表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/30

【二日目午後】車内 その①

 都内有数の繁華街。優秀な人材をスカウトすべく、宝ノ木 姫華の事務所はそこに根を下ろしている。時刻は13時。昼下がりの通りはなんのイベントも無い平日でありながら多くの人々で賑わっていた。

 路肩に停車するのは昨夜送迎で使った車よりも一回り大きな車。6人から9人乗りでシートの取り外しも容易だ。快適に人を運ぶよりも荷物を運ぶ用途に適している。車内には同じメンバーが揃っていた。運転席に座るハクはティアラがうんざりするほど同じ台詞を繰り返す。


「予定より大分早いけど、ホンマに休まんでええの?」

「同じこと言わせないで。アタシは小柴 俊也の所へ行く暇ないんだから、さっさとアンタ達と別れるのが最適でしょ。アンタ、マネージャーよりうるさいわよ」

「ワイはどうやったってアイドルの仕事はできひん。姫華やのうてティアラとして扱え言われている以上、ファンとして応援も相応ふさわしくない。せやからこうして心配とサポートに徹しているんやで。ちゅうわけでティアラはん、今夜の迎えは何時頃がええの?」

「今夜はいらないわ。マネージャーにタクシーでも手配してもらうから」


 よどみない答えにハクはもう、制止は不可能と断じた。彼女は立ち止まらない。どこまでもどこまでも進んでいく。流行の最先端へ君臨するには誰よりも進まなくてはならないのだ。そしてそれは情報屋とて同じこと。常に新しい情報へアンテナを張らなければ手元のカードは腐っていく。


 特にティアラが得意とするのは芸能分野。鮮度と精度を第一に、煙が立つ前の火種を探す。

 噂話の数は砂の数。ねちゃついたゴシップには誰かの悪意がそこかしこにちらほらと、ほら、法螺ホラ話。ここだけの話はもうすでに虚構へのはじまりだ。らしいよは自分を守る虚言の鎧。きらめく唇から真っ赤な嘘とたくさんの舌がにちゃりにちゃりと覗かせる。


 そんなつまらない話が金になる。なんてつまらない世界だろう。


 ナイトはゴシップに対し、さほど食指が動かない。情報屋として欠かせない分野としての認識と理解はあれど、芸能人の結婚も離婚も成功も破滅も似たような刺激ばかりで飽いていた。

 ゆえにティアラは心のどこかで焦りを拭えない。自分の手にする情報は売れる。しかしナイトの渇きを満たせるものではない。ナイトから必要とされるにはもっと上質な地位と名誉と人脈が要る。それが見込めなければたちどころに見放されるだろう。

 立ち止まらない。立ち止まれない。ティアラはもう手遅れなまでに心酔していた。


 ハクを歪と笑えど、どちらがより歪だろうか。


「ほな気ぃつけて。連絡は密にな」

「えぇ、そっちこそ。くれぐれもやりすぎないようにね」


 彼女の手元にあるスマホが鳴った。それを合図に顔をマスクで隠した姫華が車を降りた。

 事務所の入り口で辺りを見回していたスーツ姿の女性が、自身へ向かってくる姫華へと駆け寄る。二人は揃って事務所の中へと消えた。


「あれ姫華のマネージャーな。顔覚えておいて損はないで」

「ういっス」


 助手席へ座るドロップが二人の後ろ姿をしっかりと見送る。エンジンの稼働に合わせて車体が揺れ、車は動き出した。

 出発するなりハクが大きく息を吐く。溜めに溜めた心労が愚痴と共にこぼれおちた。


「あーホンマ疲れるわー。スノーはんとティアラはん顔合わせると毎回ああや」

「お疲れ様っス。でもスノーさんが機嫌いい方でよかったっスね」


 何気ない所見にハクは大げさに驚いてみせる。


「ドロップも分かるようになったん? わりと機嫌よくて助かったわ」

「俺に向ける殺意が30%OFFくらいだったんで。なんか良いことでもあったんスかね?」

「ナイトはん居らんからやろなー」

「フツー逆じゃないっスか? スノーさんめっちゃナイトさんのこと好きっスよね?」

「それはあれや。子育てや家事から解放された母親の心境と同じやで。自分の子供に愛情あっても、たまには羽伸ばしたくなるやろ」

「なるほどっス。そしたら今頃パーッと遊んでるんスかねー」

「まだ寝とるんとちゃう?」

「つか、スノーさんだけでなくうちのメンバー全員、プライベートで何してるかさっぱり分かんないっス」


 ハクはしばし考え込む。知っているようで案外知らないものだ。運転に差し支えない程度に頭を使う疑問がちょうどよかった。自分で考えて話す分、ラジオを聞くよりも眠気が弱まるというものだ。


「ナイトはんはなーんでも興味持つさかい一概に言えへんな。スノーはんが一番分かりやすいんとちゃう? いっつもパソコンで遊んどるし、たまーに外へ走りに行っとるくらいやで」

「インドアっスねー」

「スノーはんは仕事中毒っちゅーよりも半分趣味で仕事しとるからなぁ。No.2やら各拠点にパソコンあるやろ? あれ全部、スノーはんがカスタマイズした奴やで」

「マジっスか? まあ確かにパソコン得意らしいし、ハッキング出来るし、納得なんスけどマジパネェハッカーっスねー」

「ハッカーっちゅーよりクラッカーやな。パソコンに詳しくて、ええ奴はハッカーで悪いことしとる奴はクラッカーって言うんやと」

「へー、覚えとくっス! けどスノーさんってそんなに悪いことしてるようには見えないっスけどね」


 記憶のノートの欄外へクラッカーと走り書きをする。これにより言葉自体は記憶していても意味やどういったいきさつでこの単語を知ったのかを全て忘れてしまう。ひいてはそれが誤用に繋がる原因に繋がりかねないがドロップはまだ学習していない。


「意外かもしれへんけどあぁ見えてスノーはん茶目っ気あるで。クラッカーの本質は悪戯好きの悪ガキやからな」

「いやー冗談キツイっス。スノーさんが俺みたいな奴なんて信じられないっスよー」

「いずれ分かるようになるで。ただの堅物をナイトはんが気に入るわけないんやからな」


 カーナビが口を挟む。指示に従い、一般道から高速道路へ移動する。ティアラの送迎時間が前倒しになった為、ずいぶんと時間のゆとりが生まれていた。

 自身の内側へと耳を傾け、空腹を確認する。さほどの空きはないがこれから行うのは肉体労働だ。万全を期したい気持ちもあった。


「ドロップ、昼メシはどないする? S.A寄ろうか?」

「午前中あんま動いてないんで、夜まとめてでも平気っスよー。俺今日、めっちゃ焼き鳥って気分なんスよねー。ハクさんも一緒にどうっスか?」

「ワイはキャベツフルコースが予告されとるんや。遅くとも20時前には帰らんとあかん」

「なんスかそれ、ノロケっスか?」

「せやで。可愛い弟の手料理やもん。仮にキャベツの千切りへ塩振っただけの料理でも涙流して食ったるわ」


 車体が揺れる。

 追い越し車線へ移動した時点でドロップから血の気が引く。わたわたと泡を食いながらシートベルトを握りしめる。


「ハクさん! S.A行ってほしいっス! 着替えもあるし、喉渇いたんで! そこで俺と運転代わりやしょう!」

「いやー。早く帰りたくなってきてなぁ」

「俺知ってるんスよ! デカい車の方がヤバイって! テニスボール顔面にくらうよりボーリングの球の方が痛いんスよ!」

「お、物理の話か? 勉強不足やな。時速150kmならどっちも痛いんやで。銃弾みたいなちっこいのが痛いのと同じ原理や。大丈夫大丈夫」

「何が大丈夫なんスか!? 俺が頭悪いせいだけじゃないっスよね!?」



◆◆◆



 およそ二時間が経過した。車はすでに高速道路を降り、飲食店や家電量販店などの小売店が並ぶバイパス道路を走っている。都心部から離れたこの辺りは局地的に栄えたポイントで、大通りを一本逸れるだけで民家だけでなく田畑が目についた。


「ほい、次の信号右折してしばらくしたらコンビニの角を左。そいで右側に目的地な」

「ういっス」


 二人は座る席だけでなく、服装までも変えている。ポケットの多いグレーの作業着に、それらしいロゴの入った帽子をかぶっていた。誰が見ても記憶には残りにくいありふれた配達員の格好である。


 指示通り右折をしてしばらく進むと、急に道が狭くなり民家の数も減っていく。歩道はとうに姿を消し、田畑の為の用水路が蓋をされないままぽっかりと口を開けている。ドロップにとって見知らぬ土地であったがどこか懐かしさを感じるのは、誰もが抱く田舎のイメージに纏わりついたただの反射だろう。こういった景色を見ると皆、口を揃えて懐かしいと言うのだ。馴染めないはずの世間へ自分が溶け込むような気がし、かぶりを振ってから舌先のピアスを歯の裏に押し付けた。


「念の為、情報再確認するで。ドロップ、報告」

「ういっス。ターゲットは小柴 俊也。この時間、小柴宅にはターゲット以外の人間は不在っスね。父親、俊治としはるが18時まで会社。母親、ゆらの勤め先の郵便局も17時までっス。近所の家も数が少ないし、共働きも多そうっスね」

「ご苦労さん。パッと見、子供も歩いてへんなー。人目少ない分には都合ええしサクッとできそうや」

「ま、こういう中途半端な田舎って近所付き合いもなさそうなんで楽勝っスね」

「時代やなぁ。今はボロいアパートに住んでても隣に誰が住んどるのか知らんのやろ? ワイの頃とは大違いや」

「何言ってるんスか。ハクさんまだ全然若いっスよ」

「世辞はいらんで」


 店舗よりも広い駐車場を持つコンビニの角を左折し、中央線の無い道を進む。

 ハクはぼんやりと景色に記憶を重ねる。遠い昔は小さな一軒家に住み、自身が働きだす頃には狭いアパートへと変化した。かび臭い押し入れの匂いが今でも鮮明に思い出せるが、その押し入れがあったのはどちらの家だっただろう。どちらの家であっても耳障りな音がいくらでも聞こえてきた事実は同じだ。


「ワイの頃は地域差もあったかもしれへんけど情報が筒抜けやったわ。家族構成やら職業、大方の年収まで近所のオバはんらが把握しててな、そりゃもう最悪や。ワイなんて母子家庭やったし『母親は水売ってて知り合った男のとこ入り浸って、めったに帰ってこない』ってしょっちゅうネタにされたわ」

「やな噂っスねー」

「事実やもん。否定もできひんわ」

「……さーせん」

「謝るとこちゃうで。ワイが勝手に話しておるんやしな。今はそういう目がないおかげで仕事がはかどってラッキーやなーってことでこの話はしまいや。ほれ、あそこの家やで」


 没個性的な二階建ての一軒家。車は玄関を隠すように停車し、エンジンを休めた。

 ハクが手袋をはめ、ドロップはウエストポーチを自身へ巻き付ける。


「15分以内に終わらせるで。次の運転ワイな」

「ういっス」


 二人は素早く降車した。車の後方へ回り込み、リアゲートを開ける。長さ2mほどの大きな段ボールを引きずり出し、ドロップが軽々と抱え込む。そのまま玄関へと移動し段ボールを置くと、ハクがインターホンを鳴らした。


「ごめんくださーい。荷物が届いてまーす」


 屋内からの返事はない。ハクがアイコンタクトを送ると、ドロップが段ボールの影に隠れるようかがむ。ハクはそっと辺りを伺い、人目がないことを再確認した。

 ドロップが立ち上がるのと同時にハクが玄関の引き戸を開ける。


「すいませーん。鍵が開いているみたいなんで、どなたかいらっしゃると思うんですがー」


 やや間をおいて、物音がした。

 ハクがとってつけたような営業スマイルを浮かべ、帽子を胸の前に構える。


「あ、どうもーこんにちはー。こちら小柴 ゆら様ご注文の洗濯機でございます。配送の際に古い洗濯機を回収することになっておりまして……。えぇ、あぁ、はい。いやぁーすみません、せめて荷物の確認だけでも……」


 ドロップが段ボールを運びこみ、ハクが引き戸を閉める。

 無音。

 その後、5分と経たずに再び引き戸が開く。ハクが無人の空間に向かって頭を下げた。


「はい。それでは確かにお預かりいたしました。またよろしくお願いします」


 男二人掛かりで段ボールを車へ詰め込む。リアゲートが閉まるのと同時に二人は帽子のつばを下げ、顔を隠した。ドアの閉まる音が二回。エンジンが稼働し、車はごく自然に走り出した。

 車内には緩んだ空気が漂っている。バイパス道路へ戻るよりも早く、穏やかな会話が始まった。その内容は決して穏やかでないものだが。


「ドロップ、ピッキング上手くなったなぁ。自己ベスト更新したんとちゃう?」

「あざっす! 超よゆーっした! にしても、写真見た時から覚悟してたっスけどやっぱ重いっスねー」

「せやな。段ボールに見せかけたアレにキャスター付いてて助かるわ。こーゆーとこに経費割いてくれてホンマ助かるで」

「そっスねー。えーっとこれからどこ行くんスか?」

「No.4や。ドロップは初めてやったな」

「4ってハクさんの番号っスね。ハクさん絡みの場所ってなるとーえーっと、どんなとこっスか?」

「ワイの得意分野を遺憾なく発揮できるとこやで」


 日の光に赤みが帯びていく。まだ夜の足音は聞こえない。それでもすぐそこにいるのだろう。例えばあの山の向こうの空に――。

 夜にこそ白は目立つと誰かが知るのはこの後だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ