道後にて
会社員として仕事をしていた私は、精神の病を癒すために訪れた道後温泉で、精神は陰陽のめぐりあわせであるという気付きを得る。 道後温泉によって癒された、男の風呂エッセイ。
「あなたの鬱はどこから?」
「わたしは怒りから」
昨年から、長く務めた会社で精神をわずらい休職し、長い休養期間をとっていた。
中小企業の中間管理職、その悲哀はいまさら語るほどのものではない。上司からはギャーギャーと勝手なことを言われ、
部下たちに指示をしようにも期待通りに動かないため結局自分で抱え込む。
長いあいだ気が付かなかったが、誰かと話すたびにキレていた。
私の場合キレるといっても、大声でわめきちらす、というものではない。
経験はあるだろうか、怒りがピークに達すると前頭葉あたりに何か得体のしれない怒りパワーが溜まって前が見えなくなる。
人によってはその怒りパワーで暴力行為や破壊行為に出るのだろう。
私の場合は破壊行為には至らず、気が付くのがずいぶん遅れてしまった。だんだんと自分自身が破壊されていたようだ。
朝会社に出て、誰かとあいさつを交わすたびに静かにキレる。会議に出てキレる。休憩時間に誰かと話をしてキレている。
自分が怒りにさいなまれているなんていう状況に、自分自身さえ気が付かない。
フっと目の前が白くなるのは、普通のこと。めまいがするっていうことだろう。ただちょっと体調が悪いだけだ。
そんな風にガマンしてやりすごそうとしていたら、やりすごせなかった。
「あと一歩で入院だったよ」と精神科に言われて即休職となった。
・・・
さて、休んだからと言って、精神がすぐに安定するわけではない。
時間ができたらやろうと思っていたゲームにも集中できない、小説や漫画も頭に入ってこない。
せっかくの休養期間を無駄にしないために何かをやらねばと焦って色々とやった気がする。
ただ興味のわくところを、興味の沸くままに活動するべきだ。そんな風にして聖徳太子の話を知った。
日本人であればだれもが知る偉人のうちの一人聖徳太子。
日本史ミステリーを挙げろと言われれば「本能寺の変の真実」「坂本竜馬の暗殺」「邪馬台国の場所」
このあたりが有名だが、聖徳太子も謎が多い人物である。ひところはそもそも聖徳太子は実在しないのでは?
などという言説もあったらしい。
私は歴史の専門家ではないが、身体を壊して、歴史ミステリーにしばらく傾倒した。
どうやら聖徳太子も精神を病んで休んでいた時期があったらしいという話を目にする。
伊予の国風土記に記載があるらしい。
「太陽と月は、上から照らしていて公平である。温泉は地面の下から沸いているけれども、恵みを与えないということはない。
ゆえに人間の世界というものはこのように玄妙に動き、民衆はうまく暮らしていけるんだな。
温泉につかって病気を療養することは花池に落ちて弱い者が元気になることと同じである」
花池に落ちて弱い者が元気になる。それはどういうことだろうか。
蓮の花として生まれ変わる人は5つの徳を持っている。
・泥に産まれて泥に染まらず
・ひとつの茎にひとつの花を咲かせ
・花と同時に実をつける
・ひとつの花は多くの実をつける
・内部は中空としても外から見れば真っすぐ伸びている
これらのことは仏教の教えであるようだ。
聖徳太子は若くして、道後温泉に行き、再び蓮の花が咲くように、療養したのである。
ちなみに、療養したのは、妻を寝取られたからだという(諸説あり)。
蘇我馬子の命令で崇峻天皇を殺した東漢直駒は、聖徳太子の妻(蘇我馬子の娘)刀自古郎女をさらって妻とした。
東漢直駒は、崇峻天皇を殺害した罪でなく、馬子の娘をさらった罪で死刑になった。
しかし、さらわれた聖徳太子の妻、刀自古郎女は、東漢直駒が処刑されると後を追って自殺してしまった。
悲しい。なんて悲しい聖徳太子。聖徳太子がかわいそう。崇峻天皇暗殺の黒幕説もあるようだが、私はどうもこの話が気に入った。
渡来の僧である慧滋という人物と交流しながら、どうやら聖徳太子は道後温泉で完全回復を果たし、古墳時代を終わらせ飛鳥時代を形作ったのである。
・・・
だから道後温泉に行きたいのだ。という話を夕食のときに妻に相談する。子供はいない。
しかし、
「道後温泉は遠い」
「道後温泉はそういうんじゃなくてエッチなエリアらしい、あんたもそういう所に行きたいだけだろう」
なんやかんやと理由をつけて、道後温泉は却下された。
私の精神疾患は、もしかしたら道後温泉で治るかもしれないのに!
やはり、女には男の苦悩、男の真の願い、真意は理解できないのかもしれない。
・・・
まあ温泉で療養できなくとも治療はいろいろあるだろう。治療を続けなきゃ。
続いて私は内科に行った。
私の鬱は「怒り」から。
それがわかったのは休みはじめて、かなり経ってからだった。
併発している突発性難聴の治療のために、わらにすがる思いで漢方薬を出す内科で治療を試みた。
先生が言うには・・・
「漢方では陰と陽のバランスを整えることを重視しています」とのこと。
怒りというのは、「心(心臓)」の陽の気が強く出すぎて陰の気がそれを抑えきれなくて現れる。
五行思想である。世界のものは火、水、土、金、木の5つの要素でなりたっている。
それらは、肝=木、心=火、脾=土、肺=金、腎=水と、それぞれの臓器と関連している。
各要素にそれぞれ「陰と陽」の要素があり、互いに影響しあっている。
怒りにさいなまれるというのは、火である心の陽が増加しているので、水の陰で火を消してあげなければいけない。
そういって、漢方薬を処方されて、薬の影響で少しづつ怒りはやわらいでいった。
・・・
アンガーマネジメントや、仏教の怒りを鎮める方法などは、実はほとんど無駄であると私は思う。
ほとんどの場合「怒りを意識したら怒りがなくなる」などというわけのわからない言説だった。
怒りを沈静化させるために、そういった書籍をいくつか読んだが、全く無駄であったと思う。
結局、心の陽気を抑えるためには腎の陰気を高めることが最も効果的である。
食事でいえば、ぶどう・梨・みかん・すいか・ライチ・トマト・レモンなどを食べる。
みずみずしいものを、少しづつとりいれる。
なんとなく、効いた気がした。陰と陽のバランスが大切なのだ。
・・・
そんな風にして、なんとなく自宅療養を続けた。仕事のことも考えなければならない。
たまに会社に行き、会社の人と話す。職場復帰ができるだろうか、そんなことを考えながら生活していたが・・・そろそろ休職の期間も終わる。
予定をあわせて、社長と面談をすることになった。
慣れ親しんだ応接室、いつも私が客と打合せをしていたソファーに、今日は客として座る。
社長と話をする間、面談の間、私はずっと額をおさえていた気がする。
忘れよう忘れようとしていた怒り、長く押さえつけていた怒りがパチパチと弾けて飛ぶのがよくわかった。
ああ、私は仕事が嫌なんじゃなくて、社長が嫌だったのかな。なんて。
家に帰り、妻に
「やはりあの会社で働くのは無理だ」と伝える。
以前はもう少し続けたらどうかと言っていたが、納得してくれたようだ。
・・・
そうして私は妻と道後温泉にやってきた。
・・・
道後温泉、日本最古の温泉である。らしい。諸説あり。
しかし、皇室専用の浴室があったり、どうやら思っていた以上に格調も高い温泉らしい。
坊ちゃん列車の写真を撮って、坊ちゃんカラクリ時計の動いている様子を眺めて、
坊ちゃんだんごをパクパク食べ、適度に街を散策してお土産を購入する。
ホテルで食べるために坊ちゃんプリンと道後ビールを購入して手にぶら下げて歩く。
「いいところだね」と妻は言う。
「そうだね、にぎわってるね」と返事をする。
しかし私の頭はすでに温泉に入ることでいっぱいだ。
精神を病んで長い。しかし、この温泉に入ったらきっと、すべての精神的な問題が無くなるはずだ。
聖徳太子が復活したように、私も復活するのだ。今まで苦労をかけた、妻よ、私は今日復活するのだ。
だから早くホテルに戻って温泉に浸かりたい。
はやる気持ちを抑えて、なにくわぬ顔で温泉に入る準備をする。
普段であれば風呂の時間は5分もかからない。しかし
「今日はたぶん1時間以上入ると思う」そう言って大浴場に向かった。
・・・
風呂が精神の回復の助けになるだろうか?
お湯に違いはないんじゃないか?道後の湯には神秘的な力があるのか?
道後の湯に神秘的な力を期待している私だが、さすがに神が宿った温泉で
「そなたの傷をいやしてしんぜよう」
(^ᗜ^) ノ ペカー!!!!
と、女神降臨で癒しパワーオン。
そんな風に治るなんて思ってはいない。
ゼルダの伝説やパルテナの鏡のように、温泉でハートが回復するなら、温泉を巡って人々は争っているだろう。
頭の中にあったのは「ととのう」というワードである。
・・・
「ととのう」
それはサウナを愛する人たちの大切にするワードである。
サウナで身体が整うのか。私も何度かチャレンジした。
・10分間サウナに入る
・1分間水風呂に入る
・10分間外気浴をする
これを3回くりかえすことで、副交感神経が正常になって汗を自然にかく体質になるなど効果があるという。
時間はそれぞれ自分のペースでやりましょう。
チャレンジはしたものの、なぜか怒りパワーが全身をかけめぐった。
ゆったりと、すべてを忘れてサウナを楽しめばいいのに、会社のことばかり考えてしまう。
これがととのったということなのだろうか?正直あまり楽しくない。全然楽しくない。
いつしか、サウナに期待することをやめてしまっていた。
・・・
しかし、今回は道後温泉である。「ととのう」メソッドを使用できるかもしれない。
身体を清めていざ露天風呂に。
温かい。温かいお湯だ。いいねえ。しかし、どうやって入ったらいいかな?
悩んでもしょうがない。長く入っていたいので、半身浴にしよう。手首にスポーツ用時計を巻いている。
この時計で15分間入ったうえで一旦休憩しよう。
下半身が温かく、お湯は胃のあたりまで。肩まで浸からない。
お湯は何度くらいなんだろうか?わからない。下半身が温まり上半身は涼しい。
額のまわりに涼しい風が通り抜けるのが気持ちいい。遠くにお城が見える。松山城だろうか。
15分経過したので一度洗い場に戻り、再度丁寧に体を洗おうと思った。
そこで身体の変化に気が付いた。
外気に触れると、お湯に浸かっていた部分は急激に冷気を感じ、今までお湯に浸かっていなかった肩や上半身がじわりと熱くなってきた。
頭にあったのは、陰と陽のつながりである。
サウナは全身を、強い陽と強い陰にさらす。それはそれでとても効果がありそうだと思っていたが、
半身浴という方法は上半身と下半身を別々に陰陽状態にし、外気に触れることで陰陽逆転させるのではないだろうか?
風呂に入っているときは、上半身が陰、下半身が陽。風呂から上がって休んでいる時は上半身が陽、下半身が陰。
サウナと違って強い感情に支配されることが無い。これはもしかしてとても良い入り方なのではなかろうか。
ある程度休息時間をとり、水分をガブガブと採り、再度風呂にザブン。
同じように胃のあたりまで浸かるのだが「熱っ!」思っていた以上に尻にお湯の温度が感じられる。
再度、15分この湯の中でどのような感情が巡ってくるかを考えていた。
仕事のこと、友人のこと、趣味のこと、以前に書いたお話の続き。頭を巡るのは、嫌なことでなく楽しいことに向かえるようだ。
なぜだろうか、頭が涼しいところにあるからか、どうにも気分が良い。
首のあたり、肩こり、首の固い部分の、芯のあたりがズンっと温かく感じられた。
さすがは聖徳太子、良い温泉でございます。
こうして、チェックアウトまで、夕食まで1時間、夕食後1時間、朝目覚めてからの1時間
同じように長時間、露天風呂で、遠くに松山城?を見ながら、熱めの半身浴を何度も繰り返した。
首のコリが温まった事と別に、いくつか気が付くことがあった。
顔の表面がピリピリと敏感になっている。耳の周辺もだ。
歯茎の奥に圧力を感じる
血の巡りが良くなったのかな?ヒートショックなどでなかったらいいなと思う。
やりすぎは良くないのだろうか、しかし入れるときにできるだけ入っておこう。温泉最高。
・・・
次の日、影響はまだあった。
顔の右半分、若い頃のように吹き出物が出るようになっていた。顔の油の量が多い気がする。
ただ観光地を歩いているだけで、高校生の頃のように不意の勃起に悩まされた。
顔の表面、耳の表面、目の奥がピリピリと敏感になっていることが続いている。これも不思議なことだ。
気分は晴れやかでも沈んでもいない。普通だ。
昔起こした恥ずかしいことにさいなまれているわけでも、昔、誰かにに怒られたことにゴメンナサイとずっと思っているわけでもない。
あいつムカツク殺してやりたいと、ずっと思っているわけでもない。普通。きわめて普通だ。
もしかしたら、道後温泉のカミサマ的な何かが私を助けてくれたのかもしれない。
聖徳太子が私のことを助けてくれたのかもしれない。なんだか心が若い頃に戻っているような
やりたい事、やろうと思っていたことを再度見つけられたような。
これらの事を妻に話そうと思うが、どうせあいつは「よかったね」くらいしか言わない。
女ってそうだ。結局わかりあえたようで分かり合えないもんなんだ。これがどれだけ素晴らしいことか、きっとわからないんだ。
しかし、逆の立場ではどうだろうか、私が同じように誰かに同じような話をされたら何て言うだろうか。
確かに、良かったねくらいしか言いようがない。
いやあ、もう少し言いようがあるだろう?
私はこの感動を、エッセイってことでなろうにアップして、半身浴でウツが治る!という本を書いて10万部売るんだ!(冗談です)
そんな話をするが、妻は期待通り
「よかったね」
とだけ、答えた。
ふっ、どうせ女に男の悩みは理解できないんだぜ。
なあんつって。この女が私の妻で本当によかったと思った。
観光サイトによると・・・
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道後温泉のアルカリ性単純泉の湯質は、きめ細やかな日本人の肌に優しいなめらかなお湯で、刺激が少なく、湯治や美容に適しています。
18本の源泉から汲み上げられる源泉は、20度から55度の温度で、源泉と源泉をブレンドすることで42度程度の適温にしており、加温や加水もしていないため、源泉の効果を十分に感じることができます。
道後温泉では、全国的にも珍しい無加温・無加水の「源泉かけ流し」を実現しています。
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とのこと。42度かあ。刺激が少ないというのも長時間の入浴に良いのでしょうね。
全国いろいろなところに、メンタルに効く温泉があるようです。
皆様もお試しくださいね。