第19話
セイガは微睡みの中にいた。
確か、夕食の時に美味しいお寿司を沢山食べて、ユメカと海里が薦める日本酒を色々と飲み比べて、かなりいい気分になっていた筈だ。
正体を失くすほど酔っていたつもりは無かったのだが…
どのタイミングで寝てしまったのか、セイガは思い出せなかった。
それにしてもとても甘い…気持ちのいい感覚が残っている、このまま起きたくなくなるような、そんなまったりとした心地…
「んん…」
それでも、まずは一度目を開けようとセイガは動こうとするが、何か柔らかいものが引っ掛かる。
「……あ、よーやく起きたね」
くすりと笑い声、目を開いたセイガのすぐ前には黄色と青の綺麗な瞳、妖艶な眼差しの海里がいた。
今の海里からは殺気が見えないからか、セイガは一瞬自分に何が起きているか理解できなかった。
「ええと?」
海里は夕食の時に着替えていた青いドレスのまま、仰向けのセイガの上に寄りかかっている。
次第に感じる肌の温かみと柔らかさ…
薄明かりの下、高級なベッドの上、ここはセイガ達の相部屋ではない。
おそらく、上層の海里の客室なのだろう、とてもいい匂いがする。
それが海里自身から漂うものなのか、セイガには理解できなかったが、今はとても蕩けそうで、良好な気分のまま、セイガは動けずにいた。
「あんまり起きないようなら、このままヤっちゃおうかと思ったけど、早く回復してくれて良かったよ……」
海里の濡れた唇が、近付く。
「いいよね?」
その甘美な囁きに誰が抗えようか…
それが触れそうになる刹那、セイガは思い出した。
「……あっ!」
理性を総動員して、海里の両肩を持ち、顔を離す。
「あの時か!」
夕食後、用事があるというハリュウと別れて部屋に帰ろうとしたセイガに、海里が話し掛けてきたのだ。
そして、その時に確かに何らかの魔法のようなものを受けた、それがセイガの覚えている最後の記憶だ。
「あん、女を跳ね除けるなんて、無粋じゃない?」
離された勢いで、海里の赤い、綺麗な髪が流れてセイガの耳にかかる。
それに、形のいい乳房がドレスの隙間から震えるのが分かった。
これは、とてもマズい状況だ。
「油断していたところに魔法まで使って、俺に何をするつもりだ」
この状況下なので、セイガとしてもある程度予想は出来ているのだが、聞かないわけにはいかなかった。
何故なら、
「分かるでしょ?……よ・ば・い♪ というかこの場合はお持ち帰りかな?」
海里は無邪気な笑顔だ。
「それは、とても光栄というか魅力的なことだと思う」
今でもセイガの胸は高鳴り、その誘惑に屈してしまいそうになる、けれど
「けれど、俺はそれを許すわけにはいかないんだ」
ハッキリと、セイガはそう告げて身を捩り海里から離れる。
「む」
初めて、海里の表情から笑みが消える。
「まさかこの状況で私を抱かないっていうの?」
「そうだ」
「意気地なし」
「そう言われても仕方ないかも知れないが、俺は……本当に好きな相手としか…そういうことはしないと決めたんだ!」
頭を抱えながらセイガはそう言い放つ。
恥ずかしくて堪らないが、それがセイガの本分だった。
そんな真っ赤な顔のセイガを海里がゆっくりと見つめる。
狙われたら逃げることのできないような、魅惑の視線だ。
「……奇麗な瞳」
ぽつりと一言
「大切な誰かに裏切られて、それでも真っ直ぐ生きようとする強くて優しくて、儚い姿ね」
セイガは何も言えなかった、まだ思い出せない記憶の端にある、残酷な事実を見透かされているようで…
海里の言葉には慈しみと、同情、
「そんな貴男を、純粋で眩しい貴男を…私の体で狂わせてみたいわ」
そして狂気が込められていた。
セイガの頬に海里の指が添えられる、ぞくりと心の奥まで擽られるような感触にセイガは甘い快感と共に恐怖を覚える。
このままでは……
「…なんて、今夜はコレで勘弁してあげるわ♪」
ドンと、不意に押し出されセイガは天井を見上げる。
何となく、勝負に負けた気分になった。
「あっはは! このままバイバイじゃあ、あまりに情けないからちょっと話をしようよ?」
照れくさいのか、セイガの方を見ないまま海里がセイガの隣に寝転ぶ。
ふたりが並んで寝そべる形になったが、不思議と先程までのエロティックな雰囲気は無かった。
「ああ、構わないよ」
そう、セイガは答えたが、今思っていることはどうにも何を話しても無粋になりそうで自分からは声を出せずにいた。
ただ、そんなセイガのことはお構いなしに海里はおしゃべりを続けた。
それは海里の思っていることや普段の失敗談だのとりとめもなかった。
けれども、海里がとても楽しそうに話すから、セイガもまた楽しかったのだ。
「……セイガ氏はさ、推しとかっている?」
「推し?」
セイガには馴染みの無い言葉だったから、額窓で調べる。
「私はさ……あ、ユメカにはナイショにしていて欲しいんだけれど、実はユメカのコト結構推しなんだよね」
意外だった、まさか自分のことだけでなく、ユメカのことも知っていて、この第4リージョンまで来ていたということか。
「それならば、俺はユメカのファン第1号だよ?」
いつかそう、話したことをセイガは思い出していた。
「え~~? それはずっこいよ、ワイだってユメカの歌……好きなんだからね」
はにかみながら語る、海里の表情には今まで見えてなかった可愛らしさというか違う魅力が溢れている。
「まあいっか、それじゃあ、同担、だね☆」
海里が手を握ってくる、先程の艶めかしさとは打って変わった力強く、ハッキリとした握手だ。
そんな海里の気性をセイガは好ましく思った。
「そういえば…俺が意識を失う前に何か歌のようなものを聞いた気がするのだけれど、あれは海里の魔法か?」
自然と、呼び捨てになっている。
「それはさすがに企業秘密……って言いたいところだけど、セイガ氏には色々貸しもあるし教えちゃおっかな?」
貸しについては特に覚えがないセイガだったが、単純に海里の話が聞きたかったので、気にしないことにした。
「私たちのワールド、第6リージョンではメジャーなんだけどさ、高度に圧縮された情報ってのはそれだけで大きなエネルギーを持つんだよ」
「情報が力を…」
おそらく、そういう概念もあるのだろうとセイガは思った。
「絵とか文字とか、音とか動き…情報っていっても色んなもんがあるんだけどさ、それをまとめて『高密度情報』って呼んでる、で、そのひとつが私の使う<呪文>ってワケ」
メイ達の使う御業も独特な詠唱を必要としているが、それと似ているのかもしれない。
「<呪文>も使い方が人それぞれだけど、高密度情報から発生するエネルギーで色んなコトが出来るってワケ、正直どういう理屈かは、知らんけど」
「知らないんだ」
何となく、そんなところも海里らしいとセイガは思った。
「ま、ワイは天才だから? 何となくこう歌えばこう望んだ効果になるってのが分かるんだけどね」
セイガの手を離した海里が、その両手を天井へと向ける。
「なるほど……」
「普通の人の<呪文>はある程度時間が掛かるけど、私はタイトルさえ歌えば完成させられる、だから『超高次元のスペルシンガー』って異名もあるんだけど…ちょっとカッコ良くない!?」
「うん、それは分かる気がする!」
「でっしょ♪」
そのままふたり笑顔になる、セイガとしても、まだ重く、気恥ずかしい面も多いが『スターブレイカー』の称号は嫌いじゃなかった。
「出来れば、<呪文>をもう一回、見せてはくれないか?」
それは単純な好奇心からだった。
「ん~~~?、じゃあそうだなぁ、さっきのセイガ氏を眠らせた<呪文>、受けてみる?」
ニヤリと海里が微笑む。
「ああいいよ、さっきは油断していたけれど、警戒していればかかる気は無い」
セイガも自信満々で答える。
「お~~~、言ったね? それじゃあもし寝ちゃったら今度こそ…貰うよ?」
ふんっと勢いをつけて、海里が上半身を起こす、
「ああ、好きにしてくれ」
セイガも臨戦態勢で向かい合う。
「……」
「……」
ふたりの間に静寂が漂う、しかして、ふたりの表情には今にも動き出しそうな躍動感があった。
「喰らえ! トランス!」
その声、確かにただの音声じゃない、様々な音が響き合い、セイガの体を震わせ、貫いた。
(これが……<呪文>か!)
セイガも全力でその誘いから抵抗する。
気を抜けばそのまま持って行かれそうになる感覚…
そして、
ふたりの夜は暮れていった。




