始まりはいつも終わりの後に DAY:02
三月の三十一日だったと思う。
大門大和は陸上自衛隊に着隊した。
自衛官候補生だ。
彼は受付を済ませて、部屋へ案内された。
まだこの頃には髪が長い連中も多かったと記憶している。
早く着き過ぎたようで待たされる時間が長かったので彼は喫煙所へ行った。
下を見下ろし、そこで妙な男を発見した。
いや何かがおかしいわけではない。
ただ荷物を持って歩いているだけ。
少し長めの髪を、揺らして歩いている。
その後ろから、小柄で華奢な、男が慌てて彼に追いついた。
何事かを会話して、一緒に並んで歩き出す。
どうやら見知った仲のようだ。
二人は連れ立って歩いている。
だが、その妙な男は、尋常ではない気配を放っている。
オーラとでも言うのか、禍々しい気配がその背中に生えているような錯覚を覚える。
彼は一瞬だけ背筋が震えたのを覚えている。
だが、その気配は変わらなかったが、大門大和は、この妙な気配を放つ神谷真理と、親しい仲となる。
それこそ、後に十年近くも続く仲に。
加えてその時に共にいた小柄で華奢な男、川崎誠とも親しくなる。
どうやら二人はおなじ「まこと」だからという理由で高校生時代に仲良くなったらしい。
そして、この三人で暫く過ごすうちにゴールデンウイークよりも前だった気がする。
喫煙所でもう一人の男と共になった。
細い。
だが、痩せているというよりは整っていると表現するべき肢体。
肌も整っており、同じ坊主頭のはずなのに洒落て見えてしまうと大門大和は感じる程だった。
その男は、名を綾瀬紬生と名乗った。
入隊時の自己紹介や他訓練でも同じなのだから名は何度か聞いたことがあったが、改めて認識すると響きのいい名前をしている。
そんな四人が揃った時に世間話として各々の話をしている時に判明したのだ。
誕生日が皆同じ日だということが。
意外過ぎる共通項に、皆驚き、笑った。
ここからだったと思う。
この四人で過ごすことが当たり前になったのは。
班も異なり、部屋も違う。
しかし課業後の半長靴磨きや喫煙、休日の残留、理由はなくとも共にいた。
居心地が、良かったのだと思う。
だが、それもずっとは続かない。
とある休日にに川崎誠が話しかけて来た。
他二人は売店に行っている。
「希望職種どこにした?」
彼の問いに煙草を吸いながら答える。
「情報科、特科、衛生科の順で出した。なんだ、悩んでいるのか」
川崎誠は喫煙所で腰を浮かせた状態で悩ましい顔をする。
「神谷真理は空挺一択で、あ、でも第二希望が情報だったね。で、次が普通科だったっけ。で、綾瀬紬生は、航空科、衛生科、通信でしょ? どうしよっかな俺」
ブルべ。
綾瀬紬生のあだ名だ。
自分のパーソナルカラーがブルーベースだから、とかいう謎の理由でついたあだ名なのだそうだ。
川崎誠は本当に悩ましいといった顔で、というか、泣きそうな顔で煙草を吸っている。
神谷真理が来るから自衛隊を受けたと言っていた、離れるのが苦しいのだろう。
だが彼には空挺に一緒に行ける程の適性がないと判断されているのだろう。
大門大和は言う。
「誰かと一緒に行くのではなく、お前がどうしたいか、お前個人の意思を決めないと後悔するぞ。川崎誠。しっかりと考えろ。まこっさんについていくだけではお前は成長しないぞ」
顔を萎ませる川崎誠にそう言いながら彼は考えていた。
自分もそうかもしれないと。
とりあえず、過酷であれば良いと考えている。
情報科に最終的に選んだのはバイクではなく最前線へ行けるからだった。
その意味も、彼はあまり考えてはいなかった。
ただ、特に意味もなく、前、そう決めたからという理由だけで、今はもう、その決めたものを変えない理由を探してそう決めた。
彼もあまり、人の事が言えないと考えていた。
階段を登ってくる音が聞こえる。
二人が帰ってきたのだろう。
「大ちゃんはいいよ。昔から決まっていたんでしょ?」
その問いには答えず、大門大和は階段の外を見た。
薄く雨が降る季節。
梅雨の時期ももう終わる。
新隊員教育も、もう半分。
進路希望の提出の三回目が近付いていた。
これが、最後の提出だった。
悩むのも当然だった。
売店から戻った二人から煙草や菓子類を受け取り、煙草を吸い雑談に入る。
そうしながら彼は、川崎誠に向けて言った言葉を後悔していた。
棘のある言い方だったかもしれない。
悩んでいるのは自分も同じだからと言ってやればよかった。
無性に苛立っていたのだ。
川崎誠は大門大和に昔から決めていたのだろう?と言った。
違うのだ。
決まっても、決めてもいなかったのだ。
ただ、視界に入った物を掴んだだけで、選択肢の中から選んだ訳ではなかった。
だが、神谷真理は違った。
彼は最初から最後までずっと決めていた。
その目標に向けてずっとひたむきな努力を続けていた。
彼の自主トレーニングについていけるのは、いやついていこうとするのは彼ら三人だけだった。
友情だったのかもしれない。
同期の仲もある。
だが、だけれど、なのだけれど、大門大和は、神谷真理への、嫉妬心を持っていた。
最初から最後まで、一貫した意志を持った人間。
それのために一貫した努力を続けられる人間。
大門大和には、それが出来るとは思えていなかったのだ。
だから、羨ましかったのだ。
彼は、神谷真理が、嫌いだった。
何故そこまでできるんだと、何度も怒鳴りつけたくなった。
だが、何かを言おうとする度に、あの独特な左目で見つめられた。
吸い込まれるようなその左目で見つめられると、それだけで何も言えなくなった。
その嫉妬心は結局新隊員教育の最後まで解決することはなかった。
訓練を終え、修了式を迎えた。
三人とも、親が来た。
大門大和は親とあまりいい関係ではなかった。
どうやら川崎誠もそうらしい。
だが、二人ともそれでも親が来た。
修了式後の食事会まで参加してくれた。
だが、神谷真理には誰もいなかった。
一人だけ。
修了式も終えて、それぞれの職種教育場所に移動するバスに別れている時に、彼と話しているスーツの女性がいた。
親がいたのかとほっとしたが、同じバスにいた連中が話しているのを聞いた。
「あれ、役場の人間らしいぜ」
「あいつ親いないってマジなんだな」
心が痛んだ。
それでも、それでも彼が羨ましいと思った自分に、心が痛んだ。
バスの外から視線を感じた。
覗き込むと川崎誠がいた。
窓を開けて声を掛ける。
「どうした」
「ううん。またねって言おうとしただけ」
川崎誠は俯きがちで、半分泣いているような顔だった。
彼は、結局は他の希望が通らず、普通科配属としてこの駐屯地に残る事になったのだ。
「お前にはいつだったかにお前の気持ちも考えずに自分で決めろといったが、あれをずっと後悔していた。すまなかった」
大門大和の言葉に川崎誠は目を見開いた。
「そんなこと覚えてたの? 相変わらず、律儀だなあ」
彼の目から涙が零れた。
時間になった。
バスのエンジンが掛かった。
「またな、パイセン。今夜、電話するから」
「待ってる。じゃあ、俺はまこっさんの所に行くから」
「ああ。ここで頑張れよ。また会えるから」
バスが走り出した。
川崎誠は今生の別れのように最後まで大門大和を見送っていた。
ちらりと視線を移すと、神谷真理と目が合った。
一瞬だけだったが、しっかりと目が合った。
その時、彼は短く敬礼をしてくれた。
だが、大門大和にそれに返礼する時間はなかった。
この返礼を、後に彼は長く後悔することになる。
その日の晩、川崎誠は電話に出なかった。
折り返しが来ることも、決してなかった。
川崎誠は、修了式の約二か月後に自衛隊を辞めてしまった。