第一話「ヒカルとセイラ」
暁天の下、彼岸花の咲き誇る野を一人歩く女剣士がいた。
ここドラゴニア王国より北方のトータシア帝国人の証である銀髪のポニーテールを靡かせながら、東方の島国ジャポニカの血の入った黒い眼で彼岸花の野の果てにある古城を見据えていた。
目的地までの最短距離を行き、邪魔する花を蹴散らす。踏み潰される彼岸花の花は血を撒き散らす死体を連想させていい気分はしなかった。けれどこれから大量に人を殺すのだからそれと比べたら花くらいなんてことはない。
女剣士は黒い革のコートの上から腰に差している剣に手を当て確かめる。その鞘は平たく反っていて、普通の剣とは形状が違う。それはカタナと呼ばれるジャポニカより伝来した剣だった。このカタナを使う剣士はサムライと言われていた。
女剣士がカタナを抜くと、銀色の刀身が昇る朝日に照らされて煌めく。状態を確認するとカタナを鞘に戻し、目的地である古城に向かって前進する。
――この彼岸花の咲く野はかつて人と魔王の死闘があった古戦場だった。戦った魔王の名前にちなんでサタニウムという地名が付けられた。
大陸の東に位置するドラゴニア王国、その首都イリュセウ。人口50万人の大都市の日曜日はいつも騒がしいが、今日はいつもとは違った騒がしさがあった。その喧騒から離れた住宅街にある一軒の家の前に、一人の地味な格好をした年配の女性が歩いてきて玄関扉を叩いた。
「すみません、トモエ・ヴァルキュリアさんはいますか」
何度も扉を叩いていると、やがて返事が返ってきた。
「今日は日曜だ。トモエは休みだ。ここにはいない。平日にヴァルハラという酒場を訪ねろ」
「トモエさんですね? 緊急で依頼したいことがあって訪ねてきたんです。お話だけでも聞いてくれませんか?」
しかしトモエらしき声はもうしなかった。来訪者は諦めず扉を叩く。するとしばらくして開錠して扉が開いた。
「あたし、夜の仕事だから昼間寝てたんだけど、起こさないでくれる?」
さっきとは違う声の、薄着の若い女が出迎えた。年配の女はこれを機に家の中に入って話しかける。
「ごめんなさいね。トモエさんにお仕事を依頼したくて……取り次いでもらえないかしら」
「トモエーお客さんよートモエーちょっと聞いてるー?」
若い女が呼ぶが返事はない。やれやれと肩を竦めて言う。
「奥の部屋にいると思うからどうぞ。私は寝るから。起こさないでね」
「ありがとうございます」
客人はそのまま進み、目当ての人物を探す。言われた通り一番奥の部屋に入ると背の高い銀髪の女がいた。ドラゴニア人は大体金髪だから外国人だろう。さっきの女と同じくらい若く、凛とした美人だったが眉間に皺をよせていた。
「今日は休みだと言ったのに……どうしてこの家に居候しているとわかった?」
先程追い返そうとした声の主と同じ声だった。彼女こそがトモエ・ヴァルキュリアだった。
「依頼主のことはあらかじめ調査させてもらったので……申し遅れました。私、王宮のメイド長をしております、メイリアと申します」
「王宮のメイド長、か」
メイリアは一礼する。その所作振る舞いに只者ではないとトモエも思った。厳しく躾けられていて位の高い王侯貴族の使用人であることはうかがえたので、相手の言葉を信用した。と同時に依頼の内容を概ね察した。
「で、この昨日のアレを解決しろというんじゃないだろうな?」
「察しが早くて助かります」
昨日のことだ。イリュセウのヴラド広場にダダカン盗賊団がドラゴニア第二王女のセイラ・マルガリーテ・フォン・ドラゴニアを攫って身代金1億バグを要求すると書かれた看板が立っていて騒然となった。即刻王宮ではこの事態をどうすべきか会議が開かれたのは言うまでもない。
「はぁ。そもそも王宮の警備はどうなっていた。いくらなんでも野盗ごときが近衛兵に勝てるとは思わないのだが、そこまで平和ボケしたのかこの国は」
「実はセイラ王女殿下がお忍びで外出されていた時に狙われたのです」
「ふぅん。ともかく1億バグなんて払えないからなんでも屋の私にセイラ姫を取り返して来いと言うのだな」
「ええ。彼らはサタニウムにある古城をアジトにしています。そこに王女殿下もいる可能性は高いかと」
「場所までわかっているならご自慢のドラゴニア騎士団で制圧すればいいじゃないか。一介のなんでも屋ごときに頼ることじゃない」
「奴らは王女殿下を盾にし、最悪命を奪うかもしれない……それが怖いので兵は動かせません。でもあなたなら、あなたの腕ならば助けだせるはずです。神速の剣士と謳われるあなたなら……トモエ・ヴァルキュリアを始めいくつも異名を持っていますが、一番有名なのはヒカル・シルバーソード。タイガニア王国の内乱を一人で鎮圧したという伝説を持っていますね。あの剣聖と呼ばれタイガニアで軍事顧問を務めたこともあるブッテツ・タイラに師事し、剣の腕は達人級。今までの依頼は全てこなしてきた荒事のスペシャリスト。あなたほどの適任はいません」
「ほう……よくぞ調べ上げたものだ」
トモエ、いやヒカルは少し驚いた。自分の来歴を隠していたつもりはないがここまで把握されているとは思わなかった。しかも一介のメイドごときに。
「私、メイドをやる前は諜報の仕事に就いていたんです。あなたの噂は常々聞いていました。もっとも私一人で調べたわけではありません、我が国の諜報部隊は優秀ですよ」
「はは、これは一本取られた。ずっと前からマークされていたのだな。タイガニアから送り込まれた刺客かもしれないものな! 安心しろ。私はただのなんでも屋にすぎない。雇われたら誰の味方にもなる。こちらの言い値で構わないなら王女奪還の依頼、引き受けよう」
「本当ですか?」
メイリアは内心ほっとする。だがそれも束の間、ヒカルはとんでもなく法外な額を吹っ掛ける。
「依頼料は1億バグだ」
「え?」
固まるメイリア。もう一度ヒカルは言う。
「聞こえなかったのか? 依頼料は1億バグだ」
「それは、盗賊団の要求する身代金と同じ額ではないか!」
「盗賊団に1億バグ払っても持ち逃げされて、セイラ姫は帰ってこないかもしれない。その点私なら確実に王女を取り戻せる。報酬は王女を返還してからの後払いでいい。なに、今すぐ決めなくていい。帰ってからじっくり会議でもなんでもすればいい。その間に状況は悪化していくがな……」
ヒカルは賭けに出た。良心的な値段で引き受けてサクッと解決して王族に恩を売っておくこともできる。普通ならそうする。だが国相手ならもしかして1億バグという大金を手にできるかもしれないと思った。断られても痛手はない。万が一金をもらえた時の方が命を狙われるなどのリスクが大きいのだが、それを含めた賭けだった。
メイリアは少し考えこんでいたが、やがて言った。
「わかりました。1億バグでセイラ王女殿下の奪還を依頼します」
「引き受けた。言っておくが、本当に払ってもらうからな、1億バグ。私を暗殺しようなどと考えるなよ。そんなことはできない」
「ええ……」
自分が汗をかいていないかどうか、メイリアは不安に思った。1億バグなんて払うつもりはない、まさにセイラさえ戻れば後はヒカルを殺してしまえなどと考えているのを気取られないよう、注意を払う。
だがいきなりヒカルが顔を近づけ、メイリアの顎を手でクイっと持ち上げたものだからドキッとする。
「な、何?」
「いや、20は若ければ私好みの女だなと思っていたんだ。可愛らしいってことさ」
これはヒカルの口説き癖だった。彼女は可愛い女に目がない。商談がまとまったので遠慮しなくなる。
最初は面食らったものの相手にする価値なしと見て、メイリアは軽い身のこなしで逃れる。
「それはどうも、お褒めに預かり光栄です。それではセイラ王女殿下の件、頼みましたよ。なにしろ王女殿下は20歳の誕生日を迎えたばかりでエドモンド・ノード卿との結婚も控えた大事な御身ですから」
翻り、メイリアはその場を後にする。彼女を見送った後ヒカルは呟く。
「食えない人だ。諜報をやっていたと言っていたな……」
自分が死線を潜ってきた人間だからこそわかるが、メイリアは戦場を経験している目をしていたとヒカルは感じていた。そういう人間は一度殺すという決断をすれば躊躇わず殺す。間違いなく命を狙ってくることは推察できた。
ヒカルは同居人の寝顔を見に行く。この家を出たらきっともう帰れない。彼女と会えるのも今日限りかもしれない。
「おやすみベロニカ、今までありがとう」
彼女は遊女だが素性の知れぬ外国人を家に泊めてくれる懐の広い人間だった。ヒカルは書き置きを残すと、一旦自分の借りている部屋に戻って黒い革のコートを羽織り、東洋より伝来した剣カタナを腰に差し、紐で後ろ髪を縛ってポニーテールにして、早めに家を出た。
タイガニアでの傭兵稼業に嫌気が差して平和なドラゴニアに移ってきたが、結局どこかに定住してのほほんと暮らすなんて性に合わず、流浪する運命なのかもしれないなとヒカルは思った。
日が落ちる頃にイリュセウを出発して夜通し歩き、ヒカルはサタニウムを目指した。するとちょうど夜明け前にはサタニウムの彼岸花の咲く野に着いた。
血に染められたような真紅の花を蹴散らして進むうちに朝日が昇り、眩い光が一面を照らす。ヒカルの黒い眼はその日光に眩むことなく、遠くにそびえる古城を見据える。
あそこがダダカン盗賊団のアジトでセイラ姫もそこにいるはずだというのがメイリアの情報だった。ヒカルもイリュセウで信頼できる情報屋から話を聞いたが、人のいないサタニウムを盗賊団が根城にしているというのは本当らしかった。
古城は遠くから見ればそれなりに威厳があったが、近づけば老朽化が激しく、ボロボロで城壁も崩れていた。500年ぐらい前の建物がそのまま残っているだけ珍しいのだ、しかし遺跡として保護されているわけでもなく放置されていた。
城門を潜った際、視線をヒカルは感じ取った。見張りがいたか、いたとしたらどこか、だがすぐにどこにいたかはわかった。
カーンと鐘楼から鐘の音が鳴った。城門から見える位置にその鐘楼はあって見張りはそこにいたのだ。鐘の音で寝ていた盗賊団の者共が起き出す。夜明けに侵入して戦闘をなるべく避けるヒカルの戦略は破綻した。
「仕方ない、皆殺しか……」
徹夜明けで欠伸をしつつ、カタナの柄を握るヒカル。古城1階の広間に入ると、ダダカン盗賊団の構成員と思しき男達が剣や斧を持って12人ほど集まっていた。
「一人か?」
盗賊団の一人の髪が逆立った男が訊いた。ヒカルはカタナの柄を握っていない方の手の人差し指を上に差す。
「度胸あるかただの馬鹿だな、兵士ってなりには見えねーけどよ、武器持ってるってことはねーちゃん傭兵か? まさかお姫様を取り返しに来たのか?」
「そうだと言ったらどうする? セイラ姫は無事なのか?」
「お姫様が無事かどうかはお前次第だ。今すぐ武器を捨てて服を脱いで四つん這いになってケツを出せ。そうすればお姫様に会わせてやるよ、ギャハハハ!」
「いいことを聞いた。王女はここにいるのだな。では抵抗しない。こっちに来て、服を脱がしてくれよ」
ヒカルは甘い声を出す。すると男が一人荒い鼻息を立てて近づく。
「ふひひ、それでは……」
しかし男がヒカルの目と鼻の先まで近づいた瞬間、突然首が胴体から離れ、鮮血を噴き出した。盗賊団の者達は目を見開く。
「な、斬りやがった!」
「私は何もしていない。カタナを抜いたのを見た者はいるか? いないだろう」
そう言われると、誰もヒカルが剣を抜いて男を斬った瞬間を見ていなかった。斬ったには違いないが、見えなかった。
「この男の首が勝手に飛んだんだよ」
「そんなわけあるか! お前らかかれ!」
一斉に残り11人の盗賊団がヒカルに襲い掛かる。しかし彼女の間合いに入った瞬間何もできず首が飛んだ。そして誰も剣を抜いたところを捉えられなかった。
目にも止まらぬ神速の居合斬り。ヒカルはあっという間にその場の盗賊団を全滅させる。
「化物め……」
床に転がった生首がそう言った気がした。
「私は人間だよ。死ぬ気で修行すれば誰でも習得できる。お前達は死んだからもう無理だがな」
冷徹にヒカルは言い捨て、階段を登る。セイラ姫が幽閉されているとしたら地下か高所と踏んで、まずは尖塔の最上階を目指す。
上の階層に進めば進むほど盗賊団が行く手を阻んだ。だからヒカルはこちらが当たりだと思った。全てすれ違いざまに斬り捨て、足を止めずに先に進む。
コツコツと階段を登る音を尖塔の最上階で聞いた盗賊団の首領は怒号を発した。
「おい、まだ賊は片付かないのか!」
しかしやってきたのが見知らぬ銀髪の女剣士だったので顔色を変える。
「貴様……」
「賊か。賊というのはお前達盗賊団の方ではないかな。そういう意味では全て片付いた。後はお前だけのようだな。奥に見える女性は……」
尖塔の最上階には盗賊団の首領の他にもう一人、金髪のロングヘアーの若い女性がいた。何故か使用人の格好をしていたが、顔は新聞などで描かれてよく知られているドラゴニア第二王女セイラ・マルガリーテ・フォン・ドラゴニアのものに間違いなかった。
「セイラ姫は返してもらう」
「動くな! 動いたらセイラ王女を殺す!」
盗賊団の首領は剣を抜き、セイラ姫の肩を掴んで抱き寄せる。だがヒカルは言うことを聞かず、二人に近づく。
「おい、動くなって言っただろ、止まれ、王女様がどうなってもいいのか!」
「お前に王族殺しの覚悟があるのか? 安心して、セイラ姫。もう私の間合いだ」
次の瞬間盗賊団の首領の首が飛んだ。彼には抜刀したことなど悟られなかった。セイラ姫は驚愕した様子で目を見開いている。ヒカルは死体を押しのけて王女を安心させようと手を取る。
「もう大丈夫です、セイラ姫。お怪我はありませんか」
「ええ……でもどうして……あなたは剣を抜いていないのに」
「ああ、剣を抜いて斬ったんですが速すぎてあなたの目に見えなかっただけです」
「すごい……そんな剣士私見たことがありません! でもそんなにも凄腕ならば例えば殺さずに相手を無力化することもできたのではないでしょうか」
「というと?」
「私にはこの人が殺すほどの悪人だったとは思えないのです……」
セイラ姫は横たわる死体を見下ろす。だがヒカルは首を横に振った。
「いや、この男はあなたに害をなそうとした大罪人です。私は雇われている間姫の味方です。だからあなたが傷つく前に排除した。それだけです」
「そうですか……」
「私はあなたを助けに来ました。盗賊団は大体始末しました。さっさとここを出ましょう」
ヒカルが手を引こうとすると、セイラ姫が両手でがっしりと掴んできた。
「あの……あなた、名前は?」
「ヒカル・シルバーソードなんて呼ばれています」
「ヒカル……変わった名前ですね」
「適当なあだ名ですから」
「そうなんですか。ねぇヒカル……あなたは私の味方なんですよね?」
「え? ええ」
「味方なら私のお願いを聞いてくれますか?」
「まぁ、命令でもなんでも聞きますよ」
「では……私を誘拐してくれませんか?」
「ああ?」
何を言っているんだこの人は、とヒカルは困惑する。つい先日盗賊団に誘拐されてこんなところまで連れてこられたばかりなのに。だがセイラ姫はぎゅっと相手の手を握りしめて潤んだ目で見つめてくる。
「私王宮での暮らしにはもう飽き飽きしていて……外の世界が広大なことを本で知っているのにあんな狭いところに閉じ込められて一生を暮らすだなんて、とても耐えられなくて。せめて一度でいいから外の世界を見たい、それで同じ年頃の使用人と服を取り替えっこして、王宮を抜け出してきたんです。でも途中までは良かったんですが運悪くあの盗賊団に捕まってしまって……」
「そういうわけか……事情はわかりました。でも確か結婚されると聞きましたよ。エドなんとか……卿と。王宮からは出られるんじゃないですか?」
「エドモンド・ノード。彼は婿入りするので私は王宮の外には出られません。兄は体が弱いので父は私に王位を継承させる気があるのかもしれませんね。そんなの絶対お断りですが……それに……なんというか……」
セイラ姫は言い淀む。ヒカルは彼女の言いたい言葉を想像した。
「結婚したくないとか?」
「子供の頃から決まっている婚約なんですが、エドモンドは女性を物扱いするような人なので……あまり好みの殿方ではありません」
「それは許せんな。そんな婚約は破棄してしまえばいい」
「ヒカル?」
「失敬。私は全ての女性に優しくすべきだと考えていますのでつい憤ってしまいました」
ヒカルは咳払いをする。言い過ぎた自覚はあったが、セイラ姫が脱走した理由には間違いなくエドモンドとの結婚が嫌だったという背景があったと考えた。
「ヒカルは本当に私の味方なのですね……安心しました」
セイラ姫は無邪気に微笑む。その可愛らしく愛嬌のある顔立ちを改めてまじまじと見つめ、ヒカルは心奪われる。王女は胸も豊満で実に彼女好みの女性だった。
「それでは私を誘拐してくださる? ヒカル・シルバーソード」
ヒカルは頭の中でセイラ姫と1億バグの金を両天秤にかける。このまま無理やり王女をイリュセウの王宮に連れ帰ったら1億バグが手に入る見込みがある。しかしそれを捨ててこのまま彼女と逃げることもできる。そうすれば少なくとも彼女からの信頼は得られるだろう。
だが王女誘拐犯なんてどう考えたってリスクが大きすぎる。このドラゴニア王国を敵に回すことになる。茨の道だ。普通なら選ばない。
「ああ。あなたを誘拐させていただきます、セイラ姫」
生憎ヒカルは可愛い女の子に目がない異常者であった。セイラ姫の前で跪いてみせる。
「ありがとうヒカル、でも私に姫とか王女様とかは不要です。身分は王宮を脱出した時に捨てました。ただのセイラとお呼びください」
「そうか。ではセイラ、これからよろしく」
ヒカルは立ち上がって改めてセイラに手を差し出す。すると相手も握り返した。
「よろしくお願いします、ヒカル」
新連載です。よろしくお願いします。
次回「始まりの町トイータ」