【二日目正午】オフィスNo.2 その③
時計の針がぐるりぐるりと回転し、目には見えない確かな概念を追い続ける。
スノー以外のメンバーが利用するパソコンが設置された事務机の島。その一角にあるプリンターが目を覚ました。ノイズにも似た稼働音が響く中、ドロップは真っ先にプリンターへと走る。ティアラとハクが同時に顔を上げ、それぞれ時計を確認した。
「あっちゃー、結局昼前までサイン書き通しやったな」
「途中三回も休憩を挟んだわ。私には充分すぎる自由時間ね。ライブリハだったら今頃ずっと立ち通しよ」
その三回の休憩というのもごくわずかな時間であった。ハクが車まで段ボールを置き、新しい段ボールを運ぶ作業の合間のことである。もっと休むようにハクが注意したものの、ティアラが頑として頷かなかったのだ。
「ティアラはん、過労死だけはシャレにならんで」
「ご忠告どうも。台本読みは移動中にやるからアイドルの仕事は休憩するわ。さ、次に行くわよ」
テーピングテープを剥ぎ、サインペンを片付ける。ハクは両手を上げて諦めたような顔をしてから、色紙の片付けを始めた。
スノーが立ち上がる。無表情な仮面で疲れを隠し、慣れた口調で独り言にも似た業務報告を行う。
「俺の仕事はここまでだ。後は好きにしろ。俺は寝る」
「お疲れ様っス!」
即座に頭を下げるドロップ。
ティアラは手に残ったテーピングテープのべたつきを熱心に取り除くフリをする。内心ではスノーが早く立ち去ることを切に願っていた。
「ティアラはん、ティアラはん」
ハクの声も聞こえないフリだ。
仕方なしという顔でハクは頭を掻く。それからわざとらしく口元へ手を添え、これみよがしな声を出した。
「スノーはん、ティアラはんが言いたいことあるんやってー!」
「ちょっ、急に何言って――!」
思わず顔を上げたティアラはスノーと視線が交わってしまう。火花こそ散らないものの、穏やかでない空気が生まれていく。
ハクが無言のまま、水平にした手をスノーへ向ける。お膳立ては整いましたのであとはどうぞご自由にという意思表示だ。その仕草に腹を立てたティアラがとっさに立ち上がり睨みつけるも、自然と視線がスノーへ向かう。不器用な沈黙の果て、耐え切れずに視線を逸らす。整えられたタイミングへ乗ずるには自身のプライドが邪魔をした。
「……手短に」スノーが自分なりに選んだ精一杯の優しさだ。
「あ…………ありがとう。情報収集」
「礼には及ばない。ただの仕事だ」
「スノーはん、台詞間違っとるで?」
ハクの指摘に、今度はスノーが沈黙する。それでもティアラよりは早く腹を括り、なるべく誰にも聞こえない音量で返事をし直す。
「……どういたしまして」
苦い顔をする二人に対し、ハクはどこまでもにこやかであった。
「二人共仲良くできるやん。次からは仲介無しでできるようになるとなおえぇなぁ」
「ていうか、なんでそんなに仲悪いんスか?」
ハクへ投げかけた疑問は当の本人たちが指を差し合い即答する。
「「コイツの態度が気に入らない」」
ぴたりと声が重なるとスノーはわざとらしく息を吐いた。足早に仮眠室へと向かい、いくらか雑な音と共に姿を消す。
ティアラもまた似たようなため息をつき、その場へ着席する。怒涛のサイン書きよりも疲れるイベントだったらしい。テーピングテープを雑にゴミ箱へ投げ捨て腕を組む。
ハクはドロップへ耳打ちをする。密やかさとはかけ離れた声量である為、仕草は単なるパフォーマンスに過ぎなかった。
「ライバル意識強いだけやで。ほいでお互いの分野へは口出しできひんから、決着つかんの」
「なるほどっス」
「知った風な口を利かないで。さっさと着席なさい。情報共有するわよ」
綺麗に片付けられた机上へプリントアウトされた情報が並んだ。三部ずつ印刷された書類を振り分け、机を囲む。
ティアラからの無言の圧を受けたハクが進行を取り仕切る。軽い咳払い二つ、そしてページが開かれた。
「情報の整理と共有を始めるで。まずは事の発端。本日行われる予定だった宝ノ木 姫華のライブリハーサルが中止になった。原因として挙げられるのがこの掲示板への書き込みや。同一の内容が姫華の所属する事務所へFAXされていると判明。まあ原因と見てまず間違いないやろ。えーっと威力業務妨害、そいで脅迫罪もおまけで付くんとちゃう? 天下のアイドル様相手にアッホやなー。遅かれ早かれ警察も動きよるで」
「肝心の書き込み元は?」
ドロップが慌ててページを捲る。簡潔にまとめられた事項へ目を通し、どうにかかみ砕く。持てる限りの語彙を総動員させ、会議へと加わった。
「一般家庭っス。そこの家から接続されているパソコンは一台。購入者の名義は小柴 俊也(35)。ここの家族構成や職業、パソコンの閲覧履歴を見る限り、パソコン使えるのはコイツだけっス。掲示板への書き込みは昨夜の22時34分。小柴はコンビニの深夜バイトをしてるんスけど昨日はオフで家に居たみたいっス。スノーさん以外がこのパソコンへ侵入した形跡はないらしんで、第三者が小柴の家に来てパソコンを使ったってわけじゃなきゃ、掲示板への書き込みは百パー小柴 俊也によるものっス」
ティアラは住所欄へ注目する。頭の中で地図を広げ、いくつかのルートを組み立てた。高速道路を利用すれば二時間以内にライブ会場へ辿り着ける距離だ。小柴 俊也は普通自動車運転免許を取得しており、家族共有の乗用車と軽自動車が一台ずつあるのも確認できた。爆発物の設置だけでなく、リハーサル会場へ直接乗り込んでくる手段も充分可能だと判断を下す。
ティアラの思考に合わせるように情報が追加される。
「一応、刃物とか爆発物を作れそうな物をネットで購入してないかチェックしたところ、特に無いっぽいっスね。小柴のネット通販履歴と給料の額が大体合っているで他の資金源が無ければ殺人業者を利用するってのもないっス。日常的に親の金ちょろまかしてたらネットでの購入額と給料に大きな差額が出るハズなんで。うちと連携取ってる大手三社もそういった依頼は来てないらしく、そもそも一般人の小柴がコンタクト取れるわけないんでフリーランスの線も薄いかなーって思うっスよ」
利用明細を見たティアラが眉を上げる。見覚えのある単語が並んでいたのだ。
「時計のティンダロスにアクセサリーのCOOS、ほとんどがメンズブランドね。ここ最近はGOWが多くなっているのはイメチェンのつもりなのかしら」
「ティアラさん詳しいっスね。店の名前やブランド名だけじゃ俺にはさっぱり分からないっスわ」
「ファッションは私の得意分野ですもの。メンズは確かに明るくないけれどGOWは別。濱千代さんがイメージキャラクターとして専属モデルをしているわ。ドラマでも優先的に身に着けているから嫌でも詳しくなるわよ」
「さすがっスねー」
「小柴 俊也の写真はあるの? ファッションを気遣っているくらいだし、それなりの見た目はしているんでしょ」
「スノーはんがパソコン備え付けのカメラで撮った写真があるで。遠隔操作でそないなことするあたり恐ろしいなー」
経費削減の名の元、カラーコピーされた写真は一枚だけだ。ハクが持っていた書類の束の中から抜き取り、ティアラへ手渡す。
ティアラは写真を一瞥するとすぐに机上へ投げた。何事も無く手元の書類に目を落とし、視界への侵入を拒む。ドロップは短く口笛を鳴らすとそれ以上の感想を飲み込んだ。
小柴 俊也は撮影されているのも気付かない無防備な顔をしていた。まず目がいくのは厚ぼったい唇のすき間から飛び出た黄色い歯。丸みのある顎と頬も手伝ってかげっ歯類を思わせた。鼻筋が白く反射しているのは皮膚から染み出た脂によるものだろう。その上に乗った銀フレームの眼鏡だけが合成写真かのように浮いて見えた。目は膨らんだ瞼に押しつぶされており、太い眉が一層圧力をかけている。前髪がそのまま後退したかのように額は広く、後ろ髪は肩に付きそうなほど長かった。
ティアラは胸に手を当てて深呼吸を繰り返す。彼女の中で推測していた犯行動機の一つとして挙げられていたのは行き過ぎたファンの暴走であった。現実ではモテない男が分け隔てなく接するアイドルへ依存し、恋愛感情を抱くのはよくあることであり、そういったファンが実在しているのも認知している。ファンが一方的に想いを募らせ本気で結婚を迫ったり、情死を持ちかけるのも珍しくなかった。アホ姫と口汚く罵ったのも、当人からすれば誰にでも媚びているように見えたからだろう。
もしこの推測が正しいのであるならば彼は曲がりなりにも自身のファンだ。まして見た目という本人の努力だけでは限界のあることに対しては寛容的でなければならない。
必死に自分を納得させ、深い深い憂いを飲み込む。
「うん……私のファンだったら……許容、うーん……してあげる、かも」
そんな精一杯の強がりを見せるティアラへハクが情報を提供する。
「コイツ、常盤 咲幸のファンやで。個人でファンブログ綴るレベルやな。今回の殺人動機として、姫華への愛ゆえに心中っちゅーのは万に一つもあらへんで」
「うわっキモ。マジありえない。この顔でGOW買うとか正気なの? オンラインショップで購入している分、身の程を弁えているけれどそれ以上道を違えないでほしい。ファッションにお金をかければ見た目が良くなるとか考える前に身だしなみをなんとかするべき。写真から臭いが立ち込めてる気がするわ。とりあえず5秒おきに風呂底へ30分間沈め。煮沸消毒して臭いの菌と命を絶ちなさい」
「超毒舌ぅー。マジパネェ」
「こっちは殺害予告されてる身よ。これくらい許されるわ」
「まあ気持ちは分かるけど落ち着いてな」
ハクが宥めるもティアラの怒りは収まらない。腕を組みイライラした顔で次の標的へと矛先を向けた。
「ていうか何で常盤 咲幸のファンが私に手を出してくるわけ?」
「それスノーはんが訊きたかった事やない? 身に覚えある?」
顎に手を添え考え込む。その手が自然とブロンドヘアーへ移り、くるくると指に髪を絡ませる。無意味な動作へ注ぎこまれる視線は、落ち着かない苛立ちが込められていた。
そのまましばらく記憶を遡り、やがて諦めたように手を放す。
「常盤 咲幸を踏み台にした覚えはないわ。元々私より売れてないし、事務所の先輩といえど芸歴は私の方が長いし……」
「あぁそっか。姫華って子役もやってた分、芸歴長いっスよね。一回事務所を移籍してるから後輩なだけで、ぶっちゃけ一般人からみたら姫華の方が人気あるっスよ。でもなんで移籍したんスか?」
「単純な話、前の事務所は経営不振に陥ったの。共倒れするつもりはなかったからさっさと移籍したわ」
「ほいほい、話逸れるから戻すで。常盤 咲幸関連はティアラはんが身に覚えない言うならホンマにないんやろ。スノーはんができうる限りの情報収集したにも関わらず動機らしいもんは見つかってへん。本人に訊くのがやっぱり早いわな」
ティアラは書類の最後まで読み終えると机上へ置いた。上辺だけの情報では当てずっぽう止まりだ。そうかといって小柴 俊也の綴るファンブログを読んで彼の心情を察っしようにも、性欲に直結した生々しい内容のブログを読破できるほどの精神を持ち合わせていなかった。ファンブログとは聞こえのいいものの、実態は自身と常盤 咲幸を主語とした妄想の成れの果て。官能小説やポルノ小説にも及ばないただの下卑た単語の羅列だ。
自分なりに考えを巡らすも、結局はハクの意見と相違ない。
「同感ね。さっさと済ませましょう」
「あ、さーせん、質問っス。これってハクさんの言ってたなんたら脅迫罪なんスよね? 警察動いているなら遅かれ早かれコイツ捕まるから動機も分かるんじゃないっスか?」
「コイツの個人的な怨嗟からの殺人予告ならそれでいいけど、誰もが私を殺したくなるような動機が存在するなら危険だわ。そんなのが報道されたら第二、第三の馬鹿が無限増殖するし、私もワイドショーの餌食よ」
「なるほどっス」
「なにより、このアタシが害を被っているの。警察に任せるとか無責任もいいところよ。最速で自首させてやらなきゃね」
ティアラの宣言にドロップは驚いた。彼女の抱く怒りに見合うのか甚だ疑問だ。自分の知っている範囲での常識を確かめるように問いかける。
「自首でいいんスか? それだと罪が軽くなるんじゃ?」
「元々大した罪になりはしないわよ。うちの事務所だって事を荒立てたくないでしょうし、少なくともアタシの望む罰は下りない。賠償金の額次第で対応も変わってくるわ。結局のところ宝ノ木 姫華は事務所の商品だから、事務所が納得すればそれでおしまい。姫華の気持ちとか関係ないの。だからアタシはティアラとしての権限を行使するわ。――ハク、ドロップ」
二人が同時に頷いた。
目の前にいるのは紛れもなく情報屋組織のナンバースリー。彼女はナイトとの契約により身の安全と自身に関わる情報の全てを守られていた。彼女自身が危険へ飛び込まない限りそれらは保障されなければならない。
休暇中であっても危急ならばその身を投じろ。
対象への裁きを下すのは彼女自身。
執行者の任命も彼女の自由。
「小柴 俊也の犯行動機を調べてきて。口封じには自首をさせなさい。方法は任せるわ。なるべく早く執行なさい」
全ては宝冠の似合う姫君のお気に召すままに。




