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第2呟「生きる義務なんてない」

 中学三年生の秋にあった道徳の時間、ニートという言葉が一般層にも馴染んできた頃に、クラスで議論した時の事だ。


『仕事をしたくない人』と『仕事に就くべきだと考える人』とで意見を戦わせる事になった。

 まずは縦に六列並んだ机を三列ずつ窓際と廊下側にわけ、着席時に教室の中心へ向くようにお互いを見つめる形で机を配置した。


 しかし実際は綺麗に5:5で別れる事はなく、割合はおよそ3:7くらいで仕事するべきだと考える方にバランスが傾いだ。

 小さなクラスの人数の中では、それは圧倒的な差だった。


 大半の人は一般常識に沿ったり、周りの目を気にして仕事に就くべきだと考えるグループに属した。約三十人いる内の三割、つまり十人弱の働きたくないと考えるクラスメイトはほぼヤンチャな層ばかりが占めていた。

 彼らは本音を包み隠さず言うような、口元のだらしなさがある。そのため取り繕う事もなく、あるいはそんな意見を選ぶ悪い自分自身に酔ってそちら側にいた。


 けれどそんなタイプばかりではなかった。意外な事にも、栄祝奈々がその三割に属していたのだ。クラスメイト達や美羽は、容姿端麗で大人しく優しい、優等生の彼女が堕落組に属している事に驚きを隠せなかった。


 議長となる先生も驚いた様子で奈々を見るが、その視線に気づきながらも本人はあえて目を合わせる事なくただ前を見据えていた。その時はまだ、美羽から見て『思い切ったのは良いものの、人前で話す事が苦手だから少数側につくのではなかった』と後悔するような表情と、好奇心を少し孕んだ目を奈々はしていた。


 三割の内の一人、奥村(おくむら)(つかさ)は不良の中でもフレンドリーな部類で、誰にでも話しかける。そんな彼が、奈々に声をかけた。


「あれ、栄祝こっち?」


 皆の疑問を代弁した言葉に、奈々は困ったように笑った。そして、先生の仕切りで話し合いが始まる。


 七割の方はまともな意見なだけあって、二十人強もいれば真面目な優等生や積極的に意見を言えるタイプの人が複数おり、大半の人は黙っていても話が進んだ。


 生徒会長も務める美羽の彼氏、佐藤(さとう)直人(なおと)は「働きたくなくても、生活のためには働くしかない」ともっともな意見を述べた。

 それに対し三割の方は、「ダルいから」「面倒だから」「ニートになりたい」このローテーションでしか発言しなかった。


 良い反論もできぬまま、結論はやはりまともな意見側が正しいとされようとした時、奈々が邪のない顔でこんな疑問を口にした。


「生きているだけでお金がかかる。だから働くしかない。しかし働きたくないという人間は、生きるという選択をしなければ働かなくて済むと思うのですが、何故嫌々働いて生きるのでしょうか」


 首を傾げ、鈴のような音色で奏でられたのは、根底を覆すような第三の意見だった。


 一瞬の静けさは、学校生活上当たり障りのない性格で、しかし密かな人気者が発した、生きる事を前提としない衝撃的な意見のせいだった。

 議論において敵である七割の生徒も、味方だと思っていた三割の生徒も呆然とした。


 そんな中、自分の意見への反論だと受け取った直人が挙手をする。


「生きている以上、生きなきゃいけないのが普通じゃない?」


 誰もがそう思った。だが、奈々は益々疑問を深めるような難儀さを顔ににじませた。


「生きる権利は与えられているけれど、生きる義務なんてないでしょう?」


 確かにそうだな、と図星をつかれたような顔をした後、苦し紛れの言葉を捻り出す。


「神様に与えられた命なのに、人間がどうこうしていいはずがない」


「神様に会った事があるの?」


「あるわけないだろう」


「じゃあどうして神様に与えられた命だからという前提が作れるの? 存在しているかも判らないのに。皆が神様に会って、命が与える瞬間を目にしなければ、ただの妄想でしかない」


 それはまるで、サンタクロースの存在を信じずに、その正体は父や母なのだと暴こうと夜更かしをする子供の無邪気で幼稚な悪意のようだった。


「そんな確かめようがない子守唄じみた話を議論の中に持ち出すのはナンセンスだと思うの」


 一般論的に見て、おかしく無茶苦茶な事を言っているのは奈々の方だった。揚げ足取りを楽しんでいるだけにも見え、議論慣れしないクラスメイトにとっては、ものすごく辛辣な反論に聞こえた。

 しかし彼女はただただ自分の思う事を言っているにすぎない。一番たちが悪く、扱いづらい。


 いや、これは意図的(わざと)だ。

 奈々の目線が異様に冷たい事に、美羽だけが気づいていた。

 言葉を詰まらせた直人が、どうしようもなくなってオーバーなリアクションをとる。


「なんか今日キツくない!?」


 そんな直人の反応に、やっとクラスから笑いが巻き起こる。

 そこに、直人と仲が良い内藤(ないとう)圭介(けいすけ)が言い負かされた親友のために助太刀をする。


「生きるのは……義務だと思う!」


 興味深そうに奈々は笑顔で何故かと問う。


「漠然と自殺をするのはいけないと思ったから。詳しくはわからないけど……生きるのは当たり前、的な……?」


 直人と言っている事がたいして変わらず、戦闘不能になってしまう。


「おい圭介、助けてくれると思ったのにダメじゃん!」


「いやぁ、スマン! 頭が足りなかった」


 彼の情けなさにさっきの倍の笑声が教室中に響き渡る結果となってしまった。

 本来、圭介や直人、美羽と奈々の四人は仲が良い。教室ではいつも四人でいるくらいだ。だからこそ奈々も容赦なく皆の前で意見を言えていたのだ。

 笑いの収まらない生徒達を担任が一喝し、奈々と直人が議論を再開する。


「直人は働きたくないという気持ちよりも、生きたいという気持ちが上だから働くんだよね?」


「まあ、そうだな。生きるのが普通っていうかさ」


「生きるために何かしなければ生きられないなんて、なんだか疑問に思うけどなぁ。生きるのが義務なんだったら義務はもう果たしてるんだし、他に課されるべきものは本来なくていいはずだよ」


 やけに気の抜けた気怠そうな声だ。美羽はよく聞く機会があったが、クラスメイトにとっては新鮮だった。


「そんな事言ってもさ、現実問題どこから金が湧くんだよ?」


「むしろ生きてるだけで時給が発生するべきだよ!」


 大袈裟に肩を落とす動作をすると、周りからその冗談に乗った賛成の声が上がる。


「まあ、そんな事になったら世界が回らないのが現実だけどね」


 そんなオチに、担任も安堵の表情を浮かべる。奈々が本気で言ってなかった事へ安心感を抱いたのだ。


 意見を戦わせるには、圧倒的に仕事するべきと考える方が有利なはずだった。

 けれど、結局答えは出ないまま理想だけを語って時間切れとなった。


 休み時間になって直人が「皆の前でケチョンケチョンにする事はないじゃんさぁ奈々!」とボヤき、奈々はそれに対して「いやぁ、意地悪したくなった」とおどけてみせた。

 そんな事を話していると、奈々は担任に呼ばれた。

 心配になり、美羽はこっそりと二人の後をつけ生徒指導室を覗き込む。


「皆の前で命を軽んじるような発言は慎みなさい」


 教師になってまだ数年目の二十代後半である担任の高く厳しい声が聞こえてきた。


「軽んじてなんかいませんよ。でも、和美(かずみ)先生が生きるという前提を提示してこなかったので、そういう考え方もあるなぁって思っただけです」


「だとしても、一般常識的には生きる事が前提だという事くらいわかるでしょう」


「いいえ? 私にとってはそういう選択もあるからこそ、皆はどうなのか気になっただけです。日常会話の内にそんな事聞いたら不審がられて変に勘繰られるし、たまたまあの場なら最後は冗談だ、で終わらせられると思ったんです」


「クラスメイト全員に聞かせる大胆さがあるのにそこを気にしてたの?」


「うわぁ、急所突かれた気分です」


 ヘラッと笑う彼女のペースに巻き込まれないよう、担任は毅然とした態度で次の質問をする。


「では、自殺はしてもいいと考えているの?」


「はい。自殺が悪だとされるような風潮の中で、確かに生きるのは権利ではなく義務のように感じてしまうのですが、自殺をしてはいけない理由がわかりません」


「自殺は『自分を殺す』と書いて自殺です。それがたとえ自分であっても、殺人はいけない事だと判りますね?」


「どうしていけないんですか?」


「どうしてって……」


 そこで初めて担任が口ごもる。少し考えた後、奈々が嫌いそうな事を言う。


「人の命は皆等しく尊いからです。だから人の命を奪ってはいけない」


「人の命の価値なんて等しくはないと思いますよ」


 気分的に、なんとなくただ否定したいだけなのだろう。それが伝わってくるような冷たさが言葉にはあった。


「日本では死刑制度があります。その中で暮らす私達に、人間が人間を殺す機会のある日本人に、命は尊いから人を殺しちゃいけないなんてそんな馬鹿げた事、よく言えたものですよね」


「奈々さん!」


 喧嘩を売るような口調に短気な担任が怒鳴りながら机を叩いて立ち上がりかけると、美羽からは後ろ姿しか見えないが、


「――――って、」


 奈々は薄笑いを浮かべたような気がした。


「思っちゃうんです」


 きっと、奈々は屁理屈だと、子供の駄々だと自覚しながら言っている。

 彼女らしくもない。

 悪戯に人の感情を乱し、反感を買うのも判った上で、わざと嘲笑っている。

 すっかり彼女のペースに乗せられてしまった担任が、仕切りなおすためにか一つ咳払いをする。


「人を殺してもいいと思ってるの?」


「思ってますよ? だって、どうして人を殺しちゃいけないのか解らないんですから」


 その返答は、強がりではなく、本気だ。そう直感した。


「人の命が尊いという意見が呑めないのなら、法として定められているからというのは?」


「それは結果でしかありません。捕まってしまうからやめておこうという、間接的な理由になりうるかもしれないだけの抑止力です。人を殺したから、裁かれる。抑止力にこそなれ、人を殺してはいけない直接的な理由としては欠陥があります」


「うーん、そうか……」


 担任は短気だが、頭ごなしに否定するような人ではなかった。慣れないながらも問題児に真摯に向き合ってきた。優等生でありながらも、多くの欠席による隠れ問題児とされてきた奈々へも意識的に話しかけてくる気合の入れようだ。


「初めてこのクラスの教室に入った時ね、一番に目に付いたのは茶髪の司でも、姿勢をピシッと正している直人でもなかった」


 突然、懐かしそうに担任が目を細める。


「どこか物憂い気で、アンニュイな雰囲気を漂わせている奈々だったよ。だから今回ね、少し気になったの。もう一度言うけどね、先生は自殺はよくないと思う。奈々には生きて欲しいから」


「えーどうしたの。気持ち悪い」


「あはは! 気持ち悪いって!」


 豪快に笑った後、担任は「よし!」と立ち上がった。


「殺人がダメな理由、先生も考えておくよ。今は次の時間始まるから準備してきな!」


「はーい」


 奈々が出てすぐに美羽が出迎えると、驚いたような顔をした。


「お迎え付きとは、私ってばリッチだね」


 案外機嫌を損ねてはいないらしく、いきなりそんな冗談が出てくる精神的な逞しさには頭が上がらない。自分が呼び出しなんてくらおうものなら、テンションが下がって一日中ナーバスになっているところだ。


「はいはい。……にしても、担任ウザいね」


「そう? 司君とかは煙たがってるけど、関わられずに見捨てられる感覚を抱けば、もっと酷くなっていくと思うし……まあ、いーんでない?」


 そう、これが本来の奈々だ。どこか達観していて、自分を他人事みたいに語る癖がある。当事者意識が薄いのだ。

 普段ならば、感情任せに意地悪く人を煽るような事はしない。


「でもさ! 言葉で表せない自己ルーティンを『当たり前』で済ませてんじゃねぇ思考停止語彙力皆無野郎共! お前の吹き出し定型文(しかくけい)ー! って思った」


「お前のかーちゃんデベソみたいに言わないの。悪口独特すぎ」


 そんなツッコミに奈々は柔和な笑みを浮かべ、そして背を向けた。


「生きるのが当たり前、生きるために働くのが当たり前って思える内は、メンタルが健康で、毒されていないんだろうなぁ」


 誰に向けたわけでもないような独り言が、騒がしい学校の廊下の中でも鮮明に聞こえてきた。

 その背中が妙に危うくて、美羽は手を伸ばす。今掴まなければ二度と届かない場所に行ってしまいそうな、とてつもない不安感が心から染み出した。


「奈々……!」


 しかし伸ばす頃には廊下の床が抜け、


「え?」


 崩壊していく風景と共に自分も奈落の底へと誘われた。


「――――きゃぁぁぁあああああッ! …………ッ!?」


 目を開くと、夕焼け色に焦がされた自室の天井が広がっていた。


「はっ、はぁ、はぁ……はっ……」


 上がった息を整えながら、落ちていくあのリアルな感覚にまだ恐怖をぬぐいきれずに少し手足が震えた。


「ゆ、め……?」


 菜緒と別れて帰ってきてから寝てしまっていたらしい。自分の悲鳴で起きたのだと気づくのに数秒を要した。

 去年の記憶を夢としてみていたらしい。随分と悪趣味な夢だ。


 ――もう、存在(いな)い人を見せて、現実に突き落とすなんて。


 悔しくて怒り任せにスマホを掴んで投げようとしたその時、LINEの通知を知らせる音が鳴る。

 突然冷静になって、内容を読んだ。


 それは、奈々に関するものだった。

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