第78話 谷の底、深淵の魔女
ポツン、ポツン…………
ユタはすぐ近くで聞こえてきた水滴の落ちる音で意識を取り戻した。
目を開けると、遠くの方に一つだけ光が見えた。それは大渓谷の谷底にほんの僅かに差し込んでくる太陽の光だった。
―どうやら俺は、空から落っこちたらしいな―
例のごとく体はどこも痛くないが、謎の痺れで動く事ができない。
また俺は死んだのだろうか。クレア達は無事なのだろうか…………。
そう思ったその時、地面にあおむけで倒れていたユタの元に誰かが近づいてくるのが分かった。頭の方から足音がしたのだ。
「あっ、無事だったんだ…………あれっ」
しかしユタは途中で、その足音がクレアの物ともネーダの物とも違うと分かった。
足音はユタの頭のすぐ近くで止まった。ユタは身動きできないまま相手の出方を伺っていた。
―こんなところに人がいるなんて、何者なんだ―
ユタは頭上の人物を確認しようと、そっと頭を動かした。そして視界の端に移ったのは、子供用の派手な服と女の子の足だった。
「この世界にはもう慣れたかな?」
「えっ、今なんて」
ユタは驚いて思わず女の子の方に振り向いたが、そこにはもう人影は無かった。
―俺が他の世界から来た事を知っていただって? 一体あいつは何者なんだ―
そして気がつくと、痺れも消え体を自由に動かせるようになっていた。
ユタは立ち上がり辺りを見渡した。
近くにワイバーンの姿もなく、クレアやネーダもいない。どうやら俺だけ振り落とされてしまったようだ。
ユタはもう一度周囲を見渡した。だがやはり、さっきいた女の子の姿はどこにもない。
あの女の子を見つけ出し詳しい話を聞きたいと思っていた。ユタが異世界転移した理由も何かしっているかもしれない。
しかし今はクレアやネーダと合流する事の方が優先だとユタは判断すると、後ろ髪を引かれながらも大渓谷の奥へと進んで行った。
「火」
ユタは覚えたての火炎魔法を光源として使い、暗い谷の底を進んで行った。
だが、やがてヒカルコケの群生地帯を見つけたので、火を使う必要もなくなった。
「クレア! ネーダ! どこにいるんだよ!!」
深い谷の底で一人で彷徨っていると、久方ぶりに経験する寂しさを感じたが、そのうち人の痕跡らしきものを見つける事ができた。それらを辿っていくと、渓谷の底にある盆地に出た。そこは大渓谷の底でも岩山に遮られずに太陽の光が十分に届く、オアシスのような場所だった。
まぶしさに眩んだ目を抑えながら遠くを見ると、そこにユタ達が乗って来た竜とクレアとネーダの姿を見つけた。
「みんな!!」
ユタは嬉しくなって二人の元に駆け寄った。
「しっ 静かにっ」
「え?」
クレアは額に汗を垂らしながらユタにそう言った。ユタは最初、再会を喜んでくれないことに困惑したが、彼女のとても真剣な表情をみて、どこか事態の深刻さを察した。
「ど、どうしたんだ? 何かあったのかよ」
「ユタっ 今とっても大事なところなんだ。ネーダはもう失敗できないのっ」
「失敗?? 一体何にだよ」
「えっと…………それは、よく分からないかも」
「??????」
ネーダの方を見ると、彼女はそこにいた不思議な恰好をした人の前で、何やら珍妙な動きと言葉を繰り返している。飛んだり跳ねたりしながらこんな事を言っているのが聞こえてきた。
「コンニチマッスル 広背筋」
「コンニチマッスル 大胸筋」
「マッスルゴリラ、肉体コミュニケーションズ! うほうほ はあッはあッ ごりらたん……」
「バナナはあげません」
「OH NO!!! こうなったら、ストライキやッ」
「ピロピロピロ……あ、あああ、アーメン!」
しばらく激しい攻防が続いた後、二人は息を切らしながら動きを止めた。そして不思議な恰好の人はネーダに向かってこう言った。
「はあ、はあ…………よし、合格だ! 貴様を認める」
「つ、ついに、やったんだぞ!!」
ネーダは緊張が解け腰から崩れるように地面に座り込んだ。
「やったねっ ネーダ!」
「うん! ありがとう」
クレアがネーダの元に駆け寄ると、二人は手を合わせて喜びを分かち合った。
―ん??????―
しかしユタには彼らが何をしているのかがさっぱり理解できず、しばらくその場で立ちつくしていたのだった。
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