第33話
早朝、セイガはややお酒が残っていたが日頃の鍛錬のために起きて、学園の隠れ亭の裏庭にひとり立っていた。
朝の空気は澄んでおり、緑に囲まれた屋敷はとても心地よかった。
大きく息を吸い、ウイングソードを取り出す。
裏庭はなかなかに広く、石畳もしっかりとしていて、鍛錬には充分な環境だ。
セイガは素振りを続けながら精神を整える。
今思う、仮想敵は……海里だ。
嵐の夜での強烈な<呪文>、あと眠りの<呪文>などもあったし、おそらく他にも幾つもの攻撃を備えているだろう。
強力で、広範囲……タイプとしてはヤミホムラに近いかも知れない。
セイガはかつて戦った少女のことを思い出していた。
「なかなかの腕前ですね」
セイガの気付かぬうちに、その声の主、彼女はセイガの背後に立っていた。
穏やかだが凛とした声、セイガが振り返るとそこには……
「おはようございます、セイガ様」
綺麗にお辞儀をする女性、見たところは20代半ば程だろう、編み込まれた長い銀色の髪がサイドに流れる。
「おはようございます……ええと、どなたですか?」
いつの間にか背後を取られていたことも驚きだったが、さらに見知らぬ女性を前にセイガは戸惑っていた。
一度でも見ていたなら忘れないだろう、それくらいその女性は見目麗しい。
「ふふふ、嫌ですわセイガ様、もう忘れてしまったのですか?」
女性は口に手を当てて優しく微笑む、しかしセイガには本当に覚えがない
「シオリですよ、学園の隠れ亭のメイドのシオリです♪」
…
彼女は白いヘッドドレスに紺色のロングスカート、白いエプロンを身に纏っていて、立ち振る舞いといい確かにメイドと言えるだろう。
しかし
「ええええ!?シオリさん、ですか?」
昨夜大騒ぎで迎えてくれたあのシオリさんとは似ても似つかぬ姿だ。
「だって姿…いや、声も全然違うじゃないですか」
シオリはくすりと笑うと
「『だって期待を裏切った方が面白いじゃないかい!』…という趣向です♪」
おばちゃんの声色と静かで耳心地の良い声、両方をシオリは使い分けていた。
「驚きました?」
「はい、すごく……ビックリしました」
完全に騙されてしまった、真実を聞かされてもまだ信じられない気持ちだ。
「ふふふ、それは作戦大成功です、これからお客様全員に会うのが楽しみですね」
この館に着いた時に、お茶目な性格なのかもと話をしていたが、予想以上に彼女は面白い人だったのだ。
「ははは、みんな驚くでしょうね、それに……聞いてもいいですか?」
セイガはもう一つ、気になっていることがあった。
「はい、私で答えられる事なら何なりと申しつけくださいませ」
シオリが姿勢を正す、それだけで神聖な雰囲気がした。
「その……白い翼は本物ですか?」
そう、彼女の背中には2対の大きく白い翼がある。
セイガの質問に応えるように片羽が軽く羽ばたいた。
「ええ、これは私自身の体の一部ですし、空も飛べますよ」
瞬間、羽音と共にシオリの体がふわりと浮くと、館の屋根の上まで舞った。
「でも、セイガ様も今は飛べますよね?」
シオリの視線はウイングソードへと注がれていた。
セイガはこくりと頷くとウイングソードの力でシオリと同じく屋根の上へと軽く移動する。
ふたりは並んで、視界の広がった街並みを眺める。
東の空には太陽がきらめき、イーストアカデミアの街を鮮やかに照らしていた。
「いい景色、ですね」
「私もここの風景は、とても好きです」
広げた翼をたたみながら、シオリが屋根からさらに上に伸びる尖塔の壁に右手をついた。
「それにしても、この剣の能力のことまでよく知ってましたね」
「だって私、『完璧なメイドさん』ですから♪」
そのまま左手でウイングソードを指差す。
「しかもそれ、ふたつに分離する所謂双剣ですよね」
「まさかそこまで見抜くとは…びっくりです」
セイガはウイングソードを分離させてみる、まだ両手で別々の剣を扱うのには慣れていないので、練習が必要だ。
「私もこう見えて、双剣使いなのです」
シオリの両手には、それぞれ刃渡り70cm程の小太刀が握られていた。
先程の出現時といい、その所作には全く隙が無い。
相当の使い手だとセイガは確信した。
「あの、もし良かったらで構わないのですが、俺の朝の鍛錬に手を貸して貰えないでしょうか?」
そのままセイガはシオリをみつめる。
「双剣は正直、まだ使い慣れていないというか……もっと練習する必要があるのですけれど、なかなかコツが掴めないというか上手くいっていないのです」
戦いの幅を広げようと、ウイングソードを作った訳だが、その元の使い手のように双剣を操るにはセイガだけでは力不足だった。
「確かに、苦戦されているようですね、ふふふ♪」
シオリはセイガの今の手つきだけでそれを察したのだろう。
「無理なお願いだとは承知しています、けれど」
「いいですよ」
勢いのまま前に出るセイガをシオリの手が制した。
「……え?」
驚くセイガの襟を軽く直しながら
「お客人の希望に添うのが今回の私のお仕事ですから、空いた時間であれば喜んでお相手致します」
シオリは営業スマイルで手を差し出した。
「ありがとうございます!」
セイガがシオリと握手をする、彼女の手はとても綺麗で柔らかく、家事や剣の動きなど無縁のように見えた。
「あらためまして『熾織・R・蟻酒』です、これからよろしくお願いしますね、セイガ様」
そうして、この学園郷での滞在中、セイガは新たな師とも言える大切な存在を得ることになったのだった。
ちなみに、この日の朝は方々から驚きと笑いの声が響いていた。
シオリさんの思い通りである。




