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19/30

【二日目深夜】お楽しみ部屋

Ca capte mal, je ne vous ai pas entendu.(仏)

電波の状況が悪いので、聞こえませんでした。

 水の流れる音がした。ベッドルームとガラス一枚を隔てた隣にあるシャワールームからの音だ。視界は暗い。首を振っても目隠しは外れなかった。

 ベッドに横たわったまま、おぼろげな記憶を辿る。いつの間に気を失っていただろう。与えられた苦痛の名残が今なお鮮明だ。それほど時間も経っていないかもしれない。夜明けすらまだ迎えていない気がした。


 シャワーの水音が止まり、代わりに上機嫌な歌が聞こえてくる。曲名はビターステラ。あからさまな嫌がらせとしか思えない。

 本音を言ってしまうと、ビターステラという曲を初めて聴いた時から嫌いであった。目新しさもないありふれたJポップ調へ宝ノ木 姫華というキャラクター性を詰め込んだ曲のどこがいいのか。聴いている方が恥ずかしくなる痛い歌詞は誰かが途中で異議を唱えなかったのかはなはだ疑問である。ファンだけが喜ぶキャラクターソングをドラマの主題歌にするという傲慢さも鼻につく。せっかくのドラマCMも台無しだ。


 歌声は驟雨しゅううのごとき水音にかき消された。雨の降り始めと同じだ。前触れなく降り始めいつまで続くと分からない。このままずっとやまなければ二度と会わずに済むのにと叶わない望みが胸を締め付けた。

 ふいに音が止む。キュッと蛇口が閉まる音が響いた気がした。


 ドアが開き、湯気に乗った暖かな華の香りがあたりを漂う。衣擦れの音はタオルかバスローブだろう。

 水気の含んだ足音が近づき、ベッド前、すなわちすぐ傍にまでやってきた。反射的に身体が戦慄わななく。先程までの行為によって刻まれた恐怖を全身が覚えていた。


「あぁ……起きてたんだ」


 声が降ってくる。体を庇おうと咄嗟に腕を振るうが、重い金属音がそれを制す。Yの字で固定された体は肘をわずかに曲げるだけで精一杯であった。

 短い嘲笑が一つ。思わず自身の声かと錯覚しそうになる。彼もまた、このベッドへはりつけにされた人物を何度も嘲笑ってきた。

 彼女がベッドに腰かけたのだろう。ベッドが軋む。


「濱千代さんって随分とサディスティックな趣味をお持ちだったのね。拘束具のついたベッド、安眠用とは思えないアイマスク、鞭に蝋燭なんかも定番ね。あとは口にするのもはばかられるものがちらほらと……。マスコミが涙を流して喜びそうだわ」


 拘束されていたのは濱千代 百重だ。逃げ場のない完璧な設備を持つお楽しみ部屋の主は逃れられない絶望をその身をもって味わっていた。安全性など考慮していない、緊急時に拘束が外せるような中途半端なSM部屋とは一線を画している。何もかも知っているが故に万に一つの救いもないと理解していた。

 濱千代は唇を噛みしめる。ふつふつと怒りが湧いてきたのだ。


「こんなことをして……ただで済むと思うなよ……」

「あら? 先程まで泣いて許しを請うていたのに、もう忘れてしまったの?」


 トンッと鼻先を軽く叩かれる。それは姫華の人差し指で行われた何気ないスキンシップであったが、濱千代の反応は顕著であった。

 記憶がフラッシュバックする。叫び、手足をばたつかせ、まさに火のついたような暴れぶりだ。

 怒りと恐怖が頂点に達し、昂った感情を爆発させる。


「嫌だ! なんで! ボクが! ボクは! 偉いのに! なんでなんでなんで! お前なんか! お前なんかぁああああああ!!」


 自身の勝利は確定していた。姫華は絶対に逆らえない。役の降板をネタに一度この場所へ引き込んでしまえば永遠に強請ゆすれるネタを作れた。

 しかし現実は違う。部屋に着き、姫華の体へ触れようと手を伸ばした瞬間に形成が逆転した。あっという間に押さえつけられ拘束されたかと思うと、およそ素人とは思えないレベルの拷問が始まったのだ。激痛が全身余すことなく襲い掛かり、喉を裂かんばかりの勢いで叫び続けた。


 濱千代は理不尽だと憤る。飼い犬に手を噛まれるどころではない。牙どころか歯向かう気力さえ抜き取ったはずの相手へ助けを求めるのが耐え難い屈辱でならなかった。それも他者の手を借りることなく彼女自身によって行われたものだ。プライドが粉微塵に砕かれ、取り繕うことも叶わない。圧倒的な実力差を前に膝をつかざるを得ない状況。脳が焼き切れてしまうような怒りが収まらなかった。


 憤怒はあれど濱千代の体力が底をつくまでにさして時間を要さない。どれほど暴れ叫んでも拘束が外れることはないのだ。やがて好転しない現状を前に力尽き、項垂うなだれる。


「ごめんなさいね」


 幼子をあやす口調で話しかけられる。心にもない謝罪であるにもかかわらず、つい聞き入れてしまいそうになる魅惑の声が耳朶じだに響く。普段がキツイ口調であるだけにギャップが大きいのも要因の一つだろう。


「部屋に着くなり押し倒してしまって悪かったと思っているわ。昨晩の尾行車の正体が判明した時点でうまく逃げるべきだったのでしょう。けど、アタシってやっぱり暴言を吐かれて黙っている性質タチじゃないし、間接的に殴るよりも直接殴りたい派なのよ。その為に護身術以上のモノを学んだし、本職お墨付きの痛めつけ方も会得したんだもの。油断しきった素人の男一人くらいどうとでもなるわ。まあ腕力があるわけでもないし、色々と面倒だからベッドまで来てもらったんだけどね」


 返す言葉が見つからない。それでも時間は進んでいく。

 濱千代の耳に聞き覚えのある音がした。自身のノートパソコンの起動音だ。


「濱千代さん、パスワードは?」

「い、いくらなんでもそれはやりす――」


 間髪入れず乾いた音が響き渡る。肉を割き苦痛を与える為だけに作られた短い一本鞭の音だ。新しい痛みはない。ようやく肉体ではなく床に叩きつけられた音だと気付く。軽い脅しでも濱千代には十分すぎる程の効果を発揮する。


「か……和守かずもり_名村なむら

「濱千代さんの本名ね、了解。ていうかパスワードにご自身の名前なんて、よくそんな恐ろしいことができるわね。うちのセキュリティ担当者が聞いたらなんて言うかしら……」


 カタカタとキーボードを叩く音。メッセージと通話に特化したアプリのログインが行われる。濱千代に見えるはずもないが、彼女は唇に人差し指をあて蠱惑こわく的な笑みを浮かべた。


「通話するから静かにしていてちょうだいね。先に言っておくけれど通話相手へ助けを求めても無駄だから」


 コール音が聞こえる。イヤホンを使うつもりもないらしい。濱千代に対しての余裕の表れだろう。


「Allo? 聞こえるかしら」

『Ca capte mal, je ne vous ai pas entendu.』若い男の声だ。

「聞こえてるじゃないの。喧嘩売ってる?」

『連絡遅いんだよ。この時間まで待機している身にもなれ』


 二人の溜息が重なった。気心の知れた仲なのか、義務的というよりかはわざと固い言葉を選んでいる節がある。彼女は彼をスノーと呼んだ。


「本題よ。昨日の尾行車の特定が完了したわ。厄介なことにこの人、インターネット上の書き込みには無関係なの」

『無関係? 確かか?』

「徹底的に吐かせたつもりよ。疑うならハクでもアンタでも追加で痛めつけてみれば? というよりアンタはもう小柴 俊也へ接触した人物の特定は終わっているんでしょ。このパソコンからの通信じゃないって分かっているんじゃないの?」

『まあな。黒幕の特定は済んでいる。あとは裏取りだな。あまり熱心にネットへ書き込むタイプじゃないらしい。罠にかかるまで待て』

「分かったわ」


 濱千代には分からない世界の話であった。爪と肉の間に針を差し込まれながら尋ねられたことへ関わりがあるのだろうと予測はつくものの全容を掴むには至れない。そもそも彼女が情報屋ということさえ知りえないのだから仕方のないことだ。

 やがて話は進み、濱千代にも理解できる話題へと移り変わっていく。


「そうそうこのパソコンの中に高値で売れそうな情報がたくさんあるみたいなの。運ぶの手間だからなんとかしてくれる?」

『文書か?』

「動画ファイル。あとは写真ね」

『それ市販のノートだろ。容量もたかが知れてる。外付けHDDは無いのか』

「まさかアタシにそんな重いもの持たせるつもり?」

『ケーブルを……いや、いい、分かった。元の持ち主が口が利ける状態ならそれでいい。ハクにでもやらせるから部屋のセキュリティをオープンにしておけ』

「それくらいならやってあげるわ。あ、それとアリバイとか諸々面倒だし、防犯カメラに映るのも嫌だからなんとかして」

『なんでも言えばいいと思うなよ』


 二人の関係性が分からない濱千代にとってはなんとも刺々しい会話であった。しかし当の本人達は穏やかに会話をしているつもりだ。厄介ごとが片付く目途が立ち、解放感を共有しているせいだろう。仲が悪いのは確かであり、隙あらば相手より上位に立ちたいと思っているが、その判断を下す他者がいないのであれば不要だと互いに理解していた。恋人でもなく友人でもなく家族でもない。そうかといって仕事仲間とひとくくりにするにはいささか乱暴だ。他の誰とも違う距離感がひどく心地よい。


「言い方が悪かったみたいね。アタシ、ナイト様からの指示でちゃんと休むように言われているの。だから悠々と外を歩いてもいいようにエスコートしてくださる?」

『俺もナイトからの指示で休むよう言われているわけだが』

「アンタのお気に入りのパソコンおもちゃで遊んでくれれば充分よ」


 怒るのも面倒だと言わんばかりの溜息が聞こえた。ティアラには画面を隔てても手に取る様に表情が分かる。実のところ、スノーは感情表現が豊かであった。職務上、立場上となにかと理由をつけて固い振る舞いをしていることも短くない付き合いを通して見抜いている。


『――分かった。迎えの手配は今からでいいな』

「朝でいいわ。ハクも休ませないとすぐ仕事を抱え込みたがるんだから」

『大して知りもしない不審者の部屋でよく眠れるもんだ』

「ゲストルームもあるし、そこらの安ホテルより遥かにマシよ。それに休める時に休むのは仕事上の必須スキルでしょ? ていうかメイクも落としたしもう眠いの」

『了解。明日午前8時15分に情報撹乱を行う。指定地にハクとドロップを送るから合流しろ。最低限、顔は隠せよ』

「ええ、もちろん。久々のアンタのオンステージ楽しみにしているわ」


 嫌味のない声音であった。彼の能力はいつ見てもほれぼれとする。真に自分を凌駕りょうがする実力を見た時には嫌味の一つも出てこないのだ。

 スノーは決して自分の力をひけらかす人物ではない。能ある鷹は爪を隠すとはよくいったもの。普段は専らナイトのサポートに徹し、暇を見てはサーバーのセキュリティチェックとメンテナンスに明け暮れている。地味で目立たず、定期的な報告書も代り映えしない内容ゆえ、理解が無ければ軽んじられてしまう。事実、ドロップが不用意な発言をし、温厚なナイトの表情を曇らせたという噂がまことしやかに囁かれていた。


『勝手に期待するな。俺はたまの休日に羽を伸ばして遊ぶだけだ』

「アンタは遊んでる時の方が本気に見えるわよ」

『遊びは本気でやるものだろ。仕事とは違う』

「アンタと分かり合えない理由がまた一つ見つかって良かったわ。素敵な夜をありがとう」

『どういたしまして。明日の朝には雪が降る。くれぐれも風邪など召されませんようご自愛を』

「これから夏だというのに愉快な話。夜は名残惜しいけれどそんな朝が待っているなら夢の続きみたいで嬉しいわ」


 仰々しい言葉を笑い飛ばし合う。嘲るようにあしらうように和やかに。

 別れの言葉も再会を願う言葉もなく通話は終了した。余韻が響くよりも先にノートパソコンを閉じる音がする。


「さてと……。濱千代さん、ここでお別れよ。夜が明けるまでは隣のゲストルームに居るけれど、もうあなたと会話をする必要がないもの。おはようを言いになんて来ないわ。だからもうさようなら」

「ま、待てよ! 俺にこんな事をしていいわけない! ドラマだってまだあるだろう! だから! なのに、どうして! 俺に従えよ!」

「あなたの性根ってホント、女性軽視よね。それともアタシの腕ってまだまだ未熟なのかしら。専門家にもっと教わらないといけないわね。スケジュールが合わないんだけど、たまには見学することにしましょう」

「うるさいうるさいうるさい! 必要以上に喋るな! 絶対に潰してやる! 芸能界どころか一生人前に出れなくしてやる!」


 ヒュンッと鞭が風を切った。短い鞭の先端が濱千代の喉仏目掛けて叩きつけられる。灼けつくような痛みが広がり、声はおろか呼吸さえも絶たれ悶え苦しんだ。さらにまったく同じ箇所へ二回、鞭が振り下ろされる。「あら、いけない。喋れるようにはしておかないと」とわざとらしい台詞と共に鞭打ちが終わった。


 秒針の代わりに乾いた音が時を刻む。ティアラが手元の鞭を弄んでいるのだろう。痛みを伴わない程度の強さで肉を叩く音が一定間隔を経て続いていく。

 しばらくしてティアラの頭の中で台本が完成した。


「これから少しだけ未来の話をしてあげる」


 即興劇エチュードと呼ぶにも及ばない茶番の筋書きだ。それでも一流の役者が読むだけで生き生きと情景が浮かび上がる。紡がれる物語のなんと悲しく美しきことか。客席など不要。観客は常に立ち尽くし手を叩いて誉めそやす。群衆はただ踊ればいい。その為だけの群衆だ。彼女の為の群衆だ。


「アンタは舞台から去るわ。誰にも告げることなく、明日の朝突然に。だってそれが私にとって一番都合がいいもの。ドラマはちょっと惜しいけれど最終回で用意されているアンタとのキスシーンなんてまっぴらごめんだし、未練もすぐに無くなるわ。私が主演である以上、成功して当たり前。それだったらもっと人々の記憶に残ることをしなくちゃね」


 人々の記憶はあまりに脆い。ただ上書きされるのみ。最早娯楽はただ消費されるだけのジャンクフードだ。記憶に残る名作が輝く下にどれほどの作品が記憶の彼方へ埋葬されるのか。忘れてしまえば悲しまないし救われない。そうなるくらいならば悪目立ちであっても爪痕を残したくなる。そんな考えを持つことの何が悪いのか。

 有象無象の観衆よ、生きたいと足掻き消えた者をわらえ。生き残った者を讃頌さんしょうせよ。


「記者会見の台本はまだかしら。大筋はもう決まっているのだから早く欲しいわ。突如として失踪した濱千代さんを心配する姫華。気丈に振舞いながらもいつもより硬い表情。テレビの前のファンが姫華を想って胸を痛めてくれるでしょう。濱千代さんのファンは深く深く悲しむわ。名村 和守という人間がどれだけ最低であれど濱千代 百重という偶像は愛されていたもの。――あぁどこへいってしまったの? 私達をおいてどこへいこうというの? どこでもいいわ生きていて。せめてあなたが幸せであってほしい。もしもこの声が届くのならばどうか聞いてほしいの。あなたの帰りを私達はここでずっとずっと待っていると」


 どこまでも深い闇へと中身の入った偶像が落ちていく。奈落に底などなかった。頭上の夜空が遠く遠く消えそうで消えなくて、手を伸ばしても永遠に届かない。

 宝ノ木 姫華が涙を落とす。ファンも続いて涙を落とす。濱千代 百重を追いかけてどこまでも落ちていく。手向けの花代わり。泡沫うたかたの欠片。

 舞台に残ったのは憐憫れんびん。上澄みの真に透き通ったそれをかすめ取るのは宝ノ木 姫華だ。


「濱千代 百重は失踪扱い。死んだという情報はどこにも出さないわ。そうしないとアンタになぶられた私のライバルが息を吹き返すもの。アンタが死ねば喜ぶ人も多いけれど失踪して喜ぶのは私だけ。一人勝ちって最高よね」

「そんなことできるわけない……! 絶対に、うまくいくもんか! 一番怪しまれるのは姫華に決まっている!」


 濱千代は咳き込みながらも必死で叫んだ。誰だって無残に殺されたくはない。濱千代とて生命を脅かす手段を取ったりはしなかった。だからといって正当化される道理はないのだが、彼の中では通用する理屈である。貞操も尊厳も残りの人生も奪い取れるということは命ですら奪えるということ。それをえてしないのだから優しいのだと事もなげに言いきれるからだ。さらにいうなれば、弱みにつけこみ自殺の道すら閉ざす自分は人の命を救っているとさえ思っていた。


 自身よりも悪を前にし、自己の罪を無理矢理正当化する。そんなことをする前に現状分析ができているのかと姫華は問いただしたくなった。だが、それも時間の無駄だ。優先すべきは己の睡眠時間と思い直し、指摘をやめた。


「根拠のない戯言ね。それとも私を心配してくれるのかしら。そうだとしたら嬉しいわ。でも余計なお世話。アタシは演技のプロだし、人間を処分するプロもいれば、アリバイ工作のプロもいるの。濱千代さんのいなくなった後の舞台は更なる盛り上がりを見せるのよ。濱千代さんなんて霞んで消えてしまうんじゃないかしら」


 ティアラは台本を投げ捨てる。もう何度でもそらんじることが出来た。

 そして、たった一度きりの舞台がじきに終わる。残り全てがアドリブでもなんの問題もない。


「アタシは目立つのが仕事だけれど時にはスポットライトを譲れるわ。それがプロの仕事だってナイト様から教わったの。それにこれから楽しい休暇よ。キススキの収録が無くなった穴を他の仕事で埋めることもできるけど、傷心を癒したいと言えば事務所も取り計らってくれるでしょう。その頃にはナイト様も退院なさっているでしょうし、今から楽しみで仕方ないわ」


 ティアラが立ち上がったのだろう、ベッドが軋む。弄ばれた鞭が床を転がった。

 ドアが開く音、部屋の明かりが落とされる音。目隠しをされた濱千代には違いが分からなかったが、部屋は真っ暗になった。


「アタシはもう楽屋に行かなくちゃ。濱千代さん、エンドロールまで付き合えなくてごめんなさい。ほら私って人気者だからとても忙しいの。あなたみたいなくだらない人の幕引きに出演している余裕なんてないわ。裏方に一任しておくわね。それじゃあさようなら――Adieu」


 濱千代が叫んだ。彼女は振り向かない。

 手を伸ばした。彼女には届かない。

 それはもう決まっていたことだ。彼女もまた夜の綴る物語の登場人物。


 ドアが閉まる。舞台の緞帳どんちょうが降りていくかのように光が細く消えていく。真実が秘匿される。ゆえに濱千代 百重の舞台が終わったと気付く観衆はいなかった。拍手喝采もカーテンコールも存在しない。


 ありきたりな夜が訪れる。夜明けはまだほんの少しだけ先のこと。



◆◆◆



 世界のどこかで単調な電子音が告げる。

 明日ノ日本ノ天気ハ雪デス、と……。



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