なしぐさで腰掛けながら、キアランはそう言った。
「私の顔は分かります?」
「残念ですが、ぼんやりとしか。美しい黒髪の方と皆から聞いておりますが」
この場合、皆は嘘は言っていない。"美しい"という言葉は、"黒髪" にかかっているわけだから。
送りつけた肖像画は無駄だったかと項垂れつつ、私は呼び鈴の紐を引いた。
やって来た侍女は私の指示を即座に理解して、薬草茶を入れ、静かに部屋の片隅の椅子に控えた。
侍女として、文句のつけようがない振る舞いだ。
義姉の小飼いでなければもっと良かったのに。そればかりは仕方がないか。
「それで――お話とは何ですの?」
小振りの丸いテーブルを挟んで、私はセルツ公に問いかけた。
「単刀直入に言いますと、私は妻を必要としている。結婚してもらえませんか?」
単刀直入過ぎて、私はお茶にむせてしまった。
「大丈夫ですか?」
「ええ。少し驚いただけです」
「ああ――失礼。まだるっこしいのは苦手なのです。相手の表情から何かを読み取るなどという芸当は出来ないので」
それは、私も同じだわ。
「不調法をお許し下さい。肖像画を送らなかったのは本当に一枚も無いからで、手紙については――見てのとおりです。貴女に対して誠意がなかったわけではありません」
「そうですか」
冷たい口調で言うと、彼は眉をひそめてから盛大にため息をついた。
「少しは狡い気持ちがありました。それは認めます。この傷を――」
長い指が左頬の傷跡をなぞる。
「できる事なら少しでも隠していたかった」
同情するのは簡単だろう。けれど、それは偽善だと思うし、彼も望んでいない気がした。
「単刀直入に申し上げますわね。わたくしは夫を必要としていませんの」
「誰が相手であっても?」
「誰が相手であっても」
「理由を伺ってもよろしいですか?」
「修道女になりたいからですわ。別に"世を儚んで"なろうと思っているのではありませんけれど」
「修道女になる利点は何です?」
私は少し考えた。
「心静かに暮らせる事かしら? 祈りと勤労と奉仕だけの毎日を退屈だと感じる方もいるでしょうけれど、わたくしは最も純粋で人間らしい生活だと思います」
「では、それに近い環境を私が用意したら、妻になっていただけますか?」
何を言い出すかと思えば――
「他にも女性はいますよ」
「いや。貴女がいい。理知的だし、不満をはっきり口にされる」
いつも不満げな愚痴り屋の私のどこがいいと言うのだ。
「私は気が利かない方なので、はっきり言ってもらわないと分からないのです。ところが身分ばかりが高くて、たいていの人は口を閉ざしてしまう」
それはそうでしょう。
「私に意見して、書状に目を通して、領地の民に目を配ってくれる、そんな妻が必要なのです」
それは妻ではなく、家令の仕事では?
「ダンカン――お目通りいただいた騎士ですが、彼にも貴女を逃すなと強く言われました」
どうやらあの騎士は、本当にドラゴンの背に主人を放り上げたらしい。
「結婚して下さい、レディ・ロザリンド」
「ですから、わたくしは――」
「やはり、このように醜い男はお嫌ですか?」
「え? いいえ」
「では、決まりですね?」
「お待ち下さい。まだ――」
おかしい。
直接会えば、絶対に破談になる自信があったのに。
気づけば、熱烈に求婚されているこの現状。もしかすると、やはり不幸の星はあるのかもしれない。