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【一日目夜】車内 その④

「おー、早かったなぁ。ナイトはん元気にしとった?」


 運転席を倒し、悠々とスマホをいじっていたハクがにこやかに出迎えた。その笑顔によって場の空気がガラリと変わる。ドロップは胸のつかえが取れたかのように息を吐く。ティアラもまた相手をひりつかせるような声音を飲み込んだ。


「ナイト様はもうお休みになってたから、さっさと帰ってきたの。一応、くだんの報告書へも目を通してきたわ」


 シートベルトの金具の音が三か所で鳴る。

 車体が揺れたかと思うと、目を開くようにライトが前方を照らした。先程とは異なりゆったりと車が移動を始める。ドロップが警戒を解くようにシートベルトを握りしめた手から力を抜く。

 車通りの少ない道へと合流するとハクが再び口を開いた。


「ワイはまだその報告書読んでへんわ。どないやった?」

「ナイト様自身が怪我を負うリスクを度外視した結果ね。痛みを感じないせいでリスクをリスクと思っていないのでしょうけれど……。あの大馬鹿雪男も偉そうな口利いてないでちゃんとナイト様をサポートしてほしいわ」

「ぶはっ!」


 ハクが盛大に唾を飛ばす。車体が揺れ中央線を踏み越えるが、幸い対向車は皆無であった。すぐに安定した走りを取り戻すも、ハクの肩は小刻みに震えている。表情筋が抑えきれず唇の端が歪んでいた。

 確認するまでもないとは思いつつも、ハクはティアラへ尋ねる。


「ティアラはん、大馬鹿雪男ってスノーはんのこと?」

「他に誰がいるのよ」

「いやぁ、ちょっ……ツボりそうで……! うん、確かに雪男やな。アカン、おもろい」

「そんなに?」

「あのスノーはんにそないなこと言えるのティアラはんだけやで。ドロップはおろか、ワイだって言えへんわ」

「俺が言ったら即死っスね。首の骨折られそうっス」


 ハクがひとしきり笑い終えたのはマンションから最寄りのI.Cのゲートを抜け、高速道路へ突入したところであった。散々笑い飛ばした負い目からか、自らスノーのフォローへまわる。


「ゆうて自由すぎるナイトはんのサポートも大変やろ。スノーはんもようやっとるわ。周りがそないに責めたらアカンやろ」

「ナイト様が作った組織なのだからナイト様最優先なのは当然なのよ。ナイト様は自由に生きてこそ素敵な御方だもの、それでいいの。あの雪男は自分こそはナイト様の右腕って態度を取っているんだから完璧にやるべきだわ。大目に見る必要なんてないの」


 きっぱりと断言され、ハクは曖昧に笑った。ティアラの機嫌を損ねてまでスノーを義理立てするつもりもないらしい。なにより歯に衣着せぬティアラの物言いが好ましく心地よかった。

 ドロップは同じてつを踏まぬよう注意しつつも、胸に抱いた疑問をそのまま投げる。


「ティアラさんって、ナイトさんのことどう思ってるんスか?」

「私の運命の王子様でもあり騎士様でもあるわ。ホント、男性だったらアイドル辞めてでも結婚してたくらいよ」

「じゃ、スノーさんは?」

「ナイト様の近くにいる出来損ないの従者。大っ嫌い」


 ドロップの脳内では至極単純な相関図が出来上がった。ちらりとハクへ目配せをすると意味ありげに頷かれる。ドロップは同意を込めてこくこくと何度も頷き返す。いかに非常識な過ちを繰り返すドロップとて見えてる地雷は踏まない。彼も自分の命は惜しいのだ。


「なるほど、よく分かったっス! あざっした!」

「そいで話を戻すんやけど、報告書は他になんかおもろいことあったん?」


 抜群のタイミングでハクが話題をらす。こと話術に関してはハクに一日の長があった。ドロップは心の中で惜しみない拍手を送り、頭の中のノートへしっかりと書き込む。ハクへの尊敬の念も抜かりない。クセの強いメンバーの中でもハクと衝突するほど相性の悪い人物は見たことがなかった。目立ちはしないものの組織には必要不可欠な存在である。


 ティアラは投げかけられた疑問を頭の中で転がす。自分なりの回答はすぐに用意できたが面白みには欠けているような気がした。さらに言えば、なんとなくハクの思惑にはまっている気がし釈然としない。直感的に自身の不利を回避すべく立ちまわることにした。


「そうね……。ドロップ、アンタが説明しなさい」

「俺っスか!?」

「入手した情報を簡潔かつ正確に伝達するのも仕事の内よ」


 予期しない指名に慌てるも助けは来ない。ティアラの言い分はハクを納得させるだけの力があり、自身もまた反論の余地はないと思ってしまった。

 すでに教育係の顔をしたハクが興味深気にドロップへと視線を送る。じっとりと嫌な汗が背中を伝う。効いているはずのエアコンが意味を成さなかった。


「えぇっと俺、報告書全部読めてなかったっつか、漢字とかあんまし読めなかったっつか、えーと」

「ワイにそんな優先度低い情報から話すん?」

「ひぇっ! ちょ、待ってくださいっス! まとめるんで!」

「そーゆー時間が普段からあると思ったら大間違いやで」


 ハクの口調に変化はないが、どうしても慌ててしまう。尾行されていたとも気付いていないドロップは先刻の暴走の恐怖が纏わりついていた。怒らせると怖い人物の筆頭がなんの前触れもなく暴走を始めるのだ。矛先がアクセルではなく自分に向かないとは言い切れない。ましてや今走っているのはあらかじめ宣言された高速道路だ。思わず身震いする。逃げ場はない。ドロップは未だ絶体絶命という言葉を知らなかった。


「えーっと、えと、宗教団体聖火を学ぶ会っていうのは――!」



◆◆◆



 ドロップが報告を終えたのはI.Cを二つほど通り過ぎたあたりだ。

 背中のみならず全身に汗を滲ませ、ぐったりと力なく窓へ頭を預ける。


「以上……、報告終わりっス……」

「ご苦労さん。もうちょい練習しよなー」

「ういっス……さーせんした」

「ティアラはんからは講評ある?」

「要領悪すぎて話になんない」

「マジさーせん……」


 項垂うなだれるドロップをよそに、ハクは前方を見つめたまま思案を巡らす。ドロップからの情報を元にとある疑問が渦を巻く。極めて低俗かつティアラへ尋ねるべきではない内容であったが、一度気になりだすとどうにもままならない。そればかりか悪戯めいた心が囁きかけてくるのだ。気付いてしまった以上、提示することが正義だと、ひいてはそれがこの組織の長たるナイトに関わることなのだから、気付いた者が口にすべきだと。良心の呵責かしゃくなど最初から存在しなかった。


「なあお二人さん。ちぃとばかし気がかりなことがあってな、独り言や思うて聞いてくれる? あ、分かる範囲で答えてくれる分には大歓迎やで」


 前置きという予防線は張った。あとは自身へ飛び火しないよう細心の注意を払って一石を投じるのみだ。湧きあがる高揚感を押さえつけ普段通りの口調を崩さない。


「そのアホな団体の服装なんやけど、女の下着が洋風やと水着を連想させるからアカンのやろ? したら男はどうなるんや? スーツにふんどしか?」

「別に決まってないでしょ。女性を都合よく餌食にする為のルールだもの。私が見た範囲でも女性に対する規約、というか押し付けが多くて思い出しただけでも腹立たしいわ」

「ほーほー。それくらいきっついルールの中、女であるナイトはんが神様ごっこするんは大変や。くだらんルールももちろん遵守じゅんしゅしたんやろな」

「何が言いたいわけ? ナイト様を侮辱する気?」


 食ってかかる物言いにハクは軽く手を振った。侮辱はおろか男女差別をするつもりもないとしっかりと弁明してから続ける。男尊女卑主義者であればそもそもナイトの元では働かないだろうと言うと、ティアラも早々に身を引いた。


「ワイはただホンマに気になっただけなんやで。――ナイトはんのドレスの下」

「っ――――!?」


 絶句するティアラへさらに追い打ちがかけられる。


「あ、脱がせたっちゅーウィザードはんに訊けば一発で分かることやったな。解決してもうたわ。あんさんらは何も聞かなかったことに……」

「戻りなさい! 今すぐナイト様の所へ戻って!」


 ハクの予想通り、ティアラは卒倒した。暗い車内にいるにもかかわらずその狼狽した表情ははっきりと見てとれる。

 先程弟をダシに使われたことへのささやかな仕返しのつもりでもあったが、予想以上の効果であった。怒りの矛先が自身へ向かっていないことだけを確認し、やんわりとした笑みを浮かべる。悪戯心を抑え、なじみ深い仮面をつけた。姫君のわがままには従いつつも、きちんといさめる執事気分である。


「いやぁー、さすがにこっからUターンするには距離あるしなぁ。それにティアラはんは明日、屋外ライブのリハが午前中からあるやん? はよう休ませんとワイがティアラはんのマネージャーに怒られるんやで。これでも名目上はサブマネージャーやからな」

「いいから戻りなさいよ! あのヤブ医者に直接問いたださなきゃおさまりがつかないわ!」

「ナイトはん寝てるんやし起こしたらアカンやろ。ワイもはよ帰りたいんやで」

「タクシー使うから降ろして」

「未成年の女の子にそないなことできるわけないやん。ティアラはんを家に送り届けるのがワイの仕事なんやし、元を正せばナイトはんの命令なんやで?」


 ぐっと言葉に詰まった呻きが聞こえた。唇を噛みしめ、反論の余地を探しているようだ。ハクは自身の勝利を確信しつつも、気を抜くことなく次の言葉を待った。

 そこへそれまで黙っていたドロップが突如として参戦する。どこまでも無神経な声が車内に響き渡った。


「ってことは今からティアラさんの家へ行けるんスか!?」


 予期せぬ発言にハクは言葉を失う。は? と聞き返すことすらできなかった。

 なぜ自ら火の中へ飛び込むのだろう。誰に仕向けられたわけでもなく、火中の千円札を拾おうとする愚かさだ。しかも事前にガソリンを被るという念の入れよう。

どれほどのお人よしであろうと自ら谷底へと転がる者を助けたりはしない。そしてハクは自他ともに認めるお人よしからほど遠い人物だ。

 当然のようにティアラは怒りの矛先を向けた。怒りで我を忘れそうなほどのティアラでさえ、憤怒とは真逆の冷たい怒りでぎ払う。


「とりあえず助手席の馬鹿、つまみだしてくれる?」

「せやな」損得勘定するまでもなく同意する。

「すんませんっした! せめて高速道路で捨てないでくださいっス!!」



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