【一日目夜】Q局ラジオ館前 その①
Q局ラジオ館前。正面ゲートから50メートルも離れていない路肩に一台の乗用車が停車していた。エンジンは動いたままだ。エアコンがなければ汗ばんでしまう気温のせいだろう。黒塗りのボディが低く唸るエンジン音さえも夜の闇へ溶け込ませる。どこか遠くから聞こえる都会の喧騒の方が大きく感じる程だ。
後部座席は窓に濃いスモークフィルムが貼ってあり中の様子は窺えない。前部座席は目立った改造も無く、運転席と助手席へそれぞれ座る二人の男の様子が見て取れた。正面から後部座席を見せないように薄いカーテンが車内の前後を仕切っている。車に対してさして興味を持たない人間でも、何らかの要人を送迎する為の車であろうと容易に予測できた。
運転席へ座る男は車の値段に釣り合わない風貌をしている。免許を取得してから5年も経っていないであろう、やんちゃとも形容できる若々しい盛りの顔つき。くすんだ金髪をワックスで四方八方へ尖らせ、ちらりと覗かせる耳元から自己主張の激しいシルバーのピアスがいくつも確認できた。少しでも動けばジャラジャラと耳元で騒ぎ立てるはずだが、当の本人はさして気にした風もなく頭を左右に振って首のコリをほぐした。
『あなたと贅沢な時を歩む時計――ティンダロスが21時をお知らせします』
カーステレオから流れるラジオの時報に合わせて金髪の男が欠伸をする。手で覆いもせず大きく開かれた口内で銀色の光が反射した。
「はー……暇っスねー」
舌先に付いている銀のピアスは男が口を開くたびに見え隠れする。そして当然とも言うべきか喫煙者特有の匂いを同時に撒き散らす。人を見た目で判断してはならないと考える品行方正な人間ですら言葉を濁してしまう程の典型的な輩である。
そんな男の何気ないぼやきに、助手席へ座っている男がやんわりとたしなめた。スマホを操作する手を止め、煩わしそうな声で建前をなぞる。
「これも仕事の内や。肩肘張れとは言わへんけど緊張感なくしたらアカンで」
「ういっス」
助手席へ座る男は金髪の男よりも明らかに年上であった。髪を後ろへ撫でつけ、量販店で購入したであろうカジュアルなシャツとジャケットに身を包んでいる。これといって特徴の無い見た目だ。しかし灰色の陰りを帯びた瞳は濁った光しか映さず、悪い意味で一般人とは異なるオーラを放っていた。取ってつけたような西の訛りもイントネーションからしておかしく、殊更胡散臭さを滲ませている。
第一印象の違いはあれど、二人からは共通したアウトローのにおいを感じさせた。そんな二人が並んで座っているだけあってか、傍らの歩道を通りがかった人々は目を背けて足早に過ぎ去っていく。助手席へ座る男は歩道側に面していることも手伝って通行人の動向を気付いていた。しかし何の感慨も湧かない。いつもと変わらない見慣れた光景であった為だ。
運転席のシートが軋む。金髪の男がシートへ体を預け、両手を枕代わりに組むと独り言の延長を漏らした。
「待機の仕事って楽だから文句ないっスよ。この間は忙しすぎてマジで死ぬかと思ったし」
「それは自分がスケジュール調整ミスったせいやろ。ナイトはんは笑っとったからええけど気ぃつけや。依頼取ってこれる人脈はあってもキャパオーバーするんなら意味ないんやで」
金髪の男はバツの悪そうな顔をして組んでいた手を下ろす。シルバーのピアスを指でいじりながらポツリと謝る。
請け負った仕事のいくつかがほぼ同じ提出期限に重なり、彼のキャパシティーを超える事態へ発展してしまったのはつい先日の事だ。幸い他のメンバーは手すきでなおかつ組織のボスであるナイトが率先して仕事を引き取ったおかげでどうにか間に合わせることができた。
組織では無理のない仕事の割り振りがなされているにもかかわらずこのような事態になったのは、彼が二つ返事で個人から仕事を引き受けていた為だ。個人営業自体に非はないものの、他の仕事に差し支えるのならば話は変わってくる。当然各方面からこっぴどく叱られた。ほとほと身に染みたことだろう。
助手席の男はそれ以上小言を繰り返すつもりはなかった。二人が扱う商品は『情報』という漠然かつ値段が常に変動する代物だ。目には見えない商品を期限までに用意し販売する。その難しさはこうして新人を世話する立場になるまでに男も幾度となく痛感していた。隣に座る彼には今回のミスもいい勉強になっただろう。むしろそういった事態を引き起こさない為に自分がしっかりしなければと気を引き締めるいいきっかけになったと言ってもいいくらいであった。
男が心の内で結論づけていると、金髪の男は取り繕うような明るい声で会話を続ける。
「にしても先輩方はやっぱ違うっスわ。ナイトさんもすげぇ速さで仕事終わらせてビビったっスけど、ハクさんも流石すぎっスね。ほら先週、俺があの手この手で口を割らせようと手こずった奴いるじゃないっスか。そいつ、ハクさんに渡したら5分で全部吐いたって聞いたっスよ! 俺マジですげぇって思ったっス! 俺の見てない所で何やったんスか?」
「その発言、ワイの報告書読んでませんって意味やけど怒ってえぇ?」
ハクと呼ばれた男は助手席へ体を預けたまま視線だけを向けた。睨みを利かせたわけでもないただの流し目であったが、金髪の男は慌てて弁解を始める。
「俺、今、自分の報告書やって、まだ他の仕事できてないっつーか、えっと、その、はい! まだ読んでないっス! 無駄なこと訊いてさーせん! 反省してるっス! だからキレないでくださいっ!」
「まだ怒ってへんよ」
「まだって時点で怖いんスよ!」
ハクは嘆息し、目尻を下げた。目の前の小動物じみた後輩の先行きが思いやられる。さながら出来の悪い息子の将来を憂う母親の心境であった。
さて、どうしたものか。
これが最近、脳内の口癖になっている。叱りはすれど怒りはしないをモットーに掲げている教育係のつもりだ。相手の体面や成長を慮るというよりかは無駄なエネルギーを消費したくないという消極的な理由であったが。
「ドロップはホンマ喋るとダメやなぁ。口は禍の元って言いよるけどその通りやわ。口から災厄生み出しとんのとちゃう?」
「確かに最悪っス! 特にスノーさんとか俺に黙れしか言わないんスよー。最悪っスわー」
「ええから黙っとき。アホなんバレるで」
「? ういっス」
ドロップと呼ばれた金髪の男は素直に口を閉ざす。足を組み、窓の向こうへと視線を投げかけながら、再びラジオへと耳を傾けた。ドロップがここまで素直に言うことを聞いているのはハクが築き上げた信頼と上下関係の賜物である。彼は往々にして人の言うことを聞かなかった為に社会から弾きだされた異端者だ。多少は丸くなった今でも良識人から口出しされるのを嫌い、助言を矯正と訝しみ聞き入れない。困ったちゃんと呼ぶには可愛げのない後輩であった。
ハクは再び手にしていたスマホの操作へ戻る。
おだやかとも呼べる沈黙の中、ラジオパーソナリティの声だけが取り残された。夜に相応しい落ち着いたBGM。丸みのある女性らしい声でゲストの紹介を始めるところであった。
『本日お越しくださったのは現在放映中の人気テレビドラマ、キスの代わりにスキと言う、のメインキャストを務めている俳優の濱千代 百重さんとアイドル兼女優の宝ノ木 姫華さんです』
「うぉお!? 姫華っスか! マジで!!」
勢いよくドロップが上体を起こす。気だるげな雰囲気を吹き飛ばし、目を輝かせながらカーステレオのボリュームを上げた。
心底嬉しくて仕方がないらしい。黙れと言われたことも忘れ、唾を飛ばすほど興奮した声でハクを呼ぶ。
「ハクさんハクさん、やべぇっス! これQ局ラジオっスよ! 生放送! そこの建物の中に姫華がいるっス!」
「せやなー」
「あれ? ハクさんテンション低くないっスか? アイドルとか好きっスよね?」
「んー? ……可愛い女の子は好きやで」
「姫華めっちゃ可愛いじゃないっスか!」
ドロップはここぞとばかりに捲したてる。
宝ノ木 姫華といえば今や日本のみならず世界が誇るスーパーアイドル。可愛らしさと美しさを兼ね備え、グループに所属することなくアイドル界の頂点へ上りつめた実力者だ。
歌を歌えば万人を虜にし、モデルとして広告を掲げれば誰もが目を奪われる。さらに幼い時から子役として活躍している経験も生きて、その演技力は有名監督、大御所役者からの折り紙つき。その上日本人とフランス人のハーフという持って生まれた美しさは年月を重ねるごとに磨かれており、まさしく非の打ち所がない。
語りだせばキリがないほど宝ノ木 姫華というアイドルは魅力的であった。
ドロップが姫華のブロンドヘアーの輝きについて語り始めたところでハクは笑う。
「熱心なファンやなぁ。そないに姫華好きなん知らんかったわ」
「逆に嫌いな奴の方が少なくないっスか?」
「そうでもないやろ。姫華はちぃとばかしキツイ面あるやん? 子役時代からのアンチもおるで。ドロップは平気なんか?」
「俺は全然よゆーっス。可愛い系アイドルみたいに裏がありそうとか考えなくていいし、ほら常盤 咲幸とかあの辺のあまい系。あーゆーのは絶対隠れてカレシいるっすからね、無理っスわ。姫華は子役の頃から好きっスよ。俺もガキだったんで大人にずばずば言える姫華がかっこよく見えたっス。今だってツンって澄ましてるキャラ、受けがいいじゃないっスか。ドM系からはもちろんっスけどドS系からだってズタボロにしてやりたい女ナンバーワンっスから。人間って大体ドMかドSらしいんでその両方のツボ押してるならサイキョーっスよ。国士無双っスわ!」
「せやな。ラジオ聞こえる音量で喋ってくれるとありがたいんやけど」
「さーせん!」
ビシッと敬礼をしドロップなりの誠意を示す。どうせ何かのドラマで見たモノの模倣だろうとは思ったが指摘するつもりは無かった。一先ずの落としどころをつける為に自身の中にあった感情の上澄みを言葉にする。
「ま、姫華アンチやのうて安心したわ」
「うっス! アンチの反対のアンチなんで!」
「やっぱアホなんバレるから黙っとき」
「ういっス! さーせんした!」
大仰なほど頭を下げてからドロップはハンドルを抱き込むようにもたれ掛かる。スピーカーに顔を近づけ、視線はカーステレオに釘付けだ。あたかもその中に姫華がいると思っているかのようである。そんなドロップを見つめるハクの表情には微笑ましさ以外の陰りが見えた。それに気付く者はいない。正面に居るのは口しかないラジオ。誰の視線も物ともせず語り続けばかりだ。
『キスの代わりにスキと言う、通称キススキはみよしちなみの少女漫画が原作。女子高校生の一条 早苗の担任として現れたのは数学教師の東堂 誠。彼は早苗が幼少期に淡い恋心を抱いていた初恋の相手。偶然の再会に早苗は運命を確信。しかし東堂にとっては昔、世話を焼いた女の子という認識しかなく早苗の猛アタックを優しく受け流す。大胆一途、ちょっぴりわがままな早苗が恋に奮闘する姿はとっても魅力的。そして実はすでに早苗が好きで好きで仕方ない東堂が理性と戦いながら毎夜妄想に悶えるというコミカルシーンも好評を博しております。――お二人は今回が初めての共演とお伺いしておりますが、お互いにどういった印象をお持ちですか』
『では、僕から』
低い男の声が聞こえるなり、ドロップが露骨に嫌そうな顔をした。目には見えない犬耳としっぽが項垂れる様がハクには見えてしまった。ひっそりと笑いを噛みしめながら納得と同情を胸に抱く。
濱千代 百重はモデルから転身したルックス重視の俳優だ。芸能活動を始めたのは大学在学時からで今年でもう三十四歳の中堅。落ち着いた大人の爽やかさと大学時代に培ったという社交性を武器に多くの女性を魅了する。数学教師という役作りの一環で現在は眼鏡を着用しており、それもまた新たな層のファンを掴んでいた。彼をイメージキャラクターとして起用したメンズアパレルブランドGOWの流行も彼の人気を証明する指標になるだろう。
以上の情報を踏まえてドロップと照らし合わせてみると、当然というべきか全くと言っていいほど共通項は無い。
そんな濱千代 百重が演じる東堂へ、役とは言えど姫華が熱烈な好意を寄せているのは面白くないだろう。充分に頷ける感情だ。
不満げに唇を尖らせながらもドロップは黙ってトークを聞き続ける。
『最初、ヒロインの早苗を姫華さんが演じると聞いて、大丈夫かな? という一抹の不安がありました。姫華さんが悪いという意味ではないんですよ。ただ、宝ノ木 姫華というアイドルの印象が強すぎるあまり、僕や他の出演者の皆さんも姫華を早苗として見れないのでは? という不安です。けれど台本読みの初日でその不安は吹き飛びました。演技を演技として感じさせないナチュラルな雰囲気があって、僕の隣に早苗がいたんです。姫華からのギャップもあって、不覚にもドキドキしてしまいました。この歳にもなってと自分でも呆れてしまいましたよ。けれどそのドキドキが妄想シーンの時にとても役立ちましたね』
『ありがとうございます。姫華さんはアイドルだけあって人の心を鷲掴みにできるんですね。それでは濱千代さんの印象について姫華さんへお伺いいたします』
心地よい風が吹くように息を吸う音が聞こえた。