魔王様と警備隊訓練
「そこ!、列を乱すなっ!!」
「す、すいません装備が重くて…」
「馬鹿者!、そんな事が理由になるかぁっ!!」
「す、すいませんっ!」
「装備は身体の一部だと思えっ!、力で劣るお前たちが装備無しでどう戦うと言うのだ!?」
「は、はいっ!」
「判ったら、整列!、整然と列を維持しながら走れ!、イチニィッ!、イチニィッ!」
「イチィニィッ!、イチッニィッ!」
組織されたばかりのコボルト警備隊は鬼教官と化した体育会系によってしごかれている。
交易が始まり、輸出物としての食料が必要となった為にさらに拡大された農場の外周を、重い鉄製の装備を着込みながら走らされる。
そして叩き込まれるのは徹底とした規律。
弱いコボルト達が他の種族に挑むのならば1対1では不利、必ず複数で当たりこれを鎮圧するのであるのだから統率された動きが要求されるからだ。
「あ、警備隊の皆さん訓練頑張ってくださ~い」
「はい!、アンリ様!!」
「我等、必ずしや貴方様を守れるように強くなってみせます!」
「よーし、じゃあ残り半分気合入れて行くぞぉ!」
「「「オーッ!!」」」
因みに農場の外周を走らせるのは農場にはほぼアンリが居るからだ。
従順なコボルト達とは言えモチベーションは大事、そう考えるトールはアンリに「見かけたら、応援してあげてな」と頼んでいるのである。
「よし、走り込み終わり!、続いて素振り100本!、不抜けた真似をした奴はやり直しだからな!」
「はい!」
走り込みを終えた直後に即素振り稽古が開始される。
息が乱れ、疲労の中での素振り、当然形を崩してしまう者も現れるが…
「やりなぁおしっ!、脇をきちんとしめろ!」
「は、はいぃ!」
「ぜぇはぁ…ぜぇはぁ…」
「足を開きすぎ!、お前もやりなおしだ!、苦しくても100本ぐらいはきちっと振れっ!」
「は、はい!」
「戦場で生き延びたければ苦しい中でも動けるようになれ!、万全な状態など戦闘が始まればすぐに吹き飛ぶぞ!」
「はいっ!」
容赦なく飛ばされるやり直しの嵐。
これは単なる素振りではなく、苦境の中でも戦えるようになる為の訓練でもある。
万全な体制の中で生き延びる事は誰だって出来る、生死を分かつのは苦しい戦いの中でも的確に動けるかどうか、その練度と気力が最後に物を言うのだ。
「よーし、休憩!、10分の休憩の後に打ち込み稽古を始める!」
「や、やっと終わった…」
「ぜーはー、ぜーはー……し、死ぬかと思った…」
地獄の素振りも終わり、10分の休憩で少しでも体力を回復させようとグッタリとへたり込むコボルト達。
「また、えらく厳しいな…警備隊と言うより軍隊みたいだ」
「コボルト達には種族のハンデがあるからな、警備隊として機能させる為にはしゃーないさ」
「訓練を乗り切れそうか?」
「多少の脱落者はしゃーないと思っていたが、意外にも今の所は脱落者0だな」
「うむ、相変わらず気は弱いがやる気は十分って所か」
「最弱種と言うのが自信のなさに繋がってるんだろうな、その辺りを払拭してやらねーと」
休憩中に様子を見に来たリヨンと話すトール。
今の所は脱落者なし、弱気だが確かな忠心を持つコボルト達は厳しい訓練でも耐えてみせてるようだ。
しかし、自信が持てないのは問題である、弱気な警備兵なんて相手から舐められてしまう。
そうすれば犯罪を起こそうとする者が増えて治安の悪化に繋がってしまう由々しき問題だ。
「それはそうと、頼んだもの用意できそうか?」
「えーと鶏卵と乳清だっけ?、卵は増産中だし、乳清なんて今まで捨ててたから大丈夫だが…」
「それを捨てるなんてとんでもない!、乳清って確か豚の餌にすると肉の味が良くなるんだぞ!」
「マジで!?」
「たしか、そんな話があったよーな気がする」
「くっ、相変わらずの曖昧な知識…で、こんな物をどうするのだ?」
「ああ、筋肉を作るための栄養が多く含まれてるから警備隊の食事に加えるんだ」
「筋肉を作るための栄養?」
「ああ、俺たち生物は食って体を成長させてるんだ、強い体を作るためには食事も重要なんだぜ?」
「なるほど、言われてみれば確かに…」
「まぁ、この辺りの知識は前の世界でも実践してたから任せておけ!」
トールにしては珍しい実践できるレベルに達している異世界知識。
元機動隊員として柔道や剣道をはじめとした格闘技をやっていたので、トレーニングに関する知識だけはそれなりに持ち合わせていたようだ。
因みに乳清とはチーズを作る時に出る副産物であのプロテインの原料でもある。
ホエイなどとも呼ばれ、これを餌として与えられた豚はブランドとして高く評価されている。
そんな与太話の結果ハルト村の豚肉の品質が向上して人界の豚肉の品質を超えたのは後の話である…
「後は鶏肉なんかも良いな、肉ならなんだってタンパク質はあるが鶏は低脂質なのがいい」
「タンパク質?、それが筋肉の材料なのか?」
「ああ、肉類や卵に乳製品なんかに多く含まれてるな」
「なるほど…それと鶏肉なら生産の効率化に成功したから多く手に入るぞ」
「生産の効率化?」
「ああ、鶏が若い内にシメてしまうのだ、若い内の方が成長速度が速いし、卵から肉までのサイクルも早くなるからな、効率的に肉を生産できるのだ」
「相変わらずの合理主義者だな」
「しかも、食べてみて分かった、若い鶏の肉の方が断然美味しい、柔らかいし」
「あー、言われてみれば最近の鶏肉うめぇな、人界のよりも旨いし、下手すれば前の世界のより旨いかも」
「なに!?、お前の居た世界よりも!?」
「あ~、でも前の世界で食べてたの冷凍品の安物だけど」
「冷凍品?、保存の為にわざわざ凍らせてるのか?…お前の居た世界って魔法がないとか言う割にそういう事簡単にやるよな…」
「その辺りの理屈は俺にも分からんから、ただ『科学の力ってすげー』って思うしか無いんだがな」
「その科学の力とやらが欲しいのだが…」
「俺より頭が良い異世界転生者を探してくれ」
魔界と人界を旅して回ったリヨンでも異世界転生者などトール以外に知らないのでそれは無理な相談だ。
科学の力…それはトールの話を全て信じるのならば、なんでも都市を一撃で破壊し後に死病を引き起こす呪いを100年以上も振りまく恐ろしい兵器とか、飛空挺が音の速さを超えて数百人も遥か遠くへ運ぶ事が出来るとか、月にまで行って旗を立てたとか、それなんて神話?としか思えない恐るべき力。
これが人間の手で、しかも魔法も無しで行われてるというのだからこの世界の住人であるリヨンにとって正に想像を絶した世界、神の世界と言われても納得できるほどの世界だ。
もっとも目の前のトールにそんな神性など全く感じはしないのだが。
「よーし、休憩終わり!、打ち込みを始める!、五人ずつ俺にかかってこい!」
「はい!」
次の訓練は5対1による打ち込みの訓練、相手はトール、格上との戦闘を想定した訓練である。
「甘い、甘い、甘い!、もっと連携を取れ!、数の利を活かせ!」
「は、はい!」
「もっと走り回れ!、囲め!、多角的に攻めろ!、正面から当たるな!」
「い、いくぞぉ、みんなぁぁ!!」
「うおりゃあああっ!!」
「か、かすった!」
「よーし、その意気だ!、今のは惜しかったぞ!」
「はいっ!!」
上手く連携を取れれば攻撃が当たる程度に手加減をしたトールとの打ち込み稽古。
如何に首が複数あろうが、腕が100本あろうが体は一つである以上、多方からの攻撃に対する対処には限界がある。
例え相手がリヨンであっても全方位に障壁魔法を貼ってしまえば、障壁を貼り続けてる限り攻撃には移れない…貼った障壁が邪魔になってしまうからだ。
弱いコボルト達にとって、この連携攻撃は正に生命線。
故にこの事は全ての訓練を通して徹底的に叩き込まれていった。
そして半年後…
ハルト村で交易が始まってからの初めての秋を迎え、収穫物を目当てに交易が活発になっていく。
そんな時期を前にコボルト警備隊達の訓練は完了し、今日は最終試験の為に全員がトールの前に集結した。
一通りの訓練を終えた彼等はモフモフなれど、その下には鍛えられた肉体が出来上がり、他のコボルトよりも一回りほど大きく見える。
「お前達、この半年間よくぞ訓練を耐え抜いた、これより卒業試験を行う!」
「はい!」
「いいか!、これから行うのは訓練生の卒業試験ではない、最弱種と言う地位からの卒業だ!」
「…はい?」
「秋の収穫を終え交易が活発になったが、その分ゴブリン達による食料の盗難が相次いでいる」
「え?、って事はまさか…」
「そう、卒業試験は実戦だ!、今からお前達にゴブリン討伐を命じる!、自分達の人数の倍のゴブリンを狩ったチームは試験合格だ!!」
「ええーーっ!?」
「ぼ、僕達はコボルトであります!、そ、それなのにゴブリンを倍の数狩れと申されますか!?」
「今までの訓練を信じろ!、お前達は最弱種ではない!、ハルト村を守る屈強なる戦士達だ!戦士となるのだ!」
通常の場合、ゴブリンはコボルトよりも強い。
体格は互角だが筋力も俊敏性もゴブリンの方がちょっぴり強く、何よりも攻撃性が高い。
ゴブリン…コボルトと同じく最下層の魔族であるが故に、より下のコボルトを誰よりも苛烈に虐げる存在。
常に最弱種であると言う現実を押し付けてくる忌むべき相手を倒すのが今回の試験の目的。
コボルト警備隊最大の懸念である自信の無さを克服するにはうってつけとも言える相手であった。
「ぼ、僕たちが、僕たちだけでゴブリンを…」
「で、でもやらなくては…僕たちは…僕たちでこのハルト村を守るんだ!」
「やるぞみんな!、ここで逃げたら弱い僕たちのままだ!」
「「「おお!、やってやる、やってやろぞぉぉっ!!」」」
最も身近な恐怖の象徴とも言うべきゴブリン達に挑む恐怖を振り払うコボルト達を見てトールは微笑む。
(うん、厳しい訓練を強いた成果が出て来たな)
厳しい訓練は乗り越えれば自信へと繋がる。
怖気付き諦めてしまわない程度の自信を持ってくれた事にホッとするトール。
そう、これこそが最大の壁だったのだ、ここさえ乗り越えられれば彼等はゴブリンに打ち勝てる。
愛弟子達の実力を信じるトールはそう確信していた。
長くなりそうなので最終試験は次回へ。
しかし異世界転生は便利な設定ですね、流石はなろうの花形ジャンル…
異世界知識無双にならないように抑えたい所ですが、便利すぎてやっぱ出番が増えてしまいがちです。