魔王様と印刷機
「あ、あの、一体何が…?」
アンリ・レオンハルトは困惑している。
最近教えてもらった錬金術、その知識を元にある物を完成させてリヨンに見せようと馳せ参じたら、謎の食事会が行なわれていたからだ。
「アンリちゃん久しぶり」
「え、エリックさん!?、こっちに来てたのですか?、あの一体何が…」
「えーと…何だろう?、リヨンさんが昔の仲間と再開したらそのまま焼肉パーティーに突入した?」
「あ、魔王様の冒険者時代の…それならこういう事になってもおかしくないですね」
「うん、美食街道だから仕方がないよ」
エリックもアンリも同じ回答に至った、美食街道だから仕方がないと…
あの人達は何かとすぐに食事を始めるのだ、いろいろ個性的過ぎる人達だけどその基本行動だけは変わらない、食欲には忠実なのである。
「ふっふっふ、我がハルト村の野菜をとくと味わうが良い」
「魔王っぽく言っても、普通に食卓に野菜を提供してるだけだよな…」
玉座に座りながらドヤ顔で野菜を盛っている皿を用意させたリヨン。
魔王らしさを出そうと必死だが、やってる事が農家の野菜自慢なので威厳もクソもなかった。
「ふむ、この緑色の野菜は苦味がいいな、肉でくどくなった口にぴったりである」
「あ、シートウか、それを食べるときは気をつけるよ、たまに当たりがあるから」
「当たりって…っ!!!?、か、辛い!、み、水、水ぅ!?」
「姉さん大丈夫っ!?」
「シートウは何故か時々辛いやつがあるんだよなぁ…それを面白がって食べる奴もいるけど」
「くっ、流石は魔界の食べ物…こんな罠が…」
最初は遠慮していたエルフ姉妹も普通にこの食卓に加わっている、むしろPTの男連中の方がこのノリについてこれないといった感じだ。
そして『シートウ』なる野菜の恐るべき罠にハマるレーナ、所謂シシトウに似たその野菜は交易によって最近ハルト村に入ってくるようになった。
「辛かったらポルコを食べるといいぞ、後は米だな、と言うか焼肉にはやっぱり米っ!」
「うぬぬ、確かに焼肉と恐ろしく合うなこの魔界麦というライスは…アストリアでも育てられぬか?」
「畑でなら可能だと思うが、アストリアの水事情じゃ水田は無理かな?」
「水田?」
「トールの話からアンリが確立したライスの栽培方法でな、収穫量も増えて味も良くなるんだが、いかんせん大量の水が必要だから場所を選ぶ農法だ」
焼肉と言ったらやはり主食は米、パンと一緒だとやはり相性はイマイチなのだ。
焼肉をアストリアの名物にしたいと考える皇帝は、どうにか魔界麦を育てられないか尋ねてみるが、水田は無理との回答であった…
「新しい栽培方法って…リヨン、貴方の養子はまだ13歳だと聞いたけど?」
「家のアンリは頭がいいのだ!」
「親馬鹿め…しかし、実際に俺の知識を再現する事に関してはアンリちゃんが一番凄いな、『水田』の他にも『肥溜め』も再現したし…と、噂をすれば本人が来てたぞ」
「ひゃ、ひゃい!?」
何やら自分の事が話題になって恥ずかしいやら照れくさいやらだったアンリがトールに発見される。
思わずエリックの背後に隠れながら返事をするアンリに焼肉パーティーのメンツの視線が集中する…
「は、はじめまして、アンリ・レオンハルトと申します」
「おお、この子が噂の天才少女か…ん?、何やら持っているみたいであるが?」
「あ、は、はい!、これはですね…魔王様が教えてくださった『錬金術』でトールさんが言っていたある道具を再現しようとしてみた物で…」
「む、何か作ってるとは思ったがもう完成してたのか、折角だしこの場で皆に発表してしまおう」
「こ、ここでですかっ!?、で、では準備しますので少々お待ちくださいっ!」
何か親戚が集まった中で我が子の自慢をしちゃう親の様なノリでリヨンはアンリに発表を促した。
アンリはワタワタと魔道具に羊皮紙をセットして、魔道具をイジり始める。
「えっと、ここがこうで…で、では起動します!」
アンリの指が魔石に触れると同時に魔石が光輝き魔道具が起動し始める。
カタカタカタカタと音を立てながら羊皮紙を巻き込んでいく魔道具…そして巻き込まれていく羊皮紙には文字が刻まれていく。
「おお、印刷機か!、この世界の人って本も手書きだから大変そうだって話をしてたなそう言えば」
トールがそれを見て思い出しながらウンウンと頷いている。
「へぇ、アンリちゃんこんな物まで作れるようになったんだ」
「ま、魔道具を13歳が作るって凄いわね、攻撃力はなさそうだけど」
「でも、これ結構便利じゃねぇ?」
「どれくらい長い文を打ち込めるかによるかな?」
「あ、えっと…この記録石で大体1000文字ぐらい記録できます」
魔道具制作を13歳でやってのけた事に驚くのはエリック一行。
錬金術の主な分野は
ミスリルを代表とする魔法金属を合成する『精錬術』
魔力を宿した宝石類を錬成する『魔石術』
器具にルーンを刻み特定の魔術の発動や駆動を行う『ルーン術』
の三つであるが、魔道具制作にはこの三分野の知識が必要であるため、錬金術の奥義とも言える高度な技術なのだ。
と、アンリの魔道具は概ね好評なのだが、反応が悪い…硬直してしまっているものが3名…
リヨン、ジェイク、レムの三名はこの魔道具を前にワナワナと震えていた。
「ま、魔王様?、そ、その何か不味かったのでしょうか?」
「あ…いや、これ、とんでもない代物だぞ…」
「そうね、こんな物をよりにもよって金蔓に見せるなんて…」
「えええっ!?」
そう、印刷機はヤバイのである。
我々の世界においても火薬、羅針盤と並んで中世三大発明と呼ばれているのがこの印刷機。
リヨンは識字率など学問を普遍化させる事を重視してる故にこの恐ろしさが分かる。
印刷機がない世界では手書きでしか書を作れない、故に書物を読み知識を増やすのには多額の資金が必要であり市民が書を読む機会などそうそうない。
それが普遍化するという事は、今までと比べ物にならない程の知識量を一般の裾野まで広げる事が出来るのだ…これは国家の教育を根底から押し上げる効果があり、学問の世界に新しい時代を産む程の効果があるであろう。
文明、文化を押し上げるのは何時だって人の知恵と知識、それを基に積み上げられていく実践である…印刷とは文明の発展を加速させる大いなる発明なのだ。
「アンリと言ったな…」
「は、はいっ!」
「余の后になってはくれな…ウボァー!!?」
「言うと思ったぞ、この人材フェチがっ!!」
「金蔓は相変わらずね」
「こ、皇帝陛下を蹴っちゃった…」
ジェイクが事案にしかならないセリフを吐いた直後に延髄にリヨンの回し蹴りが直撃した。
皇帝特有の鳴き声と共に地に伏すジェイクを見ながら、レムはコロコロと笑いそう言った…
旦那が目の前で浮気して蹴り倒されてもこの態度である。
「レム、お前一応は妻だろ?、もう少し怒れよ…」
「私自身が金蔓と結婚した経緯がコレだし…はっきり言って今さら過ぎ?」
「あ、あの魔王様…皇帝陛下を蹴飛ばしちゃって大丈夫なんですかっ!?」
「あー、大丈夫だよアンリちゃん、ジェイクの告白からのリヨンの延髄蹴りは様式美みたいなもんだから」
「ジェイクがまだハナタレ小僧だった頃からの付き合いだしな、今更だ」
「て、訂正を要求する…確かに余はリヨン殿に幼少の頃から懇意にはしていたが、ハナ水は垂れてなかった…アストリア家の名誉のためにも訂正を要求する!」
「名誉を重んじるなら13歳にイキナリ告るなっ!」
「王侯貴族ならそれぐらいから婚約が普通ですー!、彼氏居ない歴300年オーバーのオールドミスと一緒にしないで欲しいですー!」
「ウザッ、この皇帝ウザッ!、お前なんかに娘を渡すものかーっ!」
(これが魔王と皇帝の会話でいいのか!?)
余りにもアレな魔王と皇帝のやり取りを見ながらドン引きする美食街道以外のメンバー。
だが、これだけ気安いやり取りが出来る事は付き合いの長さを伺わせられる、幼少の頃からと言うのはどうやら本当の事らしい。
「まぁ、余もイキナリこんな事を言っても引き抜きは出来ない事ぐらい理解している、ただ男として良き人材を見ると口説かずに居られないだけなのだ」
「は、はぁ…」
「金蔓の女性を見る基準は国益にかなうかどうかだしね」
「そう言う博士も研究の役に立つかどうかではないか」
「ある意味お似合いの夫婦だよなお前達って、愛と言う言葉の意味が行方不明だが…」
「お互いの価値観を理解し合えて尊重できるんだから、それがある種の愛?」
夫婦間で互いの価値観を理解しあえるのは素晴らしいことである、ただちょっと愛の種類としてはユニークすぎる気はするが…押し付けられる愛よりかはマシかもしれない。
「ところでこの魔道具バラして見て良い?」
「ええっ!?」
「大丈夫よ、バラして戻せないなんて馬鹿な真似をしたりはしないわ」
「アンリ、見て貰った方が良い…レムは私と違って本職だから中身を見れば改良なども出来る様になるかもしれん」
「そ、そうでしたらどうぞ…」
「ふむふむ…」
テキパキと印刷機を解体し始めるレム、初めて見る魔道具の筈なのに構造を知り尽くしてるかの如きで手際の良さ…実際、見た目と稼働した時の機能などをみて構造は大体把握できているのだ。
「やっぱりね、リヨンから教わってるだけあって初歩的な技術だけで無理やり構成してるし、調整もイマイチね」
「改良できそうか?」
「研究室に持ち帰れば倍近い性能にする事は出来るわね」
「ううっ、すいません、へっぽこな魔道具で……」
「それは違う」
レムから見ればアンリの技術はまだまだで、構造にも無駄が多いし調整も甘かった…
しかし、それを聞いて凹むアンリに対して首を横に振る。
「最新の技術や熟練の技で凄い物を作るのは簡単だけど、単純な技術の組み合わせで新しい物を生み出すのは至難…貴女は既存の知識を集め、それを組み合わせて活かす才があるみたいね」
「そ、そうなんですか?」
「この魔道具、使われているのは錬金術だけじゃない、金細工などの工業的手法や機械的技術も組み合わさっている…使われている技術そのものは全て単純なものだけど、これだけ幅広い技術を一つの道具に収めるのは並大抵の才能じゃない」
新しい物を発見する事も偉業であるが、既存のものから新しい物を発明するのもまた偉業である。
レムはどちらかと言えば新しい物を発見する側、常に新技術や新素材などを追求する研究を進めてるタイプの技術者である。
故にアンリよりも高い技術を持ちながらもこの『印刷機』のような物を作り出すという発想は生み出せなかった。
しかし発明の価値も理解はしている、故に自分とは違う才を持つこの少女の事を高く評価したのだ。
「どうだ、アンリは賢いであろう?」
「そうね、リヨンがそうやってドヤる気持ちもよく解るわ…だけど、分かってるわよね?」
「むぅ…うん、まぁ、そうだな…」
「魔王様、どうしたのですか?」
養女自慢でドヤ顔のリヨンだったが、レムの指摘により言い淀む。
それは前から考えていた事。
幅広い知識を持つリヨンであっても専門外の事に関してはアンリの師としては最早不足であるという事だ。
「転送陣…貴重だから後で回収しようかと思ってたけど、これはこのまま設置しておきましょう」
「良いのか?、アストリアにだって3つとないだろう?」
「なるほどそういう事か…うむ、余が許可する、その少女と魔道具をアストリアに招けるのならば安いものだ」
「ええっ!?、どういう事ですかっ!?」
アストリアに招けると言う言葉に慌てふためくアンリ。
(そんな…私はもう要らないのですか?、魔王様…)
そんな考えが脳裏に浮かぶ、必要とされる事を望み続けた少女にとって、今やリヨンの役に立つ事こそが自分の全て…それなのにアストリアに連れて行かれる…捨てられる…そう考えてしまうと目の前が真っ暗になってしまう。
「ん、…多分ちょっと勘違いしてる、アンリ…貴女は私に弟子入りしなさいという話よ」
「え?」
「うむ、別にリヨン殿の元を離れろという話ではない、だいたいそんな話なら確実に断られるだろうな…」
「当然だ、だが錬金術でもこれだけの才を見せられたのならば、私ではアンリの師として不足となる」
「だから転送陣を繋ぎっぱなしにするのよ、そうすればリヨンの元と私の元を簡単に行き来できるでしょう?」
「えええ!?、じゃ、じゃあ私の為にこんな高級そうなアイテムを置いていっちゃうって事ですかっ!?」
「高級そうじゃなくて、高級、…これ一個で城一つ買えちゃうかな?」
「………」
「あ、固まった」
今度はあまりの金額に目の前が真っ暗になった、元農奴にとって城一つの値段のアイテムとか心臓に悪いってレベルではなかった。
「ま、マジか、そんな高かったのか、アレ…」
「ううっ、今になって寒気が…」
「な、無くさなくて良かったぁぁっ!」
アレをここまで運んできたエリック一行もその価値を聞かされて今更ながらにビビる…
転送陣は現在の技術では再現できない遺失文明の中でもその有用性と貴重性から最高峰の価値を誇るSランク遺物、これの取り合いで国家同士が争うことだってあり得るのだ。
「なに、この印刷機とやらを量産した暁には元を取れるだけの恩恵を得られるさ」
「とは言えパクリは嫌だから…アンリ、貴女は私の弟子としてこれを開発したって事で人界で発表するわよ」
「え?、え?」
「うむ、半魔がそういう功績を残したと言う話は『新教派』の後押しにもなるしな、それで良いかリヨン殿?」
「アンリを宣伝に使う気か…ちゃんと身の安全は保証できるのだろうな?」
「当然である、この印刷機のお陰で『教皇派』どもとの権勢争いにも光明が見えてきたのでな、アストリアの全力をもってこの少女を守ろう」
「あ、あのう…とんでもなく話が大きくなってきてる気がするのですが…」
「だから『とんでもない』と言ったろ?、お前は凄いんだぞアンリ!」
「そ、そんな…どうしてこうなっちゃったんでしょう?」
軽い気持ちで作った魔道具が、理解を超えた大事になってただただ戸惑うアンリである。
しかし印刷機こそが、我々の世界でも宗教革命を引き起こした要因となったのだ。
今までは宣教師の話を聴かせる事でしか布教ができなかった事が、印刷機により聖書となる、字が読めぬ者にも絵を入れて内容を伝えそれを広く配布する情報伝達速度は、話を聴かせるだけの既存の情報よりもずっと早く伝わり、しかもその内容は残されていく。
『新教派』の教義と共に『教皇派』今まで行った悪行、傲慢な言動を広くに知らしめ、『教皇派』が作り出した迷信を否定する学説も文と絵によって大衆へ広める…
この世界で初めて行われたマスメディア戦術により『新教派』はやがて東側においては『教皇派』を凌駕するほどに権勢を強める事になるのだが、それはまだ先の話。
登場キャラが多い回は難しいです、居るのか居ないのか分からない人が出て来てしまいます。