サクナリ喪失
サクナリは煙を見る。
工場に住んでいるから煙突の真下、その先を見るには、遠くに行くか目を眇めるか、天辺に登ってしまうかだ。
天辺に登るとおっちゃん達が、赤くなったり青くなったり忙しいから、今日は真下で目を凝らす。
「サクちゃんこんなとこいたんか。ほれ。」
ごうりごうりと撫でる手は、誰のもみんな、ばりばり縦横、ひびが入って髪を引く。
煙草と油と、時には熟した柿の匂いがする。
鼠の毛皮色の作業着が、トタンの扉をがらがら開けて、ばらばらうらうら外に出る。
サクナリは、ふうんと目を閉じて、撫でた手に溢れた欠片、煙草の灰をひくひく嗅いだ。お昼休みの匂いだ。
「•••観念してウチィ来いや。」
「やだー。」
嫌だという口を、面白げに抓まれて、むうっと眉を片方あげて、ひゅくんと鳴く。
ハハハと笑って、ごうりごうりと頬を撫でられ、じゃあなと沢さんは昼飯に行った。
郷徳さんも松下さんも深っちゃんも、ごうりごうりとサクナリを撫でて、うちに来いと誘っては、ふられて笑って昼飯に行く。
明日、この工場は閉鎖する。合併とかそんなことを社長が言った。サクナリは工場の、空いたドラム缶に寝そべって、足をぷらぷらしながら聞いていたものだが。
工場長がやってきた。
「サクナリよう。」
うちに時々、飯食いに来いや。
工場長だけはこう言ったので、サクナリはひときわバリバリの手に、頬引っ掻かれながら。
「うん。」
と頷いた。
「サクナリは、」
「ああ。」
時々行くよ。
笑う犬の顔、はたはた揺れる白い尻尾にスカートが揺れる。
じゃあお前。
「時々じゃあない時は、どこぇ居る気だい。」
はた、と尻尾の風が止む。
「煙のとこ。」
「おーか。じゃあ、おいさんの煙草の輪っかでも見に来いや。」
「うん。」
でもサクナリは知っている。
工場長の体から、肉の滅びる甘い臭いがすることを。
きっと、そんなにたくさんは、サクナリに煙草の輪っかを見せない内に、消えて煙になってしまうことを。
「見るよ。時々の後。ずっと。ずっと。」
サクナリは見る。
きっと煙になるから、消えたら煙で会いに行く。そう言って、どこかへ消えたサクナリの、全部の気持ちをもってた人も。
工場長の煙も。
新しい合併後の工場には行かない。
煙の出ない工場だからだ。
煙はいつもどこかにあるから、サクナリはいつも、煙を追って、繋がってる道を追うみたいに、ずっと、ずっと。