23. 流れ行く時
「開門! 開門でございます!」
騒々しい家臣達の叫び声に、ヘイル伯ヒュー・サリバンは顔をしかめた。
開門だと?
城主である自分の命令に背いて城の結界を解いたのは、どの大馬鹿者だ。
窓を開けて空を見上げると、二頭の竜が風を切って地上に向かって来る。
「敵襲! 迎撃用意!」
「迎撃用意!」
騎士達が訓練通り配置に着いた。
サリバンが命を下せば、投石機が侵入者を攻撃する。
その時、城の広場にくっきりと蒼白い光が模様を描いた。
「あ、あの紋章は!」
サリバンの背に冷たい汗が流れた。
「待て! 敵襲ではない!」
撃ち方待機!――号令がかかる。
待機どころではない。一歩間違えれば首が飛ぶ。
サリバンは外に向かって、急ぎ走った。
城門前の広場には、先程の竜が翼を畳んでおり、その傍らに二人の若い男が立っていた。
一人には見覚えがあった。
背は高いが、まだ少年っぽさの残る線の細い体型で、膝丈の鮮やかな青の胴着と濃紺のマントを身にまとっている。麦のような黄金色の髪は前髪だけが長く、あとは短く切り揃えられていた。長めの前髪に見え隠れするのは、大天使もかくやという整った顔に無残な刀傷。左目には黒い革の眼帯――隣の領主であるセルツ公キアラン・アルトフェイルだ。
もう一人は、キアランより頭半分ほど背が低い痩せた男だった。
こちらは身軽な短い丈の革の胴着と、膝まで被う黒い革の長靴姿。臙脂色のマントの肩にかかる長めの髪は、暗い輝きのダークブロンドだ。
男の、一切の無駄を許さないとばかりの鋭い眼差しを見て、サリバンは確信した。
「王よ」
サリバンは跪いて臣下の礼をとった。
「畏れ多くも、我が粗なる城砦にお成りとは、恐悦至極にございます」
宮廷での地位がさほど高くないサリバンは、これほど間近で王に会うのは初めてだった。
「ヘイル伯」
王はよく響く低音の声で呼びかけた。
「急な訪問で驚かせたな。騎士達もよく訓練されているようで、何よりだ」
はたしてこれは誉め言葉だろうか、皮肉だろうか?
貴族とはいえ、サリバンは武門の家柄だった。宮廷風の雅な物言いなど分からない。
「ありがとうございます」
言葉を額面通りに受け取る事にした。
「今日来たのは、見舞いのためだ」
「見舞い……で、ございますか?」
「然様。余の身内なるレディが身を寄せている、と耳にしたが?」
「誰がそのような戯れ言をお耳に」
「のう、サリバン。そなたもレイヴンの名くらい知っておろう?」
レイヴンとは、間者の一族だ。
彼らはその情報収集力で諸侯から一目置かれ、重宝がられ、そして忌み嫌われている。どうやら、ヘイル領にも紛れ込んでいるらしい。
「与する相手を間違うなよ。余は欲のある者が嫌いではない。が、それは余の味方であればこそ」
そう言って、王はふと小さく笑った。
「ただの見舞いだ。案内せよ」
あまりの威圧感に、サリバンは頭を垂れる事しかできなかった。
貴婦人の居室を訪ねると、サリバンの娘であるアラナがいた。
それは、よくある光景だった。彼女は、朗らかなアラナを気に入っていたし、せめてもの慰めになれば、とサリバンも妻も思っていたからだ。
貴婦人は二人を見ても驚く事なく、ただキアランの方を見て、『では、失敗したのね』と呟くように言っただけだった。
「皆、二人だけにしてほしい」
王の言葉に、サリバンは娘を促して部屋の外に出た。キアランもまたその後に続く。
「お茶でもいかが? キアラン」
アラナの誘いにキアランは首を横に振った。
「今日は仕事で来たので、ここで控えていなければならないんだ」
「そう、残念だわ。久しぶりだからお話ししたかったのに」
「私も残念だよ、ラナ。君が私の城の結界に亀裂を仕込むなんて。捕まえた刺客は残念なほど簡単に君の名を喋ったよ」
サリバンは驚いて振り返った。娘の顔は真っ青だ。
「あの方の望みを叶えたつもりだろうが、最後に泥を被るのは君一人だ。あの方はそういう人なんだ。あの方に同情するのは勝手だが、よく考えて行動するんだね」
「アラナ、母の元に行っていなさい」
サリバンは娘を促した。
アラナは逃げるようにバタバタと走り去った。
「公、今の話……は?」
サリバンの震える声に、キアランは苦笑した。
「ラナは、彼女に利用されたのですよ。ご心配なく。王も私も分かっています」
分かっていたところで、罪が消えるわけではない。自分は、王の処分を受けるのだろう。
どれほど待っただろうか。扉が開いて王が姿を現した。
「二人とも待たせたな」
サリバンとキアランが軽く目礼する。
「見舞いは済んだ――サリバン」
「はっ」
サリバンは身を強張らせた。
「世話をかけるが、このまま彼女を庇護してくれぬか?」
「はい」
「身の回りの世話をする者を差し向ける。他の者――特にそなたの妻女は近付けぬように」
「はっ。――畏れながら」
「何だ?」
「私と娘の処分はどうなりましょう?」
せめて、娘の命は救ってやりたい。
「何の話だ? 余は、身内の見舞いに来ただけだ。処分するような事柄はどこにもない。そなたは、余の忠実な家臣だな?」
サリバンは震えながら王の前に跪ずいた。
「邪魔をしたな。見送りは不要だ。彼女がそなたを呼んでいたゆえ、行ってやれ」
「御意」
王はサリバンの肩を軽く叩いた。
「彼女を頼む。余が見舞う事は二度とない」
なぜ?
サリバンは弾けたように顔を上げ、心の中で叫んだ。
あの方は、貴方の――
「ヒュー、見て」
彼女は童女のように笑って、宝石の嵌め込まれた宝冠を抱き締めていた。
「あの子が持って来てくれたの」
「綺麗ですね」
「そうでしょう? あの忌々しいキアランが生きていたのは腹立たしいけれど。次はどんな手を打ったらいいと思う?」
サリバンは痛ましいものを見るように悲しげな笑みを浮かべた。彼女は、隣の領主の姫君であった彼女は、少年だった頃、サリバンの憧れの人だった。
「卑小なる者など、お気になさる事はありません。貴女は王太后様なのですから」
「そう? そうかもしれないわね――でも、キアランの目が気に入らないのよ。わたくしの息子と同じ色なのだもの」
「それより、その宝冠をつけて差し上げましょう」
「ええ、そうね。お願い」
嬉しそうに鏡に向かう彼女の後ろに立つ。
首の辺りに大きな火傷の痕がある。公式には、彼女は王都にあった実家の屋敷で義姉と共に死んだ事になっていた。
「ああ、よくお似合いですよ」
サリバンは鏡に映る彼女に微笑みかけた。
彼女は遠くを見るような目をした。
「昔、五月祭の時にも、ヒューがこうやって花冠をつけてくれたわね」
「そうでしたね」
「ずっと、あのままでいられたらよかったのに」
自分もそう思う。
サリバンは、変わらず微笑みを浮かべたまま、彼女の髪を直した。




