山田家がホストファミリーとなったようです。―受け入れ編―
私宛にその封筒が届いたのは六月半ばの頃だった。
所属している海外交流クラブからのものである。
夏のキャンプのお誘いだろうかと思いつつ手に持ってみると少し重い。プリントが4,5枚入っている感じだろうか。
不思議に思いつつ封を開けると、赤く四角いハンコが目に入った。
正直、この時点で嫌な予感しかしない。
紛れもなくそれはお偉いさんのハンコである。おそるおそる手紙の冒頭に眼を移すと「山田詩織さま」と個人名がはっきり書かれていた。
夏のキャンプじゃない。だとしたら何か。
文章をすべて読んで、理解して、そっと封筒に戻す。できれば見なかったことにしたい。
頭を抱えるなどという大仰な事はしなかったが、ため息は出る。
ほとんど無表情だと有名な私である。たぶんこの時も無表情だったのではないだろうか。
だが頭の中ではめまぐるしく今後のスケジュール確認と変更を行っていた。
手紙の内容は、簡単に一行でまとめるとこうだ。
『ホストファミリーになってくれないか』
*
確かに、去年の夏――私が海外研修に行き、研修後に「ホストファミリーになりたいとは思いますか?」というアンケートにはいとは答えた。
当時の心境は「どうせ私のところには来るまい」と軽いものだ。
アメリカも日本もホームステイに参加するのはだいたいの平均年齢が15歳ほどなのに何が悲しくて18歳(当時)のところに来ないといけないのか、と。
15歳と18歳の生きる世界は違う。大げさではなく。
ホームステイの時にペアを組んだ17歳の少女とですら話が合わなかったのだ。日本人でこうなんだからアメリカ人はもっと話が通じないに違いない。
山田自身が話の通じない個体だというのはこの際目をつぶっていただこう。
だから大学生にホストファミリー権が来るとは思わなかった。
先ほど述べたようにホームステイに来るのはだいたい15歳前後。ならばホストファミリーだって同い年ぐらいの子、つまり高校生に任せればうまくいくだろう。
実際同い年ということで仲良くなった例を見ている。
もう一度手紙を取り出し、同封されていた書類(ホームステイに来る少女たちのプロフィール)を読んでみる。
マリア、14歳。
サリー、14歳。
山田、18歳。
四歳も離れていていったい何をしろというのか。
二番目の子供として育ち従姉妹の中でも最年少である私だ。年下の扱い方を全く知らない。
明らかに気まずい沈黙が下りるだろう。
――弁解しておくとホストファミリーになるのが嫌なのではなく、中学生を大学生の家に放り込んで良かったのかお前というやつである。
もうちょっと年齢差とか考えてやれと、そう言いたい。
全体的に山田家は枯れている。ゲーム機はひとつもないし、漫画もない。
せいぜい可愛い愛犬がいるぐらいだ。
14歳、遊びたがりの乙女たちに耐えきれるのだろうか。
だから最初は断ろうと思っていた。
適当に希望者に突っ込めば良いってもんじゃないよと。
土日含めた三日間だけとはいえ、彼女たちがホスト家を離れる日は私は学校だ。二時間かけて通学するために彼女たちを見送れない。それはちょっと悲しい。
それに英語はからっきしだめだ。ホームステイではペアの少女の助けとなんとか簡単な単語とジェスチャーでごり押したようものなのに。
なんともなさけない大学生である。
そんなわけで夕飯時、母親と父親に手紙が来たことを話す。
反応は淡々としていた。今に始まったことではない。この二人、歴史か旅か料理が絡まないとあまり反応してくれないのだ。
説明し終わって、「大学生だからちょっと時間厳しいよね…」と言いかけた時である。
「お兄ちゃんの部屋を使ってもらおうよ。布団屋さんにもレンタルたのまなきゃ」
母親が言う。
「えーと? あ、日勤だな。まあいいや、オレ有給使うわ」
父親が手帳をめくっていた。
じわりじわりと盛り上がっていた。
娘の行事には関心薄いのになぁ…と思わずにはいられない。
私は妙に盛り上がる両親を見ながら受け入れの説明会の日時を確認する。
金曜日。学校から急いで帰れば何とかいけそうだった。
「た、楽しみだね」
ホームステイが決定した瞬間だった。
自己紹介メールを二人に送った時、マリアから連日メールが届きサリーからは一通もメールを返されず今後が不安になったのはまた別の話。
続かない