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18/30

【二日目夜】ワンボックスカー

 濱千代はまちよがドアを開けるのと同時に、きつい芳香剤の匂いが鼻につく。日中の気温の成れの果て。暴力的な空気にむせそうになる。姫華は目を逸らすことなく正面だけを見据えていた。それでも暗い車内を見た瞬間、露骨に顔をしかめてしまう。


 三列シートの車内。二列目の座席は無くひらけた空間がそこにあった。防水シートと薄い敷布団が畳んで置いてあり、その上に細長いビーズクッションが二つ、くたびれた様子で重なっている。

 一列目の運転席から後ろを遮るように分厚いカーテンが後部二列を囲んでおり、中で何が行われようとも外界へ漏らさない徹底さが伺えた。手狭ながらも完璧な無法地帯が形成されている。眩暈のするような芳香剤の匂いも、ある種の匂いを誤魔化すものだろう。

 姫華の考えを言い当てるように濱千代が先手を打つ。


「今日は俺一人だし、場所も俺の家だから」

「……そう」


 出来もしない覚悟を決め、姫華は乗車した。三列目の窓際の席、運転席から最も離れた席に腰を下ろす。ドアが閉まりねっとりとした闇が車内を満たした。

 運転席に濱千代が乗り込む。エンジンがかかり、車は走り出す。駐車場を抜け夜の街へと飛び出した。


「随分と手馴れてらっしゃるのね」言わずもがな皮肉である。

「これでも落ち着いた方さ。大学時代はここを合コンの第三会場にしたり、サークルメンバー全員で道行く女を引きずり込んでたしさ。今はこうして合意の上で乗せてるんだから良心的だよねぇ」


 濱千代 百重というキャラクターは見る影もない。軽薄な大学生がそのまま大人になった姿だ。

 バックミラー越しに視線が交差する。濱千代が油断しているのは分かっていた。今の自分にできるのは情報収集しかないと考え、姫華は段階を踏むように核心から少し離れた疑問から投げかける。


常盤ときわ 咲幸さちを覚えているかしら。うちの事務所の子なんだけど、あなたがが主役のドラマで共演したことがあるの」

「もちろん覚えてるさ。『ゴーホーム』のチョイ役だろ? ちょうど今、姫華が座っている席だったなぁ。その真ん前で四つん這いになってくれたよ。なんかのライブの衣装着せて、それを破いて半脱ぎにさせて汚してやった。後で写真か動画見てみる? アイドルのくせに可愛げのない声だったよ。キャラ作ってる奴の素ってホントみっともないよね」


 そっくりそのまま台詞を返したいところであったが辛うじて踏みとどまった。視線だけでもその感情が伝わってしまいそうで、咄嗟に足元を見やる。その先には誰もいない。悪意のある影が姫華の記憶から想像もしたくない常盤 咲幸の姿を形どった。はっきりとした映像が見えないのは同じ事務所といえど彼女とはあまり接点がないからだろう。歌も演技も参考になるものは何一つ見つからなかった為、姫華から接する気がなかったのだ。


 小柄でアイドルにしては肉付きの良い体型。栗色のショートボブに大きな飾りのヘアピンがトレードマークだ。あどけない童顔も手伝って、年下である姫華よりも幼い印象を持たれていた。性格も意外性のない無邪気な天然系。甘えた声で自由奔放に喋るのを得意としている。


 そんな穢れとは無縁の彼女が濱千代の慰み者になったと聞いてもイメージが追いつかなかった。彼女のことよりも、汚いシートに座っているという実感が姫華の気分を害する程だ。ただ、彼女の泣き顔だけは容易に想像がつく。目を閉じて瞼の隙間からボロボロと雫を溢すのだ。事務所の人目につかないところで、姫華も何度か目撃していた。


 濱千代もまた彼女との記憶を辿っていたのだろう。無神経な物言いで訊いてもいないことを語る。


「あいつってすぐに下手なウソ泣きをするだろ? 分かりやすく泣けばいいと思って涙を流してさ、私悲しいです、私かわいそうなのってこれみよがしなアピールマジでウザイよな。アイドル芝居ってああいうのなんだなって感心したよ。ドラマでそれやられても冷めるだけ。わざとらしすぎて笑えてくるっての。だからたくさん泣かせてあげたんだよね。おかげでいいドラマになったと思うし、感謝してほしいよ」


 姫華はかろやかに影を蹴りはらい、足を組んだ。これ以上想像を膨らませたくなかった。今すべきことではないのだ。

 逸れた会話の軌道修正を行う。


「キススキに常盤 咲幸が出演するかもって話は知ってるの?」

「――なにそれ、いつの情報だよ。そんなんでよく流行とか追いかけてられるよな」


 鼻先で笑い、ここぞとばかりにあげつらう。それらすべてを姫華は聞き流し、必要な情報だけを心に留める。

 濱千代は教師ぶった顔で情報を開示した。


「一瞬だけあったよ。主役の一条役を常盤 咲幸が務めるって話。けどさ、意味ないじゃん。俺の下僕になった奴なんかこれ以上脅す必要ないっての。だから俺もイマイチな反応したし、咲幸にも辞退しろって言ってやった。そしたら二転、三転して宝ノ木 姫華になったんだぜ。所詮姫華も代替品、咲幸先輩に感謝しろよな。俺にはちゃんとその体で払えよ」


 濱千代の舌は止まらない。時に濱千代 百重らしく振舞い、時に素の彼らしく本音を暴露する。

 姫華は思う。自分が濱千代 百重のことを何も知らなかったのだと。プライベートな交友関係はおろか本名すら知らない。上辺だけの芸歴以上のことを少しでも把握していれば未然に防げることもあったのかもしれないのだ。

 情報屋失格の文字が頭の中で点滅していた。報告書を書くのが今から憂鬱である。

反省文代わりの始末書も作成すべきかと検討を始めつつ、ナイトからの心証を損なわない手立てがないかと思案した。


 そんな姫華に対し濱千代はすこしだけ苛立ちを覚える。ろくに返事もなく、そうかといって加虐心をかき立てる顔をしているわけでもなかった。この程度で怯えた顔をするほど弱い女ではないと予想はしていたものの、視線だけで殺さんばかりの悔し気な顔でいてほしかったのだ。

 それでも目当てのものが手に入ったのだという高揚感はまだ残っており、それらの感情がないまぜになった悪態を吐く。


「あーあ。お前手に入れるのもホント手間だったな。っていうか昨日のアレ何? 俺が親切に送ってやろうと思ったのにさー」


 濱千代の計画では姫華へ脅しをかけるのは昨夜の予定だった。ラジオ番組の収録はスタッフも少なく、姫華と二人きりになるチャンスも多い為だ。その場でお持ち帰りができなくとも脅しをかけ、予定をあけさせる命令だけなら可能だと思っていた。しかし計画を実行に移すよりも先に見知らぬ男が彼女を車で連れ去ってしまう。思わず後を追いかけるも突如としてスピードを上げた暴走車へは手も足も出なかった。


「疲れていたから早く帰りたかっただけよ」姫華は平然と答える。

「法定速度どころか信号も守らずに?」

「サブマネが勝手にしたことよ。私は止めたわ」

「汚い金髪のガキは?」

「うちの新人。まだ使い走りしかできないの」

「ふーん。まあどうみても彼氏に見えない男って便利だろうね。今日、そいつらは?」

「さあ? 呼べば来るんじゃない?」


 不穏な空気が流れた。姫華の台詞の意味が分からない程、濱千代も馬鹿ではない。

 つくづく生意気な女だと痛感した。この期に及んでこちらへ脅しをかけるとは。よほどの強がりか先の見通しもできないただの愚者か。濱千代は後者と断定し、失望した。同時にアイドルごとき頭の良さは必要ないのだという持論へ確信をもつ。


「もっと自分の立場考えろよ。仮に今日、無事に帰りたいだけならどうとでもなるかもしれないけどさ、それが悪手だし無駄なあがきって分かってる? もうお前に逃げ場はない。カメラの前で股開いて、一生俺から搾取されるの。あ、搾取なんて難しい言葉、頭カラッポのアイドルちゃんには難しかったかな?」


 姫華からの反応は無い。

 彼女の頭の中では情報の取捨選択が行われており、耳から入る雑音はシャットアウトされていた。

 キススキの出演者情報を把握している点。これによりインターネット上に悪質な噂を流すことも可能。

 宝ノ木 姫華のライブ情報を常盤 咲幸経由で入手可能。

 尾行は本人の証言により確定事項。尾行を振り切られた段階で小柴 俊也を操るのも時間的に可能。動機も充分だ。

 まだ裏取りは必要だが確信できることは多々ある。仮にほころびがあったとしても宝ノ木 姫華の敵であることは間違いなかった。


 覚悟を決め、ゆっくりと息を吐く。

 組んだ足を解き、両手を合わせ静かな祈りを捧げる。


 運転席から野次にも似た笑い声が響く。


「なにそれ、お祈り? まるでジャンヌダルクだ。文字も読めない女が神様の声に導かれて火刑場へ連れてかれるんだろ。すげぇ笑える。ねえねえ神様に助けてって言ってるの? 神様はなんて言ってるの?」


 夜がそっと彼女へ寄り添った。

 祈る程に薄いベールが彼女を包み、やがて夜のとばりとなって一つの世界を築き上げる。

 耳と目を塞いだ。肩へ手の平をあてそのままゆっくりと背へと伸び、正面から抱きしめる。

 淀んだ空気が心肺を穢すのならば唇を重ねよう。互いの吐息だけで呼吸をすればいい。どんなに苦しくとも穢れてしまうよりずっとずっと幸福だ。


 あの人がナイトという名でよかったとティアラは心の底から思っていた。何があっても夜は必ず訪れる。その事実がどんな愛の言葉よりも信用できるのだ。

 ティアラのすぐ傍でナイトの息遣いを感じた。紛れもない幻想だ。それでいて本物と一言一句違わない言葉を紡ぐ。


「姫さんがおてんばなのは今に始まったことじゃないけどさ、本当に危ないときはちゃんと助けてって言ってよね? 私は夜って意味でナイトを名乗ることが多いけれど、ティアラの為なら騎士になって守るから」


 姫華は祈りを捧げたまま微動だにしない。

 ティアラはナイトへ微笑みかける。


「これくらいのピンチでナイト様の手を煩わせるわけにはいかないわ。冒険譚という名の報告書、楽しみにしていて」

「姫さんらしいなー」


 ティアラの表情を真似るように微笑み返し、ナイトは手を振った。二人きりの世界に浸れる時間は長くない。地を這う獣がいる時はなおさらだ。思い通りにならない現実は苛立っている。今宵の語らいはここまでだ。せめて最後に笑顔で手を。


「それじゃあ、明星が瞬く頃に。どっちの明星かは未定だけどね」


 名残惜し気に見送ったのは果たしてどちらだっただろう。



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