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【二日目午後】倉庫No.4 その①

 一歩外へ出ればさざなみの音が聞こえる。だが重い鉄の扉を閉めれば何も聞こえない。うるさいまでの貨物船の汽笛さえ、はるか向こうの過去へと旅立ったのか、小さく、小さく、溶けて、消えた。ここもまた世界から切り離された空間だ。

 海辺の広い倉庫街。その内のどこかにある、ぽつんとひらけた場所がここだ。


 ドロップは海水で満たしたバケツを二つ、濁った白色の床へ置いた。臨海地域特有の耐海水性の加工がなされているものの、至って普通のコンクリートの音がした。


「ハクさーん。お待たせしやした」

「おー、全然待ってへんよ。こっちも今、セッティング終わったところやしな」


 にこやかに笑うハクに対し、ドロップはぎこちない笑みでしか応えられない。セッティングが完了した現場を前に戸惑いを隠しきれなかった。


 天井に設置された小型クレーンから下がるワイヤー。その先は小柴こしば 俊也としやの左手首に巻かれており、彼がちょうどつま先立ちになる高さに調整されていた。右足首には重々しくも短い鎖で床と繋がれている。幼子が人形の手首を掴んで連れまわしているかのようであった。

 小柴 俊也を取り囲むように二段の低い足場が組まれ、当人以外の大人ならば簡単に吊るされている左手まで手が届くようになっている。

 肝心の小柴 俊也はまだ気を失っていた。気絶させられ狭い箱に押し込まれての移動だった為、途中で目が覚めても頭をぶつけ再び気絶してもおかしくはない。使い古されたスウェットが殊更彼をくたびれた印象に見せている。


 そんな非日常的な景色を前に、ドロップはやんわりとした感想を口にした。


「ハクさーん……。俺、割と黙って指示に従ってたんスけど、これヤバイ奴じゃないっスか?」

「具体的に言うと?」

「なんか、これから拷問始まりまーすみたいな」

「せやで」

「するんスか」

「するなぁー。拷問訓練もされとらん一般人には効果絶大やで」


 外れてほしい予想が的中する。

 雑談交じりに道具を並べるハクはいつもと変わりない。運転時や会議参加時と同じ仕事中の顔だ。それなのに、ハクと名乗る前のハクの面影を見つけてしまう。もし彼が今、下手ななまりを捨て彼本来の言葉で喋っていたならばドロップは別の名で呼んでしまったかもしれない。それだけはしてはいけないと念頭に置きながら精一杯の言葉選びを行った。


「俺、てっきりハクさんはそーゆーのやめて、情報屋をやっているんだと……」

「辞めるも何も、ワイが拷問やら死体処理するのはナイトはんのとこで情報屋始めてからや。ドロップは情報屋がカタギの仕事やと思っとったん?」

「えぇっと俺が言いたいのはちょっと違くて、情報屋ってなんか、こういう時はインテリ的というかゆーどーじんもんとかして、心理学を使って嘘を見抜くとか自白とるとかなんじゃないっスか?」


 豪快な笑い声が響く。倉庫の中で何重にも響き渡りこだました。白い手袋をはめた手を叩いてにぶい音を重ねる。何がそこまでおかしいのか誰にも分かりはしない。ただ、笑いたくなっただけだ。

 余韻が消える頃にはまたいつも通りのトーンで話を続ける。


「ワイらアホやん。そないなまどろっこしい高度な技は他のメンバーの仕事や。うちの組織は性能尖っとる奴らが足りないとこ補い合っているんやで。ワイは汚れ仕事専門。アイドルのマネージャーごっこも新人教育も、やらせてみたら案外上手くできるやんけってなカンジで後から増えた業務や」

「なんかさーせん。新人さっさと卒業しやっス。それじゃあ俺は何を手伝えばいいっスか?」

「そうやなー。二度手間も面倒やし、まとめて説明したろ。ドロップはとりあえず挨拶、礼儀、言葉遣い。いつも言ってる通りちゃんとするんやで。小柴はんは大事なゲストなんやからな」

「了解っス!」


 ハクが海水の入ったバケツを一つ持ち上げた。中身を小柴へ叩きつけ、カラになったバケツは盛大に床を転がる。耳に痛いほどバケツが泣きわめき、小柴の意識が覚醒した。


「おはようさん。No.4へようこそ。小柴はん」

「はよございまっス! よろしくお願いしやっス!」


 まだ状況を把握しきれていない小柴をよそに、ハクはぺらぺらと舌を躍らせる。ショーの始まりを告げる口上だ。ドロップへの説明も兼ねている為、いつもの台詞に即興のアレンジを凝らす。参加者の紹介を兼ねた説明に、目には見えない観客達は期待の眼差しを浮かべながら聞き入った。ショーに関するお約束事はしっかりと心へ留めておかねばならない。それがエンターテインメントを楽しむ鉄則だ。


「ワイの名はハク。こっちの若手がドロップ。そいであんさんは小柴 俊也。ワイからは親しみを込めて小柴はんと呼ばせてもらうな。今から一通りの説明をするさかい、二人共よーく聞いておくんやで。まずは役割分担。ドロップが尋問官、小柴はんが回答者、ワイが拷問官。はいドロップ、小柴はんに訊きたいことはなんや?」

「はい! えっと、宝ノ木 姫華に対して殺害予告を掲示板に書いたかどうか。それでその動機とか、もしいるなら共犯者とかも教えてほしいっス! あとは自首にも協力してもらえればオールOKっスね!」

「うんうん。よう言えたな。小柴はんは聞こえとった?」

「…………」


 現実味のわかない事態に小柴はついていけない。早くも自身の体重の全てが掛かったつま先と左腕を苦し気に震わせている。

 そんな小柴へハクは容赦しなかった。予め用意してあった電動ドライバーを手に持つやいなや、小柴の耳たぶを貫く。

 痛みにのたうち回るのを手足の鎖が許さない。ハクが電動ドライバーの電源を切り、小柴の悲鳴が小さくなるのを待ってから質問を繰り返す。


「小柴はん、聞こえとった? 聞こえへんようなら耳の中にこれ突っ込むで」

「ひっ! 聞こえた! 聞こえました!!」

「おーおー。それは良かったわ。あ、その傷はピアス開けようとして手元狂ったことにしてな?」

「はっいっ……ぃ……」


 小柴の頭の中では痛い痛いと騒ぎ立てる自身の声が収まらない。突然の暴力に涙が滲むほど程恐怖した。まだ序の口だという現実を理解するには至っていない。

 凄惨せいさんな光景を前にドロップは平然としていた。血と暴力に懐かしさと、これまでとは違う一面を見せるハクに対して新鮮さを感じている程度だ。結局のところ、ドロップの感覚は観客のそれとは異なっており、だからこそ役者の一人としてこの場にいるのであった。

 ハクは必要のなくなった電動ドライバーを床に置き、何も持っていない白い手袋をはめた手を見せて笑いかける。


「ほいじゃ説明に戻るけど、小柴はんは尋問中ワイのことを無視してええで。今やっとる説明は聞いてほしいからちょっとばかし脅かしてしもうたけど堪忍な。基本的にドロップに訊かれたことだけ答えとけばOKや。ワイは独り言ぶつくさ言いよりながら拷問するだけやから、何言っても無駄やで。洗いざらい正直に吐いてくれたら短時間で終わってワイら全員ハッピーやから協力してな。ドロップは話をちゃんと聞いてメモ取り終わったらワイを止めるんやで。あ、そうそうワイはハイになると、聞く耳持たんまま自分の世界浸るタイプやからよろしゅうな」

「俺にハクさん止めるなんて、出来る気がしないんスけど」

「ワイの弱点知っとるやん? 小柴はんの命はドロップに懸かっとるもんやし、責任重大やぞ」

「了解っス。説明はこれで全部っスか?」

「せやな。他質問ある?」

「ないっス!」


 一拍置いて、目を細めて笑うハクが小柴を見据えた。その隙間から感情を見いだせない瞳がゆらりと姿を見せる。そして次の瞬間、小柴の腹部にハクの蹴りが突き刺さる。

 重い重い音。

 息が詰まった。胃液が喉を焼きながら込み上げて口から零れ落ちる。遅れてやってきた痛みと吐き気が逃げ場を探してのたうった。ワイヤーが揺れ、鎖がきしむ。

 ハクは汚れた作業着を気にすることなく小柴を見つめる。手のかかる後輩の失態を目の当たりにする時と同じであった。


「返事はちゃんとせえ。あんさん大人やろ?」


 ようやく呼吸を行えた小柴は憔悴しょうすいしきった顔で目を伏せる。悲鳴とは比べようもないか細い声で謝罪を口にした。


「はぃ……ごめんなさい」

「ワイは謝ってほしいんとちゃうで。質問あるかどうか答えてほしいんや」

「僕、これから……どうなるんですか?」

「せやから拷問されるんやって。小柴はんは拷問初体験やろ? どの拷問がええとか好みあったりするん? 特に無いならワイの考えとったコースになるけどそれでもええ?」

「お任せ……しま……」

「ほいきた。他は質問ある?」

「えっと、えっと……!」


 必死に希望を探す。会話が成り立つという事実に何か勘違いをしているようであった。ありもしない救いの道を懸命に探す小柴は滑稽こっけいである。

 続く言葉が見つからない。時間切れだ。

 やんわりとドスの利いた声でハクは終止符を打つ。


「時間稼ぎの問答なら付き合いきれんで。こちとら夕食までに帰らなアカンのや。あんま手間かけさせるんやないで」

「無いです! ごめんなさい、ごめんなさい!」

「そないに恐縮せんでええよ。じゃあワイの説明は以上やから、後はドロップと会話してな。ワイはスイッチ入るまで黙っとるから」


 宣言通りの沈黙が訪れた。

 すがるような目で小柴はドロップを見つめる。説明通りであるならばドロップはこの地獄を終わらせる権限を持っているのだ。

 ドロップはガシガシと頭を掻いてからぺこりと頭を下げる。作業着のポケットからメモ帳とペンを取り出し準備を終えると口火を切った。


「えっと、小柴さん、この人マジでヤバイ人なんで、できるだけ早く俺の質問に答えてくださいっス。それしか道はないんで余計な考えは捨てた方がいいっスよ。まず宝ノ木 姫華へ殺害予告をしたのは、小柴さんで間違いないっスか」


 激痛。

 小柴からの返答は盛大な悲鳴であった。原因は明白。小柴の右の手の平をハクが紙やすりで擦った為だ。


「やっぱ手の平擦り剥くよなぁ……。岩場っちゅーよりもコンクリートに近い感じを目指していきましょか」


 がっちりと掴まれ逃げ場はない。目の粗い紙やすりが皮膚を削る。早々に血が滲みだし小柴は悶絶した。


「痛い痛い痛い! やめで! やめでぇ!! あづいあづいあづいあづい!!」

「小柴さん、全部話したら俺もハクさん止めるのに全力出すんで、早く答えてくれないっスか」

「ワイが目指してるんは海岸沿いのコンクリートの上で転んだ時の傷の再現なんやけど、どないしたらそれっぽいんやろ。つまづいて転んで、とっさに右の手の平ついて……。小柴はん鈍くさそうやしバランス崩すやろな。ほいだら右肩も擦ったろか。右腕全体に掠り傷作って、肩と肘を肉がただれるくらいまで削ろうな。面倒やからナマクラでえぐってライターで炙ったら爛れた感でるんとちゃうやろか」


 ハクはぶつぶつと思考を垂れ流す。

 昨夜車を運転していた時と同じだ。自分の世界に浸り、あやふやな境界線を行き来する。そこは痛みの無い世界。ハクにとって心地よい世界でなければならない世界。それなのに彼はもう自身の在りどころを見失っている。歪な月が揺らめいて幻想へ狂気を注いでいく。おぼろな三日月は夜の笑み。にっこりとにっこりと。


「う゛わぁあああああ!! たずぇええあぁああぁああ!!」

「叫んでる元気あるなら答えてほしいっス。叫びたいだけならうるさいんで口塞ぐっスよ? そしたら自白とれないんで喋る気になっても死ぬっスけど」

「僕です! ぼぐがぁああ!! 書ぎぃいああだああ! 喋るからやめで! 喋るからやべでぐだざああづうううああ!!」

「さっき説明されたじゃないっスか。全部話すまで終わらないっスよ。えっと拷問が嫌だから嘘のこと喋ってる可能性もあるんで、本当に書き込んだ本人かどうか証明してくれないっスか? 書き込んだ時間とか内容とかどうやって書き込んだとか、こっちで調べてある内容と合ってればいいんでオネシャス」


 白い手袋が汚れていく。汚れた油のような染みが白を侵食し、けがれた倫理観は二度と戻らない。

 小柴に唯一与えられる安らぎはハクが道具を持ち替えるわずかな時間だ。その間に息を吸い、質問の答えを考え、また与えられる苦痛に対し喉を割く勢いで絶叫する。痛みで意識が朦朧もうろうとすることもなく、同じ痛みの繰り返しで脳がにぶることもなかった。誰に教えられるでもなく直感的にそれができるのだから、ハクにはがあるのだろう。


「海沿いのコンクリートって砂まみれやん? せやから砂まぶして擦っていくで。もうちょいリアリティ出す為にガラスの破片も混ぜとこか。ほら最近ゴミ問題とかあるやん? ワイたまに釣り行ったりするんやけど、ついでにゴミ拾って帰ってきてるんやで。こうやって再利用できるしリサイクルって大事やな」


 破れた服から露出する肩。抉られた肉に砂利がかけられた。ガラスの破片をのせ新しい紙やすりを被せる。

 小柴は何度も首を横に振った。それでも現実は変わらない。汗、涙、鼻水、唾液で顔中をぐしゃぐしゃにしても無駄だ。ぽろぽろと砂や破片を溢しながらも確実に肉の内側へと沈みこみ、摩擦に合わせて転がっていく。

 これ以上の痛みは無いと何度も思った。だが記録は容易に更新を続ける。

 そんな小柴の眼前にハクが次の道具を突きつけた。


「そうそう、この間拾ったのがこれ。錆びた釘と釣り針や」


 赤銅色に錆びた釘。

 釣り針は金色で比較的新しく見えるものの、わずかに湾曲しているだけで釣り針らしさはなかった。仮に先端のカエシが無く、絡まった釣り糸テグスが付いていなければただ曲がっているだけの針金に見えただろう。


「これはそでっちゅー名前の釣り針でな。強度がちと弱いんですぐ伸びてしまうんや。形が歪んどるし、使い物にならへんから捨てられたんやろなぁ」


 小柴の右の中指。その第二関節へ針を貫通させる。絡まった釣り糸テグスをまとめて掴み力任せに引っ張ってもカエシが邪魔をして抜けることはなかった。

 続いて錆びた釘が手首にてがわれる。手の甲を固定したまま小さな金槌で三度小突くと肉の中に突き刺さった。ボロリと崩れた鉄くずは釘の強度を物語る。肉を割く強度はあれど、摘出の際の負荷に耐えられるかは分からない。体の中に酸化した金属の粉が残るのは間違いないだろう。


「ついでに打撲していくでー。膝の皿割った音とか聞いたことないやろ。チャンスは二回、聞き逃したらもったいないで」


 狙いを定めるように金槌が左右の膝を撫でる。わずかな空白。かすかな風を最後に、今まで聞いたことの無い音が聞こえた。

 自身の内側が破壊される音。視界が白と黒の明滅を繰り返す。一瞬だけ、何もかもが吹き飛んだ。頭の中でわめき続ける自分の声も、つたない敬語交じりのドロップの問いかけも、恐ろしいほど淡白なハクの独り言も、痛みも光も闇も何もかもだ。

一瞬だけの解放からはあまりにも釣り合わないほどの地獄が返ってくる。


「あぁ、せっかくの初拷問体験やってのにオーソドックスなことしてへんかったな。サクサク進めるで。親指の爪は割ったるな。人差し指の爪は抜いたる。中指の爪は剥ぐな。薬指のは削って……小指はーうーん……面倒やから中指と同じでええ? あ、小指は指ごとボッキリ折ろうか。左手の方は同じ順番で親指は抜くとこからスタートするな。以下同様にスタート地点を変えて足の方もぜーんぶやるで」


 ここには真実しか存在しなかった。

 宣言通りの拷問。嘘偽りの無い質疑応答。残酷な痛み。

 全ては白日の下に。そう、全てだ。


 まだ終わらない。


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