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第7呟「モノローグ/美羽」

 長年暮らす夫婦の動作や口調、顔が似てくるように、親友も互いに似てくるらしい。

 登下校を共にしていたせいもあって、入学当初は『双子ちゃん』と呼ばれていたものだ。

 けれど、あたしは奈々のオマケだった。

 いつもいつも付属品だった。


 あたしと奈々。

 友達が多い。憧れている人が多い。

 成績はまあまあ。優等生。

 取り柄がない。多芸多才。

 容姿も普通。高嶺の花。


 全てにおいて奈々が秀でていた。完璧人間の前にすれば、どんな人でも引き立て役にしかならない。

 一緒にいるだけそれを思い知らされた毎日だった。登下校中や移動教室で一緒に歩いていても、視線を集めたのは彼女だ。友人と挨拶を交わしても、奈々へ話しかける踏み台にしかされていなかった。


 唯一誇れる友達の多さも、奈々に近づきたいがためにあたしと仲良くしようとする輩ばかりで、誰も彼もがあたしの先にある奈々という存在しか眼中になかったのだ。

 男子だって、奈々に告白をして振られたからあたしで妥協する。悔しくて悔しくて仕方がなかった。惨めで、苦しくて、辛かった。


 でも、それは憧れの裏返しで。

 あたしは、奈々の事が好きだった。


 そう、羨望の的である彼女に焦がれる人間の内の一人だった。


 思い出せば出すほどに、二度と会えない親友への気持ちが溢れ出す。

 彼女には感謝してもしきれない。

 奈々が奈々でいなければ、死んでいたのは自分の方かもしれなかったからだ。


 中学三年生の夏、いじめの標的にされかけた事があった。理由は単純。なんとなく気に入らないから。そんなもので仲間外れにされ、容赦なく傷つけられる。

 影響力のある女子が一言、「あいつ気に入らない」と言えば周りも自分の保身のために流されて空気に従う。


 自分がいじめられたくないから、誰かをいじめるという悪循環が生まれるのだ。


 人気者と仲が良いと自分の評価も上がるという謎の仕組みのため、奈々に気に入られたい女子達は彼女に見えないところであたしをいじめた。

 彼女の一番近くにいるあたしが目障りだったのだろう。もしくは、奈々の隣の座を狙っていたのだろう。

 けれど、負けず嫌いがたたってか奈々へは相談しなかった。


 いや、できなかった。

 こんな事を奈々が知れば、自分のせいだと自分自身を責めると思ったから。


 しかし勘の鋭い彼女はある日「大丈夫?」と訊いてきた。奈々から見て、様子がおかしかったのかもしれない。

「大丈夫」と答えると念を押して本当かと問いかけてきたが、頷くとそれ以上は無理に聞き出そうとはせずに「そっか」と頷いてくれた。


 それはきっと、あたしの性格を知っての事だった。

 それ以上は何も聞かずに、ただただ隣にいてくれた。休みがちだった奈々は、言葉にこそしなかったが、あたしのためだけにしばらく休まずに学校に来続けて、いつもいつも隣で笑っていてくれた。

 それにどれだけ救われた事かわからない。


 けれどいじめは次第にエスカレートしていき、ある日、委員会があり人がはけている放課後にトイレへ呼び出された。奈々が委員会の集まりへ参加中で、目に触れない絶好の機会を狙ってのものだった。

 生憎とあたしはなんの委員会にも所属しておらず、そのピンチに気づく人は誰もいなかった。


「何……かな」


 声が震えるのが自分でわかった。なんて情けない。同年代の女子四人に虐げられて怯えている自分なんて、奈々に似ても似つかない。

 憧れは憧れだけであり、自分がその人になる事は出来ないらしい。


「お前さぁ、こんなに嫌がらせ受けてんのになんで奈々ちゃんから離れないわけ?」


 奈々ならこの人になんて言うだろう。一番に頭をかすめたのはそんな事だった。

「私の勝手でしょ。親友といて何か悪い?」悪に屈する事のない彼女ならばきっと誰にでもそう言うだろう。でも、あたしにはそんな敵意と取られるような事は言えなかった。


「なんでって親友だから……」


 怯えと不安が不協和音を起こした声でそう主張すると、それが障ったのかヒエラルキーの頂点に輝く女子が低い声で短く「やれ」と取り巻きへ指示を出す。

 近づいてくる女子の右手にハサミが握られている事を目視する。想像はついた。


「奈々ちゃんに憧れて髪伸ばしてんの? お前が真似したところでブスが悪目立ちするだけだっつーの。可哀想だから切ってやるよ」


 ――そう。奈々を真似て髪を伸ばしていた。少しでも憧れに近づきたくて、なんでも奈々の真似をした。持ち物も色違いの物を買った。だから双子ちゃんって呼ばれてた。

 それが一つ失われる。物なら買えばいい。でも髪は、切られてしまえば伸びるまでに時間がかかる。


「嫌ッ! やめてよ!」


 髪を引っ張られ、悲鳴に似た声が出た。


「はぁ? やめてください、だろうが」


 リーダーの女子に腹部を蹴られて床に転がった。痛みに喘いでいると、彼女は取り巻きに目配せをする。

 二人はあたしの体をうつ伏せのまま抑え、残る一人はハサミを持ってまた近寄ってきた。

 あたしは髪を引っ張られ首が仰け反る苦しさに顔を歪めた。大切な髪を切られてしまう悔しさに視界が涙で揺らいだ。


 精神的に何かを繋ぎ止めるために張っていた大切な糸が意図的に引きちぎられるように、髪も容赦なくザクザクと切られていく。

 奈々への憧れ、時でしか解決できない事、それが今悪意によって強制的に絶たれていく。

 刃物を向けられている恐怖も相まって、遂に堰を切ったように目からいろんな感情が流れ出した。


「やだ……やめてぇ……」


 半分以上が切られながらも抵抗していると、不意に乱暴に女子トイレの扉が開いた。

 どうやら足で蹴って開いたようだ。空中で止まっていた右足をゆっくりと床につけ、行動とは裏腹な静かな雰囲気でこちらへ向かってきた。


「な、な……どうして……?」


 普段の彼女からは考えられない乱暴さに皆が釘付けになっていると、髪を掴んだままだった女子の手からハサミを奪いとった。泣いているあたしを抑えていた二人の手も無理やりはがし、見ていただけの主犯格の方へ三人の背中を蹴った。


「美羽、髪以外は切られてない? 怪我は? 大丈夫……?」


「うん……大丈夫」


 嗚咽の間からなんとか答えると、涙でぐしゃぐしゃになった顔に無言でハンカチをくれた。


「大丈夫なんて訊いてごめん。大丈夫なわけないのにね……。大丈夫かなんて訊かれたら、大丈夫じゃなくても大丈夫って言っちゃうよね」


 その言葉は、きっと今だけの出来事に向けての後悔や謝罪ではなかった。前に「大丈夫?」と聞いた時の事を強く悔いた言葉だった。


「……えへへ」


 なんとか笑顔を返事とすると、奈々は涙ぐみながらはにかんだ。頭を優しく撫でてくれた。

 しかし次の瞬間、四人へ振り返ろうとするまでに、本気で心配してくれているとわかる瞳に、今まで見た事もないような怒りが湧き出てくるのが感じられた。


「な、奈々ちゃん、そんな奴庇うの?」


 次に震えた声を出したのは主犯格の女子だった。奈々にバレたからか「やばい」と引きつらせた顔で、言い訳と正当化する言葉を探しているような声音だった。


「傷害罪で訴えられるような事をしたゴミクズが、誰の事を『そんな奴』呼ばわりしたの?」


 怒りを感じさせないような無邪気な声で、まるで親に善悪をいちいち教えてもらう子供みたいな首の傾げ方をした。


「いじめって言葉がいけないよね。傷害罪。脅迫罪。名誉毀損罪。器物破損罪。罰を与えるための立派な名前があるのに、子供の起こしたいざこざだなんて認識でいじめって言葉で片付けるのはおかしい。……ねえ、そうは思わない?」


 自分がした事の重大さに少しは気づいたらしい四人は、奈々が一歩踏み出すと一歩後退した。


「いじめなんて言葉があるから罪の意識も芽生えないし、いじめはダメだなんて言葉も抑止力になんかならない。馬鹿は頭で理解できないんだもの。それなら身体で味わってもらわないと」


 怒鳴っているわけではない。静かながらの凄みに四人は後ずさる。壁に追いやられ逃げ場をなくすが、目を逸らしたら一貫の終わりな気がして奈々の瞳から逃れられずにいた。

 距離だけが詰まり、奈々が最初に腕を伸ばしたのは主犯格だった。

 奈々が胸倉を掴みあげると、彼女は突然饒舌になった。


「な、何よ! そいつ誰とでも仲良くなれるフレンドリーだとか勘違いして馴れ馴れしいしウザいんだよ! 大っ嫌いだしまじでキモい。奈々ちゃんはそいつといてイラつかないわけ!? そいついじめられてんだよ? 一緒にいるだけで自分が危険だとか思わないの!?」


 指をさして自分の事を言われている間、あたしは奈々に見捨てられるのではないかという不安を超えた強い恐怖で震えていた。

 ここで彼女の言う通り奈々に捨てられてしまえば、味方はもう本当に誰もいなくなってしまう。

 けれどそれを払拭するように、奈々は鼻で笑った。


 栄祝奈々という人間は、脅しじみたそんな主張に物ともせず、


「あんたさ、人を嫌う時くらい一人でやれよ」


 自分にのみ従った。

 そうだ。奈々は本来、こういう人間だ。

 こういう、強い人間なんだ。


「そいつといてなんか得あんの? いじめられてる奴といても損しかないじゃん!」


「友達は損得勘定で選んでるわけじゃない。私が好きなら好きでいいでしょ。なんで他人に交友関係左右されなきゃいけないわけ?」


 集団嫌いの彼女は、そういった負の集団意識、協調性を、


「――――くだらない」


 と一蹴するような強い人間だった。奈々の顔は見えなかったが、四人の表情を見れば判る。


 普通ならば、いじめの標的にされた人は独りになる。周りが独りにさせる。

 けれどあたしは独りにされなかった。奈々が独りにはしなかった。

 ああ、なんて。


 なんて素敵な人なんだろう。

 なんて強い人なんだろう。

 なんて綺麗な人なんだろう。

 なんて、なんて、なんて、清い人なんだろう。


 あたしには一生かかっても奈々にはなれない。そう思い知った瞬間でもあった。


 委員会をサボっていたらしい主犯格の女子の名前が放送で呼ばれる。それがきっかけとして四人が出て行こうとすると、奈々は呼び止めた。


「ちょっと待ってよ。どこ行く気?」


「どこって……」


「人を殺すなら自分も殺される覚悟をしなきゃダメだと思ってる。美羽の髪を切ったって事は、あんたらも切られる覚悟あるんだよね? 背中向けてそこ並んでよ。もちろん私の髪も切っていいよ? だからほら早く。私短気なの」


「い、いや……あの」


「まさか、人の髪は切っといて、自分は切られたくないなんて虫のいい事言わないよね? ……ああ、それとも私が先に切れって事?」


 おもむろにポニーテールにしていたヘアゴムを取ると、さらりと黒髪が流れた。

 冗談ではないと突きつけるように、取り上げたハサミを自分の髪に添え、躊躇なく切り始める。


「ちょっと、奈々……!?」


 呼ぶが、手を止める事はなかった。冗談ではないのだと覚悟を見せつけられ、いつもの奈々とは違う迫力に四人は怯んで口々に「ごめんなさい」と謝った。しかし奈々の穏やかな口調は、そこで変わった。


「謝んのは私にじゃねえだろうが」


 すごく、ものすごく、心底の感情が詰まった声だった。奈々の怒りを目にしたのは、片手丁度の年数を共に過ごしてきた中で、初めてだった。

 四人はすぐさまあたしの方を向いて謝罪を口にした。その後、応えられずにいると、四人は恐る恐るといった感じに奈々を見た。


「何見てんの? 髪切られる気にでもなった?」


 と、今度はおどけた口調で言った。


「い、いや、違っ……」


「謝って許される範疇をとうに超えた行為だって事は分かってるよね?」


「……はい」


「スポーツ推薦で私立の高校行きたいんだっけ? これが発覚したらどうなるかなぁ。他の三人も。皆全国行ってるテニス部に所属してるんだもんね。残念だなぁ、強いところに行けなくなっちゃうね」


 口を閉ざし今にも泣き出しそうな彼女達がなんだか気の毒に思え、あたしは奈々を呼んだ。


「もういいよ奈々。親にバレたくないし……」


「まーったく。甘いなぁ。だってよー良かったね」


 美羽や菜緒の前だけで見せる気の抜けた声を出し、気怠そうに犬を追い払うような仕草をした。すると逃げるように四人が去っていった。


「馬鹿だなぁ美羽。あんなん庇ってもなんもならないし懲りないでしょ。……髪だってすぐには伸びないのに」


「それ言ったら奈々だって馬鹿だよ。こんな事して、あの子達のいじめの標的が奈々になったらどうするつもりなの」


「そんなん、今回の事が脅し文句になるし、それこそ次何かしようものなら行きたい高校に行けなくなる事くらい分かったでしょ。いくら馬鹿でも」


 ケロッと凄い事を言う。


「逞しいというかなんというか……。奈々も髪伸ばしてたのにね、ごめんね」


「あはは、いいじゃんいいじゃん頭軽くなって。ほら、帰ろ! その前に美容院行くぞー!」


「今から!?」


「流石にこんな中途半端にざんばら髪じゃあ家族に説明つかないっしょ? 二人で切ってきましたーって写真見せれば変な事勘繰られる事もないと思うし。って事で切った後ツーショット撮っちゃう? 自撮りしちゃう!?」


 こんなにふざけているように見えて、家族に知られたくない事、髪を切られた事にここまで配慮してくれていた。自ら髪を切ったのは、奈々の事だからそんな深い意味もなく本気だと示すために切ったのもあるかもしれないが――もしかして、あたしを気づかったのかもしれないなとも思った。


 しかし、聞いても奈々は頷かないだろう。きっと「切りたいと思ってたから」とか言い出すのだ。そんな優しい人なのだ。


 突拍子もない行動に見えて、こうしてちゃんといつも理由は存在している。

 けれど、気づけないとその行動や言動はあまりにも非常識に見えてしまう。

 当事者だから今回はたまたま解っただけだ。

 変人と比喩するには、あまりにも乱暴だと思う。


「……奈々、本当にありがとう。あと、ごめん」


 心底の気持ちをぶつけてみる。すると奈々は切なく笑った。


「謝るのは私の方だよ。……ごめんね」


 奈々に非なんて全くないのに、彼女は謝った。なんて声をかければいいのか考えている内に、早く行くよと急かされる。その背中を追いながら、ふと疑問が浮かんできた。


「なんでトイレにいるって気づいたの?」


「いやぁ、委員会だっていうのにペンケース教室に忘れてさ。トイレの前通りかかったらちょうど美羽の声が聞こえてきてね」


 奈々は少し抜けているところもある。今日はそこに救われたらしい。


「って……委員会は!?」


「あー……もういいんじゃない? 先生来ないからいっつもテキトーで大した話しないし!」


 本当なのか気遣ってくれているのかの判断がつかないまま、そのまま美容院へと向かった。

 髪を切り終わると、奈々に握られた手がブンブンと振られた。


「いやぁ、お揃いいいね!」


 意外にも、お揃いに喜んでくれたのは奈々の方だった。彼女の心配りだったのかもしれないが、本当に嬉しそうにしていたのが印象的だった。


「ほらほら写真写真!」


 二人のボブヘア姿をスマホで撮り、それを見た奈々は考え込むように口元に手を当てがった。


「美羽、ボブヘア似合うな……」


「そうかな。えへへ、ありがと!」


 お世辞を言わない彼女の言葉に照れてしまう。

 そしてこの時、大切な何かに気付けたのだ。


 誰かの真似をするから、自分とその誰かに優劣をつけて辛くなる事。

 自分には自分に合った生き方やスタイルがある事。

 あたしはどうやってもどうあがいてもどうしたって仕方がない程にあたしで、奈々にはなれない事も、そこで知った。


 以来、あたしはずっとボブヘアを気に入って続けている。

 それがアイデンティティの一つでもあると捉えるくらい、それに拘っている。

 執着と揶揄されてしまうかもしれないその意味に、その出来事が関係していた。


 それからは楽になった。

 変われて自信がついたおかげか、あたし自身に好意を持ってくれた直人という彼氏もできた。

 元々、あたしと奈々と直人と圭介は同じクラスで休み時間になるとよく話す仲だったのだが、直人とあたしの二人で話し出すと、気を使って奈々と圭介も二人で話す形になった。

 二人は圭介の彼女が奈々の幼馴染だという事で、その子の話で盛り上がったりしていたらしい。


 殻を破ってからというもの、全てが順調だった。


 奈々とやっと対等に慣れたような気がしていた。

 そして、あろう事か彼女より上に立ちたいとまで思う事もあった。


 だからか、奈々のモノをつい略奪(ほし)いと思ってしまったのかもしれない。

 魔が差してしまったのだ。


 恩を仇で返すような事を、あたしはひっそりとしてしまっていた。

次の投稿は、明日の夜です。

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