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【二日目午後】倉庫No.4 その②

 合計二十本の指を破壊し尽くすには決して短くない時間を要した。その間に小柴は気絶することすら許されない。返答や反応が薄くなるとかかとへ釘を穿うがたれる。繰り返すたびに本数は増えていく。時に骨へ響き、時に肉を突き破って顔を出す。次第にそれはピンヒールのように小柴を支えた。クレーンに吊られつま先立ちを強要されている足から力を少しでも抜くと、踵に刺さった釘がより肉の内側へと食い込んだ。特に拘束を受けていない左足は小柴の意志に反して度々動いてしまう。自ら気絶してはならないと身体へ呼びかけ続けることになる。


 足の指が蹂躙じゅうりんされ尽くすと、つま先立ちであろうとなかろうと耐え難い痛みが小柴をさいなんだ。左腕一本で自身の体を支えられるほどの体力も気力も残されていなかった。


 ハクは小さく息を吐いて立ち上がる。仕上がりに満足したのかしげしげと観察し、しきりに頷いてみせた。散らばった爪を拾い集め、道具と一緒に小柴から遠ざける。

 拷問の終わりを察知した小柴は虚ろな瞳から新しい涙を滲ませた。笑顔を作る余裕などはなく、漏れ出る涙の塩気ゆえに傷口が痛もうとも、ただ涙が流れ続けた。

 そんな小柴へハクが微笑みかける。普段となんら変わりのないその顔は小柴にとって悪魔の微笑みであった。


「小柴はん、喋りすぎて喉渇いたんとちゃう? バケツチャレンジ二杯目いっとこーかー」


 ハクが海水で満たされたバケツを持ち上げる。ちゃぷんと海水が揺れ動く。

 小柴の顔から血の気が失せた。目覚めに受けた手荒い洗礼のおかげで、その中身が真水ではなく海水であることを知っていたせいだ。

 傷口に塩をぬるという言葉があるように、その痛みは生半可のものではない。


 ハクはゆったりとした足取りで段差を上る。小柴の頭よりも高い位置にバケツを掲げて見せた。バケツの影に隠れて小柴の絶望の表情が陰る。天井の照明からの逆光にハクの顔も陰った。


 唯一の観測者であるドロップはそっと後ずさり、道具の置かれた安全地帯へと避難を済ませる。ハクから目が離せずにいた。小柴よりもハクのほうが辛く、切なそうな顔をしているように見えたのだ。


「なぁ……。小柴はんにはワイってどう見えとるん? 天使には見えへんよな? 天使っちゅうのは罪を犯す一歩手前で現れるもんや。罪を犯した後に天使はおらへん。そうやろ? ここに天使がいたらアカンのや」


 この空間において、その言葉の真意を理解する者はハクしかいない。いつかの夜の出来事を知る人間にしか――……。

 結論としてハクの望む救いは与えられないのだ。

 ハクは一人、絶望し、涙の代わりをぶちまけた。


 波によく似た音。

 傷口に染みる塩は小柴の想像を絶する痛みであった。水に含まれている塩の最小単位の粒が傷口を押し広げて焼いていく。特に足は焼けた靴を履かされたかのように踊り狂った。ひしゃげた指が。ハリネズミのような踵が。何度も痛みを、何度も痛みを、何度も痛みを!

 いっそ狂えてしまったらどれほど幸せだろう。だが痛みは理性を繋ぎとめる鎖であった。これまで安穏の日々を送り続けた小柴には痛みを手放すすべを知らない。知らずとも生きられたからだ。これからも知らないまま生きていくはずだった。


 汚れた水がドロップの足元までやってくる。気にも留めずにメモの内容を確認し、ポケットへしまい込む。ゆっくりと顔を上げ、覚悟を決めた。


「――ハクさん、これ以上コイツから情報は搾れないっス。もういいっスよ」

「フィクションとかで拷問避けに舌噛んで自殺するシーンとかあるやろ? あれ意外と簡単に死ねんのや。舌噛んだ痛みのショック死やのうて、千切れた舌が喉の方へ反り返ってどばどば出る血によって窒息死するんやで。奥歯に毒仕込む奴とかもおったりするなぁ。せやから玄人の匂いする奴はさっさと歯を取り除くんや。小柴はんは初体験なんやし、前歯上下合わせて四本くらいでええんとちゃう? ま、それ以上行くかもしれへんけどな」


 バケツを置き、ハクが次に選んだのはありふれた石である。彼の筋書きの中で、小柴は転んだ拍子に石で歯を折ってしまうのだ。

 振りかぶった手をドロップが掴む。


「ハクさん、もういいっスから……」

「せやかて――……」


 ハクの瞳はまだ微睡まどろんでいる。ドロップを見つめていながらも焦点が合っているようには見えなかった。

 ドロップは得体の知れない恐怖を飲み込み、唯一の切り札を切る。


「ハクさんの弟へチクるっスよ」

「それは……アカンな。ドロップの口封じも必要か?」

「っ――!」


 ゾクゾクと悪寒が背中を駆け抜けた。咄嗟に掴んだ手を放し、ハクから視線を逸らさず距離を取る。作業着のポケットに入っていたスマホを取り出し、これみよがしに構えて見せた。


「今すぐメンバーと通信するっス。俺を殺ったのがハクさんだって絶対分かるっスよ。俺の価値はぶっちゃけそこまで無いっスけど、ナイトさんからの信用は落としたくないっスよね? あの人が一度抱いた疑いは二度と消せないんスよ」


 交差する視線。

 張りつめた空気。

 ハクの瞳に自分の姿が映ったのをドロップは見た。


「せやな……。ワイ、思考が歪んどる。アカンな、アカン……。だってようやっとこの手が汚れてて……」


 ハクがその場にしゃがみ込む。手にしていた石を手放し、長い長いため息を吐いた。現実が駆け足で戻ってくる。


「あーもー……そうやん。殺したらアカンって……。やりすぎないようティアラはんにも言われとったやないかー」


 ふっと空気が緩む。

 ドロップは思い出したかのように呼吸を繰り返し、肩を上下させた。遅れて全身から汗が噴き出す。安堵で心を宥めながら心の中でナイトへ感謝を捧げた。ポケットへと不要になったスマホを戻す。

 ハクが顔を上げる。立ち上がり、一歩ドロップへと近づくも警戒心を抱かせてしまったと自覚するやいなや踏みとどまった。ありありと後悔の色が浮かんでいる。


「ドロップ、すまんかった」


 頭を下げかけ、それでは到底足りないと思い直したハクが膝をつき、ドロップは慌てて駆け寄った。ドロップの立場上、さすがに土下座をさせるわけにはいかない。ハクの上半身を下から支えるように抱きしめどうにか阻む。濡れた床により服が水を吸い込むが構っている余裕は無かった。


「ハクさんやめてくださいっス! 俺はちょっと脅かされただけっスよ! 血の一滴どころか薄皮一枚だってめくれてないっス!」

「せやかてアカンやろ。なんなら小柴はんと同じかそれ以上に痛めつけてくれてもええんやで」

「俺にはまだ無理っスよ! つかハクさんは最初に理性飛ぶって言ってくれたんで大丈夫っスから! あとハクさんにだけ肉体労働めっちゃさせてさーせんっした! 次は俺も手伝うんで!」


 精一杯のフォローを繰り返し、どうにかハクを立ち上がらせる。

 ハクは最後にもう一度だけ謝罪を口にするといくらか楽しげな顔をしてみせた。


「ドロップも拷問興味ある? 次からやってみよか。最初は水責めやな。あれは自白とるのに楽やし、人道的やし、おススメやで」

「今日はなんでやらなかったんスか? 水めっちゃあるっスよ?」

「今日は自首があるやろ? 喉元過ぎて忘れましたじゃアカンから苦痛が後に残るようしておきたかったんや。痛みを伴わへんと人間はなんでもすぐ忘れるもんやからな。ナイトはんは例外やけど」

「ナイトさん拷問したらどうなるんスか?」

「どうもこうもないで。こっちの骨が折れるだけや」

「やり返されるんスね」

「合ってるんやけど、日本語分かってへんやろ」


 すっかりといつもの調子で会話が繰り広げられる。

 ハクはわざとらしいあきれ顔をし、ドロップは何も分からないままへらりと笑った。

 おもむろにハクが時刻を確認する。夕方というよりも宵の口といったほうが相応しいだろう。


「ドロップ、訊きたいこと全部終わったんやな?」

「ういっス!」

「ワイ、後片付けするさかいその間に報告してみぃ。昨日よりはマシなまとめ方で頼むで」


 素早くメモ帳を取り出し、背筋を伸ばす。ミミズがった後のような文字へ目を通し、深呼吸を一つ。昨日よりもしっかりとした報告ができるはずだと奮い立たせ、気合をいれるべく大きな返事をした。


「はい! まず最初に殺害予告の書き込み。これは小柴 俊也本人が書き込んだもので間違いないっス! 次に動機。これがちょっと複雑っス。小柴 俊也は常盤 咲幸の公式SNSをよく閲覧してるみたいなんスけど、とあるドラマの出演を匂わせる発言があったらしいっスね。ただその後、この発言は前触れなく削除、今日までドラマ関係の話は一切ないっぽいっス。この辺はあとで裏取りするんで」


 小柴 俊也の発言だけでは確信は得られない。だからこそ何が不透明な情報かを明確にし今後の情報収集の目安とする。

 ハクはドロップの報告を遮らない程度に相槌を打ちながら耳を傾ける。まとめ方は下手でも昨日の報告に比べたら幾分聞きやすかった。


「あとこれも裏取り無しの情報なんスけど、とある噂が姫華アンチ掲示板に書かれたらしいっス。その内容っていうのが、常盤 咲幸の出演予定だったドラマはキススキ、宝ノ木 姫華が常盤 咲幸から無理矢理主役の座を奪ったあげく、チョイ役も取り上げたらしいと……。ただ、この時点では姫華に対して死ねくらいの気持ちで殺すってほどじゃなかったらしいっス。でもやっぱりキススキが話題になったり、バイト中にビターステラが流れる度にイライラしてたみたいっスね。で、昨日の夜、小柴 俊也に謎の人物がメッセージを飛ばしてきたらしいっス。そいつが姫華のライブリハの情報を与えたっぽいっスよ。しかもそいつと会話している内に今までのストレスとかがMAXになって、酒に酔ってたこともあってか調子にのって掲示板へ書き込んだって話っス。以上報告終わり、あざっした!」


 道具を一通り片付け終えたハクが小さく親指を立てて見せる。及第点には到達したようだ。ドロップがほっと胸をなでおろす中、最早耳にこびりついた小柴の悲鳴が轟く。見ると、ハクが小柴の踵へ刺さった釘を抜いていた。それも釘で円を描くようにぐりぐりと傷口を広げながらである。


「謎の人物なー……。あきらかそっちの方がタチ悪そうやし、ちゅうか小柴はんただの鉄砲玉やんけ。気合入れて拷問した結果がこれや。はーテンション下がるわー」

「そっスね。どうみても一般人なんで姫華のリハーサル情報とかどうやって仕入れたのか期待してたんスけどなんか不完全燃焼っス」

「せやな。ほれドロップ、手伝ってくれへん? さすがに釘刺しすぎてもうたわ」

「ういっス。お安いごようっスよー」


 吊るしあげた男の前にしゃがみ込む二人の男。なんともシュールな光景の中、汚い悲鳴が響き続けた。


「こないな汚れたの車乗せるの嫌やし、海岸捨てに行こか。ちぃと暗くなってきたしバレへんバレへん。適当に110だか119だかに通報すれば死にはせんやろ」

「そっスねー。抜いた釘はそこのボトルへ入れればいいっスか?」

「おう。頼むで」

「ってコレ爪入ってるっスよ」

「忘れとったわ。証拠隠滅せんとな。ドロップは釘抜き頼むで」


 ボトルを傾け、手の平に血にまみれた生爪が転がる。ドロップはボトルを受け取り、そのまま作業を続けた。頭上で繰り広げられる拷問の続きは聞かなかったことにする。ある程度の事はスルーするのも必要と理解しているのだ。


「はーい小柴はーん、煎じてへんけど爪の垢飲ませたるで。一枚ずつ舌に乗せるさかい、吐きださんと飲むんや。バケツで水汲み行くのも手間なんやで? ほれ、あーん」


 ドロップは手軽な処分方法に感心しつつ、嫌悪感に舌を突きだした。心の底からこの人に逆らうのはやめようと思う。とかく発想がえげつない。先週自身が口を割らせようと手こずり、ハクに引き渡してしまった相手を思うと同情と反省が込み上げてくる。報告書を読むのが少しばかり憂鬱だ。


 釘の回収と生爪の処分が終了し、ハクはさっと次の段階へ移る。


「小柴はん、おまわりさんとお喋りする時の口裏合わせしよか。勢いで殺害予告をしてもうた小柴はんは翌日になると急に恐ろしゅうなってまう。家族へ行先も告げず海まで逃げた。そして足を滑らせ堤防から落ちてまう。そいでこの大怪我。痛い目を見て自首を決意したと。そんなんでええ?」

「はぃ……」返事だけはなんとしてでもしなければと小柴は学んでいた。

「その耳の怪我はどうしたんや?」

「ピアスを……あけようとして……失敗しました」

「ほーん。わりと新しい傷やけど、いつやったん?」

「昨日、穴をあけようと失敗、して……。堤防から、落ちたから、傷口を擦ったんだと思います……」

「うんうん。ええやんけ。上出来やな」

「はい……。ありがとぅ……ござぃ……」


 ぼろぼろと涙を溢す小柴を慰めるように、ハクが優しく肩を叩く。もちろん傷口を避けるという配慮は無い。小柴はすっかり嗄れた喉を震わせ嗚咽を漏らす。無意味と分かっていながらも赦しを乞い続ける。喚くだけの元気は無かった。


「自首して反省してお金払ったら出てこれる軽犯罪でよかったなぁ。ワイらのことは好きに喋ってええんやで。あんさんは軽犯罪やからすぐシャバに出れるし、ワイらかていつでも会いに行けるんや。ムショやとわざわざ刺客送りつけなアカンやん? いやー楽できてよかったわー。ほいドロップ、意訳せぇ」


 情報の裏取りをすべく触っていたスマホから顔を上げる。それから自信満々に答えた。


「お前ごときいつでも殺せるから、今日の事は墓場まで黙って持っていけーって意味っスね!」

「80点やな。正解はお前ごとき殺すのも面倒だから、自首した後にさっさと自分で首吊って迷惑かけた家族へ金を遺せ、や」

「あぁ! 自首ってそういう意味もあるんスね! 初めて知りやした!」


 ハクはあえて訂正をせず受け流す。今は小柴への説明が優先であった。


「小柴はんのお勤めが終わって家に帰る頃にはワイらの方からメール送るさかい、ちゃんと見てな。アフターサービスの『自首のしおり』や。首の吊り方はもちろん、遺書の書き方、パソコンに保存してあるエロいデータの消し方まで手取り足取りサポート揃ってまっせ。ワイからのアドバイスは首吊る二、三日前から絶食すると大も小も漏らさんで済むっちゅーことと、動く体力ないんやらドアノブ使うのがおススメやでってあたりやな」

「やってもないのに詳しいっスね」

「させたことなら、ぎょうさんあるからなぁ」

「さすがっス」


 小柴はぼんやりと二人のやり取りを聞く。よく知る日本語であるにもかかわらずどこか異国の言葉に聞こえた。どうしても理解できない。目の前にいる二人の人物は人の形をした何かであるとしか思えなかった。こんな人間がいるはずがない。いてはいけない。どうして存在しているのだろうか。


 異形の者が小柴へ笑いかける。灰色の雲の下、紅い三日月が姿を見せる。


「あぁそうそう。こないに手を尽くしてもまだ死にたくないんやったら、死んだ方がマシだと思わしたるから、そん時はよろしゅうな」



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