22. 星の子守唄
「夜のうちに賊が進入していた、という事ですの?」
私は食事の手を止めて、キアランを見た。
「賊というべきか……目的は窃盗とか強奪ではなく、私の暗殺でしょう」
「暗殺っ?」
私の驚きをよそに、キアランは優雅な仕種でパンをちぎっている。
五人の男が、夜陰に紛れて城内に忍び込んだ。セルツの城は夜は真っ暗になる。明かりを灯して動けば目立つため、彼らは夜明けを待って領主の寝室に斬り込んだという。
「間抜けな奴らですよね」
一応、代々の領主の部屋がキアランの部屋、という体裁を整えている。けれど実際のところ、キアランは毎日私の部屋に入り浸っていた。
「でも、いったい誰が暗殺など……」
「私には敵がいるのです。この顔の傷は、最初の襲撃でやられました」
さらりと言われた言葉。
「やはり、それは刀傷でしたのね」
「ええ」
「最初の、という事はまだ他にも?」
「二度目は毒を使われました。密かに毒見をしてくれていた使用人が、私の代わりに――本当にかわいそうな事をしました。
ああ。それが、王城の薬房の長様が言っていた女性なのだろう。
「三度目は王都の屋敷が焼き討ちにあい、その時は、母が犠牲になりました」
「お気の毒に」
「その後は、王が王城に住めるようにして下さったので、大っぴらに命を狙われる事は無くなったのです」
「でも、貴方はセルツに戻って来た。だから、また狙われる事に? そういう事ですの?」
「おそらくは。けれど――」
キアランは、不自然なほど明るい笑みを浮かべた。
「――けれど、今度は前のような事にはなりません。王と私は、十分な準備をして敵が動くのを待っていたのです」
王と私?
「その敵というのは、誰か分かっているのですね?」
「はい」
「王にとっても敵対する者なのですか?」
「その通りです。居場所が分からなくて難儀していましたが、今度こそ逃がしはしない」
あの冷徹な王の敵とは、どのような者なのか。私なら、絶対逆らおうとは思わない。
「敵が誰かお聞きしても?」
「およしなさい」
キアランは首を横に振った。
「消化不良になりますよ」
「でも、わたくしは貴方の妻ですわ」
私が不満げに言うと、キアランはため息をついて私の方に顔を向けた。碧い瞳はやはり焦点が合っていなくて、痛ましいと思った。
「妻である貴女に秘密を教えます。他言無用です」
私は背筋を伸ばした。
「神に誓って、誰にも言いません」
「私は――私は、前セルツ公の子ではありません。母の不義の子です」
想像もしなかった事に言葉を失った。
「敵とは、実の父の奥方です」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
奥方?――女性?
なんという事!命を育む母性が、子供に危害を?
たとえそれが夫の不義の子だとしても、子供には何の罪もないではないか。
キアランは不意に立ち上がって、私の側まで来ると床に跪いた。
「だから教えたくなかったのです。泣かないで、ロージー」
「泣いてなどいません」
「では、これは何でしょうね」
キアランの指が私の頬を撫でた。
「何かしら」
私はキアランの首に腕を回して、肩に顔を埋めた。
「わたくしは貴方を裏切ったりしません」
「ええ」
「貴方がよそにお子を作っても、自分の子のように可愛がります」
「分かっていますよ。もっとも、よそで子を作ったりしませんがね」
キアランは、宥めるように私の背中をさすった。それでも涙が止まらなくてギュッと首にしがみつくと、キアランは低い声で優しい旋律を口ずさんだ。
よく知った曲だった。
「貴方もその歌を知っているのね」
私はキアランの肩に向かって、呟くように言った。
「貴方も?」
「わたくし、その歌を知っているわ。星が空から落ちてくる子守唄でしょう?」
私の背を撫でていたキアランの手が止まった。
「歌詞を……覚えていません。子供の頃に聞いたきりなので」
「わたくしも、うろ覚えで歌っていたのですけれど、修道院で友達が歌詞を教えてくれましたの。彼女の出身は北部の湖沼地方で、そこの子守唄なのですって」
「どんな……歌詞だったか、聞かせてもらっていいですか?」
私はキアランの肩から顔を上げて、小さな声で歌った。
見るや君 水底の星
天より降りし銀の星
今宵 君が揺り籠に
黒い眼の雛鳥が
ともに夢路をたどり行く
見るや君 月の舟
雲の波切る金の舟
今宵 月の舳先から
黒い鼻した妖精犬が
星をくわえて落とし行く
歌い終わると、キアランは私の額に口づけをした。
「その歌です。ありがとう」
そう言ったキアランの顔は、とても穏やかだった。
「幸せな思い出?」
私は両手でキアランの髪を後ろに撫でつけながら訊いた。
「そうですね。たぶん。苦い思い出もありますが。でもきっと、生きる事は悪い事ばかりではないとも思うのですよ」
「ええ――そうね。わたくしもそう思うわ」
そう。
辛いと、悲しいと思う事も多かったけれど、振り返る日々の中に――
不幸の星など、ひとつもなかった。
※注記)子守唄の元ネタは、言わずもがなの『万葉集』
天の海に
雲の波立ち 月の船
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
柿本人麻呂




