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諏訪見町のわんこたち、時々ねこ  作者: 竹 美津
わんこやにゃんこ達のお話:本編
11/24

嫌いの八千代


耳も嫌い。尻尾も嫌だ。邪魔だ邪魔。

猫もうざいが犬はもっとうざい。混ざらなくていい。人が終わるなら終わればいいんだ、それが自然なのに。


八千代は犬が大嫌いだった。見つけたら石を投げる。蹴り飛ばす。鼠花火を放るのも楽しい、びくっとして。人が飼ってるのにはしないけれど。もちろん向こうだって黙ってない。ゴーファイトだ。

八千代に流れる、ドーベルマンの血が、勝利を求めて暴れる。たまには負ける。匂う怪我の、裂けたそこから染み出す漿液。ああ。もっと大きく鍵に引け!

朝から一匹、咬み倒して踏んで、ふと息を吐く。


大学へ行くのもかったるい。

でも、成績が落ちて、家で何を言われるかは分かっているから、授業にはそこそこ真面目に出る。朝1の講義なんて誰が作った。学校なんか昼からやりゃいい、頭になんか何も入らないし、ああ、何かバイトでもした方がましだ。

やっと見つかった夜の、酒場の調理場。耳尻尾がなくて、本当に良かった。あったら、テーブルに出されて、へこへこしなきゃならない。やたら偉そうな客を、八千代は黙って見過ごせる筈なんかない。

洗い場、ふやけて皺になった指の方がマシだった。


頭の中がぶつぶつと文句を言う。

その間、八千代の手は自販機に金突っ込んで煙草を買っている。

いいかげん煙草もやめたい。金がかかる。しみじみと財布の残りの金の事を考えながら。

ごとん、と落ちた受け口に、先程ぱくりと開いた傷の甲、伸ばす、腰を屈める。


白い脚、スカートひらひら。


「勝った?」


「•••••••はあ?」


ゆら、ゆら。白い尻尾。なんだこいつ。

でもやばい、と八千代は思った。つやつやの毛並み、薄い柄に薄い布、ふわっとした洗濯の匂いの服。

きっとこんなの飼い犬だ。しかも女だ。飼い主がうるさい。


「ね、勝った?」

「うるせえな勝ったよ。お前もやんのかよ。」


俺と。

くあっ、と開いた口の中、咬み合わさる牙は一際大きい。

きゅっ、と白い犬の耳が後ろに伏した。尻尾はゆらゆら揺れの中途半端な所で、キッと固まっている。


「••••••やんない。」

「そうかよ。じゃあとっととあっち行けよ。」


頭1こ分よりずっと下、顔が俯く。つむじが見える。けれどすぐに、くっと上を向いて、でかい目で八千代を見た。


「セブンズスターって?」

「ああ?」


威嚇の眼差し。ぎりと牙見せ。ひくひく喉の小間切れ唸り。


「どれっ?」


なのに、耳伏せしたまま、目は反らさない。挑む、挑む眼差しだ。反らした方が負けだ。

殴るべきか。吹っ飛ぶだろう、容易く。甘っちょろい子供じみた顔をして、高い声して細っこい腕、つるっとした小さな靴に脚をぐっと踏み締めて、精一杯に。

自分の力も分かっていない。犬の癖に猫っかわいがりされて育ったような奴に、良くある。


「••••••っんだよ、のや•••っっ!」


がぶり。


脚が浮いたと思った。ぐっ、と、その前、踏み締めたのが分かった。

のに、どうして。


どうして八千代は、動けなく。


がぶ、がぶ、がぶ。がぶり。

唇に血。赤くたらりと合わされた。がちがち牙鳴り奥の方、舌が絡んで舐められる。そうっと、ぎゅうっと。

味がする。鉄の。それから、今朝食べたんだろう、オレンジだ。傷に染みる。

飛んで飛びつかれて頭の後ろ、交差する腕ぎちりと羽交締め、ぷらりぷらりと八千代にぶら下がる。

犬。


「っ、っ、ぐ、んっ、••••••ヴぅんっーーーっ!」


ちぱっ。 げほっ、げほげほ!!


間の抜けた音の後、滲む涙を拭う八千代に声。ぱっとにこにこひくひく。耳が、白い耳が、頭の上で踊る。


「ミルクの勝ちだ!」

「•••••••••そんなのあるかよ!ずりーぞ!!」


ね、セブンズスターって。


はあ、はあ、狭い二人の間に落ちる息。腕はぎりぎり締めてくる。胸の上に胸。ぐんにゃりちっぽけな肉が潰れて、その下の細い骨があたって痛い。


「どれ?」


勝負にずるいも何もない。勝ったんだから、教えるべきだ。

そう言いたげに、尻尾ぶんぶんでかい目で、八千代の上に乗ったまま。



***



思えば父親犬もそうだった。

二代目の八千代でさえも不可解な、野生に呼ばれたルールの元に、ふうっと仕掛けてくる理不尽。終わってみれば理屈は分かるが、前説明や心の準備などの考慮は一切ない。側にいる者はたまったものではない。

母親との普通じゃない関係も、気持ちが悪かった。

命令には絶対だ。例外はない。犬だからだ。情けない図だ、とよく、八千代は家の中、食卓で、廊下で、二人の部屋の前で、思ったものだった。


それでもあいつに勝てないのだ。

実際戦ったとしても、実力で勝てないが、それがなくても。頬をぺろりとしてくるのを、押しやって叩こうとは思えないまま家を出た。勝つ気がしない。ということは既に、負けているのだ。


目が。強く濡れた目が、じっと見る。あれに勝つには、飼われた奴に勝った位じゃどうにもならない。ノラの、それも、うんと強い奴。それと戦って、リーダーを譲られる位でないと。


八千代はふるふると頭を振って、煙草に火をつけた。本当は、匂いも煙も苦手だが、犬の吸えない煙草を、俺は吸えるんだって母親に見せておく必要があって覚えた。慣れるまで時間がかかったのに、やめていればすぐ吸えなくなる。


犬の中で地位があがったって、どうしようもないんだって。


せっかく耳なし尻尾なしで生まれてきたのだ、八千代はまったくの人と区別がつかない。口に出しさえしなければ、よくある差別だって全くないし、教育だって普通の人と同じに受けて努力してきた。

だから、犬みたいな、バカっぽい喋りじゃないし、成績だってそこそこいけてる。

父親みたいに、誰かにひれ伏して、何でもいうこと聞くみたいにしなくたって、生きていける。


ああ••••••中途半端なんだ。


混ざるってことは、そうだ。こんな夜に、ただの人ならないはずの、月に寄せられ喉の奥。

誰かを呼ぶ、遠吠え、くぅっと呼び覚まされて。

我慢、我慢だ。なんでこんな。


なんで、こんなぽっかりした気持ちになるんだろう。


カーテンを閉める。夜だから良くない。

煙草を灰皿、にじり消して、唇をぺろりと舐める。

今朝噛みつかれた所が腫れて、硬くふくれていた。


***



「ひえっ!!」

「あたし、ミルク。」


名前なんか聞いてない。柔らかく濡れたものがもそもそと、布団の中。

ひやひやと、窓から冷たい湿った空気、ふわっと、形を変えるカーテン。


「おっ前、おまえら、ほんと唐突だよな!あたしミルクじゃねーだろ、出てけよ!!」

「やだ。」


ぐい、と胸の上に乗る。どたばた、埃が舞い上がる。

ぴかっと光る、足の先。

「おい!お前靴のまんまじゃねえかよ!脱げ!」

「うん。」


服じゃねえ、服じゃあなくて靴だって!!「うわああああ!!!!」


「名前。」


白い身体。ふくらみが、小さい冷たい肉の塊が、つんと八千代に向いている。

腰まではだけて夜の光、囲い込まれて布団の上、するりと腿の外側を、あの、朝飛んだ脚が擦る。

こくん、と、喉が鳴って気付く。

唾を飲み込むほど、ひたひたとした口の中。


「••••••八千代。」


「八千代。すき。」


ああ。犬が空から降ってくる。逃れられない。



***



ふんふん、と鼻歌うたう白い犬。

布団から出て、服を着ないまま、窓の枠。

櫛を勝手に見つけて、しゃりしゃり梳る。短い毛。耳の根元をくしゅくしゅと掻いて、その後撫で付ける。

ぱた、ぱた、気持ちよさそうにゆるやかに、窓枠から壁を、白い尻尾が打っている。


それを、八千代は、ぼうっと見ていた。


そこだけ光っているみたいだった。


「••••••お前家あんだろ。」

「あるよー。」


帰るんだ。••••••帰ってしまうんだ。

さっきまで、同じ布団の中にいても、そんなあっさりと。

犬は犬だ、どんなに毛並みが綺麗でも。冷たく、手からぴたりと寄り添った身体から、温度を奪い取る肉の塊が、柔らかく馴染んだ後でも。


「早く帰れよ!俺は犬嫌いなんだよ。」


言って。


言って、光る目、振り返る。


「そう。じゃあ、もう来ない。」


櫛を持ったまま。


「ちょ、あの、ええと••••••。」


待ってなんかくれないんだ、そうだ犬ってそうなんだ。照れ隠しとか言葉の綾もわからないんだ、嘘なんかつかないんだ。

俺みたいに中途半端じゃないんだ。ただただ真っ直ぐに。だから勝てない。だから。


「八千代。すき。」


だから犬なんか、犬なんかほんと大っ嫌いなんだ。


そんな風に笑って、探しても探しても二度と会えないなんて、ああ、本当に。


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