13. 決意の石
工房から外に出ると、入口近くの石段に、一人の騎士が座っていた。
騎士は鼻歌混じりに、剣の手入れをしているようだった。
「今日は、マクリーン卿」
アレクサンドラが明るく声をかけると、騎士は顔を上げた。くすんだ金色の髪をした赤ら顔の巨漢だ。年の頃は、四十ほどだろうか。確か、ホーク様に仕えている人だ。
「やあ、サンディ嬢ちゃん。どこに行くんだい?」
騎士は厳つい顔を綻ばせた。
「散歩。この先の見張り台に行くつもり。ついて来なくても大丈夫だよ」
「そうはいかんな。ホークにどやされる。お喋りの邪魔にならんように、少し離れて歩くさ」
問いかけるように見ると、アレクサンドラはため息をついた。
「護衛と言う名の監視よ」
「子守りと言う名の護衛さ」
騎士はカラカラと笑った。
「ただ行くだけだよ。もう大人なんだから、身ぃ乗り出したりしないって」
「ほう? アルス村の連中にもそう言ってやればどうだい?」
驚いた事に、アレクサンドラは顔を赤らめた。
「分かった、分かった! どうぞついて来て下さい!」
言葉通り、騎士は少し離れて私達の後を歩いた。普通に話していても、内容まで聞き取れないくらいの距離だ。
私が『親しいのね』と言うと、アレクサンドラは頷いた。
「子供の頃からの付き合いだからね。おかげで――領地の人達もそうなんだけど、あたしはいつまでたっても『サンディ嬢ちゃん』なわけよ。ま、狼避けの柵に引っ掛かっているうちは仕方ないかな」
私は首を傾げた。
「子供の頃の話をまだ引きずってるの?」
アレクサンドラは盛大にため息をついた。
「ほんの三ヶ月前の話なのよ」
その、伯爵夫人にあるまじき顛末の一部始終を、歩きながら聞いた。
そそっかしいアレクサンドラらしい笑い話だ。確かに可笑しい。普通は笑うのだろう。けれど、それよりも私が感じたのは羨望だった。
「いいわね」
「何が?」
「貴女は誰からも愛されるのね」
「そんな事ないよ。恵まれてるとは思う。でも、初恋の人には振られたし」
その初恋の相手については知っていた。アレクサンドラの結婚式に招かれた時に会った、幼馴染みだという青年だ。
彼は――おそらくはアレクサンドラが恋をしたそのままの笑顔で、婚礼衣装に身を包んだアレクサンドラをからかい、綺麗だと褒め、両頬に祝福のキスをした。
確かに彼は、アレクサンドラに恋をしなかった。
けれど別の意味では、長い付き合いの友人としては、アレクサンドラに深い愛情を持っているように見えた。
「私なんて、初恋の人さえいないわ」
アレクサンドラはそれには答えず、私の手を取って見張り台の端まで歩いた。
そこからは、抜けるような青い空の下、オレンジ色の屋根がひしめく王都が一望できた。
「すごいねぇ。あの屋根の下、全部に誰かが住んでんだよ」
「そうね」
その全部の人に、それぞれの悩みがあるのだろう。喜びもまた。
「決めた?」
唐突にアレクサンドラが訊いた。
「ええ」
「あたしは何をすればいい?」
「何も。いずれはお願いする事もあるでしょうけれど、今は一人で頑張りたいの」
「うん」
「アレクサンドラ」
「何?」
「いつもこのようで、ごめんなさいね」
迷ってばかりで、愚痴ってばかりで、泣き言ばかりで……
「ねぇ、ロージー」
アレクサンドラはニッと笑った。
「こういう時はね、『ありがとう』って言うもんなんだよ」
生まれてからずっと、後ろ向きに生きて来た。
家族にすら愛されず、不幸の星の下に生まれたと本気で思った。
せめて可愛らしく生まれていたならば、人生は違っていただろうかと嘆き続けた。
でも
そうではなくて――
夕日に彩られた薔薇園は、王城の中で私が一番好きな場所だった。
その美しい場所で、その日、私はキアランに告げた。
「今日は大切なお話があります」
突然の私の言葉に、いつもにこやかなキアランの顔から表情が消えた。
けれどそれはほんの一瞬で、彼は気を取り直したように微笑んだ。
「何でしょう? ロッドに帰りたくなったとか?」
「まさか」
故郷には、ホームシックになるほどのよい思い出はない。
「貴方とわたくしの、縁談の事です」
「それは重要な案件ですが、王命です。貴女に決定権はない」
「いいえ。そうは思いません。王にとって、わたくしはただの駒。代わりはいくらでもいるのです」
キアランは足を止めて私を見下ろした。
深い傷痕が残る美しい顔が歪んだ。
「私にとっては!」
叫ぶように声を荒げてから、キアランは呼吸を整えた。
「私にとっては貴女の代わりなどいない……貴女を拐えばいいのかな。領地に閉じ込めてしまえば、諦めて――いや、諦めてくれなくても貴女は私のものだ」
静かな口調とは裏腹の、激情を秘めた言葉だった。
私は両手の指を組んで、ぎゅっと力を入れた。指に走る微かな痛みで、心を強く持てる気がした。
流されてはいけないのだ。
王の権力にも。
キアランの激情にも。
己れが決める事で、初めて私は自由になれる。
「キアラン様、聞いて下さい」
「嫌だ」
「大人の殿方でしたら、駄々っ子のような事をおっしゃらないで」
「年上ぶらないでくれ」
キアランは右手で顔を覆ってそう言った。
「だって年上ですもの」
私は両手を上げた。キアランの腕をそっと掴んで引く。
「大切なお話だと申し上げたはずですよ」
キアランは渋々、顔から手を離した。
私は碧い瞳を見上げて、自分の心が決めた事を告げた。
「貴方の求婚をお受けいたします」




