01 悪役令嬢
「ねえ、ご覧になって。フェティローズ様がまたお一人でベンチに座っていらっしゃるわ」
「本当ね。お一人で寂しそうだわ」
ひそひそと、女子生徒二人の笑い声が小さく響く。
彼女たちの視線の先には、スケッチブックを見つめる女生徒がいる。顔立ちはハッとするほど美しく整っていて、透き通った瞳は紫水晶のように輝いている。腰よりも長く伸びた淡い金色の髪は、どんな上等な絹よりも滑らか。
高等学部生の証である赤いブレザーの制服を着る女生徒を、木陰から見つめる二人はふふんっと笑った。
「でも仕方ないじゃない? フェティローズ様はお顔こそ完璧だけれど、氷のように冷たいご令嬢で有名だもの」
「一年生の、しかも秋に編入された方よ。いくら見目が麗しく成績が良くても、笑みすら浮かべないのは考えものよね。ご学友の一人も出来ないなんて」
フェティローズは現在15歳。
彼女たちが通う王立学園はルードリッヒ王国の中でも名門中の名門で、貴族の令嬢子息がこぞって通う全寮制の学園。フェティローズは難関の編入試験を過去最高得点で突破し、高等部の1年生として編入している。下は幼等部から上は大学部まである王立学園で、高等部の秋から編入するというのは珍しく、容姿の美しさもあって注目を集めた。しかし、編入した時にはクラスメイトが仲良しグループを作っており、後からやってきたフェティローズは、愛想笑い一つしない性格のせいで友人を一人も作れていない。
人形のように整った顔立ちと冷たい雰囲気から付いたあだ名が、氷棘の悪役令嬢。いつも手に持ち歩いているスケッチブックには、フェティローズが嫌う人物の名前が記されているともっぱらの噂だ。
「フェティローズ様の家名がアルモンドという話だけれど、ご存じ?」
「さあ? この前に学園の貴族名鑑を確認したけれど、アルモンドなんていう名前は初めて知ったわ」
「噂では起源が他国にあるとか」
「だとすれば、それこそ貴族名鑑に載っているはずよ。無いということは、ご自分を貴族だと勘違いされている庶民の方ではなくて?」
「そうだとすれば、婚約者であらせられるザロヴィア様が浮かばれないわ」
ザロヴィア、という名前に、女子生徒二人は顔を赤らめる。彼女たちの脳裏には、高等部二年生である貴公子の姿がちらついていた。学生とは思えない大人びた雰囲気を持ちつつも、同級生や後輩に勉学を教える面倒見の良さがある。ザロヴィアを慕う女生徒は多く、学園で一、二を争う人気者だ。
「名門シースヴェンナ公爵のご嫡男。凛々しくて、強くて、気高くて、私達の憧れの的! 不人気の氷棘の悪役令嬢とザロヴィア様では釣り合わないわ」
「きっと怪しい手で婚約を取り付けたに決まっているわ。ベンチで独り座っているのが、まさにその証拠。やましい思いがないのなら、ザロヴィア様がいらっしゃるはずだもの」
「じゃあ、来年の春には二人の婚約解消の報せが届くわね」
「きっとそうよ」
クスクス笑っていた女子生徒二人は、そのとき、フェティローズに見られている事に気付き、慌てて顔を背ける。何事もなかったかのように離れた。
───女子生徒二人が去っていくのを見て、フェティローズは小さく息を吐いていた。続いて、誰かに見られていないか見渡し、細く長い指でスケッチブックの紐を解いてく。
このとき、誰もが見惚れるような可憐な笑みをフェティローズが浮かべていたことなど、周りの生徒は誰も知らない。
女子生徒から悪役令嬢と恐れられ、男子生徒から高嶺の花と二の足を踏まれている彼女は、いま──
(うふふ。今回のザロヴィア様もかっこいいわぁ……っ!)
艶めかしい表情を浮かべる婚約者の肖像画を見て、ニマニマしていた。
(この魅惑的な曲線を描く眉、凛々しい切れ長の瞳、男らしい彫りの深い顔立ち。すべてが完璧に配置されたパーツ……)
フェティローズは、ぎゅうっと、秘密裏に画家に書かせたスケッチブックを抱きしめる。
普段の彼女の様子を知っているクラスメイトがいれば、驚愕するだろう。そっくりさんの幽霊が現れたと腰を抜かして逃げるかもしれない。男子生徒からの熱烈なアプローチにも素っ気なく返し、女子生徒からの嫌がらせにも表情一つ動かさない氷棘の令嬢が、地面をゴロゴロ転がったりベンチを手でバンバン叩いたり足をジタバタ動かしたりしながら悶絶しているのだから。
(きゃぁあああああかっこよすぎるぅううううううう! 死ぬ、死んじゃう!! 尊い、尊いわ!! 尊過ぎて、これだけでジャムを塗らずにパンを三つおかわりできるわ!!)
フェティローズとザロヴィアは不仲である、という噂が立っている。
だが、微妙に違う。
フェティローズはザロヴィアのことが好きだ。愛していると言っても過言ではない。ただその愛が異常過ぎるゆえに、暴走した感情が表情に出ないように抑えている。氷棘の令嬢と言われるのは感情を殺しているからで、感情自体はしっかり……いや常人以上にきっちり存在している。
(こんな心の内を打ち明かせば、みんなわたしを汚らわしい豚さん……いえ、豚さんは綺麗好きだからそのように言うのはおかしいわ…………世界で一番の卑しい女だと蔑んだ目で見るでしょう。いえ、わたしが実際に卑しい人間だからそう思われても大丈夫なのだけれど、ここまで育ててくださったお父様とお母様に申し訳が立たないわ……)
フェティローズが感情を表に出さないようになったのは、婚約者であるザロヴィア・シースヴェンナに初めて挨拶したときだ。雷に打たれたような衝撃だった。当時9歳だったザロヴィアは、すでに完成された美貌を持ち合わせていて、フェティローズは一目惚れした。
きゃわいいいぃいいいい!! と。頭のネジが三本ほど取れてしまい、感情の抑えが効かなくなった。 初対面で、かつ、テンションぶち上げ7歳女児に呑まれ気味だったザロヴィアを、フェティローズは引きずるように連れ回してマシンガントークをかました。当時のフェティローズはルードリッヒ王国ではなく、王国の隣にある小国に住んでいたため、そこにしか存在しない動物や鳥などを喋りまくった。それはもうペラペラと。
結果、両親にしこたま怒られた。
ザロヴィアが困っていたから、そんなハイテンションで喋ってはいけないと。
いくら仲良くなりたいと言っても、彼はルードリッヒ王国の公爵家嫡男なのだから、もっと落ち着いて接しなさい、でないと二度と彼と会えなくなるかもしれない、と。
シースヴェンナ公爵とフェティローズの両親が家族ぐるみの付き合いをしていたから、今回の顔合わせが実現しただけなのだ。フェティローズは賢い子だったため、すぐに状況を理解した。
(あんなきゃわたにえんな男の子と一緒にいられるのなら、なんだってするわ)
より静かに、より淑やかに。
大好きなザロヴィアを拝む時間が増えるならと、フェティローズは懸命に淑女の作法を磨いた。
結果、出来上がったのが今である。
(ふぉおおお! たまらない、たまらないわザロヴィア様! ああ、神よ! どうかわたしのような卑しい女が婚約者であることをお許しくださいませ。本当に出来る事なら、わたしではなくもっと相応しい方がいると思うのですが──)
そのとき、フェティローズが持つ特殊能力『超繊細人間感知機能』が働いた。誰かが近づいてきているため、フェティローズは呼吸を落ち着かせる。
「フェティローズ様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
すれ違った男子生徒二人は、一瞬びっくりしたような表情をする。
あれが噂の氷棘の令嬢か、美人過ぎて近寄りがたいな、とでも言いたげな顔をして去っていった。
足音と人の気配が消える。
そのタイミングで、フェティローズは優雅な動作でスケッチブックを開いた。
(あぁぁああああかっこいいぃぃいいいいいいいい!!)
鼻から、赤い液体が流れていた。