真実の愛をください
ポットやタンスにしないやさしさ()はあります。
公爵令嬢のメイヴには、浄化のスキルがある。
浄化はとても便利、かつこの世界に欠かせないスキルである。しかしながら浄化スキル持ちはとても少ないという、ある意味お約束の存在でもあった。
魔物から採れる魔石は魔物が体内で貯めた魔力が石化したもので、これを道具に組み込んで魔道具という生活便利アイテムに加工している。
シャンデリアに組み込めばスイッチ一つで明かりがつくし、蛇口に組み込めばいつでもどこでも水が出せる。おかげでお風呂に入り放題。トイレも水洗になった。コンロに組み込んで火がつくのはもはや常識。快適すぎてもはや手放せないほど日常に馴染んでいる。
ただしこの魔石、魔物から採り出すだけあってそのままでは使い物にならなかった。
まず魔物を倒す必要があるわけだが、死の瞬間、魔物はそれはもう恨みを抱いて死んでいく。当然だ。彼らにしてみればいきなり追剥ぎにあったようなものだろう。追い掛け回されたあげく殺されて皮まで剥がされるのだから間違いではない。魔物によっては魔石だけではなく皮、角、内臓、睾丸に至るまで素材として利用されていた。非道の極みだ。
そんな魔物の恨みは瘴気になって魔石に宿る。これをこのまま使うと使用者は瘴気にあたって死ぬこともあった。
ここで浄化スキルが出てくる。浄化によって魔石から瘴気を取り除き、使えるようにするのだ。
メイヴは公爵令嬢でありながら、浄化師として働くことを決定づけられた運命の少女だった。
生活に欠かせない浄化ではあるが、代わりに瘴気を一身に受ける。人々はメイヴに感謝したが内心では呪われた姫だと蔑んだ。
彼女を憐れんだ王が王太子の婚約者にメイヴを選んだのは、国がメイヴを便利使いしたかったからだろう。メイヴの浄化は公爵令嬢だけあって強力だった。
メイヴ本人はといえば、王太子の婚約者という生贄に嫌気がさしていた。
浄化するのはいいのだ。
瘴気で体調を崩すこともあるが、どうにかできている。
だが、公爵令嬢という身分でさらに王太子の婚約者になったメイヴはいわば国有、国のものになった。国がメイヴを保有し、国が管理している。
ようするに、タダ働き。
世の浄化師たちはギルドに所属しがっぽがっぽ儲けているというのに、なんという差。
泣きたい。
むしろ呪ってしまいたい。
しかも婚約者とは名ばかりで、王太子はメイヴを呪われた姫と蔑む筆頭だ。お気に入りの令嬢を侍らせて堂々と浮気している。
呪っていいと思う。
腹が立ったので王太子のアレが使い物にならなくなるよう呪った。ムラッとしても役立たず。文字通り立たない。
ざまあ。
ちゃんと小用は足せるようにしてある。わたくしったらやさしい。
今日は王が来た。
騎士団がはるばる討伐してきたブルードラゴンの魔石を浄化しろと言ってきた。
ギルドの浄化師だったら大金貨五千枚は下らない。メイヴは市場調査していた。
王はとくとくと気持ちよさげにいかに騎士団が苦戦したか、死闘の末に打ち倒したのかを語っている。
ばれないようにさっと行ってさっと殺ってくれれば瘴気なんて生まれないのに、使えない騎士団だ。というか、まずドラゴンに手を出すなとメイヴは言いたい。
これ絶対何人か死んでるだろ。
騎士団の派遣費用と装備品、遠征費、負傷者の手当、死亡した騎士の保険と遺族への年金支給。それらを賄っても余裕な値段で売り払うつもりだ。
メイヴをタダ働きさせておいて、自分は豪遊。
呪っていいと思う。
ドラゴンの魔石には、いきなり小さな生き物に群がられた恐怖と、理由もわからずに攻撃された怒りと苛立ち、そして恨みが瘴気になって渦巻いていた。
わかる。
メイヴも大人たちによってたかって浄化係にさせられ、こき使われている。
頭に来たので王は頻尿になるよう呪った。夜中に何度もおしっこのお悩みで目を覚まし、会議を中断して信用をなくすがいい。
ざまあ。
くしゃみした時ちびって股間を濡らしてろ。恥をかく程度にしてあげるなんて、わたくしとってもやさしい。
王妃のお茶会に招かれた。
浄化師は瘴気に侵されているので肌の出るドレスは着られず、顔を布で隠すのが通例だ。周囲の令嬢たちはキラキラしているが、メイヴだけが異様な雰囲気で一人ぽつんである。
そして王妃はひときわきらびやかな出で立ち。胸元を飾るネックレスの魔石は、もちろんメイヴが浄化したものだ。
今日は楽しんでね、と言うが、どうやって。
令嬢たちは遠巻きにメイヴを見てクスクスひそひそ。王妃は優越感たっぷりに見下していた。可哀想にと口では言うが、彼女たちは恩恵を受けるだけでメイヴを助けようとはしない。
浄化の後は瘴気で体が動かなくなる。発熱や頭痛、魔石によっては瘴気が痣のように浮かび上がってくる。ろくに外出もできず、王妃教育などやっている場合ではない。こんな娘が未来の王妃、と蔑まれているのだ。メイヴは好きで婚約者になったわけではないのに。
呪ってもいいと思う。
ケーキを焼くのだってお茶を淹れるのだって、メイヴが浄化した魔石が使われている。
悲しくなったので毎月一キロずつ体重が増えるように呪った。ドレスがきつくなって焦るがいい。
ざまあ。
ダイエットしても体重は減らない。むしろ脂肪が筋肉になるだけだ。スレンダーどころかマッチョな王妃とかちょっとかっこいいかも。わたくしったらやっぱりやさしいわ。
メイヴは魔石を浄化し、その瘴気を体に溜め込んでいる。
浄化スキルを持たない人間なら即死するレベルの瘴気だ。
浄化師には瘴気耐性があった。
そして体に溜まった瘴気を、時間と共に浄化することができる。
それでも浄化師には短命な者が多い。持ち込まれる魔石に体の浄化が追いつかなくなるからだ。
メイヴは早死にはごめんだった。
こき使われるだけで何の楽しみもないまま若くして死ぬ。国の筋書き通りの『美談』にさせられるなんてまっぴらだ。
少なくとも今まで浄化した分の料金を支払ってもらいたい。
タダ働きの仕返しに、瘴気を呪いにして嫌いな奴に押し付けている。悪意というのは充分に呪いだ。メイヴはその呪いに実効性を持たせただけ、かわいいものである。
そんなある日の舞踏会で、王太子が浮気相手を侍らせ婚約破棄を宣言してきた。
「私はこの侯爵令嬢と真実の愛を見つけたのだ! 呪われし姫、メイヴ! 貴様との婚約は破棄させてもらう!!」
侯爵令嬢とやらの肩を抱き、ビシッとメイヴを指差して言い放った王太子は、布の奥でメイヴの目が冷たく光ったことになど気づきもしなかった。
王と王妃だけではなく居並ぶお偉いさんたちも――当然メイヴの家族もいるが、そりゃそうだよな、という顔をしている。なんなら全力でうなずいている者もいた。
「ふふっ」
メイヴは笑った。
今まで公爵令嬢だから、王太子の婚約者だから、と我慢させられていたことからついに解放されるのだ。嬉しさから笑った。
だが、王太子は馬鹿にされたと思ったらしい。
「なにがおかしい! とうとう気が狂ったか!」
「まあ、狂っているのはどちらなのかしら。婚約破棄、たしかに承りました。では、殿下の婚約者として請け負ってきた浄化の料金、耳を揃えてお支払いくださいませ」
その言葉に反応したのは王太子ではなく王だった。
「金、とは? メイヴよ、そなたは高貴なる者の役目を金に換算するのか?」
「もちろんですわ。わたくしに浄化のスキルが発見されてから実に十年も無給で奉仕させられてまいりました。それもこれも、王妃になる者の勤めとか。今、婚約が破棄された以上、わたくしが命がけで行ってまいりました浄化に対する正当な報酬を求めるのは当然でございましょう」
無給、という言葉に周囲はざわめいた。
国に仕える者は、メイドから大臣まできちんと給料が支払われている。貴族といえども仕事としている以上、当然のことであった。
王妃の務めといいながら王妃に浄化スキルはなく、浄化をしていない。彼女は無償奉仕などしていなかった。
なのにメイヴはタダ働きさせられていたのだ。怒るのはむしろ当然のことである。
「公爵令嬢としての矜持はないのか」
「ございませんわ。では、そこの侯爵令嬢にお尋ねしますわ。「お前は王太子の婚約者になったのだから、遊びも楽しみもないが命を削ってくれ」と言われて受け入れますか? あなたが受け入れるのであれば、わたくしも一考しましょう」
王太子の浮気相手は真っ青になった。
未来の王妃になる気はあっても、寿命を縮めてまでタダ働きするつもりはない。しかも、実態を知らない者たちの誹謗中傷付き。たとえ給料をもらっても断固拒否する。
王太子は期待を込めて彼女を見るが、うつむいたまま答えなかった。
「……」
王は無言になった。
メイヴは一考すると言ったが考えるだけなので、もちろんお断りである。
「……そこまで、王妃になりたいのか」
王太子が唸るように言った。悔しさに顔は歪み、ぎりぎりと歯を食いしばっている。
メイヴは馬鹿を見る目で王太子を見た。
「はい」
「え」
「わたくしの今までの奉仕に見合うものとなればそれくらいでしょう。それとも、他に何をくださいますの?」
「……」
女として、位人臣を極める。メイヴの奉仕への対価として、王妃の座は妥当だろう。
むしろメイヴを王妃にしてこれからもタダ働きさせられるのであれば安いものだ。王太子の浮気相手には、絶対にできないのだから。
ついでにいうと、欲しいのは王妃の座であって王太子ではない。そこははっきりさせておく。
黙り込んだ面々を見回して、メイヴは王で視線を止めた。
「王様、用を足したいのであればどうぞ? ご遠慮なさらず」
「!?」
さっきからもじもじしている王に、メイヴはにこやかに薦めた。
「王妃様、近頃ずいぶんふくよかになられましたね」
「!?」
王妃はぱっつんぱっつんのドレスを着ているせいか、呼吸が荒く、顔色も悪くなってきている。
「時に王太子殿下はお世継ぎのできる体ですの?」
「!?」
誰も知らないはずの、察しの良い者にはバレバレの秘密を言い当てられ、三人は驚愕に目を見開いた。
メイヴは「うふっ」と笑って肩を竦める。
「よろしいですわ。今までの分を支払えなんて、無理だとわたくしもわかっておりますもの。厚意、ということにして差し上げます」
言って、メイヴは物語に出てくる意地悪な猫のように目を細めた。
「ほ、本当か……?」
王太子が疑り深く問い質す。
なぜメイヴが下半身事情を知っているのか、このタイミングではメイヴが何かしたとしか思えなかった。
「ええ」
うなずいたメイヴは、この場にいる全員が言うだろうなと思ったことを言った。
「ただし」
ほらやっぱり。全員が身構える。
「どんな形でも結構です。わたくしに、真実の愛をください」
馬鹿にしている、とメイヴは思った。
女の喜びも人としての幸せ一つも知らないまま死ね、とこの人たちは言ったのだ。
呪っていいと思う。
王太子の浮気相手をはじめとする、メイヴを「呪われた姫」と嗤った女は近づいただけで目が沁みるほどの体臭を。その尻馬に乗ってメイヴを貶めた者たちは水虫に悩まされるように呪いをかけておいた。
「真実の、愛……?」
「ええ。お二人は真実の愛で結ばれているのでしょう? ステキ! わたくしだって、どんな困難にも負けずに愛してくれる方が欲しいわ」
きゃっと手を叩いてはしゃぐメイヴを、王太子と浮気相手が薄気味悪そうに見ている。
そうこうしている間に、舞踏会場に異変が現れはじめた。正確には異変ではなく異臭だ。
近づいただけで目が沁みるほど臭い女がこれだけいるのだ。ぷぅん、と饐えた臭いがダンスホールに充満してきた。
「真実の愛があれば、ワキガであろうとお口が臭かろうと水虫だろうとへっちゃらですわよね! 愛に障害は付き物。ぜひ乗り越えてみせてくださいな!」
えっ、愛の障害ってそんなんだったっけ。
そっとパートナーから距離をとった者たちは思った。一般的には身分差だとかライバルだとか金銭面であった気がする。
少なくとも一目惚れする前に鼻を塞ぎたくなる相手と恋に落ちることはないだろう。
「で、殿下……?」
ついさっき愛を誓った王太子の手が離れたことにショックを受けた浮気相手が呼びかけた。
「クッサ!!」
愛する女の口臭に、たまらず彼が顔を背けた。つい、といった具合に漏れた叫びに周囲が静まり返る。
思っていても口には出さなかった男たちも、次の瞬間叫び出していた。
「くっっっさい!!」
「やべえ目に沁みる!」
「ちょ、鼻がもげる!!」
「近づくな! 頼む!!」
「無理! ブスなら目ぇ瞑ってりゃいいけど臭い女は無理!!」
控えめにいって阿鼻叫喚だった。
男の叫びに女も負けじと口を開くが、自分の口から漏れ出る異臭に口を覆う者がほとんどだった。
ある者は泣き崩れ、ある者はそれでも言い返し、ある者は会場から我先にと逃げ出した。
「メイヴ! 貴様、何をした!?」
王太子はメイヴを捜したが、どさくさにまぎれてとっくにとんずらしている。
行き先は魔石ギルドの浄化師のところだ。
浄化師は仲間意識が強い。こんな仕事をしているだけあって総じてプライドが高く、金にがめつく、そして容赦なかった。彼らが金儲けに走るのは命がけの仕事だからだ。浄化師は生きている間を精一杯楽しんでいる。
そんな浄化師でも、メイヴの呪いにはドン引きした。
「メイヴ様のやり方は知ってるけど、気の毒になってくるな」
「女の口が臭いって致命的じゃねえか」
「さすがはメイヴ、やさしいけど容赦ない」
メイヴは悠々とお茶を飲んでいる。
浄化の相場がどれくらいなのか調査している時に知り合った浄化師たちは、メイヴの境遇に我が事のように怒り、同情した。奴隷扱いされた浄化師がどんな仕返しをするのか知らなかったとは言わせない。ギルドに持ち込んでくる依頼人はそれを知っているから素直に金を払うのだ。
やっちまえと煽ったのは彼らだが、それにしてもこんなひっでえ呪いをかけて逃げてくるとは予想していなかった。
「追手が来たらどうするんだい?」
どうあがいてもメイヴが公爵令嬢なのは覆しようのない事実なのだ。国家権力で王や王太子が連れ戻しに来る可能性は高いだろう。
「わたくしを連れ戻そうとしても、寸前で見つけられない呪いをかけてありますわ」
しれっとメイヴが答えた。
追手が来ても迷子になり、居場所を訪ねてもそこにはおらず、ようやく追いついたと思ったら「さっき出ていったよ」で会えない呪いだ。疲れるだけで無駄に終わる、ものすごく嫌なパターンだ。
「召喚状も郵便事故などで届かないようになっております」
「うわあ」
声が出た。
これはひどい。
まだかまだかと待っているのにどうしても会えない。直前までメイヴが居た事実があるだけに期待するし、次こそはと執念を燃やすだろう。もう一度いう、これはひどい。
「会いたくてたまらないのになぜかことごとく邪魔が入って結局会えないってせつないですわね。恋のときめきを持続させるにはやはり障害ですわ! どうでしょう、このわたくしの完璧な作戦!」
「普通の人は諦めるよ」
「むしろ怒ると思う」
それな。
ギルドメンバーがうなずくのに、メイヴは不満そうに頬を膨らませた。
「それで、どうやったらその呪いは解けるんだい?」
呪いというのは解除できることが大前提だ。なぜなら、返されたら呪ったほうもただではすまない。因果応報が起きる前に解呪できるよう条件をつけておくものだ。
「こういうのはお約束でしょう? 真実の愛でわたくしにキスしてくだされば、呪いは解けますわ」
メイヴはまだ見ぬ真実の愛にうっとりと頬を染め、笑った。
人としてとてもひどいことしてると思ってます。
公爵令嬢なので育ちは良いんですよ、育ちは……。