第十七話「魔王サタンとの契約」
夕焼けの空の下、彼岸花の咲き誇る野を一頭の馬が駆けていた。先程から馬上のカンナギがキョロキョロと辺りを見回していたが、やがて渋い顔で振り返って背後のヒカルに言った。
「なぁ、この辺には何にもないぜ。魔王なんていないんじゃないか?」
「カンナギ、ちょっとあの城に行ってくれないか? あそこの地下はまだ行ったことがない」
ヒカルは向こうに見える古城を指差す。この周辺に目立つ建物は他になかった。
「わかったよ」
カンナギは古城へ向けて馬を走らせる。しばらくして老朽化した城門を潜るとボロボロの建物がヒカルの記憶に違わぬ姿で目の前にあった。
二人は馬を降り、城の中に入る。すると白骨化した死体が出迎えた。
「なんだ、人の骨だらけだぜ。ここでなんかあったのか?」
「ああ、懐かしいな。一年ぶりか。そいつらは私が斬った」
「そうなのか?」
ヒカルは思い出す。セイラを誘拐した盗賊団から彼女を取り返すために一人この城に乗り込んだ時のことを。
それだけじゃない。セイラと出会った時のこと。彼女と旅した思い出。その全てを思い出す。
「おい、アンタ、泣いてるぜ……大丈夫か?」
気が付けばヒカルの目から涙が零れていた。カンナギに言われて手で拭う。
「ああ、大丈夫だ。前回来たとき上の階へは向かった。だが地下には行ってない。まずは地下への階段を探そう。こういう城には必ず地下牢の類があるはずだ」
「牢屋に魔王がいるとは思えないぜ」
「まぁな。でも隠し扉の類があるかもしれない。ルシフェン山の時はそうだった」
あくまで勘だが魔王が封じられているとしたら地下深くだとヒカルは考えた。二人は手分けして地下への入り口を探す。ほどなくして階段をカンナギが見つけ、二人で降りた。
ヒカルは拾った棒の先に火を点けて灯りとし、城の地下を調べた。大体が捕虜を収容する牢で拷問部屋などもあった。隠されたものがないかよく調べ回った。
カンナギが一番奥の牢をじっと見て立ち止まる。どうしたのかとヒカルは訊く。
「いや、なんかここの牢屋だけ他より年代が古くないか?」
「そうなのか? わかるのか?」
「多分だぜ……それに誰もいないのに鍵かかってるのも怪しいし」
「鍵は壊せるか?」
「楽勝だぜ。鍵穴に剣を生やして……」
カンナギは異能を使い鍵を壊す。そして牢の中に入り床を触って調べる。そしてカタナを四方に生やして床石を持ち上げると、その下に隠し階段が見つかった。
「当たりだぜ」
「よくやった」
二人は隠し階段を降りていく。古城は500年前くらいの建物だがこの階段はさらに古い作りだった。どこまでも続く長い長い階段だった。そしてようやく階段を降りきると、自然のままの洞窟が目の前に広がっていた。
「なんなんだぜここは?」
カンナギはこの洞窟の明るさに不気味がった。奥の方から緑色の光が蛍のように飛び込んでくる。その光景にヒカルは既視感を覚えた。
「あれは星の光か」
「星の光?」
「セイラが言っていた、この星は緑色に光っていて、その光が見える場所があって地星教という宗教の連中は聖地と呼んでいるそうだ。ルシフェン山の魔王が封印されていた北の大空洞もこんな感じだった」
「つまりマジでいるのか、魔王が!?」
二人は洞窟の奥に進むと緑の光の粒子に包まれる。そしてしばらくして行き止まりに当たった。
「これ以上先に進めないぜ。目の前には大穴があるだけだ」
「いや、穴の底を見ろ。光が噴き出している。穴の下に魔王がいるに違いない」
「おいおい、まさか降りる気か? 正気じゃないぜ」
「なんとかならないかカンナギ、異能で壁に剣を生やして足場にして」
「やってみてもいいが、アタシも降りろっていうんじゃないだろうな?」
ヒカルは無言で見つめる。カンナギはわかったよと肩を竦めた。
異能の力でカンナギは大穴の岩壁にカタナを突き立てるように生やし、柄の部分を持ち足を引っ掛け、下にまたカタナを生やして慎重に降りていく。ヒカルも同じようにしてカタナの柄を足場に降りていった。
一時間くらいはそうやって大穴を降りていたが、ついに底に辿り着いた。カンナギは大きく息をつく。
「はぁ、しんどかったぜ……落ちたら一巻の終わりだしよ……」
「よくやったなその小さい体で」
「小さいは余計だぜ!」
ヒカルは褒めたつもりだったがカンナギは怒った。彼女は自分の体形を気にしていた。
「まぁ、小さい女の子が好きな奴もいるし……私は違うが……」
カンナギの機嫌を取ろうとヒカルは適当なことを言うがかえって逆効果だった。それから会話がなくなって二人は洞窟の奥へ進む。
すると異様な存在がだんだんと見えてきた。それは背中には六枚の翼が生え、頭には山羊の角が生えた緑色の巨大な蛇であった。鎖に繋がれており、身動きはできないようだった。
そいつこそが憤怒の魔王なのか。ヒカルは物怖じせず近づく。
その大蛇は瞳を閉じて眠っているようだったが、ヒカル達の接近する気配を察知したか目をパチリと開けた。そして低く唸るような声で喋りだした。
「我の眠りを邪魔をする者は何者ぞ……」
「うわ、喋ったぜ!」
「ヒカル・シルバーソードだ。お前は憤怒の魔王か?」
「魔王? なんだそれは。我が名はサタンだ」
サタンは魔王ではないのか? ヒカルはさらに質問する。
「じゃあ言い方を変える。お前はルシファー達の仲間か?」
「ルシファーの仲間、だと……」
一瞬で空気が凍り付く。サタンが凄まじいプレッシャーを放っていた。鎖がガタガタ揺れる。怒りに打ち震えた大蛇が吠えた。
「あんな奴らが仲間であるものか! 確かにかつて我らは共に星を渡っては星の光を食い尽くし、そして次なる目標をこの星に定めて降り立った。しかしルシファーの傲慢さにはいい加減我慢の限界が来ていた! そこで我はルシファーに叛逆し、人間と一時的に手を組んだ。対してルシファーは我以外の同胞、レヴァアタン、ベルフェゴール、マモン、ベルゼブブ、アスモデウスを味方につけた。我は奮闘したが敗れ、忌々しくもルシファーによってこの絶対に解けない鎖に繋がれた。我は永遠にここで生ける屍となったのだ。ああ思い出しただけでも腹立たしい、おのれルシファーめ!」
ヒカルはサタンが間違いなく七大魔王の一体であること、そしてルシファーら復活した魔王達とは敵対関係にあり場合によってはこちらの味方になりうることを確信する。そこで現在の状況を教える。
「サタン、知っているか? ルシファー達は一度人間達によって封印された」
「何? それは真か?」
「ああ。だがその封印はダスク・ルシウスという男の陰謀によって解かれ、今は我が物顔で暴れ回っている」
「やはり人間に奴らを完全に封じることなど出来んということか……」
嘆くサタンを見てヒカルは提案を持ち出す。
「そこでだサタン。私がルシファー達を倒したいと言ったら、協力してはくれないか?」
「ほう? 何が望みだ人間」
「契約だ。私にルシファー達を殺せるような力をくれ。愛する人を奴らに殺された怒りが私を突き動かしている。復讐を果たすためならこの命を対価に捧げても構わない。だから頼む」
ヒカルは頭を下げる。サタンは目を細め、一段と低い声で言った。
「いいだろう。契約だ。我は見ての通り動けない。だが人間に我の力を与えることはできる。我の代わりにルシファー共を殺してこい!」
サタンの橙色の瞳が光る。するとヒカルの体が青白い炎に包まれた。
「おいヒカル、大丈夫か! 何すんだ魔王!」
カンナギは慌てて風呂敷を取り出し、仰いで風を起こして火を消そうと躍起になる。しかしヒカルは平気な顔をしていた。炎は彼女の体を焼き尽くすことはなく、やがて体の内側に収まるように消えた。
「何をした?」
「異能を二つ授けた。一つは身体能力を限界を超えて引き出す『怒り爆発』だ。もう一つはルシファーや我をも斬れる『一閃』だ。ただし一閃に普通の剣は耐えられず使えば砕け散る。この二つでルシファー共を殺せ。ただし一年以内に六名全員を倒せなければ内なる炎が汝を燃やし尽くすだろう」
「一年!? ひでぇ話だぜ!」
憤るカンナギ。しかし当のヒカルは一年猶予があるだけ良心的だと思った。勿論魔王は全て倒すつもりでいた。
「サタン、契約は果たす。必ず奴ら全てを葬り去ってみせる。私のこの手で」
「汝の怒りや良し。さあ復讐を遂げよ。我は汝を信じ眠りに就こう」
サタンは瞳を閉じ、もう何も言わなくなった。
「ヒカル、本当に魔王と契約しちまったのか? ヤバいぜ……」
カンナギは信じられない気持ちでヒカルを見た。本人もまさか本当に魔王から力を得られるとは思ってもみなかった。上手くいきすぎて怖いくらいだった。
「カンナギ、背中に乗ってくれ。早速力を試したい」
ヒカルがそう言ったのでカンナギは背中に抱き着く。少女の小さな体をおぶって走り始めると、とんでもないスピードが出た。
「おい、速すぎるぜ!」
ヒカルは超高速で洞窟を駆け抜け、恐るべきことに行きは慎重にカタナの柄を足場にして降りていった大穴を壁に足をめり込ませて垂直に走って登った。この人間離れした動きにカンナギは驚愕するが、走ってる本人も吃驚していた。まさかこんなことができるなんて。
大穴を登り切ると一旦足を止めて一息ついた。しかしヒカルの呼吸は乱れていない。運動していないはずのカンナギの方が息を荒くしている。
「すげーぜ……なんつー運動能力だぜ」
「これが怒り爆発か……急に超人になってちょっと変な感じだ……しかしこれなら魔王に対抗できる」
ヒカルは違和感を感じつつも手応えもあった。この強力な異能を活かせば魔王とも渡り合えるはずだと。後は一閃が魔王に通用すれば倒せるはずだと思われた。
一閃を使うと剣が壊れる、とサタンが言っていたのをヒカルは思い出す。そうなると次々と新しい剣が必要になる。となればカンナギの協力は必要不可欠だ。だから話を切り出す。
「なぁカンナギ、私はこれからイリュセウに戻ってアスモデウスを倒しに行く。できればお前にも協力してほしい」
「今更何言ってんだ? アタシとアンタの利害は一致してる。モチのロンだぜ」
カンナギは右手を差し出す。するとヒカルも握り返した。
希望の光が灯った。ヒカル達の叛逆が今始まろうとしていた。
ヒカル達は古城で一夜を明かした後、サタニウムを発ちイリュセウ跡に戻った。するといきなり大勢の剣士に出迎えられた。
「これはこれは、随分警戒されたものだな」
軍団の中から一人が前に進み出て言う。
「尻尾巻イテ逃ゲタカト思ッタガ出戻ッテキタコトハ褒メテヤロウ。ダガ飛ンデ火ニ入ル夏ノ虫ダガナ。フフフ……」
「お前……アスモデウスだな? その男を腹話術の人形みたいにしているのか」
「操ッテイル人間ノ目ト口ヲ借リテ見テ話シテイルガ、人間ノ視界トイウノハカクモ狭イモノダナ。コレデハ短絡的ナ発想シカデキヌノモ致シ方ナイ」
ヒカルは間接的にアスモデウスが話しかけていると看破するが、相も変わらず神経を逆撫ですることしか言わないと腹立つ。
「人間は広い視野を持とうと努力できる。セイラはそういう人間だった。彼女が旅を終えた時、きっと誰の目線でも考えられる良い君主になれていた。その未来をお前らが奪った! 私はお前らへの憎しみと怒りに生かされている。さあアスモデウス、本当は怯えているんだろう? 全戦力を投入してくるがいい。その全てを斬り捨て必ずお前のもとへ辿り着く。そしてお前を斬る!」
「ヌカシタナ、小娘ェェェェ!」
アスモデウスの操り人形達は一斉に駆け出す。ヒカルは両手を広げて口にする。
「カンナギ、カタナを二本くれ」
「お安い御用だぜ」
二本のカタナがヒカルの掌から現れ、彼女は柄を握り構える。今まで使ってきた愛刀ムラサメはサタニウムの古城にて一閃の試し斬りに用いた結果砕け散り、なくなってしまっていた。
「まぁまぁのカタナだ。ムラサメほどじゃないが」
「アタシはちゃんとした刀匠じゃないんだ、文句言うなよ」
「まぁ使い捨てる分にはちょうどいい」
一陣の風が通り抜ける。その風に攫われて兵士達の生首が飛ぶ。風の正体は猛スピードで駆け抜けるヒカルであった。剣聖ブッテツ・タイラ並みに強化された魔王の尖兵達を雑兵のように倒していく。
「カンナギ、王宮の正門前で落ち合おう。私はこいつらを全て片付けてから行く」
「了解だぜ」
カンナギは馬を走らせヒカルがアスモデウスの軍勢を蹴散らした後の道を駆けていった。
引き続きヒカルはアスモデウス操る兵隊の群れに弾丸のように飛び込んで、ことごとく首を刎ねていった。高い運動能力を手に入れ斬撃の速さに磨きがかかった彼女は手が付けられなかった。
先に王宮の前に辿り着いたのはカンナギだった。正門を守護する門兵を剣を生やす異能の力で瞬殺すると、ヒカルの到着を待った。
やがて返り血で服を赤く染めたヒカルがやってきた。カンナギは馬から降りる。
「やっと来たか。片付いたか?」
「ああ。行くぞ」
ヒカルはカンナギの小さい体を抱きかかえると、助走をつけてジャンプして正門を飛び越えた。
「やっぱすげぇぜ、魔王の力ってのは」
「ああ……」
ヒカルは魔王がすごいというよりサタンがすごいのだと思っていた。アスモデウスのエンハンスと同じ強化系の異能なのに怒り爆発はその上を行っていると感じられた。他者に力を与えるのと自分だけ強化するの違いはあるにせよ。
一日ぶりに王宮の庭園に戻ってくると、赤い肌の巨人がたった一体だけでいた。
「どうしたアスモデウス。もうお前の手駒はいないのか?」
「貴様……!」
「全員私が斬った。後はお前だけだ! カンナギ、物干し竿」
ヒカルが言うと彼女の身長より長いカタナが生成され、その柄を掴む。物干し竿とはあらかじめ決めていた、魔王の巨体を斬れるほど長いカタナをカンナギの異能で作る合図だった。
「手駒はまだそこに残っている……」
アスモデウスはチャームの異能でカンナギを操ろうとする。次の瞬間ヒカルの足元からカタナが生えたがすんでのところで回避された。
「悪イナヒカル、死ンデクレ」
アスモデウスの周りを守るように一斉にカタナが地面から生えた後、操られたカンナギはヒカルを狙う。疾走する彼女を追いかけるように生えるカタナ。
「どうした? 逃げるばかりか? 仲間を殺すことはできないか? それが人間の弱さだ」
「お前を斬ればすべて済むこと」
ヒカルは逃げているのではなかった。助走を付けていたにすぎず、勢いに任せてアスモデウスに飛び掛かる。魔王は余裕ぶってこれを右手で握り潰そうとする。その五本の指を一閃で斬り落とした。
どす黒い血が噴き出す。ギッと鋭い悲鳴を上げるアスモデウス。ヒカルは空中で体を捻りカタナが突き出していない場所に着地した。一閃に使ったカタナは刀身が砕け散った。
「あれ、アタシ何してんだ?」
アスモデウスが負傷したことでカンナギへのチャームが解かれた。辺りを見回し身に覚えのない異能を使った後と傷ついた魔王から状況を推察する。
「クソ、アタシとしたことが」
「カンナギ、物干し竿をもう一本!」
「お安い御用だぜ」
ヒカルの差し出した手に彼女の身長より長いカタナが再び生成され握られる。アスモデウスは始め驚愕した顔で彼女を見つめていたが次第に怒りの形相で睨む。
「魔王を斬るだと! そんなの人間にできるはずがない! いやあってはならないのだ! 貴様は! 貴様だけはここで消し去ってやる!」
アスモデウスは渾身の左拳をヒカルに向かって振り下ろす。地面が抉れる。肉が潰され血が流れたか。否!
ヒカルはアスモデウスの左腕に飛び乗り、そのまま肩まで駆け上がる。そして一閃で魔王の首筋を切り裂いた。
どす黒い血がアスモデウスの首の断面から噴き出し、頭が落ちると共にヒカルは着地した。刀身が砕けて柄だけになったカタナを捨てる。
「そうか、理解したぞ……貴様サタンの手先だな……我輩がただの人間に敗れるはずがない……この異能は奴が与えた力だろう」
アスモデウスの首が喋る。ヒカルはまさか首を斬り落としただけでは魔王は死なないのかと思って動揺するが、よく見ればその頭も倒れた体の方も少しずつドロドロに溶け始めていた。
「おのれサタンめ! 人間を使って復讐をしようなどと、おのれぇ……」
アスモデウスは最後までヒカルの名前を覚えぬまま、恨み言を言いながら溶けて死んだ。
「殺ったのか? ヒカル」
「ああ」
ヒカルは低い声で短く答える。それからドロドロのアスモデウスだったものに足を突っ込んで彼が所有していたセイラの頭部の遺体を回収する。
「セイラ、もう離さない。安心して眠れ」
ヒカルは手でセイラの瞼を降ろしてやる。それから大事に抱えてカンナギのところに戻ってくる。
「その首がアンタの言ってたセイラって人か」
「そうだ」
「これを使うといいぜ」
カンナギは風呂敷を取り出してヒカルに渡そうとした。
「大事なものだろ、だが万一人に見られたら困るんじゃないか? これなら隠せるし持ち運びにも便利だ」
「ありがたく貰っておこう」
ヒカルは風呂敷にセイラの頭を丁重に包んだ。
これからどうするのかとカンナギが問いかける。するとヒカルは即答した。
「残り五体の魔王とダスク・ルシウスを倒す。そしてセイラの遺体を全て集める。遺体が揃えばちゃんとした葬儀だってできる。それが私がセイラにできる精一杯の手向けだ」
「アタシもアンタに付き合うぜ。アンタにはアタシの異能が必要だし、アタシにとって魔王を倒せるのはアンタしかいない。いやそんなことは抜きにしてアンタの心意気を買ってるんだ」
カンナギはニィと笑う。ヒカルも少し表情を柔らかくした。
「そうか。これからも頼む」
「ああ!」
「さて次の魔王だが、どこにいるのか探さないと……猶予が一年しかないからあまり余裕がない」
「それならフェニクシアのザクスに一体いるぜ」
「なんだと!?」
情報に食い付くヒカル。カンナギは自身の経験を交えて話す。
「アタシは始めフェニクシアの港町クテフソノトから大陸に上陸しザクスに向かった。しかしザクスは暴食の魔王の治める町で奴の手下の魔物がうじゃうじゃいた。アタシは魔物を倒して暴食の魔王に近づいたがとても敵う相手じゃなくて逃げ出した。本当に恐ろしかったぜ……でもヒカルなら勝てるかもしれない」
「暴食のベルゼブブか……ザクスはここから大分遠いな。だが場所がわかっているなら目指すべきか」
ヒカルは次の目的地をザクスに決める。
「カンナギ、ザクスに向かう。背中に乗れ。走って行く」
「ま、待て。じゃあその前に馬を返しに行きたい」
「馬を? どこで借りたんだ?」
「ニスエク村というドラゴニア人の生き残りが集まってる村がある。そこでイリュセウに魔王がいることも知って退治しに行くと言ったら、村を治めてるドラゴニアの王族が快く馬を貸してくれたんだぜ」
「ドラゴニアの王族だと?」
ヒカルはドラゴニア王の家族は皆殺しにされたことを知っている。だけに気になる事柄だった。
「ああ、前の王の弟とか言ってたぜ」
「つまりセイラの叔父か……」
セイラから叔父の話は聞いたことがない。つまりあまり親密な関係ではない相手だ。しかし会ってみる価値はあるようにヒカルは感じた。唯一生前の彼女を知るかもしれない相手なのだから。
「そうだな。カンナギ、ザクスに向かう前にニスエク村に案内してくれ」
「ああいいぜ。そうだ、前から気になってたんだが、その髪、切るかまとめた方がいいぜ。これやるよ」
カンナギはぼうぼうに伸びたヒカルの髪を見かねて髪留めを渡してきた。
「すまない」
ヒカルは髪留めで後ろ髪を縛ってポニーテールにする。
「それじゃあ行こうぜ、ヒカル」
「ああ」
ヒカルとカンナギはイリュセウ王宮を颯爽と去った。
次回「ルイ・フィリップ公との約束」