第二話「始まりの町トイータ」
古城を出たヒカルとセイラの二人はサタニウムの彼岸花の咲く野を歩いていた。風が出てきて赤い花がゆらゆら揺れている。
前を歩くヒカルにセイラはどこに向かうのかと問うた。
「ここから一番近い町、トイータに行く」
「トイータですか。確か商業が盛んな町でしたよね?」
「ああ、市場で旅支度を整えようと思ってな。まずはセイラの格好をなんとかしないと」
「私の服ですか?」
「ああ。その格好で王宮の外に出たことは私に王女奪還を依頼してきたメイリアというメイド長に把握されている」
「メイリアが? やはり彼女は侮れませんね……慎重に事を運びましょう」
王女であったセイラこそメイリアをよく知っているようだった。それを聞いてヒカルは考え込む。あの女なら自分が王女の側について裏切る可能性も予測して手を打ってくるのではないか。先回りされるとまずい。するとだんだん早足になっていく。
自分を置いて先へ行ってしまうヒカルにセイラは慌てて走って追いかけた。
「はぁ、はぁ、ヒカル、置いていかないでください」
「すまない。つい急いでしまった」
ヒカルは謝って歩く速さを合わせる。セイラは話題を変えた。
「そういえばヒカルはトータシア人なんですよね? その銀髪……」
「うーん、トータシア人とは言えないが、出身はトータシア帝国だ。混血なんだ。目が黒いだろ」
「あっ、そうですね。トータシア人は目が赤いと聞きます。黒い目は確か、東洋の島国の……」
「よく知ってるじゃないか。先祖がジャポニカ人らしいんだよ。ヒカルってのもジャポニカ風の名前だ」
「それでカタナを使うサムライなのですね、ヒカルは」
「いや、これはたんに剣を教えてくれた師匠がサムライだっただけだ」
「そうなんですね。トータシアからドラゴニアにはどうして来たんです?」
「それは……」
何気ない質問だったがヒカルは言葉を詰まらせた。
「話せば長くなるからここで答えることじゃない」
「えっ!? 教えてくれないんですか?」
「旅を続けていればいずれ話すこともあるだろう。トイータには直に着く。今はその時じゃない」
「そうですか……あなたは私のことをある程度知っているのに私はあなたのことを何も知らないから知りたかったのですが……」
残念そうに言うセイラ。だが気を取り直して言葉を続ける。
「でもよくよく考えるとあなたも本当の私のことは知らないでしょう? 普段王宮でどういう風に暮らしているかとか、気になりませんか?」
「気になる」
ここは相手に合わせておくヒカル。すると気を良くしてセイラは語り始める。国民の知らない王女の姿を。
暇さえあれば王宮の図書館で蔵書を読んで知識欲を満たしていたこと。ダンスのレッスンにはうんざりなこと。父と母は厳しかったが兄や姉は甘やかしてくれたことなどなどをセイラは話した。ヒカルは特に家族の話を聞いて、今回の「家出」を遅れてきた反抗期が来たようなものかと納得した。
「私、本で色々なことは知っているつもりではいるんです。でも実際にその知識を確かめてみたい。彼岸花を図鑑で見たことはありましたが、こんなに綺麗な花だとは思いませんでした。感動しています」
「そうか? 不吉な花だぞ? 血の色をしている」
ヒカルがそう言ったもんだからセイラは古城で見た首のない死体を思い出し、吐き気を催して思わず口を手で押さえる。
ヒカルは察して優しくセイラの背中をさする。
「我慢するな。死体を見たのは初めてだったんだろ」
「ええ……もう大丈夫です」
セイラは口から手を離して振って平気だとアピールした。
「私は知識を確かめたいのは勿論、この広い世界に沢山あるであろう自分の知らないことも知りたいのです」
「それが世間知らずのお姫様というものだ。世の中知らない方が良いこともある」
厳しい言い方をヒカルはするが、セイラは怯まなかった。
「知らずに後悔するより知って後悔したいのです、ヒカル」
「そこまで言うなら何も言うまい」
実際に直視しがたい事実に直面した時どうするかでセイラの強さを判断しようとヒカルは思った。
そうこう言っている内に遠方に町が見えてきた。セイラが町の方を指差す。
「あれがトイータの町?」
「おそらく」
その時セイラのお腹が鳴った。すると恥ずかしそうに顔を赤くする。
「すみません……お腹が空きました……」
「トイータに着いたら腹ごしらえもしないとな。ダダカン盗賊団に捕まっている間はろくに食べてなかったんだろう? 可哀想に」
「いえ、食べ物は分けていただいてました」
「そうなのか? そうだ、乱暴はされてなかったか? 貞操は大丈夫か?」
「私を傷つけたら人質としての価値が下がると手出しされませんでした。ただ排泄するところまで監視されてましたが……」
「やはりあいつら皆殺しにしてよかったな……!」
ヒカルは拳を握りしめる。彼女の怒りには羨望も少し含まれていた。
「そういえばそのペンダントと指輪は高級そうなものだが……」
セイラが身につけている装飾品についてヒカルは尋ねる。
「ああ、このペンダントは王家に伝わるもので赤ん坊の頃から身につけていたそうです。大事なものなのでこれだけは手放さないようにしています。指輪も王宮から持ち出したものですが、売れば金になるかなと思いまして……」
「そうだったのか。指輪は売るタイミングが肝心だな。ドラゴニアではとてもじゃないが売れない」
「そうなのですか……」
「だが南のフェニクシア共和国でなら高く値が付くかもしれない。ひとまず私が預かっておくが、どうだ、フェニクシアに行ってみる気はあるか?」
「フェニクシアにですか?」
どの道王女を誘拐してドラゴニア王国内にはいられないとヒカルは考えていた。国外に逃れるとしたら大陸の他の三つの国、北のトータシア帝国か西のタイガニア王国か南のフェニクシア共和国のどれかになる。トータシアはドラゴニアの同盟国だから王女捜索の手が伸びるかもしれないし、タイガニアはドラゴニアと長年敵対関係にあったからドラゴニア人を快く思わない。よってフェニクシアに行くのが一番妥当と言えた。
「行ってみたいです! フェニクシアに。どんなところか楽しみです」
セイラはすっかりその気になっていた。純粋無垢な彼女をヒカルは可愛らしいと思った。
真昼間のトイータの町の大通りには立派な商店だけでなく数多の屋台や露店が並び、大勢の客で賑わっていた。
人込みを前にしてセイラは圧倒される。活気ある市井の人々を間近で見るのは初めてだったからだ。
「すごい人ですね……いつもこんな感じなのですか?」
「そうなんじゃないか。私もこの町に来たのは数えるほどしかないが。じゃあ行くぞ」
ヒカルはセイラの手を引いて人込みの中に入っていく。しかしそれは無謀というものだった。
すれ違った人が振り返ってセイラを見て、あっという声を上げた。
「セイラ王女! 王女様ですか!?」
その声を聞いた道行く人が集まってきて、次々とセイラの顔を見た。
「セイラ姫様だ……間違いない……」
「盗賊団に誘拐されたと聞きましたけど、ご無事でしたか、良かった……」
「王女様! 私アンと言います。もしよければ握手してください!」
「あ、あの……」
セイラは眉を八の字に曲げて困った様子でいる。ヒカルは彼女を連れて集まってきた群衆の輪から抜け出す。
「あ、待ってください王女様!」
「どうして彼らは私が私だとわかったんですか?」
「あなたの顔は書物などに載っていて国民に知られているんだよ! 困ったな、これでは……」
ひとまず裏路地にセイラを連れ込み、ヒカルは考え込む。そして軽率に彼女をトイータの町に入れたことを反省しつつ、今後の予定を立てた。
「私一人で服を買ってくるのでここで待てるか?」
「ええ。見つからないようにすればいいのでしょう」
「それともう一つお願いがあるんだけど……」
「なんでしょう?」
「その長い髪を切っても構わないか?」
「え? ああ、髪型を変えれば私だとバレないということですね」
「それに長い髪は旅の邪魔になる。この機に短くした方が良い」
「そうですね。お願いします」
ヒカルはカタナではなく、懐からダガーを取り出してそれでセイラの長い後ろ髪を切った。
「なんかちょっと変な感じ……こんなに頭が軽いの初めてだから……でもさっぱりしました、ありがとうヒカル」
「どういたしまして」
中々どうして、ショートヘアーもセイラに似合って可愛いと思うヒカルだった。
「それじゃあ行ってくる。絶対そこを動くなよ」
「わかっています。行ってらっしゃい」
セイラは笑顔で手を振り、裏路地から表通りに出るヒカルを見送る。
それから30分ほどして、ヒカルは服を買って帰ってきた。
「セイラ、これに着替えて」
「ここで、ですか?」
「ああ」
「わかりました……」
着替えの服を受け取り、セイラは今着ている使用人の衣装を脱ぎ始める。その様子をヒカルは凝視していた。
「あの……誰か来ないか見張っててもらえませんか? 着替えを覗かれたくないので」
セイラがそう言うと仕方なくヒカルは背を向けた。高貴なお姫様の豊満な裸体を拝めるチャンスだったのにと内心悔しがる。
「もうこっち向いていいですよ」
着替え終えてセイラが声を掛けるとヒカルは翻って彼女に注目した。白と紫を基調とした純朴な村娘風の服装だが、よく着こなしていて思った通り可愛らしい。
「すごく良い」
「えっ、何が良いんですか? これなら身元がわからないってことですか?」
セイラは一歩ズレたことを言った。そんな彼女にヒカルは帽子をかぶせる。
「これを深くかぶると顔がわかりにくくなる」
「わかりました。ありがとうヒカル、何から何まで」
「それでは行こう、オードリー」
「オードリー?」
「誰の名前でもない名前だ。ドラゴニア王国内でセイラと呼んだらまずいだろう? だからオードリーと呼ぶことにする」
「了解です。では行きましょう、ヒカル」
二人は再び大通りの市場の雑踏に紛れる。今度はセイラ姫だと見つかって囃し立てられることはなかった。
「それにしてもお腹が空きましたね……」
セイラは腹をさする。ヒカルは通りにある一軒の店を指差した。
「町で食事をするなら酒場だ。入ろう」
二人は大通りに面していた酒場に入店し、席に腰を下ろす。すると店員がすぐに注文を取りに来た。
「ビールとパンとラムの串焼きを二つ」
「ラムの串焼きって何ですかヒカル」
「羊肉を焼いて細い棒に刺して食べるんだ。庶民はナイフとフォークなんて上品な道具は使わないのさ」
「面白いですね。私もパンとラムの串焼きを二つとミルクはありますか?」
「ありますけど」
「ではミルクを」
「かしこまりました」
注文を聞いた店員が下がった後、ヒカルはセイラに訊く。
「なぁ、酒は飲まないのか?」
「パーティーなどでは飲みますけど強い方じゃないんです。なので普段は飲まないですね」
「そうか。いや、無理して勧めはしない」
「ヒカルはお酒強いんですか?」
「いくら飲んでも水だ」
「それは羨ましい」
「いや、どれだけ飲んでも酔えないというのは地獄だぞ」
苦々しい顔をするヒカル。セイラは想像をめぐらすがその辛さがいかほどのものか想像しきれない。なので質問する。
「今まで酔いたいと思うようなことでどんなことがありましたか?」
「色々ありすぎて何から話せばいいかわからないな……」
「そんなに多いんですか?」
「ああ。人生なんてそんなもんだぞ。私の場合は戦場にも行っているからな。戦場帰りの日にはどうしようもなく酔いたくなって浴びるように酒を飲むんだが、全然酔えないんだ。全く参るよ」
「ここ最近で大きな戦争というと二年前終結したタイガニアとトータシアの戦争でしたけど、ヒカルも参加していたんです?」
「ああ、タイガニアに雇われていくつか拠点を防衛した。激しい戦場だった。人の命が紙屑より軽いんだ。無能な指揮官の命令で農村などから集められてきた何も知らない青年達が銃弾の雨の中に突撃していって命を散らす。積み上がるのは死体の山。まぁ私はそれを築いてきた側なのだけど」
セイラはごくりと唾を飲み込む。ヒカルの戦場体験を興味深く聞いていた。
「戦場で人を殺してきた罪悪感を消したくて酔おうとしていたのですか?」
「消したいなんておこがましい。確かに罪悪感もあるさ。相手は悪人じゃない、ただ立場が違うだけの普通の人達だ。ただ私は戦場にまとわりつく死、怒り、憎悪、恐怖、慟哭、そして罪悪感……そんな負の気配から逃避したかったんだ」
「そうだったんですね……それでも戦い続けたのは何故ですか?」
「金のため、生活のため。なんでも屋という職業を選んだが実際のところ自分に秀でたところがあるとしたら剣の腕くらいだ。だから傭兵をやるしかないと思っていた。しかし限界があった。結局私はタイガニアを逃れ平和なドラゴニアに来た」
「そうだったんですか。それでドラゴニアに……でも元はトータシアの人なのにどうしてタイガニアに?」
「おっと、料理が来たぞ」
店員が注文された料理を持ってきた。次々とテーブルに置く。
「まずは乾杯しよう」
「何に乾杯するんですか?」
「そうだな……セ、おっと、オードリーの新たな門出を祝って乾杯」
「乾杯!」
二人は乾杯して各々飲み物を飲む。
「はぁ~喉の渇きが癒える」
「それではラムの串焼きというのを食べてみますね」
セイラは慣れない手つきで串を手に持って、ラム肉にかぶりつく。
「どうだ?」
「ふむ、庶民はこういうものを食べているんですね。勉強になりました」
「そこはこんなに美味しいものが世の中にあったなんてと感動するところじゃないか」
「いえ……普段王宮で食べているお肉の方が美味しかったので……」
「まぁ、それはそうか」
セイラの忌憚のない感想を聞いてヒカルもラムの串焼きを食べ始める。十分美味いと思うがよほど王族の食事が豪勢なのだろうと推測した。
食事を終えて店を出ると、ヒカルは太陽の位置を確認して時間を確かめた。
「ねぇヒカル。これからどうします? 今日はここで一泊します? 私歩き疲れました。宿屋へ行きませんか? 一度行ってみたかったんですよ、宿屋」
セイラが無邪気にヒカルの手を引く。しかし断られる。
「いや、今から次の町へ向かう」
「え? なんで?」
「この町にセイラ姫がいると知られた。今頃早馬がイリュセウに向かっている。ここで一泊している内に追っ手が来る。なので早めに雲隠れしないと」
「成程。考えが甘かったようです。ヒカルは頼りになりますね」
「それほどでも、疲れてるところ無理言ってすまない」
「いえ、誘拐してって言ったのは私です。だから足手まといにならないように頑張ります」
セイラは拳を握って頑張りをアピールする。しかし気力だけではどうにもならないことをヒカルは知っている。自分も徹夜していて状態はあまり良くない中、それでも動かなければならない苦しい状況だった。
トイータの町の外の街道に出ようといった頃にはもう日が傾きかけていた。青と赤が入り混じる空の下、ヒカルとセイラは騎兵隊の出迎えを受けた。
「セイラ王女殿下ー! お迎えに上がりましたー!」
「そんな……!」
「馬鹿な、早すぎる……」
流石にヒカルも驚いていた。騎兵の数は50はいた。それだけの数がトイータに常駐しているとは考えにくいし、昼間セイラが見つかって騒ぎになったのが王宮に知らされて駆けつけてきたにしては早すぎた。
「不敬にもセイラ王女殿下を誘拐した逆賊ヒカル・シルバーソード、さぁ王女殿下を引き渡せ!」
「ヒカル、彼らは近衛兵団です」
「なんだと? イリュセウからここまで来たにしては早すぎるぞ」
「だから私も不思議です……あらかじめ配置されていたとしか」
まさか、とヒカルは一人の女性の顔を思い出す。王宮のメイド長メイリア。自分に王女奪還を依頼してきた彼女が始めから自分が裏切って王女側につくと想定していたなら? サタニウム付近に近衛兵団を展開させておくことも可能だろう……とまで考えてうすら寒くなる。
だがたかが50騎ぐらいどうにでもなる、と思ってヒカルはカタナの柄を握る。しかしそれを見たセイラが制して言った。
「ヒカル、彼らを殺してはなりません! 彼らは私が子供の頃から私を守ってくれていた人達なのです。よく知っている人ばかりです。お願いです、殺すのだけはやめてください……」
「セイラ……」
必死で訴えかけるセイラを見て、ヒカルはカタナから手を離した。殺すことは簡単だが、殺せないが故に窮地が生まれる。いかにして切り抜ければよいか。近衛兵達は次々と剣を抜いて穏やかではない。万事休すか!?
次回「大脱走」