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【三日目午後】私室 その③

「え――?」


 流れ星が駆け抜け、狂気が霧散する。

 ドロップは信じられないものを見る顔をした。

 ウィザードは目を開き、喜びを隠せない顔で見つめた。


 艶やかなな黒髪を揺らし、佇むは一人の少女。

 想定外の人物の登場にドロップは驚く。そして想定外の格好をしていることへさらに驚いた。


 青をベースに幅の広い黒のレースリボンを首の後ろで結んだホルターネックのキャミソール。同じ色合いでウエストラインの低いローライズタイプのショーツを合わせた艶めかしい服装だ。美少女と美女の良いところだけを融合させた絶妙なバランスを保っている。

 さらに特筆すべきは彼女の握りしめている物だ。体の前で重ねた両の手には細い鎖が四本握られており、充分な余裕をもって手首と足首にそれぞれ繋がっている。


 ドロップは驚きのあまり、必要の無い確認作業を行った。


「ナ……ナイトさん?」

「うん、私だよ。ドロップとは12日と3時間17分前に会って以来だから、久しぶりになるのかな?」

「ま、まあそうっスね」

「ウィザードを解放して」

「了解っス!」


 逡巡しゅんじゅんする間もなく従う。自身の感情よりも優先されるべきは上司の命令だ。

 拘束が弱まるのと同時にウィザードは腕を抜く。キャスター付きチェアーの上に畳んで置いていた清潔な白衣を広げ、ふわりとナイトを包み込む。片膝をつき、白衣のボタンを二つ留めると深々とこうべを垂れる。


「我が命の恩人よ。かような姿を好奇の目に晒す行為をさせてしまった事を心より謝罪しよう。生涯をかけて償いたい。どうか貴女の傍らで贖罪しょくざいの日々を与えてくれまいか」

「治療目的なんだし気にしてないよ? 一般的な病衣とはちがうみたいだけど」

「いついかなる時も貴女は美しい。なればこそ貴女に相応しい服を見繕うのも我が使命。うつ伏せでも快適さを損なわないノンワイヤーにもこだわっている。背面を広くカットしたデザインを優先的に採用しており――」

「そうなんだー。すごいねー」

「あの、ちょっといいっスか?」


 困惑気味のドロップを無視したまま、ウィザードは延々と語りかける。その変貌ぶりは違法薬物が程よく効いているかのようだとドロップは思う。

 ウィザードにはナイトの姿しか認識できなかった。彼女を見上げ、胸いっぱいに彼女の匂いを吸い込み、吐息の代わりに彼女への愛の調べを奏で続ける。


「ナイト、ああなんと美しい声だろう。どうかその声で私の鼓膜を撫でてくれ。先刻から聞くに堪えない罵声によって気分がすぐれない。我が白衣の天使よ、安らぎと救済を与え給え」

「シカトやめてくんないっスか!」

「ごめんねー。ウィザードはこれが標準だからー」


 さして困った風もなく微笑むナイト。あしらうというよりも、幼子をあやす保育士のようであった。

 ドロップは無視されるならばこちらも無視するまでと考え、話の通じるナイトと会話をする。


「とりあえずナイトさんが無事で、ウィザードさんは裏切り者じゃないってことでいいんスよね?」

「うん。合ってる合ってる」


 全身の力が抜けていく。頭を抱えてうずくまりたくなった。こんなにも単純な確認作業を行う為にどれほどの労力を割いたことか。

 結果として最も平和的な結末に辿り着いたにも拘わらず疲労困憊こんぱいであった。

 崩れ落ちそうな膝を支え、顔を上げる。文句の一つでも言わなければ収まりがつかなかった。


「ウィザードさん、紛らわしいこととかマジでやめてほしいんスけど! なんで違うって言わないんっスか! 俺がバカなの知ってるっスよね!?」

「…………」


 ドロップからは見えないが、ウィザードの表情は煩わしいと言わんばかりである。ナイトが優しくウィザードの肩を叩く。すると不満気ながらもウィザードは立ち上がった。当然のようにナイトの腰を引寄せ隣へ立たせると、わざとらしく鼻を鳴らす。傍から見ればヤンキーに絡まれた彼女を助ける恋人、の構図であった。無論、全て偽りである。


「貴様へ誤解だと言ったところで納得しないだろう。何故見苦しい言い訳をしなければならない」

「だからってムカつく言い方しかできないんスか!」

「まあまあ二人共、積もる話はリビングでしようよ」


 ナイトが仲裁し、毒気を抜く。軽やかな足取りでドロップへと歩み寄り、穏やかに微笑んで見せる。


「ここ最近ずーっと同じ話し相手しかいなくて新鮮味に欠けてたんだよね」


 ごく自然な立ち振る舞いを装って、彼女の手が机上へと伸びた。彼女の狙いは彼女にとって未知の代物。服用したいかではなく、純粋な好奇心によるものだ。

 刹那、ウィザードがナイトの手を掴む。同時にドロップが薬物の入ったポリ袋を鷲掴み、ナイトから遠ざけた。


「これはいけない」

「ダメっス」


 ナイトはあからさまに頬を膨らませ、唇を尖らせる。


「まだ何もしてないじゃん」分かりやすく不満げな声だ。

「ナイトには不要だ」

「俺が各メンバーから百回くらい殺されるんでマジ勘弁して下さいっス」

「せっかく面白そうな物を見つけたのに……」


 空いている手を今度は床に落ちている陶磁器の欠片へと伸ばす。しかし同じくウィザードによって阻止された。

 極めて優しい声音でウィザードは語りかける。


「ガラス程ではないにせよ割れた陶磁器もナイトの手を傷つけてしまう恐れがある。決して素手で触るべきではない。特に今のナイトは素足なのだから立ち入ることも許しはしないぞ」

「だって毎日退屈で仕方なかったんだもん。これくらいいいじゃんか」

「大変心苦しいが危険に晒すわけにはいかない」


 舞踏会のダンスフロアへ誘うようにナイトの手を引く。ナイトは導かれるままに歩を進め、成り行きに身を委ねた。激しい抵抗をしてまで得たい暇つぶしでは無かった為だ。ドアの前まで移動し一度手を離して向かい合う。ウィザードがそれぞれの手の平を重ね合わせて指を絡ませる。一度だけドロップの方へ顔を向け、素早く指示を出した。


「私がナイトを押さえている内に片付けを。そこの棚の、ああそこだ。右から三つ目の引き出しにある物を使え」

「ういっス」


 引き出しに入っていたのはマイクロファイバークロスと小型クリーナー。クリーナーは掃除機の吸い込み口に取っ手をつけたデザインで、コードレスタイプであった。シンプルなオンとオフのスイッチで直感的に使い方を理解する。


「これ、コーヒーカップとコーヒー吸って大丈夫なんスか?」

「知人に押し付けられた試作品だ。壊してしまってもなんら問題はない。それよりも急いでくれ。ナイトと指を絡めあい、手首を重ねていると認識するだけで理性が吹き飛びそうだ」

「もっとマシな方法取れないんスか!」


 悪態を吐きながらもせっせと作業に従事するドロップ。破片を取り除き、クロスでコーヒーを拭き取る。叩きこまれた下っ端根性が丁寧な仕事ぶりを発揮していた。


「終わったっスよ。この布どーすればいいんスか?」

「貴女の瞳から目を離せない。ナルキッソスは水面に映った自身の姿に恋をし、離れる事ができずに衰弱死したという。私も似たようなものだ。貴女を見つめ続けていたい。それなのにごうにまみれた我が身は、こんなにも美しい人を前にして邪まな感情ばかりを煽動する。独占したい。私だけのものにしたい。貴女が溺れてしまうほどの愛欲を注ぎ続けたい。だが許される訳がない。許されるべきではないのだ。ああなんという魔性の瞳なのか。理性だけが吸い込まれていくようだ。貴女が瞳を閉じようともその魅力は変わらない。無言のままに私を唆す。ナイト、私は、私は!」

「ナイトさん、そろそろなんとかしたした方がいいっスよ」

「ウィザード、お掃除終わったって」


 予想に反し、指に力が込められる。涙を誘うような哀愁を漂わせ、長ったらしい愛の言の葉を続けた。いうまでもなく純愛とはかけ離れている愛だ。


「ナイトの自由を奪うというこの背徳感。心苦しいながらも罪深きこの手は欲望のしもべのようだ。ナイト、どうか今しばらくこのまま……」

「私、喉渇いた」


 瞬時に拘束が解かれた。すぐ隣のドアを開け、たおやかな仕草でナイトを誘導する。至って紳士的な振る舞いが殊更芝居じみていた。


「オレンジとミントのフレーバーティーを用意しよう。さあリビングへ」

「ドロップが床を拭いたクロスどうする? って」


 まだそこに居たのかと言わんばかり表情でドロップの方を見る。露骨な態度にドロップは呆れながら肩をすくめた。


「畳んで汚れた面を上にし床に置いておけ。それと手を洗浄するまで壁やノブをみだりに触れてくれるな」

「りょーかーいっスー」


 指示通りにクロスを片付け、ナイト共にドアをくぐる。交わった視線をきっかけに率直な感想をもらす。


「めっちゃ面倒で面白い人っスね」

「でしょー。怖がらず楽しくおしゃべりしよーね」



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