第3話 小休止
「劇団センニチコウの1回戦突破を祝して、乾杯!」
劇団の祝勝会を座長が取り仕切る。
1回戦の演劇は成功を収めた。
<ジキル博士とハイド氏>は話題を呼び、主役兼脚本家の俺は注目の的となった。
成功のおかげか、団員は俺を気に入ってくれたようだ。おかげで随分と呑まされた。
「次はどんな脚本を見せてくれるんだ? おい」
座長がねちっこく俺に絡む。
どこの世界でも上司は少し面倒くさいのだろうか。
俺は、用を足すと言ってその場を離れた。
外の空気を吸うために店を出る。
目の前にはリファが立っていた。
「あら、貴方も夜風に当たりに?」
「似たようなものです。リファさんがそうやっていると、絵になりますね」
「ありがとうございます」
少し2人で話しましょう、とリファが俺の手を引く。柔らかくて小さい手だ。
リファの顔を見つめる。冷たい夜風かそれとも酒のせいか、リファの顔は赤く上気していた。
「寒くないですかリファさん。よろしければ上着、貸しますよ」
純粋な善意だった。
いざとなれば邪念など出てこないものだ。
この世界に来て最初は、チートやハーレムに憧れていた。
しかしこの世界の住民にも感情がある。
触れ合ってみれば誰も虚構の人物ではない、血の通った人間なのだ。
それを失念し、浮かれていた自分を殴りたい。
「大丈夫ですよ。今は寒くないんです。体がポカポカして、ほら」
俺の手がリファの首へ誘導された。
確かに彼女の首は熱を湛えていた。
「そんなことをしたら、風邪ひきますよ」
距離が近い。チクショウ可愛い。
つられて俺まで熱くなってくる。
不意にリファが、俺の腰に腕を絡ませた。
「止めて下さい。そんなことしたら勘違いします」
体を軽く突き放し諫める。
彼女が真剣な顔で俺を見つめた。
「してくれないんですか」
演技か否か逡巡した。
人をからかう手合いの人間は何処にでもいる。
しかし仮に本気だった場合どうするか、答えは決まっている。
出来ないと言えばいい、演技なら冗談で終わる。
俺が笑われれば済む話だ。
断ろうとしたその時、団員が俺たちを呼んだ。
「こっちへ来てくれ! 座長が脱ぎ始めたんだよ!一緒に止めてくれ!」
リファは悪戯めいた微笑みを寄越した。
「ごめんね、送ってもらって」
先輩は酔いつぶれていた。
もしかすると演技かもしれないが本人が辛いと訴える以上、介助しないわけにはいかなかった。
この世界はそれなりに平和だが、夜道を女性が1人で歩けるほど治安が良くもない。
俺は先輩を負ぶっていた。
背中越しに先輩の熱が伝わる。
今日は誰かの温かさを感じてばかりだ。
俺って体温が低いのかな。
無言の状態がしばらく続いた。
「なんで何も言わないんですか」
堪らなくなって先輩に問い掛ける。
「全部俺の脚本じゃない、誰かの話をつなぎ合わせただけの偽物だって」
ん、と眠そうな声を上げて先輩が囁く。
耳元に息がかかり体が痺れる。
「貴方だって言ってないことあるじゃない。気を遣ってるんでしょう」
「でも俺の行いは表現者への冒涜だ。先輩は嫌いませんか」
先輩がくつくつと笑う。
嫌われていないのかもしれないと考えてしまう自分が嫌だった。
「馬鹿ね。嫌うわけないじゃない。ずっと好きなんだもの」
彼女との会話は苦手だ。どこまでが本気でどこまでが演技か分からない。
しかしそれでも離れたくないと思ってしまう。
やはり俺は先輩のことが好きなのだ。
「じゃあ劇が終わったら貴方の家で会いましょう。そうしたら言いたいこと、全部言うわ。貴方だって言いたいことあるでしょう」
「確かに、ありますけど」
先輩が顔を背中に押し付ける。
背中に意識を奪われ鼓動が高鳴る。
聞こえていないかと不安を感じた。
「でも踏み込んでいいんですか、結構デリケートな問題ですが」
「あら、そこまで口にするのは野暮よ」
歩きたくなったと言い背中から下りる。
少し先を歩く彼女は月明かりに濡れていた。
黒い髪が月光に照らされ、嫋やかな魅力を増していた。
「久しぶりの待ち合わせね」
「本当に」
「卒業した後の貴方のこと、私聞きたいわ」
「俺もこの世界での先輩のこと、気になります」
「向こうの世界でのことはいいの」
先輩が足を止め、を近づける。俺は目を離せなかった。
濡羽のような瞳が俺の意識を吸い込む。
――別れてからもずっと、貴方の影を追いかけてました。
言えるものか、そんなこと。
しかし彼女はどこまでも俺を見透かしてるようだった。
「まあ私、大したことしてないしね」
「あんな事故がなければ」
過ぎたことは仕様がないわ。
彼女が再び前を歩く。離れた距離を有難くも残念にも思った。
先輩の卒業から僅か、2年の出来事だった。
「何で生きてるんですか、死んだはずなのに」
先輩も悪戯めいた微笑みを寄越した。
2回戦の脚本の初見せを行った。
団員の評価は賛否両論である。
「しかし思い切ったことをするな、こんな脚本見たことねぇ」
次の脚本で俺は、この世界にない、いくつかの試みを導入する。
1つは時間の転倒、過去を振り返る手法だ。
登場人物が過去を振り返る。そして過去の出来事が語られる。
西洋においては<イリアス>の時代から存在した手法であるが、日本においては未だ使われ始めて2世紀も経たない。
この世界に存在していないとしても、不思議じゃなかった。
「男が罪を告白する場面から始まり、そのまま過去へ……惹きつけられますね」
リファや座長、団員らは口々に褒めてくれた。
「それに事件が起きて犯人を捜す、ってのも新鮮ですね」
もう1つは探偵小説。この世界には推理劇も存在しない。
元の世界でもどの作品を起源とするか議論は尽きないが、一般に18世紀が初出と言われる。
事件が起きてそれを探偵が解決する、という構造の作り話はこの世界で初めてだ。
「最初の語りでこいつが犯人だと思わせて、実は女ってのはな。」
「読んでてずっと目が離せませんでした。」
そうだろう、と俺は鼻息を荒くする。
俺はミステリ小説が大好きなのだ。
新本格派も社会派も大好物だ。
「しかし話が難しくありませんか。文章だから何度も読み返せて理解できるが、1回だとさっぱり判らねえ」
団員の1人が口にする。
確かに推理小説は所見だと難しい。
しかしできる限りトリックも簡潔なものを選んだ。
異世界にとってこの脚本は、演劇界発展の礎となるはずだ。
「でも最後の推理はすごいですよ。こう、耳がぶわぁってする感じ」
リファのフォローが入る。
ミステリの醍醐味を理解してもらえて嬉しくなった。
脚本は続行か、変更か。議論が白熱する。
座長が手を叩き議論を制した。
「よし、そんじゃあ恨みっこなしの多数決といこう。やるべきだと思うやつは挙手、反対派は何もするな」
ぱらぱらと手が挙がる。賛成は過半数を超えていた。
「決まりだな。次の予選は2か月後となる。今回は一段と脚本が難しい。気を引き締めていこう」
座長が団員を激励する。
多くの人間が意気込む中、1人の男が俺を睨めつけていた。
不穏な気配を抱えながら準備は進行した。
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役作りと称して広塚美優は俺によく絡むようになった。
放課後は演劇部の部室以外、毎日一緒だった。
母はいたく喜んだ。
2人の体が入れ替わるラブストーリー。
演じるには互いの生活を深く知る必要がある、と女は言う。
次第に休日も2人で会うようになった。
何気ない世間話もするようになった。
――先輩も脚本書いてましたよね、全員提出でしたから。見てみたいなあ。
――いいわよ、自信があるの。評価して頂戴。
脚本を見てみる。彼女も入れ替わりものを書いていた。
しかもベッタベタな恋愛物だ。壁ドンやら顎クイやら、少女漫画趣味で。
――うわ酷い。見てて恥ずかしくなる。
――本当? ……ホントだ、恥ずかしい。
もう見ないで。俺の手から脚本をひったくる。
全てにおいて俺の上をいく先輩でも、こんな一面があったのか。
――先輩演技は上手いけど、脚本は下手ですね。
――五月蠅いわよ。
段々と互いを嫌悪する感情は失われていた。
嫌いになるには相手を知りすぎた。
そしてある日の放課後、先輩と俺の部屋で2人きりで過ごしていた時のことだ。
――好きよ。堪らなく好き。
演技だった。
しかし不覚にも俺は胸を高まらせてしまった。
彼女はそれを見逃さない。
――どうしたら、貴方の心は私のものになるの。
先輩と過ごしていると、時々このようなことが起きる。
演技で実を喰うことが。役に憑かれることが。
――恨みが消えれば。
俺は既に広塚美優という人間を嫌う理由を打ち明けていた。
1人の女に母を奪われたこと、1人の女が俺の生き方を縛ったこと。
先輩は黙って恨み言をただ聞いていた。
――どうしたら、恨みが消えるの。
――貴方がいなくなれば。
――分かった。
先輩が俺にしなだれかかる。
鼻を刺す微醺と、軽い重み。
彼女は俺の手にペンを握らせた。
――サヨナラの挨拶をして、殺してくださるものよ。
誰の引用だっけか。思考がまばらになった。
ペンを握る手を首筋に宛がう。
彼女は目を閉じてされるがままにしていた。
――さよなら。愛しい人。
俺はすべてを理解した気になった。
ああそうか、この人は演技を完璧に仕上げたいのだ。演技に魂を売っている。
だから嫌いな男と時間を共有し、好きになろうとしたのだ。あの脚本通りに。
胸が痛くなった。演技のせいだ。
彼女が俺を好きになって、俺が彼女を好きになる。
俺も演技で恋をしたのだ。
劇の練習で俺は先輩を何度も振った。
胸の痛みが根を増した。