第4話 盗作
『犯人はお前だ、エマニエル夫人。貴方の淫蕩が、腐敗がこの事件を引き起こした』
『何を仰るのホームズ。私は神に誓って殺人など、したこともありません。大体あの密室のカギを持っているのは、ボヴァリー夫人だけよ』
『確かにその通り、ですが』
俺は見得を切って客席を見回す。
観客は固唾をのんで結末を見守る。
『私が死体の顔を布で隠そうとしたとき、貴方に尋ねました。――ハンケチは持っていませんか、と。その時貴方は持っていないと答えた。本当は持っていたにもかかわらず。それは何故か、そう!』
ボヴァリー夫人こと美優先輩を指さす。
先輩は後ずさりして俺の指先を見つめる。
『濡れていたからです。貴方は殺人現場に一番最後に入った。そして密室を作っていた、氷で濡れたドアの内鍵をハンケチで拭った。錠前は溶けた氷で自然に落ちたのです。』
『じゃああの時部屋が暑かったのは……』
ボヴァリー夫人を演じるリファが、口元を抑えた。
俺は目を覆い推理を披露する。
『氷を溶かすためです。氷を使えるのは貯蔵を管理していた、貴方しかいないのです。エマニエル夫人』
『だけど証拠がないじゃない! 私がそんなことをしたって証拠はどこにあるのよ!』
美優先輩が髪を振り乱し叫ぶ。
俺は事も無げに肩をすくめる。
『証拠は貴方の靴下に。錠前に氷を仕込んでいたならば、床にも水が滴るはずだ。そして貴方はそれを、足で拭っただろう』
『確かにそれが自然ですね』
座長扮した捜査官が相槌を打った。
この世界にも発生した事件を調査する役職が存在している。
『あの錠前は錆びついているんです。故に床の水に、錆が混ざっていてもおかしくない。更に色は独特な緑錆。この屋敷には他に、緑錆は見当たらない。もし貴方の靴下に緑錆が付いていたならば』
俺はもう1度客席を振り返る。
そして天を仰ぐようにして1点を見つめる。
『誰よりも疑わしい、貴方が犯人だ』
確認すると緑錆が付いていることが分かった。
最早隠し立ては出来ないと、美優先輩が慟哭して罪を告白する。
彼女が連行された後、リファが質問する。
『あの時錆が付いていなければ、どうなさるおつもりだったのですか』
『それは有り得ないよ、何故なら』
俺は指で何かをつまむ仕草をする。
指先をこすり合わせて、つまんだ何かを振り落とす。
『彼女の靴には、錆が付いていたからね』
劇の幕が下り、俺たちは2回戦を突破した。
「ベタね」
最終公演を終えた夜、俺の部屋で先輩が呟いた。
「ベタですね」
推理小説ファンとして同意する。
「登場人物の名前もトリックも、全部引用じゃない」
痛いところを突いてくる。
この世界で自然に思われる、西洋的な人名を考えるのが苦手だった。
故に外国の小説や劇から人物名を拝借していた。
「でもウケてるんです。悪いことじゃないでしょう」
「文句、言ったら言ったで反論するのね。怒ってるの」
「怒ってないです」
演技が下手ね、と彼女が笑う。
あどけない可愛らしさが混じっており、指摘もあってどうにも照れくさい。
「先輩に比べたら、人類みな大根役者ですよ」
「そうかしら、貴方には負けるかもしれないわ」
「心にもないこと言わないで下さいよ」
先輩は負けん気が強い。自分の演技が世界一だと本気で思っている。
絶対に俺に負けているなど、考えていないはずだ。
「でも脚本は私が勝ってるわね、少なくとも私の作品はオリジナルだもの」
決勝の脚本は先輩が担当していた。
脚本は平凡な男女のラブストーリーだった。
「そうですかね。どこかで見たような、ありきたりな話です。」
苛立ちを込めて言い返す。
しかし彼女は歯牙にもかけない。
俺は先輩にいつ話を切り出すか悩んでいた。
彼女は元居た世界で死んでいる。なのにどうして、この世界で生きているのか。
卒業後芸能界に復帰してスターダムを駆け上がっていた、2年後だった。
何故この世界で生きているのか、願いを叶えられるのならばなぜ戻らなかったのか、聞きたいことは山ほどあった。
お客さんみたい、と先輩は席を立った。
ベルが激しく鳴動した。
客は受付だった。
「あの! 目、合いましたよね!」
何がだ。
「あの最後の推理! 靴の裏で! 私と!」
興奮で文脈がつながっていない。
しかし言わんとすることは察した。
最後の推理で観客席に向かって天を仰いだ時、視線の先に彼女がいたのだろう。
「もうすっごくカッコよかったです! 後でサインください! <エマ>ちゃんへって書いて下さい!」
サインは用意してない、と断るつもりだった。
しかし受付にはひどく世話になっている。
初めてのサインを書くことにした。
「ありがとうございます! ミユちゃんのと並べて家宝にします!」
出来上がったサインは不格好なものだった。
書体を崩そうとするも、照れが滲み読める文字になっている。
「もう1枚書かせて下さい、これを世に出したくない」
「世に出しませんよ! 厳重に保管しますから! もう1枚もらえるなんて幸せだなぁ」
どうやらサインを手放す気はないらしい。
仕方ないとあきらめる。
先輩が俺たちを見て笑っていた。
「駄目よエマちゃん。探偵さんを困らせちゃ」
「ちゃんは止めて下さいよ!? 私もう20歳なんですから!」
「じゃあエマ婦人でどうかしら」
「それって犯人の名前じゃないですか!」
20歳。でも先輩がこっちの世界に来たのが5年前のはずだから。
15歳から仕事していたのか。
この世界では珍しいことでもないようだが。
「大丈夫ですよ。サインなんてすぐに終わりますから」
「優しいわね」
暴雨のごとき喧しさに疑問を聞きあぐねていると、再びけたたましいベルの音が鳴り響いた。
「皆さん!」
リファが部屋へ駆け込んでくる。
「大変なんです。<ガリヴァー旅行記>の公演が2回戦で既に、行われていました。脚本が流出していたみたいです」
頭が痛くなった。
劇団の空気は重かった。
必死に準備を重ねてきた作品が台無しにされた。
脚本を流出した何者かの手によって。
「調べたところ、決勝で使う予定だった脚本も流出してました。<劇団ハルカ>が1,2回戦で両脚本を使い話題を得ています」
劇団ハルカ。聞いたことがある。
センニチコウが優勝するまで、20年もの間トップを走り続けていた劇団だ。
「最低ですよ。盗作なんて、絶対にやっちゃいけないのに」
ひどく胸に刺さる言葉だった。
俺は考える気力を失っていた。
言葉が勝手に口から洩れる。
「誰が脚本を横流ししたんでしょう」
「あいつだよ、お前に強く当たっていたあの男。あいつ今日家に行ったら、もぬけの殻だった。今頃どっかに雲隠れしてんだろうよ」
悔しい気持ちでいっぱいだった。
自分で作った作品ではないのに。
創作物を奪われるのはこんなにも辛いことなのか。
座長が声を上げる。
「何にせよ俺たちはこれからどうするか決めなきゃなんねぇ。即ち、諦めるか、1週間で劇を仕上げるか」
予選2回と3回の間には、7日しか期間がない。
1回戦は地方ごとに劇が行われ、その中でも人気が高かったもの、およそ100組が次のステージへと歩を進める。
しかし2回、3回は進出した劇団が街に集まって公演を行う。
両予選は期間を開けすぎると諸費用が掛かりすぎてしまう。
そのため1週間で3回戦が執り行われるのだ。
「まず今日の出来だったら、3回戦へ行けるはずだ。この時点で既に1000組中、50組の選り抜きだ。だが俺は決勝へ進みてぇ。お前らもそうだろう?」
団員が頷いて座長に賛同の意を示す。
座長は満足そうに笑うと、美優先輩と俺を見つめ頭を下げた。
「恥を忍んで頼みがある。1週間で上手いこと脚本を作っちゃくれねぇか。向こうの世界の作品のパクリでも何でもいい。お前らは盗作なんかしたくねえだろうが、この通りだ」
座長が床に頭を付ける。団員もそれに続いた。
この世界でも最上級の請願は土下座で行うのか、と考えた。
酷く頭が痛い。劇団のみんなは、心から脚本が俺のオリジナルだと信じていた。
盗作を盗作されただけだ。本来憤る権利もない。
彼らを理不尽な怒りに付き合わせていることが辛かった。
「私は無理よ」
先輩が凛とした面持ちで断った。
「元々役者だもの。話を作るのは得意じゃないわ。それに脚本を作った後、練習する時間もない。セリフ、覚えきれるの? それなら私と座長、リファと後輩君で即興劇でもやった方がましだわ」
正論だった。しかし3回戦の芝居は2時間公演である。
2時間も即興で、4人だけで回すなど無理がある。
それで決勝の3組に選ばれるわけがない。
「そうですよ。それに本当は、今までの作品もパクリだったんです。1週間で出来る脚本なんて存在しない」
とうとう本当のことを言ってしまった。最早状況は絶望的だった。
借り物の力ではしゃいでいた天罰が下ったのだろう。
諦めていたその時だった。
「でも<悠真>君なら何とかしてくれるかも」
ハッとして先輩の顔を見る。
卒業してから初めて先輩に名前を呼ばれた。
それだけで頭の中の靄が晴れていくのが分かった。
「悠真君は地球で、誰よりも色んなものを読んで作品を書いていたわ。本当は実力があるのに、それを発揮できていないだけなの。」
先輩が団員に加わり頭を下げる。
床に頭を擦り付けていた。
「止めて下さい。俺、先輩がいなくなってから何も出来なくて、それで」
「貴方ならできると信じてる。どうかお願いします。3回戦の脚本を書いて下さい」
好きな人に情けない姿を見せたくなかった。本気を出して失敗するのが怖かった。
だから先輩が死んでからは、誰かの真似事のような作品しか書かなかった。
なろうでも、異世界に来てからもずっとそうだった。
だが何よりも、好きな人に情けない姿をさせたくなかった。
先輩が土下座する姿を見て自覚した。
自分の失敗くらい何だというんだ。
拳を握り締める。
「分かりました。1週間で、絶対に決勝へ上れるような作品を書いて見せます。見ていて下さい」
そう言い放ち、俺は話を作るため家へと向かった。
***********************************
演劇は成功し全国大会出場が決定した。
脚本の評価はよくなかったが、先輩と俺の演技が評価された。
しかし全国大会に先輩は行けない。
年度遅れで開催され、3年生の先輩は卒業してしまうからだ。
――部活、行かないの。
――先輩、もう家に来ないでしょう。行く意味がないです。
大会が終わると先輩含む3年生は引退し、俺に関わらなくなった。
俺も先輩を避け、演劇部へ行かなくなった。
――君との演技楽しかったのに。
――俺も先輩とこうして演技するの、楽しいですよ。
――可愛くないわね。
先輩が俺の隣に座る。屋上での待ち合わせだった。
3年生の卒業式が終わっていた。
最後に1度だけ会いたいと言われたのは前日だ。
それまで俺は先輩からの連絡をすべて無視していた。
しかし卒業式の前日先輩が、俺に直接会いに来て、明日時間を作ってほしいと頼んできた。
――先輩、人気者じゃないですか。芸能界も復帰するんでしょう。俺に会うより、可愛い部室の後輩と話した方がいいんじゃないですか。
――嫌よ。貴方と話がしたかったの。ねえ、あれを見て。
先輩が空を指さし、俺が視線を放る。
その時頬に彼女の唇が触れた。
――ずっと好きでした。左様なら。
先輩が去っていく。俺はしばらく混乱していた。
そして何が起こったのか把握し、先輩を追いかけに向かった。
当時の俺は本当にバカだったと思う。
先輩からの好意も、自分の先輩への好意にも気づかない演技をしていた。
演技に喰われていたのは俺の方だった。
携帯で連絡を入れる。繋がらない。
学校中を探し回ったが先輩には会えなかった。
諦めて家へ帰ると、部屋の中に先輩が居た。
――貴方のお母さんに入れてもらったの。
俺は問い詰めた。
――全部、本当なんですか。
――本当よ。
――いつから。
――私が引退した、12の頃から。
先輩が語り始めた。
自分が通っていたタレントスクールに、生意気な子供が入ってきたこと。
その子がいつもまっすぐにぶつかってきて、嫌いだったこと。
演技に疲れて引退を決意した時、その子に辞めないでと泣きながら懇願されたこと。
おかげで引退こそしたものの演技を続けられ、今の自分があること。
――ただの敵愾心から言われたものだと思ってたわ。でも違った。ごめんなさい、貴方の母親の愛を奪って。貴方の生き方を狭めてしまって。
演技か否か。先輩と時間を過ごすといつも悩まされる。
しかし返事は決まった。嘘だとしても、俺が笑われれば済む話だ。
それに真実だとしたら、俺は今まで先輩を傷つけすぎている。
――先輩のせいじゃないです。悪いのは縛られ続けた俺ですから。
この時、彼女に恋していたことを明瞭に自覚した。
俺も母もずっと、広塚美優に心奪われていたのだ。
――決めました先輩。俺卒業したら、脚本家か俳優になります。そして先輩と一緒に仕事したいです。
その時まで先輩の足を引っ張らないようにしたい、俺たちの思いは内緒にしましょう。
2年後俺の卒業を待たずに、彼女は交通事故でこの世を去った。