12. 水の意図
ゆったりと、二月が過ぎていった。
私は、王妃様の居室近くに部屋を賜っていた。
「そなたもじっとしているのは退屈でしょう?」
王妃様のご配慮で、私は宮廷付きの薬士の手伝いをしながら、薬学を学ぶことになった。修道院でも薬草の効能を学んでいたけれど、流石は王家だ。薬士のレベルも資料の豊富さも、修道院とは比べ物にならない。
薬学はいい。
魔法と違って天賦の才はいらない。ただひたすら学ぶだけである。
薬房にいると、時々、キアランがふらりとやって来た。
最初は、会う約束を忘れていただろうかと首を傾げた。『キアラン様?』と声をかけると、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「所用で来ただけなので、どうぞお勉強を続けて下さい」
彼はそう言った。
そうなのかと頷いて、私はやりかけの勉強に戻った。
彼の"所用"が何かは知らないけれど、いつも誰か彼か――ホーク様やダンカン、時には王ご自身までも――がキアランを連れ戻しに来た。
「真面目に仕事をしろ!」
王が小声で叱るのが聞こえた。
「元はと言えば貴方のせいでしょう?」
キアランがため息混じりにやり返す。
「妖艶な女魔導士に騙されて、城の防御結界を穴だらけにされていても気づかなかったなんてどうかしているよ、王様」
「悪かったな! お前こそ人の事が言えるのか、このヘタレがっ! とっとと口説き落とせ。いや、その前にその粘着気質を改めろ。正直、引くぞ」
小声で言い争う二人は似ていた。やはり血族なのだな、と妙に納得する。
「お二人とも! 仕事の邪魔です。言い合いを続けるおつもりなら、今すぐ出て行って下さい」
薬房の長様が、王とキアランを叱りつけた。
自分より身分も身の丈も小さな老人に怒られて、素直に立ち去る二人に笑いを噛み締めていると、長様がくるりと振り返った。
「貴女も、そろそろお心をお決めなさい」
真白いモジャモジャの眉毛の下から、黒い瞳が私を見据える。
「いつまでセルツ公に気を持たせれば満足するのですか」
「気を持たせているつもりはありません」
「では何故、まだ輿入れなさらないのです? ああ、噂では、修道女になるのがご希望でしたな。真実ですか?」
コクンとうなずくと、長様の表情は私を哀れむかのように歪んだ。
「遅きに失しましたな、レディ・ロザリンド。あそこまでになっては、セルツ公――キアラン様は簡単には諦めませんぞ」
「あそこまで……とは?」
その昔、キアランの怪我の治療に携わったのです。と、長様は言った。傷の痛みと暗闇の恐怖に泣き叫ぶキアランを宥めたのは、屋敷の下働きの女性だったという。
「彼は女性にとてもなつきましてな、それはもう母鳥を追う雛のようで……近頃のキアラン様を見ていると、あの頃を思い出します。何も望まず、ただ彼女の声の聞こえる場所でじっと座っていた姿を」
それならばキアランは、私の声を聞きたくて薬房まで来ていたのだろうか?
「お気付きではありませなんだか」
長様は苦笑した。
「魔導士が薬房に日参する用事など、そうそうあるものですか」
自分のうかつさに頬が染まった。
「あの……その女性は、今は……?」
「セルツの土の下に眠っております。故意か他意か、はたまた不幸な事故だったのか、真相は謎のまま――彼女は毒で亡くなったのですよ」
私は薬房での勉強を終えた後、アレクサンドラを探した。
彼女は、織物の工房にいた。
工房は、城の外側に近い外れにある。織師は、どちらかと言えば庶民の職業と見なされていて、薬房に比べると、働いている女性達の身分は低いようだ。
「サンディ様、この色の糸でいいかな?」
まだ少女と言ってもよいような娘が、縦機の前に座るアレクサンドラに訊いた。微妙に丁寧、かつ今一つ礼儀作法がなっていない言葉使いだ。
「おっ、ありがとう! そうそう。こういう色が欲しかったんだ。いい色だねぇ。何で染めたんだろ」
答えるアレクサンドラの方も、あまり変わりはない。
「アレクサンドラ」
私が呼ぶと、アレクサンドラは顔を上げた。
「あれ? ロージー? 今日はキアランと会わないの?」
「いいえ。まだ時間があるから……」
「よーし! じゃ、あたしも休憩しよっかな」
アレクサンドラは立ち上がると、両手をグッと上に上げて伸びをした。ふうっと深い息を吐いて下ろした両手には、いつの間にか赤いリンゴが握られている。アレクサンドラは、その片方を糸を運んで来た娘に与え、もう片方を私に投げて寄越した。
「ちょっと外に行こっか?」
アレクサンドラは、ニコッと笑った。




