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ウサギ耳の男の初恋 (ブログ掲載作品)

作者: 立花ゆずほ

男はいつも、檻の中で考えていた。

なぜ自分だけが異質とされるのか。確かに自分には白くフサフサした長い耳が垂れ下がっている。

ほかの人間には無いものだ。

しかし、自分を見にやってくる人間たちだって、皆それぞれに違う顔をしている。

 目の色 髪の色 肌の色

 鼻の形 口の形 耳の形

誰一人として同じ顔の人間などいないのだ。

なのにどうして、自分だけがこんな見世物小屋に閉じ込められているのか。

物心ついた時から、ずっと考えているが、答えは見つからなかった。


檻の中とは言っても、案外快適だった。

一方の壁が格子になっているだけ。それ以外は普通の部屋だった。

時計はあるが、今日が一体何月何日なのかはわからない。わかるのは、今がいつかの昼だということだけ。

日に一度の食事の時間だ。


硬いパンや栄養補助食品。特に美味しいとも思わない。

そもそも男は、腹が減らないのだ。大して動かないのだから。


「金を払っているんだから、何かやって見せろ」

そんな罵声を浴びせられることもあるが、何も出来ないし、やってみせる筋合もない。

男は毎日、部屋でただただ静かに時間が経つのを待つだけだ。



ある日の早朝。

まだ客のいない静かな部屋。


「今日から仲間が増えるぞ。同じ19歳だ」

従業員から「支配人」と呼ばれている小太りの男が、無表情にそう伝えた。

男はその時、初めて自分が19歳なのだと知った。

そう言われたから、そうなのだろう。だからと言って別に何も思わないが。


ガチャリと檻のカギが開き、1人の女が中に入ってきた。

うなだれながら入ってきた女には、男と同じウサギの耳が垂れ下がっている。


「!」

男は目を見張った。言葉に詰まる。

自分以外にその耳を見るのは初めてだった。


「よろしくお願いします」

消えそうなか細い声で女は言って、頭を下げた。


「こちらこそ」

男はそう返すのが精いっぱいだった。


そこでやっと顔を上げた女は、ひどく儚げだが、とても美しい顔立ちをしていた。

男は息をのんだ。

こんなに美しい女は初めて見た。



新しい見世物が入ったと、その日は客がわんさか押し寄せた。

女は怯えた様子で男の後ろに隠れた。

男はぴたりと背中に寄り添うぬくもりに、うっとりとした。

人と触れ合った記憶はない。親の顔すら知らない。

自分に向けられるのは、いつも好奇の目と辛辣な言葉ばかりだった。

自分の生まれた意味は、この女を守るためだったのかもしれない。

そう錯覚するほどに、女は温かく柔らかく、とてもいい香りがした。


今日も見世物小屋の営業が終わる。

照明が落ち、ベッド横のランプがほのかにオレンジ色の光を放つ。

男は手早くシャワーを浴びて布団にもぐった。

自分以外の人間が部屋にいる。それも、ひどく美しい女。自分と同じウサギ耳の女。

男はそれまでに味わったことのない興奮を感じていた。

それが怖くて後ろめたかった。


女がシャワーを浴びる間、そわそわと落ち着かなかった。

浴室のドアが開く音に、ビクリと飛び上がった。

自分はさみしかったのだ。

この毎日が当たり前で、そんな感情を求めたこともなかったはずなのに。


男はギュッと女を抱きしめて眠った。

愛し方は分からなかったが、女は嫌がらずに男の腕の中に納まっていた。

きっと女もさみしかったのだ。今までずっと、人との関わりの中で生きてきたはずだから。



翌朝、女は支配人に連れられて檻を出て行った。

昨日の客の1人が、女を見初めたらしい。妻として迎えられるのだという。


大金を手にした支配人は、見世物小屋を手放すと宣言し、そそくさと姿を消した。

残された従業員は口々に文句を言いながら、それでも行く当てもなく、そこに留まった。

檻の鍵は開け放たれた。

「お前も自由だぞ」

いつも食事を持ってくる細身の男が、そう言って外を指差したが、別に出たいと思わなかった。


ポカリと胸に穴が開いたみたいだ。

こんな痛みは、知らない。


たった一日だが女がいた部屋。女が寝ていた布団。

男はボーっと寝転がって天井を見つめていた。

腹は減らない。

客も来ない。従業員も自分に見向きもしなくなった。


ただ寝転がる日々。

従業員は1人また1人と去って行く。

やがて1人きりになった男は、生き延びるために乾いたパンを水で流し込んだ。

幸い水は出た。

しかし、電気とガスは数か月で止まってしまった。


男は冷たいシャワーを浴び、1つクシャミをした。


そうだ。自分は自由なのだ。


男は客の忘れ物の帽子を被り、耳を隠した。

残っていた食料を袋ごと持って、見世物小屋を後にした。


太陽がまぶしい。

青い空など、きっと、幼い頃に目にしたきりだろう。

空気を吸い込み、風を肌で感じる。


グーッと腹が鳴った。腹が減るという感覚も初めてだった。

公園のベンチに腰かけてパンにかじりつく。水飲み場で水を出し過ぎて顔にかかった。


「アハハ」

男は思わず声を出して笑った。

笑う。

男はいつから笑っていなかっただろう。


歩き出す。

ふと、通りの向こうに、あの女の姿を見つけた。

同じように耳を隠した女は、見知らぬ男と楽しげに微笑み合っている。


男は帽子を深くかぶり直し、また、歩き出した。

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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公・・・ こういうときって少し複雑ですよね。 相手には幸せになって欲しいけど、自分はどこか寂しくなるみたいな・・・・ それと水を差すようで悪いのですが、『親の顔する知らない。』はた…
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