第6話 虚人
「クレア、クレアかぁ……とてもチャーミングな名前ですねッ」
クレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレアクレア…………
何度も頭の中で彼女の名を何度も呼んだ。ああ、なんて綺麗な名前なんだ。最高か?
彼女の事を考えるだけでうっとりした気分になり、自分が世界で一番幸福な存在であるように錯覚できた。その時だけは森で三年間殺され続けた地獄など忘れてしまっていたほどだ。
「へへへ、アナタ面白いねぇ」
「あ、あはは そんなこと言われたのは初めてだ」
「ふ~ん アナタの名前は?」
「申し遅れました。私は富士見優太と言います」
「フジ、ユ? ……うん。ユタ、ユタね」
「い、いや 優太だっ……えっ、ちょっと」
クレアは近づき興味深々に顔を覗いてきた。優太はクレアがそれが嬉しくもあったが、それ以上に彼女の裸体に目を向ける事が恥ずかしすぎて、顔をそらさずにはいられなかった。
すると優太の恥ずかしがっている様子を見て、クレアは自分が水浴びで服を着ていなかったことに気づき、赤面し慌てて背中を向けた。
「あ、……ちょっと待っててッ 今着替えてくる。 向こう向いてて! 覗いたら叩くからねッ」
「わ、分かった!」
背後でクレアが川から岸に這い上がった時の水音が聞こえた。その後、風にのって微かな布がこすれる音がしてきた。
―覗いたら嫌われるかな、ああ…でもっ―
優太の手は、いつの間にか徐々に鞄の中のビデオカメラへ伸びていた。
すぐそこには絶世の美少女が全裸で立っているのだ。男としての本能と理性が終末戦争を繰り広げていた。
「うーん…………うーん…………」
激しい葛藤の末、優太の指先がカメラに触れようとした時、川岸にいたクレアが突然悲鳴を上げた。
尋常な声ではない。驚いて振り返ると、いつも川で自分を待ち伏せていたデカ鬼が今度はクレアに襲いかかろうとしていたのだ。
「も、森の魔物?!」
「クレア!」
すぐに彼女のもとに駆け付けようとしたが、川の水のせいで中々前に進むことが出来なかった。
このままではモタモタしているうちにクレアが殺されてしまう。魔物の巨大な手が、いまにも彼女の細い体に触れようとしていた。
「クソッたれ これでもくらえ」
優太はやけになって手に持っていた手作りの松明を魔物に向かってぶん投げた。松明は放物線を描き魔物に直撃した。
一撃で頭蓋骨をひねりつぶす怪物だ。松明の投擲なんか効き目がないと思っていたが、意外な事に、松明が当たると魔物はとても怯んだ様子を見せた。そして魔物は地面の影に吸い込まれるように姿を消した。
「なんだかよく分からないけど、しめたぞっ今のうちだ」
優太はデカ鬼がいない内に、急いで岸へ渡りクレアの元に駆け寄った。
「大丈夫か」
「う、うん 平気」
クレアは幸いにもどこも怪我はしていないようだった。
「ふうー怖かったっ やっぱりおじいさんの言った通りだったかも。森の近くは魔物が出てくるかもしれないから近寄っちゃダメだって! あんな大きな魔物は見た事ないもん」
「おじいさん?」
「うん アタシのおじいさんだよ へへへ、とっても優しくていい人」
クレアは嬉しそうにそう言った。
「そっか。でもクレア、森の中にはゴブリンだらけであんなデカ鬼はいなかったよ」
「え、中に入ったの? でもあの森って……ユータ! 後ろ!」
クレアの声で咄嗟に後ろを振り向くと、さきほど姿をくらました魔物が立っていた。そして突如腹部に衝撃を感じた。
「うっ……」
「ユタ!」
魔物は鋭い爪で脇腹を斬り裂くと再び地面の影に消えていった。まだ、隙をついて俺たちを襲うつもりなのだろう。
「ユータ、お腹から血がっ」
「ぐっ……気にしなくていい 俺は死なないから大丈夫なんだ。それより、クレアの事は俺が守るから」
「ユ、ユタ……」
―うわあ、まじカッコいい俺っ。これはおそらく彼女惚れただろうな―
とは言ったものの。どこから現れるか分からない以上、デカ鬼の強襲を予測する事は難しい。
彼女を背中で庇いながら最大限の警戒をする。辺りを執拗に見渡すが、あの魔物の姿はどこにも見えない。
デカ鬼に傷つけられた腹を庇いながら、慎重にさっき放り投げた松明を拾った。松明じゃ少ししか照らせない。もっと明かりがあればもっとよく見えるのに。
だがそこで、ふと優太はあることに気が付いた。
―さっき松明をぶつけた時の、デカ鬼の松明の嫌がり方は異常だった。もしかして火が弱点だったりするのか?―
優太はクレアにこう言った。
「ちょっと試してみたいことが出来た。上手くいけばなんとかなるかもしれない」
「う、うん 分かった」
火に怖がるなんて、あんなに大きな怪物でも獣と同じ程度の知能という事か。次に奴が姿を出した時に松明を体におしつけてやるつもりで、松明を両手でしっかり掴んで構えた。
「さあ、来るならさっさときやがれ」
二人はその場でじっと奴が現れるのを待った。しかし魔物が現れる気配は一向にない。
するとしびれを切らしてクレアがその場を離れた。
「…………もう、どっかに行っちゃったんじゃない」
しかしその瞬間に、魔物は森の闇から現れるとクレアに襲いかかろうとした。
「危ない!」
彼女の声で振り返った優太は、咄嗟に彼女を庇うために突き飛ばした。
「ユ、ユタ?!」
「これでもくらえ!」
そう言って俺はデカ鬼の腹に松明の火を押し付けた。
「ぐ、ぐおお………」
すると魔物は苦しそうにうなり出した。しかし突然魔物は腕を振り回し暴れはじめてしまった。
しかも暴れる魔物の腕から逃れようとしているときに、魔物の腕が当たって頼みの松明が弾き飛ばされてしまった。
「あッ 松明が……」
唯一の有効打に思えた松明はそのまま川に落ちてしまった。それを見ると魔物は再び闇の中に身をひそめた。
「くそっ なんだってんだよ」
せっかくデカ鬼を倒せるチャンスが来たと思ったのに、これだとまた死んで、森のなかに逆戻りだ。
するとその様子を見ていたクレアが不安そうに優太の手に触れた。そのとき優太は気がついた。
―そうだ。俺は何故だかゴブリン共に殺されても復活できた。だけどこの少女はどうだろう。もしかして生き返ることなんて出来ないんじゃないか?―
優太は覚悟を決めた。自分の命を犠牲にしてでも、彼女をここから逃がして見せる。
「クレア、俺は殺されたっていい。だけど君は死なせない」
優太はそう言ったが、クレアはきっぱりと強い口調でこう返した。
「ダメ」
「え?」
振り返ると彼女は瞳からは涙がこぼれていた。だが強い意思を持った目でこちらを見つめている。
「ねえ、言霊って知ってる? 言葉には力があるの、幻想を現実にする力。だから、そんな自分が死んでもいいなんて、簡単に言っちゃダメなんだ」
「…………ああ、分かったよ。 もう言わない!」
優太はクレアの頭を優しくなでた。
予定変更だ。クレアは死なせない、そして俺も死なないでなんとかしてやる。
優太は必死に頭を回転させた。
―なにか、なにか無いか! この窮地から抜け出せるようなきっかけなら、なんでもいいんだ!
少しでも役立ちそうな情報をさっきのほんのわずかの戦闘、それと今までに死にまくった三年間の中から思い出そうとしていた。
そして、ある一つの小さな事実にたどり着いた。
森の切れ目になっているこの辺りは薄暗くて視界が狭い。ほとんど光の無いぼんやりとしたこの空間では、松明ような明かりでも無ければそれは一生見る事は叶わなかっただろう。
「…………おいデカ鬼、お前には、森のゴブリンにはあってお前にない物がある。それは影だ!」
優太はカバンからカメラを取り出すとフラッシュのパワーを最大にした。
「あの森にいたのはゴブリンとかいうファンタジーの生き物だ。影のない怪物がいても不思議じゃない。そしてお前はいつも背後から襲ってきたな。つまりこれらから導き出される答えはただ一つ!」
そう言うと振り返り、優太は自分の足元の影に向かって、最大出力でカメラのフラッシュを浴びせた。
「ギイイイイイ……」
次の瞬間、影に潜んでいた魔物は、断末魔と共に青白い煙となって消えていった。
青白い煙はゴブリンのときと同じように優太の中へと自然に吸い込まれていった。
「やっぱり予想通りだ 影鬼、お前が影そのものだったんだ 影は光の中では存在出来ないからな」
「すごいッ…… ねえ、さっき光ったのって魔法?」
しかし力を出し尽くした優太はその場であおむけになって倒れてしまった。血も大量に流し過ぎていた。
「ごめん……約束は守れないかもしれない」
意識がだんだんと薄れていくようだった。こうして目を開けているのも辛い。
「ユタッ 死なないで」
「あはは……大丈夫、たぶんまた生き返れるから」
「何言ってんのさっ 待ってて、今村から誰か呼んでくるから」
「あ、クレア……」
そうして彼女はどこかに走り去ってしまった。
また俺は一人か。
そして俺は再び息絶えた。
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