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【二日目午後】車内 その②

「ほな運転頼むで」

「ういっス。発車するっスよー」


 車が移動を始める。心なしか動きが軽やかに見えるのは後部車両に何も置いてないからであろう。すっかりと暗くなった外をライトが照らす。

 No.4からの帰りは小柴の家よりもはるかに短い距離だ。これならば予定していた夕食の時間には間に合うだろうとハクは予測する。脳内ではすでにあたたかい光に満ちた空間が広がっており、朗らかな弟の顔と安売りされたキャベツが仲睦まじく踊っている。


『お兄ちゃん、ご飯おいしい? お兄ちゃんはおつまみ風塩キャベツが好きだったよね。ビールもグラスと一緒に冷やしておいたよ。今日も一日お仕事おつかれさま。僕は麦茶だけど一緒に乾杯しよー』


 他に例えようのない幸せ。想像するだけで幸福感が心を満たす。この幸せの為に頑張っているのだと断言できる。すべては可愛い弟の為。何不自由無く暮らす為に寂しい思いをさせているのは心苦しい。なるべく三食の食卓を共に囲みたい。美味しそうに白米を頬張る顔を見る度にこの笑顔を守らなければと固く誓うのだ。


 今日は一緒に湯船へ入れるかもしれない。弟は積極的に背中を流そうと提案してくる。兄への労いはもちろんのこと、盛大に泡立つ石鹸遊びが楽しくて仕方ないのだ。心までもあたたまり天へと昇っていくような気持ちだ。


 そんな妄想に浸るハクへ、ドロップは先程入手した情報を元に意見を述べる。


「けっこう面倒な事件になってるみたいっスねー。小柴捕まえたらなんとかなると思ったっスけど」


 ハクは一瞬の内にすさまじい葛藤を抱えた。妄想の中といえど弟と別れるのは心が張り裂けんばかりに辛く苦しい。しかし優しい弟は仕事を優先しろと言うのだ。それを無視して他者をないがしろにすれば弟は怒る。そっぽを向かれるくらいならば背中をみつめていてほしい。自分の欲望よりも、弟の望む兄の姿を見せるべきなのだ。


「っ――――! …………せやな」

「なんスか。その切腹前の武士みたいな覚悟」

「なんでもないんや、気にせんといて。ほな推理ごっこしましょか」


 まだ何か言いたげなドロップを無視し、話を進める。まずはドロップが入手した情報の整理からだ。


「時系列順に並べるで。常盤ときわ 咲幸さちがドラマ出演を匂わせていた。その後キススキの放映が始まってから宝ノ木 姫華が常盤 咲幸を追放したっちゅー噂が流れる。で、昨日の夜に宝ノ木 姫華のライブリハ情報が流出し、そそのかされた小柴 俊也としやが殺人予告を行ったっと」

「ハクさんが整理した奴を聞くとなんか不自然っスね。どこがって言うと困るんスけどー」


 ドロップの指摘はもっともだ。

 可能な限りスマホで情報の裏取りを進めながら、情報を繋ぎ合わせていく。


「一個ずつ吟味しよか。まず常盤 咲幸がドラマ出演を匂わせていた。これは今、それっぽいのをネットから見つけたで。春ドラマ出演者の発表前やからかなり昔のやな。『先生と生徒の禁断ラブ! 私じゃ成績悪くて愛想尽かされちゃうかもだけど、お芝居だったらなんでもできちゃうよね! だから私、お芝居大好き!』元の書き込みは削除されてるんやけどファンが撮ったスクショが見つかったわ。アカウントが本人のものやし間違いないやろ」

「絶対ってわけじゃないっスけどあらすじがキススキっぽい雰囲気っスね。その後ドラマ出演も無く、書き込みをわざわざ消してるあたりホントのことっぽいっス」


 ハクも同意を示す。何もなければ削除はされない。おそらくはオファーが来た段階で匂わせておき、ドラマ出演者公開の伏線として話題を呼ぶつもりだったのだろう。正式な発表を口留めされてる中、徐々に投稿を重ねていく予定の第一歩ともとれる。どちらにせよ、うたかたの夢になってしまったようだ。

 常盤 咲幸本人に確認を取れればいいが、はぐらかされるに違いない。部外者に軽々しく話すはずもなく、当事者の姫華が訊いても逆効果だ。無理矢理吐かせたところで決定権のない常盤 咲幸から搾れる情報はたかが知れている。いたいけな少女を拷問にかけてまで得たい情報ではなかった。


「その常盤 咲幸を蹴落としたっちゅーのが我らが姫はんなんやけど」

「ティアラさん自分で言ってたっスよ。身に覚えがないって」

「被害者であるティアラはんがあの場で嘘を吐く理由もあらへん。従って噂の真偽は偽や。どこぞの誰かが嘘の情報を流したことになる。せやけど肝心のその噂が見つからへんのや」


 キススキの放映が始まってからの情報ならば期間が限られている。小柴 俊也の発言が正しいならば書き込まれた掲示板サイトも間違いない。ここまで条件が揃っていても何一つそれらしい情報は見つからなかった。考えられるのは小柴のデマもとい勘違い、もしくは誰かが掲示板の削除申請をしたかだ。誰かとは閲覧しただけの人物、もしくは書き込んだ本人の可能性もある。


「その辺はスノーさんにお願いするしかないっスか?」

「せやなぁ……。スノーはんはもともとティアラはんの情報保護も兼ねて定期的にインターネット界隈の情報収集してくれとるハズやから、とっくに見つけててもおかしくないんやけど」

「何者なんスかね……黒幕」

「常盤 咲幸ファンをくすぶらせておいてからのライブリハ情報開示。計画的やな。十中八九、一般人には不可能や。それこそ昨日のラジオ終了時刻を知っとって、尾行できるくらいのな」

「あぁそっか、そっスよね。小柴 俊也が自宅で書き込みを行っているなら、昨日尾行してきた奴は百パー別人、しかも黒幕の可能性アリアリって奴っスか」


 尾行しながら小柴 俊也を唆すことは不可能ではない。しかしそうであるならば新たな疑問がわく。

 何故尾行する必要があったのか。仮に自分たちの迎えがなく、姫華がタクシーなどで帰宅した場合、何をしようというのだろう。


 ハクは頭痛がする前に考えを放棄した。

 まだ情報不足。新しい情報を入手する見込みもある。それならば今むやみに電子の海へ潜るよりも有益なことがあった。

 調べかけのインターネットサイトを切断し、報告用の文書を見直す。早々に他のメンバーへ要望を伝えるほうが先決だ。その際に余計な憶測を織り込むのもかえって混乱を招くだろう。


「やめや、やめ。なんでもかんでも結びつけるのも良くないわ。昨日の尾行車やってちょいと風変わりなパパラッチの可能性やって捨てきれへんし、黒幕が一人とも決まってへん」

「じゃあどうすればいいっスかね?」

「ワイらはワイらの仕事をやった。小柴はんの証言まとめて提出しておしまいや。難しい話は他のメンバーに任せてええんやし、ワイらは飯でも食っとればええ。ナイトはんから休め言われてるんや、何も間違っとらんやろ」

「ういっス。ところでハクさん、ちょっとお願いなんスけど……」

「んー?」


 ドロップは正面を向いたままわずかに躊躇ためらう。実のところ彼は少しばかり疲れていたのだ。耳に痛い絶叫の中から証言らしきものを聞き分け、同じことを何度も尋ねる度にイライラがつのる。汚い踵へ刺さった釘を見て、本日の夕食予定である焼き鳥が連想され食欲が失せていた。賑やかな酒場の雰囲気も今は耳障りである。

 従って非常に厚かましいと思いながらも一縷いちるの望みをかけることにした。


「なんっつーか急にキャベツ食べたくなってきたんスよー。皿洗いするんで食わせてほしいなーって」

「ええで。皿洗いもせんでええ」

「いいんスか? あざっす! けどゴチになるのは良くない気がするんでさせてほしいっスよ」

「皿洗いはなー、ワイもやらせてもらえへんのや。お兄ちゃんがやると泡残ってて二度手間って怒られるやで」

「ハクさんより雑な俺じゃダメっスねー。それじゃあアイス買うっス。ちょっとお高い奴でも外食一回分よりメッチャ安いんで」

「せやな。せっかくやし泊まっていけばええんとちゃう?」

「マジっスか。アイス一箱分レベルっスね」


 頭の中で財布の中身を確認する。昨夜もらった五千円札はすでに千円札二枚と小銭になっていたはずだが、アイスくらいなら問題ないだろう。煙草は昨日買い直している為、そちらも問題なかった。

 そんなドロップの財布事情をなんとなく察しているハクはやんわりとアイス代の割り勘を申し出る。もちろんドロップなりの遠慮もあるだろうと交換条件も提示した。


「夜中、呼び出しあったら弟見ていてほしいんや。ドロップにしかできひんし頼まれてくれへん?」

「ちょーお安い御用っス。つか呼び出しの予定があるんスか?」

「可能性あるのは今夜と明日の午前中ってとこやな。何にもないならそれでええんやけど」

「了解っスー……」


 その口ぶりから察するにドロップの出番はなさそうだ。己の未熟さを実感しつつ、できることを増やさなければと心に誓う。

 ナイトが何を思って自分を雇ったのかを考える。

 どこで役に立つかも分からない知識と経験はあれど、自分でなければならない理由はなかった。もっと使い勝手の良い手駒を、それこそ情報屋としての能力を駆使すれば優秀な人材について調べられるはずだ。

 期待されてると信じたい。ここよりも居心地がいい場所を探せる希望が見つからないのだ。


「ほいじゃドロップの分も米炊いてもらわなアカンから電話するでー」


 思考を妨げるようにハクが宣言する。ドロップはその数秒後に考える気力の全てを失った。

 喜色満面で猫なで声を出す人物が隣にいれば仕方のないことである。


「お兄ちゃんやでー。おう、今帰宅途中や。うん、うん、危ないこと? してへんしてへん。あぁ、ほいでな? 急で悪いんやけどドロップも夕飯来ることになったんや。そ、もう米炊いてもうた? あぁホンマ? いいタイミングやったなー。ありがとなーおおきに。うん。ええ子で待っててな。それじゃ、すぐ帰るで」


 上機嫌に鼻歌を歌いながらハクはスマホをしまった。ほんの小一時間前まで拷問官を務めていたなど誰が思うだろう。夜の繁華街で飲み歩き、派手な女性から酒を注がれる姿の方がよっぽど想像がつく。してその実態はただ弟を溺愛する親ばかならぬ兄ばかだ。

 そんなハクの豹変ぶりにドロップはコメントに困っていた。運転へ集中している素振りを見せる為、両手でハンドルを握り直し、いつもならアクセルを踏む黄信号の切り替わりでブレーキを踏んだ。

 停車のタイミングでハクが話しかける。


「ドロップ、朗報や」

「なんスか?」

「一人当たりのロールキャベツが増える。新しく仕込むロールキャベツの方には海老入りやって」

「サイコーっスね」

「楽しみやなー」


 この時ばかりはハクも仕事を忘れることにした。呼び出しの可能性もあったがあくまで可能性だ。少しばかりの運要素と残りはティアラ次第。何もなければいいとは思いつつも進展しない限り解決も無い。願うならばなるべく労力が少なくなりますように、だろう。

 現時点でハクの出来る事は全て終わっていると再確認し、脳内の弟と束の間の安らぎを分かち合うことにした。


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