灰の丘へ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
みんなは学校での理科の時間、家庭科の時間以外で火を扱ったことはあるかな?
この場合は、自分の手で火をおこすことかな。マッチ、ライター、チャッカマン……何度か扱ってみると、その危うさに気づけると思う。
先生の初めての驚きは、ろうそくの火が中心部より周りの方が熱い、ということだったな。
仏壇に線香をあげるときにね、父親に火をつけるときには、ロウソクの火の中へ突っ込むより、燃えている火の少し上あたりにかざすのがいい、と教えられたんだ。
実際にやってみると、じかに炎に当たっていないように見えるのに、いきなり線香の先にオレンジ色の火が灯る。たちまち中心は黒ずみ、先端は赤い光を残したまま、じりじりと根元めがけて舵をとった。
残っていくのは、白い灰。そのころにはもう火を消して、香炉に立てているけれどね。
あの外炎が一番高温のところだということに、びっくりしたんだよ。はじめての理系なことへの感動といえばいいかな。
そこから「燃焼」という現象について、一時期とてもはまってね。色々調べていく途中で、不思議な話もいくつか知る機会があった。
そのうちのひとつ、聞いてみないか?
むかしむかし。
とある村に逗留する、流れの男がいた。
村はずれのあばら家を使う彼の家からは、たびたび白い煙があがるのが見えたという。
たき火だ。村側から見ると、あばら家の裏手側。火元が見えない角度から、あたかも家の中から出ているような景色で、もうもうと灰色がかった筋が、空の雲へと交わっていく。
回り込んでみると、男は木を井桁に組んでおり、その炎の中心に長い箱を置いて、じりじりと焼いていたんだ。
その高さは、男の背と同じくらいあった。紅蓮の熱気に隠されて、細部を確かめることは難しい。ただ漂ってくる空気は、特有の焦げ臭さに加えて、どこか肉を焼くような脂臭さを帯びているように感じられたとか。
男に家族はいない。
その身軽さゆえか、しばしば家を空けてどこかへ出かけることが、しばしばあった。何日も音沙汰ないことだって珍しくなく、帰り際には件の大きな箱――いや、木棺といった方がよかった――を軽々と肩にかついで、のしのし歩んでくる。
外へ出る時、男は丸腰ではない。もちろん、護身用の脇差を持ち歩くのは、この時代の誰でもおかしい話じゃない。しかし、彼の場合はそれに加えて、背中に大刀を負うものだから物騒さは格段に上だ。
身分が身分なら、家来にでも持たせるような長さとこしらえ。実はこの男、やんごとなき家の出じゃないのかと、ウワサをする者も多かった。しかし、口数少ない彼が刀について深く語ることはなかったらしい。
そのまま数十年後に、彼はそのままこの地に骨をうずめることになるのだが、とある村民の目撃した話が、長く残ることになる。
その晩、彼は久しぶりに遠くで酒を飲み、いささか千鳥足ながら家路についていたところ、あぜ道の途中でばたりと件の男と会った。
男の身からは、かすかに煙の臭いがした。彼に気づく様子もなく目前を横切り、森の奥へと歩んでいく。背中にはあの大刀があったが、その鞘はいつもに増して黒光りをしているように思えたんだ。
一瞬、抜き身そのままに見えたそのぎらつきに、男の酔いはスッと醒めてしまう。
あの神妙な顔つき、これからただならぬことをするであろう、空気をまとっていた。
――そういえば、昼間も火を焚いていたっけな。
彼はひょいと首をひねる。男の住む家は、ここから遠くはない。
煙はのぼっていた。
昼間見たときよりずっと細いが、軌跡はたどれる。灰色の身体もさることながら、それにまかれて飛ぶ大小の灰たちが、律義に付き添ってくれているからだ。
風もないはずなのに、煙はある程度の高さから、おじぎするかのように折れ曲がる。その先は森の茂る木々たちの、彼方へと消えていた。
ちょうど男が足を向けていた方と、ぴったりだ。
少し考えた後で、彼はすっかり小さくなってしまった、男の背中を追っていた。頻繁に火を焚き、また大きな棺を持ち帰ってくる男の意図。それを探る、またとない機会だと。
ゆるゆると歩んでいたはずの男。それが彼の追いかけ始めたとたん、その足は明らかに速まった。
彼とて日々の農作業で、足腰はそれなりに鍛えている。足の運びには少しく自信があったのに、差はどんどん開いていく。
見知った森の中でなければ、迷っていたに違いない。
近くの者なら知るけもの道を何とか進み、いよいよ森が開けてきたところで、彼は思わず息を呑んだ。
遠目に見る男は、大刀を抜いていた。上段に振りかぶる刃の湾曲が、かすかに出ている月の光を受け止めて、彼のいるところまでそれをこぼしてくるのだけど、驚いたのはそればかりじゃない。
足元だ。男の立つところを含め、彼の目にする森の先の地面は、すっかり灰に埋め尽くされていた。
いまなお、空の上から灰が降りてくる。音もなく積もっていくそれらを気に留めることはなく、男は変わらぬ不動の構え。
――何を待っているのだろう。
彼はそのまま息を凝らし、男を見つめるも限界がくる。
まつ毛をたどる、汗の一滴。その刺激がまなこをとがめ、しばたたいたその後には、景色がはっきり一変していたんだ。
そこにはもう、灰の原はない。彼も見慣れた、石と草が顔をのぞかせる湿った土があるだけだ。
代わりに、身じろぎひとつしない男の前に、新たなひとつの影がある。
天から降ったか、地から湧いたか。音も気配もなく現れた影は、男よりもわずかに低い背。しかし、男のものに劣らない長さの太刀を中段に構え、油断なく男の胸とのどの間へ、切っ先を向けていた。
一足一刀。いずれも踏み込めば、その太刀が相手を捕らえ、後ずさればかすかに外されるだろう、絶妙な間合い。
わずかな音さえ、邪魔どころか命取りになりかねない。
彼は身震いしかける自分の腕をつねり、その場から動けずにいたそうだ。
長い間ののち、一瞬で決着はついた。
先に中段の影が動く。地を蹴り、手を伸ばし、身体ごと男へ突きかかっていた。
男の太刀が揺れる。刺されたのかと思ったが違った。上段の姿勢に乱れがない。
紙一重でかわしたがゆえのわずかなブレ。そう察した時には、はじめて動いた男の太刀が、影を真っ向から斬り下ろしていた。
瞬間、影はぱっとその身を散らした。
頭より足に至るまで、ちりとなって吹雪くその姿からは、ずっと嗅ぎ続けていた煙の臭いが、一気にあたりへ立ち込めたのだとか。
その晩のこと、彼は男へ問いただす勇気はなかったそうだ。
だが男が火を焚くこと、棺を持ち帰ることはこの晩以降、ぱたりとなくなってしまったとのこと。
あの影の正体がなにかは分からない。ただ、男にとって縁深い存在と思しき、あの影ともう一度出会うために、男は灰を作り続けていたように思えたのだとか。