【三日目午前】紅竜満福飯店 その②
Bonne journee.(仏)
良い一日を。
対峙する二人は揃って頷いた。和やかに食卓を囲む体を崩さず、ティアラからの話を聞き入れる。実のところドロップは何故この三人で遅めの朝食を食べているのかさえ分かっていなかった。ハクからはスノーの指示があったとだけ聞いており、それ以上のことは知らず、ここで待機していたのだ。
「アンタ達がどこまで聞いているか知らないけど、一昨日アタシ達を車で尾行してきた人物を確保したわ。けれどその人物は私のライブについては何も知らなかった。つまり小柴 俊也を唆した人物は別にいるわ」
「その人が嘘ついてる可能性とかあるんスか?」
「絶対と言い切ってはいけないのだけどまずありえないわね。アタシが徹底的に吐かせたんだもの。知ってることなら全部教えてくれたんじゃないかしら。まあ念の為ハクに再確認してもらおうとは思っているわ」
「ティアラはんが容赦ないのはよう知っとるで。ワイがやっても無駄骨やろ。折る骨残っとるん?」
「骨ならたくさん残ってるわよ。アタシ、腕力はそこまでないもの」
ドロップはずるずると音を立てながら麺をすする。昨日の小柴 俊也の惨状が脳裏をよぎるが食欲が削がれるほどではなかった。一晩寝てしまえばそんなこともあったと霞がかった感情しかわかない。その程度のこととして分類されていた。今は新しい情報と美味しいラーメンを楽しむ方が有意義である。
「ティアラさんもそーゆーのできるんスね」
「アンタが教わっていることは他のメンバーも一通りできるわよ。もちろん向き不向きはあるけどね」
「せやせや。向き不向き、適材適所。小柴はんに接触した人物はどーせネット経由や。そしたらスノーはんにお任せでええやん。今、派手にストレス発散しとるし、お遊びの片手間特定しているんとちゃう?」
ハクの見上げる先には埃の被ったテレビがあった。朝のワイドショーが放映されている中、気象庁のテロップが繰り返し大雪を伝えている。アナウンサーが原因不明の誤報に対し、かわいそうなほど何度も謝罪を述べていた。
「もう放送止めたらええのにな。かえって混乱を招くっちゅーに」
「まだスマホの回線も重いっス。SNSなんかパンクしてるっスよ」
「道すがら軽く見てきたけど交通網は軒並み麻痺しているわね」
「朝のラッシュに直撃やもんなぁ。この後の仕事は午後の方が動きやすそうや」
ティアラが手を止め、ハクを見つめる。高潔なプライドが邪魔をすることはあっても言うべき言葉は投げやりにしない。誠意ある瞳が美しい。
「頼んでおいて言う台詞じゃないけど、休みなのに悪かったわ」
「ワイの専門は医者みたいなもんで割込みはしょっちゅうや。今回の処分は一人なんやろ? そしたらドロップは休みでええし、何も気にすることないで」
「いいんスか? 手伝うっスよ?」
「休み言うたやん。ストッパー役も必要あらへんしノープロブレムやな」
何かを察したドロップは口いっぱいに揚げ物を頬張った。噛むたびに肉汁が溢れ出る。スープに浸かっていたいた部分はしっとりと、浮いていた部分は揚げたてのサックリとした触感で、楽しさ溢れる二種類の幸せを運ぶ。それだけでドロップはこれから処分される顔も知らない人物を思う気持ちを失った。興味はすでにトロリと黄身を潤ませる煮卵へと移っている。
ドロップよりも理解の深いティアラもまた眉一つ動かさない。炒飯を上品に食し、水を飲む。それから思い出した出来事を補足した。
「そうそう、どうせアタシの報告書を読んだら分かることだから先に言っておくわ。ハク、今日の廃棄物はアンタの一番嫌いなタイプだから」
「ほーん? ティアラはんなら知ってると思うけど、ワイは人の好き嫌いそんなにないで? 博愛主義のハクやし」
「博愛主義ってなんスか?」
「広く誰をも愛するってカンジ」
「あー、まあそっスねー。ハクさん人によって態度変えたりしないしフレンドリーっスもん」
「アタシは薄情者のハクだと思ってるけど」
「ひどい言われようやな」
軽い調子で笑い飛ばすハク。しかしティアラによってもたらされる情報によってその笑みは瞬間的に固まった。
「卑猥な動画撮影して脅す輩、嫌いでしょ?」
笑みをそのままに温度だけが氷点下まで急落する。今までの表情がすべて作り物だったと思わせるほど、表情に色が無い。その場の温度までも下がったような錯覚が足元から這い上がる。
ハクはどこか違う景色を眺めているかのように瞳の焦点が定まらないまま、淀みなく話す。
「そういう奴らは人でも植物でも動物でもあらへん、ただの外道や。外道を愛すのはその他を愛さないっちゅー意味になってまうやろ。せやからワイが外道を愛さないと誓っているのも一種の愛情表現やで。……あぁアカンな。ティアラはん、その話ホンマ?」
「仕事絡みの報告で嘘つかないわよ」
「せやなぁ。ティアラはんはさすがや。ワイのことよう分かっとってホンマ嬉しいわぁ……。ホント――世の中クズばっかりで反吐が出る」
無機質な声。ドロップは寒気を覚えながら懸命に普段通りを取り繕う。横目でちらりと確認すると、ハクは箸を割ってチンジャオロースをつまんでいた。盆の上に転がっている折れた箸については見なかったことにする。
「ハク、標準語」短い指摘。途端に空気が軽くなった。
「おお、うっかりうっかり。ナイトはんには秘密やで?」
「その程度の失言、いちいち報告書へ書いてられないわよ。もう下書きはできてるようなものだし」
「さっすが仕事早いなぁ」
「できることならナイト様へ手渡ししたいもの。随分お会いしていないから寂しくてたまらないわ。報告、喜んでくれるといいのだけれど」
「ナイトはんの暇つぶしにはなるやろ。まあ、ちょいとばかし気が重いのは否めへんけどな」
確かにと、ティアラが同意する。場の雰囲気はすでに元通りだ。
二人の意図が汲みきれないドロップだけが首を傾げる。
「面白い報告ならナイトさん喜ぶじゃないっスか」
「せやけど今回、まったくナイトはん関わってないやん? めっちゃ拗ねるで」
「不機嫌なナイト様も魅力的よね。見ている分にはいいのだけれど」
「見とる分なぁ。スノーはんに無茶ぶりさせるナイトはんとか愉快やわ」
「ヤブ医者を生かさず殺さず弄ぶナイト様の無邪気っぷりときたら最高よ」
「あのどこまでが計算か分からん奴な」
軽口が積み重なっていく。ドロップはどこまで同意すべきか掴みかねている。曖昧に笑い、話を聞きつつも食べることに集中することにした。しかし頭の中では何かが引っかかっているような感覚が拭えない。どうにも落ち着かず、記憶をひっくり返しながら現状を分析した。
一連の出来事は情報屋たる自分達の思惑通り。昔の自分ならば今頃満員電車へ押し込まれ、いいように踊らされる操り人形であっただろう。それに比べて今はどうだ。裏で糸を引く優越感のなんと甘美なことか。
心地よさの中にいてなお落ち着かないのは昔の名残かそれとも――。
それとも、まだ糸が切れていない?
自然と食べるペースが早くなる。使い勝手の悪い脳へエネルギーを送り込む。
知り得た情報を時系列に並べて色を塗る。誰が一番黒くなる? 誰が一番得をする? 分からない。分かれ。分からない。
抜けきらない惰性が諦めろと腕を引く。どうせ頭の良い奴には敵わない。割を食わずにラーメンを食べている今が上々だと。
ドロップは甘言を振り払う。ふざけるな。今さえ良ければ良いというその考えで何度痛い目を見たか。その程度の記憶力失くして情報屋が務まるわけがない。
暴食の果てに残されたのはスープのみ。一瞬だけ苦言を呈する闇医者の表情を予測できたが構うものかと断じる。これは必要なエネルギーだ。
箸を置き、両手で器を持ち上げ口をつける。ごくり、ごくりと喉を鳴らし、スープで胃を満たすように流し込む。
最後の一口を飲み干すのと同時に、忘れていた呼吸を一つ。ずいぶんと軽くなった器を机上へ置いた。
「おー。えぇ食いっぷりや」
ハクが心底嬉しそうに言い、ドロップのコップへ水を注ぐ。
「あざっす!」
こちらも一息に飲み干す。小さくなった氷も口に含み、噛み砕く。口の中から全身へと沁みわたるように涼が広がった。
その様子を眺めていたティアラは驚きを隠せない。器の中にあったものがきれいさっぱり消えている。イリュージョンを見せられている気分であった。人体の神秘と小さく呟く。
「ドロップは遠慮なく食うのがええなあ。食べさせがいがあるで」
「ハクさんが旨い店教えてくれるからっすよ。マジであざっす!」
上機嫌な表情のまま、ハクが伝票へ手を伸ばす。ドロップが気付かないうちに彼も食べ終えていたようだ。
「ワイは雪やむ前に現場入りだけはせんとな。先行くで。ドロップ、ティアラはんをよろしゅうな」
「逆でしょ逆」
「頼りないかもしれへんけど、やる時はちゃんとやる男や。ほなまた」
ハクが立ち上がり、ドロップが続く。ドロップはその場で頭を下げ渾身の礼を述べる。
ハクはひらひらと手を振り、会計を終えると振り向くことなく店を出た。ピシャリとガラス戸が閉まり、店にはティアラとドロップが残される。
ティアラはマイペースに杏仁豆腐を口へ運ぶ。それだけでなにかのCMのように見えるほど美しい所作であった。ドロップは着席しスマホを取り出す。ときおりティアラの顔を盗み見つつ、彼女が食べ終わるのを静かに待つ。
「ごちそうさま」
カランッとスプーンが音を立てた。ようやくティアラの視線がドロップと交わる。発言を許されたような気がし、ドロップは自分なりに言葉を選ぶ。
「えーっと……俺、この後どうすればいいっスか?」
「好きに休んでれば? 休みなんでしょ」
「そっスけど、ティアラさんはアレっスか。ナイトさんのとこへ行ったりするなら送るっスよ」
「私はこの後、バラエティー番組の打ち合わせ。ドラマの番宣用ね。タクシーで行くからアンタは要らないわ」
「こんだけ道混んでるのに危なくないっスか?」
「本当に雪が降っているわけでもないし、渋滞に巻き込まれる程度よ。その方がアリバイ作りにもなるし好都合。車内で台本を読んで、報告書も作れたら充分有意義ね」
台本と聞き、ドロップが目を輝かせる。同意を示すべくしきりに頷いて見せた。
「さっすがティアラさん! めっちゃ考えているんっスね!」
散歩と聞いて喜ぶ犬を彷彿とさせる仕草にティアラは少しだけ可愛いとさえ思う。派手な染髪にギラリと輝くシルバーアクセサリー。動きやすさを追求したといえば聞こえの良いルーズなストリートダンスファッションスタイルも、何も知らない通行人なら目を伏せて道を譲ってしまいそうな見た目である。それでいて会話を重ねるとつい気を緩めてしまうほど彼の感情は理解しやすい。しかしながらティアラは小さな猜疑心を頭の片隅に留めていた。感情に左右され公正な情報を見誤らない為という大義名分ももちろんであったが、最もの理由は彼の背後にハクの影がちらつくからである。
ドロップはナイトが直接スカウトした人材ではない。ハクが仲介人になっている。曰く、仕事を失い途方に暮れていたところ、以前の職場の先輩であったハクと再会し泣きついて離れなかったのだという。話を聞くだけで当時の光景が鮮明に思い浮かぶ。ドロップならば土下座はもちろん、足にしがみついてでも縋りついただろう。そしてハクもまた年下には甘い面がある。ダメ元でナイトへ掛け合ってみたところ、準メンバーという条件付きで雇用となったらしい。
つまり汚れ仕事を請け負う男が見込んだ男がドロップだ。ティアラはハクの過去を全て把握しているわけではないが、陽の当たる場所には出られないような人間だろうと察しはついていた。ゆえにドロップもまたそれに準ずる裏があるのではないかという推測に至る。
「俺、ドラマの続きめっちゃ楽しみにしてるんスよ! せっかくなんでキススキの一話から見直しとくっス! No.2のデータ内に録画があるらしいんで!」
ティアラは思わず微笑んだ。推測は本当に片隅に留めるだけでいいと改めて思う。
彼はまだ濱千代 百重のことを知らない。ドラマが打ち切りになることも当然分からないからこその発言だ。ティアラやハクの報告書を読んだ時、ドロップは一体どのような表情をするのだろう。想像するだけで口元が綻ぶ。
今すぐに公表して、快楽を得ることもできたが早生だと思い直し、取りやめる。代わりの言葉で精一杯優しくしたくなった。
「アンタは馬鹿でいた方が得するわね。口の利き方だけ気を付けて馬鹿でいなさいよ。もっと使える人間になったらアタシと組むこともあるでしょう。精々頑張りなさい」
ドロップは真意を測りかねていた。前後の会話の流れを思い起こしても今一つピンとこない。あまり質問を重ねるのも厭われるとは理解しているのだろう。核心をつく為、慎重に疑問を口にした。
「その……せいぜーって、ポジティブな意味でいいんスよね?」
予想外の返しにティアラは二度、瞬きをする。どうせ分からないだろうと侮っていた。ティアラの性格上、素直に激励はできない。精一杯の歩み寄りであった。
ドロップはそれを直感的に見抜く。ハクの教育の成果が実りつつあるのか、ドロップ本人の努力ゆえなのか、真相は定かではない。言葉遊びを楽しめる人間ならばこの組織に馴染めるだろうとティアラは思う。ついでに反省を一つ。自分に自信があるゆえに相手を侮りやすいのが自身の弱点だ。猛省しつつ、体裁の整った笑みで本心を隠す。
「好きに解釈してよくってよ」
「あ、あざまっス!」
アイドルの笑顔にまだ慣れないのか頬と耳が赤くなっている。垣間見える純真さが実年齢よりも幼く見せた。
「俺、タクシー捕まえてくるっスよ! ここでゆっくりしてて下さいっス!」
下手な照れ隠しだ。ドロップに続いてティアラも立ち上がる。マスクと帽子を身に着け椅子をしまう。
「長居するつもりもないし、一緒に行くわ」
「すぐ捕まるか分かんないっスよ。交通網麻痺してるからダメって言われるかもしれないっス」
「断るわけないわよ。この私を乗せるんですもの。渋滞していればそれだけ長く私と時間を共有できるのよ。むしろ運転手が是非にと名乗りを上げるでしょう」
「さすがっスね。じゃあ一緒に、えーっとお供するっス」
店を出てあたりを見回す。付近の交通量は少ない。大通りへと続く小道の脇に停車しているタクシーを見つける。
ドロップが声をかけると予想通り各所の虚偽規制による事故を懸念し、運転を控えていると返事をされた。交渉が始まるより先にティアラが歩み寄る。マスクを顎まで下げ、ウィンクを一つするとタクシーの自動ドアが開いた。言った通りでしょうと言わんばかりの笑みをドロップへ向けてからタクシーへ乗り込む。ドアが閉まる最後の一瞬、
「Bonne journee!」
流暢なフランス語が耳朶を打つ。虚を突かれたドロップが我を取り戻す頃にはすでに遅かった。車はすでに走り出している。それでもドロップは姿勢を正し、頭を下げる。
「あざまっス! おつかれっした!」
車の音が遠ざかり街の喧騒へ溶け込む。ドロップはゆっくりと顔を上げた。それからため息をつく。彼にしては珍しいことである。
いやに明瞭な思考の中、一つの回答が導き出されていた。少なくとも自分の中では反論の余地がない完璧な回答だ。憂うのはこの回答を見せる相手が気心の知れた先輩ではないということだ。先を考えると頭の痛いことばかり。だがやらなければならないのだろう。
縁石を椅子代わりにしゃがみ込み、煙草を取り出し火をつけた。へなりと曲がり、くたびれた様子の煙草は消費され捨てられてしまう運命だ。自分の未来と重なった気がし、今度は自分の意志でポイ捨てをしたくないと思う。
ため息が紫煙と共に吐きだされ、空へと上っていく。心の中で手を振って見送った。ティアラからのアドバイスが胸に沁みる。
「……ホント、俺はバカでいた方が良かったかも」




