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水底の星  作者: 中原 誓


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20/25

20. 祈りの石 願いの水

 いつからだろう?――ふとした瞬間に幸せだ、と思うようになったのは。

 時々、自分の笑い声に驚く事がある。キアランといる時のふわふわとした感情にも。

 それと同時に、不安も感じる。

 こんな穏やかな日々が続くのは、いつまでだろう?


「早起きですね」

 寝台の中から、キアランが眠そうな声で言った。

「習慣ですから」

 私は身繕いしながら答えた。

 キアランは時々、夜中に寝床を抜け出す。戻った時はいつも、冷たい外の空気を身にまとって。その翌朝は、こんな風に起きるのがつらそうだ。

『何処へ行っていたの?』

 何度も問いかけそうになりながらも、私は未だに訊けずにいる。

「貴方はまだ寝てらして。今日は王都に行く日でしょう?」

 キアランが何か言った。もごもごとした返事は、『うん』とも『ええ』ともつかなかった。

 早朝の、ピリッと引き締まるような冷たい空気の中、私は一人で礼拝堂に向かった。

 礼拝堂はまだ暗かった。

 色とりどりの硝子をはめ込んだ窓から、わずかな朝日が差し込んでいるだけだ。

 さんざん修道女になると騒いだけれど、私はそれほど信心深いわけではない。ただ、私はマール修道院で、自分にも誰かのために出来る事があるのだと知った。ずっと嘆いてきたほど、自分はどうしようもない人間ではない事も。だから、それを忘れたくなかった。

 早朝の礼拝は、修道院での日々を思い出させてくれる。

 私は祭壇の蝋燭に火を灯した。

 赤子を抱いた聖なる母の像を見上げ、指を組んで祈りの言葉を唱える。


――天なる母上


 私は自分の母を知らない。

 母は、一瞬でもこのように優しげな微笑みで私を見てくれただろうか?

 ああ、きっと。

 母が生きていたら、私を誰よりも可愛らしいと言ってくれただろう。あの厳しい父も、私に話しかけてくれたかも――駄目だ。考えるな。


 私は震える唇を押さえた。

 一度だけ、たった一度だけ、お父様と、呼びかけた事がある。父は振り向き……心底落胆したような表情を浮かべた。

 嗚咽が漏れそうになり、思わず親指の付け根を噛む。ギリッとした痛みが、動揺を心の奥に押し込めていく。


 『不幸の星』など、この世にはない。

 私はキアランの側で、心静かに生きて行くのだ。

 私は……私は……


 息が苦しい。

 まずい。呼吸を整えなければ。

 子供の頃に何度か、こういう状態になった事がある。

 大丈夫。落ち着いて。普通に息をすればいいだけよ。

 ひとつ、ふたつ――息を上手く吸えない。みっつ、よっつ――浅く息をして――そう。いつつ、むっつ――大丈夫。大丈夫よ、ロサリンド。

 祭壇の礎石にもたれかかって目を閉じていると、生暖かい何かが私の手に触れた。

 重い瞼を上げると、ピンと耳を立てた、大きな緑色の犬と目が合った。

「お前、どこから入って来たの?」

 そう言葉をかけると、犬は私の手を嘗めた。舌が触れたところがチリッと痛む。さっき、自分で噛んだ所だ。思ったより強く噛んで、傷になってしまったのだろう。


「ロージー?」


 礼拝堂の入口の方から、キアランの声がした。安堵で涙が出そうになった。

「キアラン」

 小さな声で呼ぶと、傍らの犬もバフッと声を上げた。

 キアランは迷うことなく、真っ直ぐ私の方に向かって来た。犬が尻尾を振りながら場所を空け、キアランはそこに(ひざまず)いた。

「どうしました?」

「少し気分が悪くなって……」

「医者を――」

 私はキアランにすがり付いた。

「ロージー?」

「落ち着けばよくなるの。お医者様はそう言ってた」

 キアランは私をそっと抱き締めた。私はキアランの胸に頭を預け、体の力を抜いた。

「こういう事はよくあるのですか?」

「子供の頃に何度か。最近はずっとなかったわ」

「どうして一人でいたのです?」

「一人……って?」

 頭が上手く働かない。

「私が一緒ではない時は、ギャラガーを連れ歩くようにと言ったはずですが?」

「ああ……だって、早い時間だから」

「ロージー」

 キアランはため息混じりに言った。

「あれに気遣いは無用です。家族持ちでもなければ、恋人もいない。朝だろうと、真夜中だろうと、叩き起こして構いません」

 ……それもどうかと思うわ。

「ギャラガーが貴女と一緒ではないと知って、血の気が引きました。もう、一人で出歩いてはいけませんよ?」

 キアランの言葉は、私の心を温かく満たしていった。


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