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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

掲載日:2026/01/17

「飯」

 看板には、白地に黒の文字でただそれだけが書かれていた。


 裏路地の奥、昨日まで確実に空き店舗だった場所に、その店は忽然として現れた。

 渡辺は空腹に誘われるように暖簾をくぐった。


 薄暗い店内。カウンターに一人、無表情な店主が立っている。

「何が食べたい?」

 渡辺は考える間もなく、答えていた。

「母親の作ったオムライス」


 二十年前、日曜の昼。小学生だった渡辺に、母は毎週オムライスを作ってくれた。

 若くして母は交通事故で亡くなった。


 運ばれてきた皿の蓋を開けた瞬間、渡辺は息を呑んだ。

 ケチャップの色、卵の焼き加減、玉ねぎとピーマンの切り方。

 すべてが完璧に一致していた。一口頬張ると、涙が溢れた。


 味も、食感も、温度さえも、あの日曜日そのものだった。

「うまい、か?」

 店主が問う。渡辺は何度も頷いた。



 翌週、渡辺は早速親友の佐藤を連れてきた。

「高級ステーキが食いたい」

 佐藤はそう注文したが、出てきたのは見るからに安い牛丼だった。

「は? なんだよこれ」

 だが一口食べた佐藤の表情が歪んだ。

「これ、あいつと……」

 学生時代の彼女。一緒に食べた牛丼チェーン店の味。

 佐藤は黙って完食し、店を出るなり嗚咽を漏らした。


「本当に食べたいものが出るんだ」

 渡辺はそう理解した。

 表層の欲望ではなく、心の奥底に潜む真実が。



 その後、渡辺は何度も店に通った。

 同僚を連れて行ったこともある。

 難病を患う吉田に出されたのは、何の具材もない真っ白な粥だった。

 彼は食べながら、安堵したように微笑んでいた。

 それは、最期の食事を受け入れた者の顔だった。



 ある晩、疲弊したサラリーマンが入店した。

「何でもいい」

 男は投げやりに答えた。店主が運んできた皿を覗き見て、渡辺は凍りついた。

 血の滴る生肉の塊だった。

 男は一瞬硬直したが、やがて獣のように笑い、両手でそれを鷲掴みにして貪り食った。

 骨を砕く音。肉を引き裂く音。血が顎から垂れる。

 食べ終わった男は、殺意に満ちた目で店を出ていった。


 渡辺は店主に詰め寄った。

「何を食わせている!?」

「俺は何も作っちゃいない」

 店主は淡々と答えた。

「客の心が作ってるんだ。この店はただの鏡だ」


 渡辺はこの店に二度と来ないと決めた。


 だが一週間後、気づけば店の前に立っていた。

 体が勝手に店を求めていた。


「いらっしゃい」

 店主は渡辺を見て、何も聞かずに厨房へ消えた。

 この店は渡辺のことを知り尽くしていた。


 やがて運ばれてきた皿。

 渡辺は震える手で蓋を開けた。


 盛られていたのは、肉片だった。

 見覚えのある形。自分の左手の薬指によく似ていた。

 いや、似ているのではない。これは——

「本当に食べたいものだ」

 店主の声が遠くから聞こえる。


 渡辺は理解した。

 母のオムライスも、佐藤の牛丼も、吉田の粥も、すべては始まりに過ぎなかった。

 人間の欲望は階段を降りていく。

 懐かしさ、喪失、安楽、そして——

 自己破壊。


「俺は、俺を食いたかったのか」

 笑いが込み上げてくる。可笑しくて、可笑しくて仕方ない。


 渡辺は肉片を口に運んだ。

 歯が肉を裂く。血の味が広がる。

 舌の奥が告げていた。

 ——これは、自分の味だ。

 理由はわからない。けれど、渡辺には確信だけがあった。


 存在の終わり。消滅への渇望。

 咀嚼の途中で、渡辺はふと左手を見た。

 薬指が、消えていた。

 血も痛みもない。ただ、満たされていく。

 それが、幸福にさえ思えた。


「お代わりは?」

 店主が尋ねる。

 渡辺は笑顔で頷いた。


 次に運ばれてきた皿には、自分の右足首から先が丸ごと盛られていた。


 店の外では、新しい客が暖簾をくぐろうとしている。

「飯」とだけ書かれた看板の下で、店主は今日も無表情に立っている。

 鏡は、ただ映すだけだ。

なぜタイトル長文の異世界転生モノみたいなのが人気なのか

https://togetter.com/li/2620578


にて、XのDMを使って相互評価で星を増やす作者が、他作のタイトルを「長文でテンプレ」(意訳)とディスってました。


じゃあ、ってんでノリで書いた実験作品です。

(2025/10/27 カクヨムに投稿したものを転載)


Xでは5回ほどしか宣伝してませんが、読んだ方からは反響が大きかったので、こちらにも転載してみました。

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