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17/30

【二日目夜】撮影現場

【用語解説】

場ミリ:舞台用語。本番の舞台で演者や道具の立ち位置などをテープで床に貼る行為、もしくはテープそのものを指す。

 解散の号令がかかり、撮影現場の空気がふっと緩む。

 キススキの撮影現場。本日はスタジオ収録がメインであった。各部門リーダーの指示があちこちから飛び交う。

 慌ただしい撤収作業の中、姫華は一人悠然と椅子に腰かけスマホを触っていた。画面右上に表示されている時刻は21時を過ぎた頃。画面中央に表示されているのは届いたばかりの報告書。ハクとドロップの仕事は無事に終わったらしい。小柴 俊也から搾り取った情報と自身の考えを照らし合わせる。小柴 俊也が自宅で書き込みを行ったという情報を手にした瞬間から、自身へ伸びる魔の手が複数だとは分かっていた。

 姫華の最も求めている情報は見つからない。

 しかしながら前進はしている。焦りは禁物だと言い聞かせて、スマホをしまう。


「姫華ちゃんお疲れ様。今日の帰りはタクシーでいいかしら?」


 気さくに話しかけてきたのは姫華のマネージャーである花岡はなおか 美鈴みすずであった。機能的なスーツに身を包み、シャツや時計でカジュアルさを演出した出で立ち。ファッションモデルに引けをとらないプロポーションとセンスが光る優秀な人材だ。

 姫華は立ち上がる。すでに着替えを終えた今、花岡へ挨拶をする為に残っていたようなものだ。


「迎えは手配してあるの。今日はいらないわ」

「そう。それなら安心ね」

「美鈴さんもお疲れ様。スケジュールの都合をつけてくれて助かったわ」

「いいえ。こちらこそ本当にごめんなさいね。ライブのリハ、当日までになんとかさせるから。まだ色々と大変でね、姫華ちゃんにはちゃんと説明できるようになったら話すから待ってて」


 その口ぶりから察するに小柴 俊也の情報はまだ事務所へは届いていないらしい。事情聴取よりも治療を優先させなければいけない状態なのかもしれないと容易に予想がつく。やりすぎるなとは言ってある為、誤差の範囲だと思いたい。早々に逮捕されたと報道された方が姫華も安心して活動ができ、黒幕もまた動きを見せるだろう。


「ライブそのものが中止にならなければいいわ。いざとなったらリハ無しでもやってみせる。ステージのミリくらいは教えてほしいケド」

「そうね、姫華ちゃんなら最高のパフォーマンスを見せてくれると信じてるわ。大丈夫。姫華ちゃんがちゃんとステージに立てるように私達が全力でサポートするから。絶対にライブを成功させましょう」

「もちろん。じゃあ私、そろそろ行くわ。また明日、お疲れ様です」

「うん。お疲れ様」


 通りすがるスタッフへ軽い挨拶をしながらスタジオを後にする。

 バッグからマスクを取り出し顔を隠す。自慢のブロンドヘアーもなるべく目立たないように、それでいて洒落っ気を損なわない程度に帽子の中へ。多少の身バレを防いではいるものの肩で風を切って歩く姿はそれなりに目立つ。本人は普段に比べれば集まる視線が少ないと実感している為、芸能人のオーラを隠せていると思い込んでいた。


 そんな姫華の頭の中は情報屋としての情報分析でいっぱいだ。矢継ぎ早に情報を反芻はんすうし分析し整理する。

 小柴 俊也が失踪したと黒幕が気付くのはおそらくまだだ。掲示板の書き込みから小柴 俊也を割り出しているのは今日の正午時点で『うちの組織スノー』だけ。そもそも黒幕は小柴 俊也の個人情報をほとんど知らない可能性もある。たまたま条件に見合う人物だっただけだろう。宝ノ木 姫華へ殺害予告を出した人物としてニュースに取り上げられるまで本名すら知らない可能性すらある。

 小柴 俊也のSNSを閲覧した人物に的を絞ってスノーが今頃調べているはずだ。それが終わるまで身を守るのが得策。


 そこまで結論づけてはいるもの、大人しく待つだけというのもティアラの性格からして出来る事ではなかった。自身へ降りかかる火の粉すら払えない弱い人間ではいられないのだ。

 今日、無理にでも仕事をしたのも作戦の一つであった。


 姫華の急なスケジュール変更に合わせて何らかのアクションを起こせるかどうか。マネージャーから離れ、ハクの迎えという名の護衛も拒否した今、姫華は完全に無防備である。黒幕が近くにいるならば何らかのアクションを起こすだろうと予想していた。接触してくるのならば一番手っ取り早い。何らかのアクションが起きるだけでも黒幕の潜む場所が割れる。しかし今日の収穫はない。ティアラの思惑を見抜くだけの知恵があり様子をうかがっているのか、単純に急なスケジュール変更には対応できない程度の情報網しかないのか……。


 帰宅するまで気は抜けないと思いながらも、ティアラは早々に反省会を行っていた。狙いが自分だからと後ろ盾も無く自身をエサにするという杜撰ずさんかつ無謀な作戦。誰にも気づかれず行って成果を上げるならばまだ格好もついただろう。しかしおそらくハクはティアラの考えを見抜いていた。別れ際の『連絡は密に』は本来ティアラから言うべき台詞である。それをあえてハクから口にしたのはティアラが危険をかえりみない行動をしでかすだろうと予測し、それを止めるのは不可能だと判断したからこその台詞であった。


 ティアラの考えを尊重して見送ってくれたことには感謝している。だが、だからこそ余計に何の成果も無い現状が恨めしかった。

 仕方なく次の一手を考えようと気持ちを切り替える姫華へ声が掛かる。


「姫華さん、お疲れ様です」


 穏やかで静かな湖を思わせる声。

 聞き慣れた声に足を止め、振り返る。そこにいたのは黒のマスクをつけた男性。見るからに怪しい出で立ちであるものの、服や靴はもちろん、眼鏡や時計などの小物に至るまですべて上質なブランド品であった。姫華は親近感を寄せる。怪しいと思われながらもマスクは手放せない、芸能人の宿命にいたく共感した。


濱千代はまちよさん、お疲れ様です」


 キススキの主役、俳優の濱千代 百重ひゃくしげだ。

 マネージャーの花岡よりも先に挨拶をして別れたというのにこうして再び挨拶を交わすのはどこか違和感を憶えた。

 濱千代は目を細めて笑ってみせる。マスクで隠れた分の表情を目だけで伝えようといわんばかりだ。


「一人? 車は?」

「コンビニ寄ってから帰ろうと思って。この時間ならタクシーに困らないですから」

「じゃあ俺も行こう。一人じゃ危ないよ」


 姫華は内心で舌打ちをした。余計なモノが釣れてしまったと。

 濱千代が本当に心配をしてくれているのは伝わった。しかしそれでは黒幕も予定を変更せざるを得ないだろう。仮に黒幕が行動をおこしても、濱千代が隣にいては情報屋としての能力を発揮することはできない。何も知らない少女でいるほかなく、濱千代にまで危害が及んでしまうのは避けたかった。

 姫華はハッキリと首を横に振る。マスクを顎の下まで下げ、渾身の営業スマイルを浮かべた。


「ごめんなさい。事務所が厳しいので……」


 皆まで言わせるな察しろ、と精一杯の皮肉を込めてみた。仕事場以外でアイドルと俳優が仲睦まじくしているところをパパラッチに見つかろうものなら格好の餌食だ。スキャンダルとまではいかなくてもあることないことを書かれ、ドラマの視聴率に影響を及ぼしたり、事務所から事実確認をされるのは避けたい。


 そういったニュアンスを含ませてのお断りであったが、濱千代には伝わらない。気さくな笑みを浮かべたままスタスタと距離を詰められる。あまりにも自然な振る舞いのせいで、姫華が警戒心を抱くよりも早く右手を包み込まれていた。

 数多くの女性を魅了してやまない微笑み。知的な印象を与える瞳から痛いほどの熱が注がれる。


「姫華は事務所がいいって言えばいいんだ?」

「っ――――!」


 呼び捨てにされた瞬間、ゾクリと身の毛がよだつ。咄嗟とっさに手を振りほどこうとし、予期しない激痛に表情が歪む。

 濱千代はさして力を込めた様子も無く、不思議そうに姫華の顔を覗き込んだ。


「あれ、そんなに痛い? ひょっとして腱鞘炎けんしょうえんとか?」

「そう思うなら離しなさいよ」


 外聞を取り払い真っ向から睨みつけるも、濱千代の表情は涼しい。的確に苦痛を与えながらその手を引寄せる。

 氷菓のように冷たく甘い声。心の底から姫華を心配していると表現しながらも、決して安心感を与えるものではない。不釣りあいで奇妙な感覚に、例えようのない不気味さが漂っている。

 濱千代はファンなら泣いて喜ぶような演技をしてみせた。


「だめ。これは俺の優しさだよ。姫華が本当に危ない目に遭ったら、これくらいの痛みじゃ済まないんだ」

「ご忠告感謝します。コンビニ諦めて今からタクシー呼ぶんで」

「俺が傍にいるよ。ちゃんと家まで送ってあげるから」

「必要ないわ」

「君には俺が必要だよ」


 やり辛いと姫華は憤る。言質がとれない以上、大声で人を呼んでも解決しない。しかも相手は共演者。この場さえ脱すればいいという問題ではなかった。

 細心の注意を払いながらタイミングを見計らう必要がある。今はまだ人を呼ぶには早い。


 濱千代はなおも手に力を込める。ジリジリと後退する姫華と距離を詰め、値踏みをするような視線で見下ろした。

 紡がれる言葉と声だけがどこまでも甘くやわらかい。添加物だらけの人工甘味料のようだ。


「ドラマの主役同士仲良くしなきゃ。例えば姫華が俺のことを気に入らないとか言って役を降りたらどうなると思う? もうドラマは放映されていて、まだ収録できていないシーンもたくさんあるのに」

「役を降りるですって? 私はそんなことしない。アンタの本性がどれだけサイテーでも私は私の仕事をするわ。でもこの現場っきりね。アンタとは二度と共演するもんですか」


 濱千代は少しだけ驚いた顔をする。宝ノ木 姫華が嘘を吐かないと知っているだけに、発言の裏を探る様子は無かった。


「意外と仕事熱心だ。人の迷惑なんて気にするようなタイプに見えなかったけど」

「なんとでも言いなさい。アンタこそこのドラマに関わっている人達を踏みにじるわけ?」


 振りほどけないならと爪をたてる。高校生役らしく爪にデコレーションは無い。透明なマニキュアが爪の強度を上げ、普段よりも痛いはずであった。

 それでも濱千代の余裕は崩れない。


「踏みにじるのは君だよ」

「は?」

「俺、主役辞めちゃおうかな。姫華さんのあまりのわがままぶりについていけないし、とんでもない侮辱の言葉を受けて立ち直れないって言ってみたりしてさ」

「そんなことアンタに一度も――」

「どんな手を使ってでも君のせいにするよ。簡単さ、だって君は昔からわがままなお姫様だろう?」


 姫華は無言のまま睨む。毅然きぜんとした立ち振る舞いではあったが、爪をたてる力は弱まっていた。濱千代の発言の意味は自分が一番よく知っている。

 勝機を見出した濱千代がようやく仮面を取り外す。これみよがしに鼻で笑い、握っていた指を這わせ、指と指とを絡めあう。

 吐きだす言葉はどろりとした汚泥そのものだ。


「姫華ってさ、今はわりと誠実なフリをしてるけど、子役時代はホント生意気なガキだったよね。俺もあの頃はスカウトされる前で一般人だったけどマジでイラついた。テレビで姫華を見る度に不快になってチャンネルを変えたよ。もし俺の目の前に姫華がいたら泣かせてやりたいと思ってた。ぐっちゃぐちゃの泣き顔にして、生意気でごめんなさいってカメラの前で謝ってほしかったんだ」


 明確な悪意。姫華が思わず一歩後ずさる。しかしその先もまた不特定多数の悪意が潜む沼であった。濱千代の落とす影が背後の悪意と混ざり合う。

 どれだけ人気であろうと、どれだけ実力があろうと嫉む人間はいる。そればかりはどうしようもない。誰からも好かれる人間を嫌う人間すら存在するのだから。

 圧倒的な悪意を前に姫華は立ちつくす。自分がまるでただの無力な少女だと思い知らされている気分だ。否定したくとも濱千代のなじりは止まらない。


「俺と同じように思っている奴は業界にもたくさんいる。姫華が今必死で取り繕ってる印象なんて俺が簡単に壊してやるよ。俺はその辺の世渡りを考えられる歳になってから芸能界入りしたからね。築き上げたものが違うんだよ。ほら君なんか特にさ、前の事務所まで潰してるんでしょ? 前科者に二度目は無いと思うなぁ」


 姫華からの反論は無かった。それをいいことに、濱千代はますます調子づく。指を絡ませた手をそのままに、空いた手で姫華の腰を引寄せる。

 ドラマのワンシーンと錯覚するほど、非現実的で、非理想的で、非情的であった。

 互いの吐息が重なる距離で、姫華は視線を逸らす。先程のまでの威勢は無く、残る毅然とした口調が強がりにしか聞こえなかった。


「離して。人目について困るのはお互い様でしょ」

「聡いね。さ、ついてきて。車があるから」


 濱千代は容易く姫華を解放する。余裕の表れか悠然と背中を向けて歩き出した。少しだけ距離を取って姫華が後に続く。掴まれていた手をさすり、慎重に動きを確認する。痛みはない。きちんと動く。痛いポイントさえ掴まれなければ、握力なども申し分ない。大丈夫と自分に言い聞かせる。手の心配よりも思考を巡らせることにリソースを割かねばならない。


 この状況を打開するには濱千代の弱みが必要であった。こちらだけ一方的に弱みを握られているから分が悪いのだ。どうにか対等に、できるならば立場を逆転させるだけの情報を短時間で入手しなければならない。ハクは頼れなかった。この場を切り抜けること自体は可能でも、その後はどうしようもない。姫華には守るべきものが多すぎた。ドラマの存続を望むのならば主役である濱千代ですら守る対象だ。仮に拷問をして口を封じても、一瞬で姫華を貶めるスイッチは彼の手の内。四六時中監視をするにも限界がある。


 時間稼ぎという手段を取った方がまだ建設的ではないだろかと思いつく。濱千代の方へ急用ができれば、多少の釘を刺されようともその場は解放されるはずだ。濱千代が断れない相手からの危急の用。誰ならば有効だろうか。

 連絡手段がまだ手元にある内にどうにか策を実行しなくては――。焦る気持ちを必死で押さえつける。


 地下駐車場へ辿り着き、乗車を命じられた車を見た瞬間、考えていた脱走プランが全て吹き飛んだ。

 見覚えのある黒塗りのワンボックスカーがそこにはあった。同じ車は多々あれど、あまりにもタイミングが良すぎる。昨夜、Q局ラジオ館から尾行してきた車だ。

 濱千代へ視線を向けると、何の悪びれもなく両手を広げて見せた。今更隠すつもりもないらしい。


「芸能人らしくない車ね。カモフラージュのつもり?」

「高級車に興味がないっていうのもあるけど、利便性を追求した結果だね。長年使っていて愛着があるっていうのも理由の一つさ。後部座席の好きな所へ座ってよ。もちろん外からは何にも見えないから安心してね」


 どこが安心できるというのだ、込み上げてきた言葉を飲み込む。

 進む以外に道などない。

 彼女は一歩、踏み出した。


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