第5呟「ああいう人達って、誰が死んでも泣けるんだろうね」
その日は、内藤圭介が欠席した事を誰も気にしていなかった。
受験前は代わる代わるに体調を崩して欠席し、インフルエンザや風邪が流行る季節柄、クラスメイト全員が揃う日はなかなかなかったのだ。
他と違った点と言えば、担任も遅刻をしてきた事くらいだった。
そして帰りの会が始まる直前、各クラスは担任の指示で体育館に集まった。
クラス毎に男女二列ずつに整列する。出席番号順だったので、美羽の隣は奈々だった。
皆、誰かが問題を起こしたせいで学年集会が開かれたのだと思っていた。
しかし違った。出てきたのは学年主任ではなく、校長だった。
「今朝、一組の内藤圭介君が事故で亡くなりました」
悲しみを湛えた表情で、おもむろにそう告げた。どよめきが走った後、十秒ほど経ってから沈黙が支配する。
その間、美羽は反射的に奈々の方を見た。すると彼女はそれに応えるように微笑んだ。あまりにも冷たい瞳だった。目が笑っていないとは正にこの事かと直感し、ゾッとした。
声が出ない内に静まりかえったせいで、『何故笑ったのか』その意味を問えずに終わってしまう。
「黙祷を捧げましょう。……黙祷」
その間、すすり泣くような声が聞こえてきた。それはどれも女子のもので、特に関わりのなかった人まで泣いていた。
黙祷が終わって、教室に返された。体育館から教室までの道のりで、皆が動揺しているのを肌で感じられた。
けれど、奈々だけは動揺してる様子など微塵もなく、冷めた視線を周囲に向けていた。
「感受性が強いよね。最強レベル。ああいう人達って、誰が死んでも泣けるんだろうね。逆に不謹慎だと思うよ」
開口一番に言ったのは、圭介の死を悼むものではなく、周りの人間への侮蔑だった。
落ち着き払い静かなとげとげしさもあり、今までで一番感情的な風にも見えた。
「同じ学年の仲間なんだもん。そりゃ悲しくなるよ」
美羽に対し、奈々は鼻で笑った。
「……そう? 随分と仲間意識が強いのね。羨ましいなぁ」
馬鹿にするような声音に、美羽は少しの苛立ちを覚えた。不謹慎なのは奈々の方だ。そう思った。
「空気に呑まれて、ただシチュエーションに酔って泣いてるだけだよ」
同意を求めないような乱暴な言葉だった。貴方もその一人。そう言いたげだった。
「あの涙が偽物に見えるの?」
「見えないの? 仲良かった人が泣くのはわかるよ。でも、あの人達って圭介と仲良かった? 『友達の為に泣いてる私』が可愛いだけの人達でしょう?」
随分と鋭利な事を言う。こんなマイナスなだけの感情を表に出すなんて、本当に珍しい事だった。
「……どうしたの、奈々」
「さあ? 別にどうもしないけど、事実だよ」
二人の間の空気が悪いまま、教室に着いてからすぐに帰りの会が始まった。担任が遅刻してきた理由は、圭介の家へ行っていたからだとその時に知らされた。
通夜に行くかどうかは、強制ではないので個人で決める事。そうも言ってから、帰りの挨拶をした。
クラス中が通夜に行く空気で固まっていた。
終えて、担任の周りには泣いている女子が集まった。圭介の事だろうと想像は安易につく。
「点数稼ぎに必死だね。あんなんで優しくて友達思いな子だって評価されたら、お腹抱えて笑えるね」
それを奈々は冷めた目で見てから、視界から外すように美羽の方へ振り返った。
「行くの? 圭介のお通夜」
「うん。行くよ」
「なんで?」
間を置かず、責めるように、しかし表情はいつも通りに聞いてきた。
その質問の意図が掴めなかった。
何も知らない子供が無邪気な顔で「どうして悪いの?」と叱られた時に問うような子供の顔をしている。
「なんでって……」
答えに迷っていると、彼女はまた鼻で笑った。
「こういうのって、軽い気持ちで行くものじゃないと思うけど」
「軽い気持ちなんかじゃない!」
その言葉に、美羽は反発した。クラス中の視線を集めながら、奈々はその怒りさえも弄ぶようにわざとらしく困った笑顔を浮かべた。
「どこが? 周りの皆が行くから行くんでしょ。行かなかったら何か言われるかもって思うと怖いんでしょ?」
「そんなじゃない」
それは半分、図星だった。けれど、それだけで圭介の通夜に参加するわけではないので怒りが収まらなかった。
「そう? 皆だって行くのはただの興味本位でしょ。まだ周りで死んだ人が少ない歳だもんね。友達が亡くなるなんて経験、滅多にできない事だもんね」
抑揚のない透き通る声が、いやに教室を支配した。
「そんな物珍しいものに、浮き足立ってるだけなんでしょ? 本当は」
「奈々、あんた本当に口が過ぎるんじゃないの!? 仲良かったから行くんだよ! 悼むために行くんだよ!!」
「仲が良かった、ねぇ……?」
意味深な口ぶりで嘲笑した。そこに担任が二人の間に割って入る。
「ストップ。二人共落ち着いて。他の皆ももう帰りなさい」
指示通り人が履けると、担任は奈々に「ちょっと来なさい」と呼ばれた。教室から出て行く時、奈々は美羽へと振り向き「美羽、もう直人とは」と何かを言いかけたところで、話題に上がった張本人が教室に戻ってきた。
「あれ、皆は?」
「二人共、早く帰りなさい」
促され、美羽と直人は帰る事にした。が、一つまだ話の途中だった。
「奈々、さっき何を言いかけたの?」
「なんでもない。また明日ね。バイバイ」
悲しそうに微笑んで、小さく手を振った。さっきまでの彼女とは全く異なった、弱々しい姿だ。
教室で話し出す二人の声を背に、下駄箱を目指した。
「美羽は通夜へ行くの?」
「行く」
奈々への反抗心も相まって、間髪入れずに答える。
「そっか。奈々はどうしたの?」
「まあ、ちょっと……。直人は行くの?」
「俺は行かないや」
「え、なんで?」
仲良し四人組の内、一人が亡くなり、そして二人は通夜に行かないと言う。美羽はその判断が理解できなかった。
「直人、圭介とは小学校からの親友なんでしょ!?」
「……だからだよ。死に顔なんか見れないや、俺」
悼み方は人それぞれだ。直人には直人の悲しみ方がある。それを美羽は知った。
――じゃあ、奈々は?
「……あたし、奈々が何考えてるのかわかんないや」
「わかんなくていいよ。奈々は奈々。美羽は美羽なんだから」
奈々の言葉は受け入れられなくても、何故だか直人の言葉はすんなりと心に入ってきた。けれど、奈々への苛立ちは尚も蔓延る。
――なんで奈々は来ないんだろ……。それはあんまりじゃないの。軽い気持ちでいるのは奈々の方でしょ。
その日はそれで終わりだった。
美羽はクラスメイト達と通夜の会場へ行き、奈々と直人は帰った。
そして、一週間経たない内に、とある噂がたった。
圭介の死因が、事故死ではなく、自殺ではないかという疑惑だ。
近くで事故があったという情報は一切なく、圭介の親と仲の良い同級生が自殺だと聞いたらしいのだ。救急車が家の前に停まり、警察が家に出入りしていたところを見た人もちらほらといた。
生徒への配慮のため、大人達が吐いた嘘なのではないか。そんな事が生徒間で囁かれた。
自殺。それはとても重い響きだった。
仲の良かった彼が、相談もなしに一人悩んで死を選んだのだとすれば、自分にも責任があるのではないか。
美羽はそんな自責の念に駆られ、奈々にそれを伝えてみた。
「ねえ、本当に自殺だったのかな」
「死因を明確にする意味ってある? それとも、圭介が自殺するような事に心当たりでもあるの?」
寸鉄人を刺すとはまさにこの事だ。
まるで試すような瞳を向けられ、鼓動が大きく打った。
「心当たりは何も……」
それに対し、奈々は「そっか」と屈託のない笑顔を返してきた。
「……ねぇ美羽。ごめんね」
不意に弱々しく、主語のない謝罪をした。
意識が追いつかず、やっと言葉の表面的な意味が脳に染み込んできた時には彼女は他の友達に呼ばれていた。
何やら談笑しているが、その本当の意味を聞く機会を逃してしまった。
「何を謝る事があるの」
小さな呼びかけは、虚しく空気に溶けていった。きつく当たってしまった事に関してだろうか。
こちらを見た奈々が何かを口にするが、美羽の耳にまで音声が届かない。
「え、なに……? なんて言ってるの?」
視界がぼやけていき、彼女がどんどん遠くなる。
「待って、奈々ッ!」
彼女の後ろ姿に伸ばしたはずの腕の先には、自室の天井があった。呼吸が酷く乱れている。寝まきにじっとりと汗が染み込んでいて不快感に襲われた。
どうやら記憶を見ていたらしい。
寝苦しかったのは付けっ放しだったストーブのせいだ。
「そりゃあ汗をかくよね」
魘されて起きたせいか具合が悪かった。けたたましく警鐘を鳴らすような心臓に苦しさを感じながら上体を起こす。
これは悪夢だ。そう、現実に起こった悪夢。
奈々の死をトリガーとして掘り出された、本当の出来事。
「山田ハナの呟き通りの事を、奈々も当時思っていたのかな。人の死をエサに群がる嫌な奴だって……」
そして、奈々は何を言いかけ、何を謝ったのだろう。圭介は何故亡くなったのか。奈々はあの日、何をしていたのか。どうして奈々は死んだのか。
分からない事だらけで頭が混乱しだす。
振り払うように起き抜けに机のスマホを確認すると、ツイッターに返信が来ていた。
中野響だ。彼が、謎を解く鍵になる。
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