表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/16

第4呟「誰に花を手向けたんだろうな」

 日中に日が差して溶けた雪が、夕方から夜にかけての冷気で凍っている。美羽は、アイスリンク状態の地面を慎重に進んだ。

 もうすぐで冠婚葬祭を執り行える会場に到着する。


 中学三年生の時にクラス委員だった人が連絡網を回して通夜がある事を知らせたせいで、ここへ来るまでにもチラホラと見知った顔が美羽を追い越して行った。

 気まずそうにして声をかけられないのは、奈々と仲良がかったから話しかけるのが躊躇われたのだろうな、と余計に悲しくなった。


 栄祝家という看板が外に出ている。なんだか、一気に現実味が増したように感じた。

 今までは、心のどこか浅いところで死というものを認識していたのかもしれない。あるいは、心のどこかでまだ生きているのかもしれないなどという希望を抱いていた。


 けれど今は、再び現実を突きつけられて息が詰まった。目頭が熱くなるのを感じ、気づけば目から涙が溢れていた。コートの袖で涙を拭い、自動ドアをくぐった。

 一気に線香の匂いが鼻腔を刺激してきた。具合悪くなりそうなほどに充満しているその香りが、体にまとわりついてくる。それは不吉なものに思えた。


 線香が連想させるのは人の死だ。線香は死んだ人にあげる。親の実家に帰った時、会った事もない曽祖父母の仏壇で必ず拝む。

 しかし、今回はわけが違う。よく知った親友が亡くなったのだ。


 ――冷静でなんか、いられるものか。


 小刻みに体が震えた。ガタガタと芯から震えてきた。恐る恐る踏み出す足が、会場へと美羽を運んでいく。片側だけ開かれた扉から、読経する声と木魚の音が聞こえてくる。

 反射的に唾を飲み込む。


 室内は、喉元に鋭利なナイフを添えられているような緊張感に満ちていた。お坊さんの声と奏でる音以外、鼻をすする音しかしない。雑音が一切排除された世界を、悲しみだけが支配していた。

 悲しみ以外の感情を吐露しようものならば、その場の全員の敵意が向くような恐怖感が少しばかり佇んでいた。


 まるでドラマのワンシーンでも見ているように感じている自分がいる。酷く現実味がないのだ。離人感を感じるという事は心の防衛反応なのだろうが、なんだか歯がゆい。フィルターに邪魔をされてうまく現実と関われていない気がする。

 これは夢だ。悪夢なのだ。そう言い聞かされているようで、それに頷いてしまえば本当にそうなってしまいそうだった。


 ――だって、信じたくないんだ。


 死というものがよく分からない。不思議なものだ。その人がもう二度と目を開ける事もなければ、言葉を交わす事もない。

 無意識にお焼香を済ませると、奈々の母親が近づいてきた。その声に、やっと現実に戻ってこれた。


「美羽ちゃん、来てくれたんだね。……ありがとう」


 酷くやつれていた。腫れた目から涙を流しながら無理矢理笑う母親という生き物に、何故だか同情心を抱く。


 棺はあるが、中身は花や生前の持ち物等が入れられているだけだった。

 骸が、ない。

 不思議と今だけは涙が出てこなかった。悲しみが深くなりすぎないようにという防衛本能的なものなのか、あまり感情は敏感ではなかった。鈍くなっている。


 けれど、心にトゲが刺さっているような違和感に、他の感情も引きずられながら心の奥底へと様々な感情全てを引っ張って行かれる感覚がした。

 自分の認知していないところで、実は悲しみに堪えているのかもしれない。理屈でしか自分の感情を捉えきれなかった。


 ――圭介が亡くなった時、奈々もこうだったのかな。本当に悲しいと、こうなるものなのかな。


 掌に爪が食い込むのを痛覚として感じ、初めて拳を握っていた事に気づく。痛みから解放するように力を抜いたその時、ツイッターの通知音が鳴り、緊張が走った。

 この場にいるにも関わらずマナーモードにしていなかった事にはもちろん、山田ハナがツイートをした時に知らされるように設定していたからだ。


「まさか……」


 早く確かめなければという思いに「すみません」と一言言い残し会場を出る。親族の手前、スマホを取り出して操作するのは失礼だと思ったからだ。

 焦る気持ちのままスマホを手にする。通知を確認すると、そのまさかだった。


 @山田ハナ

 [本当に笑いそう。私っていう人間を知っているみたいな口調で、いろんな人が親友面して泣くんだもん。ろくに親しくもなかったし今まで連絡もとってなかったくせに。どいつもこいつも、人の死をエサにして群がるだけの冷淡人間]


 まるでこの式場を見て呟いているような文面だった。


「うそ……会場にいるの!?」


 辺りを見回すが、それらしい人はいない。代わりに耳に飛び込んできたものは、奈々の事を語る制服姿の人達の声だった。


「あんなに元気そうだったのに、自殺?」


「事故って聞いたけど」


「殺人じゃないの? 勝手にホームで転んで轢かれるとは思えないよ」


「奈々ちゃんって結構冷静だし、落ちたら落ちたでちゃんと避難場所の確保するでしょ」


「ほら、ならやっぱり自殺じゃないの? 結構休みがちだったし、実は悩んでたのかも」


「いや、落ちた時にはもう電車目の前だったって聞いたよ」


 クラスメイトだろう人達のひそひそ声。

 山田ハナのツイートはああいう人間を指して言ったのだろうと美羽は思う。この場で話すにはあまりにも不謹慎だとさえ思った。


「ほら、帰ろうぜ。気持ちはわかるけど、お前の親御さん心配するだろ」


「だってあの日は、あの日はさぁっ……」


 後方から聞こえてきた涙声に振り返る。泣いている友達をなだめる男子が、一緒にその悲しみを噛み締めながら間を置いて返事をした。


「うん」


「告白しようと思ってたんだ。……なのに、朝っ、来なくて、先生の口から聞いたのは、電車に轢か、ひかれ……たって……っ!」


 奈々に好意を寄せていたらしい男子が、大粒の涙をこぼしながら情けない声で咽び泣いている。


 ――ああ。この人は、


 そんな彼を見て、美羽は心臓の辺りからドス黒い心の汚れが流れ出すような感じがした。血液に乗って全身を蝕まれていくような感覚に陥った。


「あたしと同じ」


 好きな人を、亡くした人なんだ――


 美羽に気づいた、なだめていた方の男子が声をかけてくる。


「あれ、霜村じゃん」


 その声でやっと気づいた。彼は中学三年生の時のクラスメイトだった。

 奥村司。中学の時は荒れていて、茶髪で厳つい髪型をしていたのだが、今はすっかり落ち着いている。まるで別人だ。


「司君……奈々と同じ高校だったんだね」


「ああ。お前、確かあいつと仲良かったよな。……なんか聞いてないのか」


 雰囲気は少し丸くなったものの、口調はにわかに粗暴さを残していた。


「残念ながら、何も」


 そう答えるのが悔しかった。親しいのに何も相談されなかった。その程度なのだと叩きつけられたようで不快感を抱く。

 敵意に感じ、粗探しをするように司の過去の記憶を辿り、そして見つけた。


 彼は、内藤圭介の葬儀に来なかった。

 奈々や、美羽の彼氏である直人も来なかった。クラスで来なかったのはその三人だ。


「そうだ……」


 その日、三人はそれぞれ何をしていたんだろう。ふと、そんな疑問が浮上する。

 あの日の奈々はおかしかった。冷笑したり、怒ったり、悲しそうに微笑んだり。いつもは春の木漏れ日のような静かな感情が、早送りされた四季みたいにあの日は目まぐるしく移ろっていった。


「司君と奈々と直人は……皆が圭介の通夜に行ってる間、何をしてたの?」


「なんだよ、いきなり」


「去年の今頃、圭介が亡くなったのを思い出して」


 司も同じ事を思っていたのか、顔を渋くした。


「答えて」


 何かを知っている。そう直感した。根拠はない。女の勘というやつだった。


「圭介と喧嘩をして暴力沙汰で停学をくらって以来気まずかったから、俺は行くのを控えたんだよ。あっちの親だって俺の顔知ってるから、行ったって気を悪くさせると思ってさ。だから、仲の良い部活仲間と一駅先の西町駅前のゲーセンに遊びに行ってた」


 理由は最もらしく、確かにそんな事があった。直人へは風邪が治ってから聞けばいい。しかし、奈々の事はもう本人には聞けない。だから、知っている人間を探さなければならない。


「奈々の事は知らない?」


「その駅の近くで見たよ、栄祝を」


 何気なく聞いてすぐに答えに辿り着くとは思わず、拍子抜けをした。


「金髪の奴といた」


「金髪? ……奈々が?」


 真面目な彼女にそんな知り合いがいた事に戸惑うが、その金髪について聞く。


「どんな人だった?」


「有名な不良だよ。中野(なかの)(ひびき)って奴」


 不良は不良に詳しいらしい。これで一歩何かに近づけた手応えが得られた。


「連絡先知らない?」


「ツイッターのアカウントなら知ってるけど」


「教えて!」


 ツイッターを開き、IDを教えてくれた。フォロワー以外の人に見られないよう非公開設定をしている。いわゆる鍵アカウントだ。

 美羽はフォロー申請を送った。相手が承認してくれれば連絡が取れるようになる。

 その人に聞けば、何かしらがわかるはずだ。


「ありがとう」


 立ち去ろうとした時、司に呼び止められた。


「ああ、そうだ。その帰りさ、南町駅に着いて歩ってたら、近くの線路の踏切でまた栄祝と会ったよ」


「また?」


「もう夜の九時だったのにな。真面目な奴だと思ってたから驚いて声かけたんだよ。そしたらなんかいつもと違ってさ」


「どんな?」


「なんてーか……まあ圭介が死んだって知らせ受けたからかもしれないけど、雰囲気が暗かった。あと、花束持ってたよ」


「花束?」


「何してんのって聞いたら、『花を手向けに来た。ここで死んでしまった友人へ』ってさ」


「線路で死んだ人、いたっけ?」


「さあ、思い当たらねえな。でも圭介は帰宅中に死んだって聞いてたから、この辺で死んだのかなって思ってその時は納得した。でも、後にそれは大人達の嘘(・・・・・)だって噂が流れたろ。……だから、今になるとわけわかんねぇんだ」


 あの日、奈々は何をしていたのか。

 そして、圭介の死に関する大人達の嘘。

 謎は更なる謎を呼ぶ結果となった。


「栄祝は、誰に花を手向けたんだろうな」

次の投稿は本日18時です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ