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なないろにひかる  作者: 如月元
9/10

青年期(その三)

その後の約二年間で、僕は竹仲さんに頼まれた六人の人物をリプレイスした。いずれも末期的な症状だったが、本当の意味で生きる意欲と希望を持ち、「今死ぬわけにはいかない」とか、「死にたくない(死なせたくない)」という強い思いの人たちだった。

例えば渡部さんという六十代の女性は、両親を事故で亡くした二人の孫を引き取って、「これから頑張らなくてはいけない」という矢先に胃がんが見つかったそうだ。しかし、「これ以上孫に悲しい思いはさせられない。どうしても、今は死ねない」という強い意思を持っている人だった。竹仲さんは、渡部さんの強い願いと、見かけた二人の孫の憂鬱で絶望感漂う雰囲気に居たたまれず、助けてあげたいと思ったという。僕も、そうしてあげたいと強く思える人だった。

また、町工場を経営している、岩崎さんという五十代の会社社長は、この不景気の中、身を粉にして働いていたのだが、肺がんになってしまったそうだ。しかし、従業員とその家族のためにも、「自分が死ぬわけにはいかない! それに今は入院している場合じゃないんだ!」と、何度も先生に訴えていたという。単に死にたくないという利己心ではなく、他人を思う気持ちに、竹仲さんも僕も心を動かされた。

そんな風に僕たちは個々の事例を精査し、命の選択をしてきた。だからこそ穂花ちゃんを含め、二年半で七人という、決して多いとは言えない数の人命しか救出することはできなかった。

しかし、誰を助け誰は助けないのか、そんなことを精査して来たわけではない。僕たちは別に神になったつもりで、命に甲乙をつけてきたわけでもなかった。単に助けられるのか、助けられないのか、あるいは本当に末期的な症状なのか、治る見込みがあるのかなど、それを精査して来たのだ。

医師ではない竹仲さんには、その人とその症状や進行具合を知るまでに時間がかかったし、がんセンターの中でも担当の科が変わることもあった。助けてあげたいと思った人でも、竹仲さんの調査が間に合わず亡くなってしまった人もいる。その時の竹仲さんは本当に落ち込み、しばらく元気がなかった。

でも、誰かを助けられた時には、僕も竹仲さんも本当に喜んだし、誰かの役に立てるということが、心底嬉しかった。僕は、勝手かもしれないが自分の犯してきた罪を禊ぐことができるような気もした。


この二年半で七人が、しかも同じ病院で、末期状態から突然癌が治るという事態は、異常と取られて調査されるのではないかと心配になる時もある。一人、また一人とリプレイスして事例が積み上がるにつれて、いつ異常だと騒ぎ出すだろうかと恐れたが、結局今のところ何も起きていない。もっと短期間のうちに大量の患者が奇跡的に癒されない限り、話題になったり、外部に情報が漏れだしていくということもないのかもしれない。突然に末期的な癌が治るという事自体は、それぞれの科の医師にとって首をかしげる事例だったとしても、それが一つの科に集中しておらず、様々な科に分散していると、症例としてはレアケースとして片付けられて終わるのかもしれない。

僕はそれで良いと思っていたし、むしろ騒がれないことにホッとしていた。実際、短期間に大量にリプレイスを実行しなかったのは、騒ぎにならないようにということも十分に考慮した上での判断だった。

僕の持論として、この能力は公にされるべきものではないと思う。金儲けのために使うものでもないし、自分の名声を上げるために利用するものでもないと思う。

過去にお母さんに言われたように、この能力が公になっても、良いことは一つもないだろう。もし公になったとしたら、考え過ぎかもしれないが、軍事利用のために使おうと誘拐されたり、危険人物として隔離されることもあり得る。一般人が思っているより、本当に洒落にならない世の中であることは確かだ。見くびってはいけない。

また、お父さんが僕と同じ能力を持っていたにもかかわらず、お母さんにさえ話していなかったことも、これを公にするべきではないと思った理由の一つになっている。

ただ、お父さんに関しては、本当にわからないことが多い。僕の能力のルーツであることは確かなのだが、その他の情報が何も得られないというのは、もどかしいことこの上なかった。

例えば、この能力を持っていることは、本当にお父さん本人以外一人も知らなかったのだろうか? だとすると、僕の場合は少なくとも、お姉ちゃんと竹仲さんには知られてしまっているのだが、そのことに問題はないのだろうか? お父さんは、誰からこの能力を受け継いだのだろうか? お父さんは幼い頃に両親に捨てられ、里親に育てられたということだが、やはりお父さんを捨てた生みの親の父親側からこの能力を受け継いだのだろうか? お父さんのそんな遠い過去は、今や誰も知らないし、確かめようもない。それだけに、様々な疑問が残る。僕は答えが欲しいと切実に願っていた。

そして、視野をもっと広げて世界的に見た場合、僕と同じ能力の持ち主はいるのだろうか? いるとするなら、人知れずこの能力を使い、僕のように誰かを癒しているということもあり得るだろう。

いつか竹中さんが言っていたように、世界中にある末期癌が治癒した事例や、奇跡的に瀕死の病気や怪我から回復した事例などは、僕と同じ能力を持っている人が、他にもいるのかもしれないと考える材料になっている。

古い歴史ではイエス・キリストもそうだが、奇跡的に人を癒す能力を持った人物の話は世界中に数多く存在する。

また、僕は最近、竹仲さんに見に行くように勧められて、グリーンマイルという映画を見に行ったが、それは僕のように、人を癒す能力を持った男の話だった。竹仲さんは、「藤見君と同じ能力の話だよ! すごいよね。やっぱり藤見君と同じ能力を持った人はいるんだよ!」と興奮気味に話していたが、僕は正直、能力が全然違うと思った。ただ、それにしてもこういう題材の物語が存在するということ自体、そういう能力を持つ人間が世の中に存在することの証拠とは確かに言えるのかもしれない。

もちろん、皆が同じ条件の能力とは限らないかもしれない。例えばイエス・キリストは、癒した人の病気が自分にうつることはなかったようだし、グリーンマイルの話でも、癒し手が同じ病気になったわけではなかった。そういうところが僕とは全然違うと思ったわけだが、でももし、リプレイス能力を持っている人たちが互いにコンタクトすることができるなら、僕の疑問のいくつかは解明されるかもしれないし、僕が未だ知らない法則を知ることさえできるかもしれない。夢でしかないかもしれないが、僕はそんなことも考えたりした。


ただ、何れにしても、この病院でこれ以上のリプレイスを行うことは得策ではないと思い始めていた。これ以上突然に癌が治るという事例を積み上げて行くなら、さすがに気付く人が現れるように思う。それは竹中さんも納得してくれており、暫くはまたこの能力を封印しておくことに決めたのだ。


竹仲さんとは、友達以上恋人未満の関係が続いていた。そう表現するのは、二年半という長きに渡り、これだけ頻繁に会って色々なことを話したり打ち合わせたりしていれば嫌でも親しくなるからだ。でも僕は、例えば映画を見に行こうとか、遊園地に行こうとか、家においでよとか、竹仲さんをファミレスでの打ち合わせ以外に誘ったことは一度もなかった。

竹仲さんに対し、僕自身は恋愛感情がないわけではない。いや、逃げずに言うなら、竹仲さんのことが好きだ。でも、自分の気持ちを伝えることはできなかった。それは竹仲さんが僕を男と見た瞬間に、竹仲さんの男性恐怖症が現れ、僕を避けるようになるのではないかと恐れたからだ。

僕と会っている時以外の竹仲さんの様子を病院内で見たことがある。男性の同僚や医師に話しかけられても、絶対に目も合わせず、短い返事しかしていなかった。休憩時間に職員専用食堂で食事をしている時も、八人掛けテーブルの対角線上の端に男性職員が座っただけで、竹仲さんが席を移動したのも見たことがあった。

もし、僕も同じ扱いになるとしたら寂しいというか、絶対に嫌だという思いが、僕の中で大きかった。僕にとって竹中さんだけが僕の全てを知る理解者であり、友達であり、好きな人だった。

でも、そんな二人の関係が変わる時が来た。それは丁度、リプレイス能力を暫く封印しようと思っていることを竹仲さんに伝えた時のことだ。


その日もいつものようにお決まりのファミレスで食事をしながら話していた。リプレイス能力を封印することに、竹仲さんも理解を示してくれた後、竹仲さんはこう言った。

「リプレイス能力を暫く使わないということは、こうして藤見くんと打ち合わせすることも、なくなってしまうということね」

そして少し間を空けて、小さな声で、「寂しいなぁ」と付け足した。

僕はその言葉が嬉しかった。でも、ここで男を意識させる言葉を言ってしまうと、今までの関係が壊れてしまうかも知れない。そう思い、慎重に言葉を選んだ。

「そうだね。僕も寂しいよ。人助けの為に時間を使うのは充実していたし、こうして竹仲さんと食事をしながら打ち合わせをするのが習慣になっていたからね。これがなくなると思うと、一人で時間をどう過ごそうか考えないといけなくなるかな」

竹仲さんはその後暫く話さず、食器のカチャカチャという音だけが響いていたが、良いことを思いついたとばかりに顔を上げ、「そうだ! 二人で違う病院に行こうよ!」と言った。

僕は竹仲さんが思いついたアイデアの、あまりの飛躍ぶりに笑ってしまった。でも、「それも良いかもね」と返した。

竹仲さんは、「藤見くんって、ホント優しいよね。私、藤見くんといると何だか安心しちゃうんだよね」と言い、「まぁ、二人で違う病院に行くのは無理だけど、私だけそうして、リプレイスの時に来てもらうのもありかもね」と、また違うアイデアを提案した。

僕は竹仲さんが言った、「私、藤見くんといると何だか安心しちゃうんだよね」がものすごく耳に残って、その後の竹仲さんの話を聞いているようで聞いていなかった。それでまた、「それも良いかもね」と言ってしまった。

その後また竹仲さんは話さなくなってしまい、再び食器の音だけが響く時間が続いた。

僕は、これはマズイことをしたと、直感した。お姉ちゃんもそうだったけれど、女の人に対して同じ返答を二度繰り返してはいけないのだ。それは、「あなたの話を聞いていませんでした」の合図なのだ。お姉ちゃんに二度同じ返事をすると、「あんた、人の話全然聞いてないでしょ!」といつも怒られ、その後は説教に代わってしまうのだ。女性に対し、同じ轍を二度と踏んではいけないとあれほど思い定めていたのだが……。

僕はこの後、なんと取り繕うべきか考えるのに必死になってしまったが、竹仲さんを見ていても、不思議と怒っている感じではなかった。どちらかというとむしろ、また別のアイデアでも考えている感じだった。竹仲さんの方も、僕の返事を大して聞いていなかったのかも知れない。

沈黙の時間が続いていたのと、竹仲さんが何かを考えているらしかったことから、僕も自分の世界に入って色々と考え始めてしまった。

現実的にはいずれにしろ、リプレイス能力を封印するとなると、このまま竹仲さんと会う機会は激減するに違いない。であれば、一か八か告白する方が良いのかも知れない。

僕ももう二十五歳になり、段々と結婚をして、家庭を持って……という意識が芽生え始めていた。この二年半の間に奨学金の返済も終わり、結婚してもそれなりにやっていけるだろうと思っている。交際経験が殆どない僕だが、生涯のパートナーとして、竹仲さん以外を考えることができない。でも、玉砕されるならそれも仕方ないだろう。もし玉砕されても変に友達関係をダラダラと続けるよりは、竹仲さんに男と意識され、男性恐怖症故に、ほぼ避けられるほどの関係になった方が諦めもつく。

そう思い、覚悟を決めた。それでも僕は一直線に、「好きだ!」とか、「付き合ってほしい」とか言えるタイプではないので、どうしても表現が遠回りになってしまう。そこのところは臆病なのだ。それで先ずは、竹仲さんに結婚観を聞くことにした。

肘をつきながら未だ無言で、何かを考えながら食事を続けている竹仲さんに、僕は思い切って話しかけた。

「あのね、全然違う話に変わっちゃっても良いかな?」

話しかけた僕に対し、竹仲さんは肘をついたままこちらを見て、「藤見くんさ、私の話聞いてないでしょ?」と言った。竹仲さんは僕が聞いた質問には答えず、「私、この病院に勤めるようになってからの三年間が本当に楽しかったんだよね。今までの人生の中で、一番充実していたと思うの。だから本気で寂しいんだよ。この気持ち、藤見くんに伝わらないかなぁ」と、本当に寂しそうに言った。

僕は先ず素直に謝ることにした。怒られるよりも、がっかりした様子を見せられる方が、人間、不思議と申し訳なかったと思うものだ。

「竹仲さん、ごめんね。でも僕も本当に寂しいと感じているんだよ。だから竹仲さんと同じで、良い方法を考えていたんだよね。話はちゃんと聞いていたんだけどね。つい、から返事をしてしまったんだよね。ごめんなさい」

「いや、私も藤見くんのこと責めてるわけじゃないんだけど、返事も上の空だったし、話変えるっていうからつい……」

そしてまた、竹仲さんは黙ってしまった。僕はもう間を入れず、竹仲さんに結婚観を尋ねた。

「竹仲さんは、この先も独身を貫くの? って言うか、男性恐怖症だから、結婚なんて考えられないよね……」

最近の二人の会話で、ここまで踏み込んだことはなかった。いつもリプレイスする人物についての話や、職場の他愛もない話ばかりで、基本お互いのプライベートや個人の価値観などを話すことはなかったのだ。だから、いきなり僕がプライベートまで踏み込む質問をしたことに、竹仲さんは戸惑いを隠せないように見えた。ただ、久しぶりに再会をした二年半前の時には、お互いの生い立ちなど、プライベートまで踏み込んだ質問もしていた。しかも、竹仲さんの方が積極的に質問してきていたはずだ。それを考えると、プライベートに踏み込むことがタブーというわけではないだろう。そう思い、男性恐怖症というキーワードも敢えて入れて質問したのだ。

竹仲さんは少し考えてから、「藤見くんには、私の子供時代のこと話したよね。覚えてる?」と逆に僕に質問を返した。

「覚えてるよ。誰にも話したことないって言ってたけど、僕には話してくれたよね」

竹仲さんは頷き、「私ね、父のことを考える度に結婚なんて絶対しないって思ってた。それに男性恐怖症だから、男の人と普通に接することができないでしょ。だから、もし万が一結婚したいって思うようになったところで、できるはずもないって思ってた。でも、藤見くんみたいに男の人でも男性恐怖症の症状が出ない人もいるって、藤見くんと出会って初めて知ったの。今のところ、藤見くん以外には会ってないけどね」と言って微笑んだ。そして、話を続けた。

「だから、男性恐怖症の症状が出ない人となら結婚できるかもしれないと思う。でも、その人を本当に信頼して、安心して過ごせるようになるには時間がかかると思うけどね」

そう言って竹仲さんは下を向き、僕の返事を待つかのように黙ってしまった。

僕はもう、竹仲さんのこの言葉は告白なのではないかと思った。竹仲さんは、僕にはツッコミを入れることができる。そこには安心感があるからなのだろう。つまりは僕となら結婚できるかもと言っているのだと思う。もしそれが僕の希望的観測による幻想だとしても、僕はもう自分の気持ちを抑えることができなかった。竹仲さんのことを心から愛しいと思ってしまったから。

それで僕は、「じゃあ、僕で試してみてくれないかな」と言った。竹仲さんは下を向いたまま、コクリと頷いた。


僕たちは、その約一年後に結婚した。それまでの交際期間に、本当に多くの時間を共に過ごし、色々な話をした。

いつからか分からないが、自然と僕は竹仲さんのことを奈穂と呼ぶようになり、奈穂も僕のことを優と呼ぶようになっていた。

色々な話をする中で、奈穂は例の因果応報の話もしてくれた。奈穂が中学生の時にそんな難しい言葉を使っていたのには訳があった。

それはお母さんの影響だったらしい。お母さんは厳格な仏教徒として育てられたそうで、いつも奈穂にも、「悪いことをしたら必ず自分に跳ね返ってくる」と教えていたそうだ。

そういうこともあり、お父さんのことも、「因果応報は絶対だから、お父さんは悪いことを続けているので必ずバチが当たる」と奈穂に言い続けていたのだと言う。だからお父さんが死んだ時、奈穂はこの言葉は真実だと確信したそうだ。

しかし、仏教の因果応報の教えは現世の行いに限ったことではなく、前世で行ったことの報いも受けなくてはいけないという教えだ。それでお父さんは、「前世から悪い人だったと思う」と、奈穂のお母さんは言っていたらしい。

ただ奈穂は、そのことは納得できなかったと言っていた。もし本当に前世の影響を受けるのなら、今の自分がいくら頑張ったところで因果応報の呪縛から逃れられないことになる。今の頑張りが来世にしか適用されないとすれば、それはなんとも皮肉な話だと思ったそうだ。

奈穂によると、滝崎は自分の犯してきた悪いことのゆえに死んだという。そしてそれは本人の業であって、死をもたらした者、つまり僕が更に因果応報を受けることはないらしい。だから、僕の罪を隠した自分も因果応報の対象にはならないと思っていたそうだ。(と言うか、僕が言い出すまで、自分が殺人の事実を隠していたという自覚すらなかったとのことだったが)

ところが、奈穂が看護学校に通っていた頃、キリスト教徒の女性に会ったことがあり、その人の話を聞いて色々なことがかえって分からなくなってしまったという。

その人は奈穂が休みの日に、ハンバーガーショップに行って一人で勉強していた時に会ったそうだ。その人は〈神はなぜ人間の苦しみを許しておられるのか〉と表紙に書かれた雑誌を読んでいたらしい。

奈穂が雑誌をチラチラと見ていることに気付いたその女性は、「この雑誌が気になりますか?」と奈穂に尋ねたそうだ。

奈穂は胡散臭そうと思ったようだが、その人の穏やかな笑顔につい心を許してしまい、「ええ。少し」と答えたと言う。するとその人はその雑誌を奈穂に見せ、先ず人間が苦しむ理由は三つあると説明し、一つは悪魔のせいだと言ったそうで、それには奈穂も苦笑いしてしまったらしい。

ただ僕はエクソシストなどの映画を見たことがあり、「まんざら悪魔が世の中に実在しないとも限らないと思っている」と奈穂に言ったら、ドン引きされてしまったが。

奈穂によると、その人が言った人間が苦しむ理由の二つ目は、人間が持っている罪故だそうだ。それで奈穂が、「因果応報のことですか?」と尋ねると、聖書は輪廻転生の考えを教えていないので、因果応報ではないが、最初の人間アダムから受け継いだ罪をみんなが持っているということを説明されたらしい。そして、その受け継いだ罪故に自らを苦しめるのだと。

そしてその人は聖書を開き、ある言葉を奈穂に見せたそうだ。そこには、〈人、自分の蒔きし実を刈り取らん〉と言う、イエス・キリストの言葉が書かれており、その人は違うと言ったが、奈穂は仏教の因果応報と同じようなことが書かれていると思ったと言う。

ただ、前世の影響を受けるとか、来世に影響を引きずるとか、そういうことではなく、あくまでも自分自身の問題だという点は、仏教よりも説明に納得できたそうだ。

しかしながら、元々罪を持って生まれたとしたなら、その罰を受けることは必須になってしまうし、キリスト教も仏教と同じで、善行を重ねれば悪行が相殺されるわけではないということなので、であれば、一度重大な悪行を行った者は、自分もまた重大な問題を経験することから逃れられないことになると思ったと言う。

それで奈穂は、因果応報とは結局何なのか分からなくなってしまったのだが、子供の頃から教えられ植え込まれてきた、「悪いことをすれば、それは自分に返ってくる」という考えだけは正しいのかもしれないとの結論に達したようだった。

そのキリスト教徒の女性は、「もっと色々きちんと説明したい」と言い、また会えるかどうか奈穂に尋ねたそうだが、奈穂はそれ以上聞いても答えは変わりようがないと思い、言葉を濁して終わらせたそうだ。

僕は奈穂のその話を聞いて、確かに同じく分からなくなってしまった。僕がお母さんを亡くし、お姉ちゃんからも見切りを付けられた件に関して、因果応報とか、蒔きし実を刈り取るとか、そいいう法則が当てはまったのだと言われればそうかなと思わざるを得ない。僕は、誰が何と取り繕ってくれたところで人殺しだから。

もし本当にお母さんが自殺だったとしたら、それも僕のせいだと思う。僕が出かけさえしなければお母さんが死ぬことはなかったのだから。そうだとすると、お母さんを殺したのも僕だ。行った悪行と対価の罰を受けるとするなら、僕も誰かに殺されるのか、自殺する定めなのかもしれない。

じゃあ、お母さん自身はどうだったのだろう? 早くに夫を亡くし、決して裕福ではなく、まだ若いのにくも膜下出血になり、障害を抱え、最期は死ななければならないような大きな悪行を犯していたのだろうか? 僕の知りうるお母さんはそんな人ではなかった。いつも親切で、優しくて、働き者の良い人だった。そうすると、前世が物凄く悪い人物だったのだろうか? でも、やはりそれが現世のお母さんに降りかかったとするなら納得できない。

そして僕自身も、リプレイス能力を使って人を癒すことに禊を期待したのだが、現世で善行をいくら行っても、来世でしかみそがれないのなら、それも、今の僕にとっては意味をなさないということなのか。

因果応報の考えとは別に、人の一生のうちの幸せと不幸せの量は決まっていて、結局のところ均等になるという考えもある。それもまた、やはりお母さんには当てはまらないと思う。子供の時に余程良い思いをしなかったのでなければ、大人になってからのお母さんの苦労は釣り合わない。まぁ、それは自殺のせいで天命を全うしなかったからだと言われれば、そうなのかもしれないが、とにかくこういう類の人生論は当てにならないとしか思えない。

これまでの人生で僕は、奈穂と中学生の時に話をして以来、因果応報という考えに物凄く影響されてきたわけだが、同じく奈穂と話して、今はそれが本当に正しい考えなのかも分からなくなってしまったのだ。


とにかくそんな感じで僕たちは、交際期間の一年間で、お互いの人生観も将来像も含め、本当に色々な話をして、互いに知り合うことができた。


そして奈穂と正式に交際を初めて十ヶ月程が経ち、婚約指輪も渡して結婚の意思がお互いに固まったちょうどその頃に、僕は高校生ぐらいの娘が自動車事故に遭う事件に出くわしたのだ。

その日は病院のシステムが不調で、何度もネットワーク切れを起こしてしまい、帰るのが夜中になってしまった。

僕の勤めている病院は、裏が工業団地になっており、そこを抜けると住宅街が広がっている。大きな通りを通って帰ろうと思うと、病院の前の国道を走り、工業団地をぐるりと回り込むような形で住宅街に入ることもできるのだが、遠回りになるのと、信号が多いのとで、ショートカットできる道をいつも走っていた。夜中になるといつもそうなのだが、工業団地は本当に人通りも車通りもほとんどなくなってしまう。

そんな場所をそんな時間になぜ、高校生ぐらいの娘が自転車に乗って通っていたのか皆目見当もつかないが、とにかくその娘がひき逃げに遭うところを目撃してしまい、咄嗟にリプレイス能力を使ってその娘を助けたのだ。

しかし助けたまでは良いが、何の準備もなく計画もなくやってしまったので、その後が大変だった。

命からがらようやくのことで住宅街まで辿り着き、何とかどこかの飼い犬を見つけて再度リプレイスをし、僕自身も一命を取り留めることができたが、初めて感じた本物の死の恐怖に体は震え、心の動揺も半端なものではなかった。回復するまでの五分間が永遠にも感じられたのも初めてのことだった。

途中まで吠えていた犬の鳴き声はいつしか悲鳴にも似た、「キャイン、キャイン」という鳴き声に変わり、犬の異変に気が付いた住人が居間の明かりを付けた。

僕は這うようにしてその家を離れ、急いで角を曲がって姿を隠した。

先ほどの家から、「ジャック、どうしたの?」と言う声が聞こえてきた。犬は相変わらず、「キャイン、キャイン」と鳴いていたが、そのうち鳴き声が止んだ。「ジャック、ジャック!」と必死で犬を呼ぶ声が聞こえてくる。

僕は本当に申し訳ないという思いを残しつつ、その場を去って車まで戻った。

車に乗ってからも、僕はしばらく身動き一つ取ることができなかった。先程までひしひしと感じていた死の恐怖はなかなか拭い去ることができず、今もって生きた心地がしていない。自分は本当に助かったのだろうか? と、何度も確認するような感じだった。

恐らく、三十分ぐらいは呆然としていたと思うが、ようやく我にかえると、僕は自分のしたことのリスクの大きさを改めて実感した。そして、お父さんのことを思い出した。

お父さんの死んだ時の話を、中学生の時に悟おじさんから聞いたが、お父さんはこの度の僕と全く同じ状況だったのだろうと思う。つまり、咄嗟に後先考えずに行動したのだ。その結果、死んでしまったのだろう。

今回僕も本当に危なかった。今頃死んでいても全くおかしくない状況だった。婚約者の奈穂を置いて死んだとしたら、奈穂をどれほど悲しませたことだろう。お父さんが死んで、お母さんが悲しみ、苦労したのと同じミスを僕は犯すところだったのだ。

悟おじさんの言った、「人助け自体は立派なことだが、自分の家族のことをまず考えろ」という言葉が僕の頭の中に鮮明に鳴り響いた。もう二度と、こんな無謀なことをしてはいけないと、僕はこの出来事を心に刻み、深呼吸をして、車のエンジンをかけた。


奈穂と僕は結婚式をしなかった。僕の両親は亡くなっており、お姉ちゃんも海外で、もう縁が切れているような状態のことを知っていた奈穂が、きっと僕に気を遣い、「忙しいし、お金もかかるから、結婚式はしなくて良い」と言ったのだ。それで、結婚式も披露宴もしなかったのだが、奈穂のお母さんと弟と一緒に会食をし、ウエディングドレスの写真だけは撮りに行った。

ウエディングドレス姿の奈穂は、本当にドキドキする程綺麗で、こんな綺麗な人が僕の生涯のパートナーになるのだと思うと、今更ながらに照れてしまい、写真撮影で隣に立つのが恥ずかしかった。

奈穂との結婚生活はとても幸せだった。奈穂も、「幸せだよ」と僕にいつも言ってくれた。結婚後も奈穂は仕事を続けていたので、なかなか忙しい毎日を過ごしていたが、それでもお互いの休みを何とか合わせて旅行に出掛けたりもした。

ただ、僕も奈穂も特別な時を共に過ごすことよりも、むしろ日常の中のほんの些細な出来事の積み重ねに幸せを感じ、二人でいるということにものすごく安心感を覚えていた。

僕は正直、生まれて初めてこんなに幸福感を感じたと思う。誰にも、何にもこの幸福な状態を壊されたくないと思った。この幸せな日々が終わることを考えることが、僕の何よりの恐怖だった。


三年ほど、こうして二人で幸せな日々を過ごした。結婚前、奈穂は、「子供はいらない」と言っていた。自分の生い立ちが不幸だったので、愛情をかけて子供を育てるという当たり前のことができるのかどうか不安だと言っていたし、僕を信じていないわけではないが、という前置きの元に、人生は先が見えないので、どうなるものかわからない将来に子供を巻き込むのはかわいそうだと言っていた。つまりは自分の父親のように、何がきっかけで人間豹変してしまうかわからないので、僕もいつか何かのきっかけで豹変するかもしれないという恐怖心があったのだろう。それは、やはり生いたち故に僕をも心底信じてはいなかったということだと思う。まぁ、それは仕方がないと僕も納得していたことなのだが。

僕自身について言えば、法則的には男の子の場合はリプレイス能力が受け継がれるということになるのであろうことを考えると、その子のことを思い、僕と同じ苦悩を味わわせたくはないという気持ちが強かった。ただ、もし男の子が生まれたならば、僕はしっかりとこの能力について教えていかなくてはいけないと思っていた。

でも、結局のところ僕は、奈緒が望む通りにしてあげたいと思っていた。

ところが結婚生活も三年を過ぎた頃から、奈緒が、「子供がいても良いかも……」と言い出したのだ。どんな心の変化があったのかと思っていると、どうやら二人で三年ほど過ごす間に、僕に対する信頼感も増し、そして二人で出かけた時に見かける親子に憧れるようになったらしい。奈穂は、「もし子供が生まれたら、私は仕事を辞めて子育てに没頭するの。私は自分の子供に絶対寂しい思いはさせないし、幸せいっぱいにしてあげるんだ。優となら、そんな子育てができると思うの」と言った。

僕はその言葉をとても嬉しく感じた。奈緒が人間的にも一回り成長したようにも感じたし、僕のことを本当に愛し、信頼してくれていると確信することができたから。

それで、僕も奈穂も、いつ子供ができても良いと思っていたが、それから二年経っても子供は一向にできなかった。

僕はリプレイスを何度もしており、自分は完全体だということが分かっている。なので、子供ができない理由が奈緒にあることも、二人とも気付いていた。奈穂はそのことについてコメントすることはなかった。がっかりしているのか、どう思っているのか僕にははっきりとは分からなかった。ただ、僕もなかなかそれを奈緒に確かめる勇気はなかった。

僕はリプレイス能力を使って、奈緒の不妊を治すべきかどうか随分と悩んだ。子育てがこれから先の奈穂の人生にかけがえのない彩りを添えることになるとすれば、そうしてあげたいと思った。でも、この能力は一人に一度しか使えない。だから、今、奈穂に能力を使ってしまったら、奈穂が死に面した時に助けられなくなってしまう。それが僕には最も恐ろしいことだ。奈穂もそれを理解しているからなのか、自分から治して欲しいとは言わなかったので、この問題はお互いに何も言わないまま更に数年が過ぎた。


もちろん三十才を過ぎた方だが、僕も奈穂もアラサーと呼ばれる年代になった。子供はいなかったが、二人で過ごす時間は相変わらず居心地も良く、幸せだった。

ただ、「最近、体調がすぐれないの」と言って、奈穂は家にいる時は休んでいることが多くなった。しかし、仕事が忙しかったこともあり、奈穂は騙し騙しいつもの生活を続けていた。僕は心配して、「病院に行ったら?」と言っていたのだが、奈穂はふざけて、「毎日行ってるよ」とはぐらかしていた。

そんなある日、奈穂が、「お腹が凄く痛い」と言い出し、「さすがに診てもらう」と、病院に行った。そして、子宮癌であることが分かった。

奈穂はもともと婦人科系が弱く、しばしば不調を抱えることがあったため、見落としてしまっていたらしいが、考えてみるとかなり前からその兆候はあったようだ。

癌のステージは三期から四期と言われ、かなり進行してしまっていた。奈穂は、「看護師失格だね……」と落ち込んでいたが、それよりも転移が始まっているならば、命に関わる恐れがあることの方が問題だった。

詳しい状態は精密検査の結果待ちではあったが、僕はまさかこんなに早くリプレイス能力を奈穂に使うことになるかもしれないとは、思ってもみなかった。


精密検査の結果は、決して思わしいものではなかった。癌は膀胱にも転移していることが確認され、更に近くのリンパ節にも転移していることが分かった。癌ができてしまった場所が悪かったのか、進行が早いと言われた。リンパ節に転移している場合は、既に全身に癌が広がっている恐れもあり、生死の問題も出てくるだろうということだった。


穏やかで、幸せだった日常に水を差された感じで、僕も奈穂も困惑したが、とりあえず今回は、最悪の場合リプレイス能力でなんとかすることができるだろうと思う。ただ、一人に対して一度しか使えないこの能力を、今奈穂に使ってしまうと、これから先の人生の方が長いと思われる年齢なのに、大丈夫なのだろうかと不安になってしまう。

奈穂なしの人生は、僕にはもう考えられない。病気のリスクの上がる五十代、六十代に致死的な病に再びかかった場合、もう僕には助けてあげることはできなくなる。

そんなことを悩みながらも、今、目の前の状況に対処しなくてはならないことは明白だった。

奈穂は、「自分たちの勤めている病院には行きづらい」と言って、別の病院にかかっていた。僕もその方が色々と都合が良いと思えた。

結論からいくと、それは賢い選択といえる結果だった。「病院を変えたい」と言って、一先ず逃げることができたからだ。これで勤めている病院ならそういうわけにはいかなかっただろう。

本当に命が脅かされてからリプレイスをするべきなのか、それとも現時点で見切りを付けて踏み切るべきなのか……、僕たちは本当に悩んだ。ただ奈穂は、目の前で癌の闘病者を数多く見てきた経験から、化学療法がいかにきついかを思い知らされてきた故に、そうした苦しみを味わいたくないという気持ちが強かった。

そしてもう一つ、奈穂にはリプレイスに踏み切りたい理由があった。それは、不妊が治るかもしれないという期待だった。奈穂は、「三十歳も過ぎているし、子供を育てるとしたら年齢的にも今を逃すと難しくなるかな……。病気も治って、子供も生むことができたら本当に嬉しいな」と言った。

僕の中では、致死的な状況になってから仕方なくという気持ちも強かったのだが、奈穂の希望を叶えてあげたいという気持ちの方がより強く働いた。

奈穂が、「子供がいても良いかも……」と言ってから約五年が経過していた。お互いその話題には触れずに来たが、奈穂もずっとそれを望み続けていたということなのだろう。

将来のことは確かに分からない。奈穂が僕のいない時に事故にあって死ぬかもしれないし、僕の方が先に死ぬかもしれない。であれば、本人の希望するタイミングでリプレイス能力を使ってあげることが愛かもしれない。

そう考え、最終的に二人で話し合い、リプレイス能力を使って治すと決めた。


月日が流れるのは実に早いものだ。最後にリプレイス能力を使ったのは、交通事故にあった娘を助けた時だったので、八年以上経過していることになる。あの時、死の恐怖をひしひしと感じて以来、奈穂のためにも死ぬわけにはいかないと思うようになり、リプレイス能力を使わぬまま現在に至っているのだ。しかしついに、本当に愛する人のためにこの能力を使うことができる。

僕は以前にそうしていたように、万全の準備を整え、奈穂のリプレイスに臨んだ。


先ず、自分の手のひらに自分で引っ掻き傷をつける。そして、それを買ってきたハムスターにリプレイスする。白い光が放たれ、八年のブランクがなかったかのように記憶が蘇ってきた。これで僕は完全体になった。自分で付けた引っ掻き傷以外にも病気になっている部分はあったのかもしれないが、見えやすい傷の譲り渡しは安心感を与えてくれる。僕も奈穂も、僕の手のひらから傷が消えてゆくのを無言でじっと見つめていた。

いよいよ、奈穂の病気を貰い受ける段になった。

「じゃあ、リプレイスするからね」と声をかけると、奈穂は黙って頷き、目を固く閉じた。

以前に何度も僕のリプレイスを見ている奈穂でも、いざ自分がそうされるとなると緊張するのだろう。奈穂の身体は小さく震えていた。僕は奈穂に、「心配しなくても大丈夫だよ」と再び声をかけた。奈穂はそれでもやはり、目を固くつむったまま頷くだけだった。

僕は左手のひらを奈穂の額に当て、貰い受けろ! と心の中で叫んだ。

なないろのひかりが僕の手のひらと奈穂の額の間から溢れ出した。

成功した! と、安堵したのもつかの間だった。光が消えたと思った次の瞬間、何故かもう一度、なないろのひかりが煌めいたのだ。

僕は意味が分からずに混乱した。なないろに二回光ったことは今までに一度もなかった。ただ、中学生の時に色々と実験した中で、哺乳類以外の動物に悟おじさんから貰い受けた五十肩をリプレイスしようとして、二度白くひかり、リプレイスできなかったことはあった。つまりこの度もリプレイスできなかったということなのだろか? 奈穂は人間なのに、何故リプレイスできないなどということがあるのだろうか?

僕はもう一度、奈穂の額に左手のひらを当てて、貰い受けろ! と強く念じた。

しかし、今回は光もせず、何の変化もなかった。僕は何度も何度も左手のひらを奈穂の額に当てたまま、貰い受けろ! と念じたが、二度と光を見ることはなかった。

これもおかしい。以前の実験ではリプレイスできない場合、何度やっても二度光っていた。それはまるでリプレイスしようとしても、押し戻されているかのように帰ってくる感じだったのだ。だが、今回は二度と光もしない。どういうことなのか、全く理解できなかった。

奈穂が目を開け、不安そうに、「どうしたの?」と僕に聞いた。僕は、「分からない。でも多分、ダメだったんだと思う……」と力なく答えるしかなかった。

奈穂は、「そっか。仕方ないよね」と優しく微笑みかけ、僕を励ましてくれようとした。

僕はまた、この能力の気まぐれさと、無力感に打ちのめされた。そしてリプレイスが失敗したにせよ、何か別のことが起こったにせよ、なないろに光ったということが恐ろしかった。なないろの光は、致死的な状態であることのサインだから。それで僕は奈穂に、なないろに光った事実を伝えることができなかった。見間違いであってほしい……根拠もなくそう思った。でも、奈穂を失うかもしれないという僕の中での恐怖は、僕の意思に反してもの凄く膨れ上がっていった。

こうなると、しばらく僕の中で眠っていた因果応報の疑問がまた湧き上がってきた。

僕なりに償いの意味も込めてしてきた善行は、やはり滝崎を殺したことの相殺にはならなかったのだろうか? それは僕の一番大事なものさえ失わなければいけないような、救われることも許されることもない罪で、僕は一生これに付きまとわれ続けなければいけないのだろうか?

答えの出ない、一度は考えることをやめたはずの論理にまた縛られそうになったが、今はそんな場合ではないと、亡霊のように付きまとうこの考えを必死で振り払った。


リプレイスが不発に終わったとすると、奈穂を病院に連れていくしか選択肢がなくなった。それが致死的なものだろうが、治療可能なものだろうが、医学に頼るしか方法がない。今回は僕も奈穂も、自分たちの勤めている病院で治療に当たることにしようという結論で話が一致した。

奈穂は仕事も辞め、治療に専念しなくてはいけなくなる。それでだと思うが、奈穂は、「一週間だけ私に時間を欲しい」と言った。気持ちを整理して臨みたいということなのだろう。僕は一日でも早く治療を開始してほしいと願っていたが、奈穂の気持ちも痛いほどよくわかる。それで、「奈穂が思うようにして良いよ」と言った。

奈穂は最初の三日間、ほとんど部屋からも出てこなかった。僕は心配したが、奈穂の気持ちを尊重し、奈穂がしたいように時間を使うに任せることにした。そして、四日目から奈穂は立ち上がり、家の中の掃除と整理整頓を始めた。このあたりの女性の心理は、僕にはあまりよく理解できなかったが、きっと、できることを時間のある時に、やっておきたいということなのだろう。


一週間後、奈穂は自分たちの勤めている病院で癌の疑いがあることを告げ、精密検査を受けることになった。違う病院に最初にかかったことがばれてしまうので、以前の病院での結果を持ち込むことはできなかった。それで再度、一からの検査になった。

それが後々、この度のなないろに二度光った理由を理解する助けになるとは、その時は思いもしなかったのだが。しかし同時にそれは、僕を絶望の淵に追い込むことにもなってしまったのだけれども。

精密検査の結果、奈穂は子宮癌が近くのリンパ節に転移している可能性があり、その他のリンパ節にも転移してしまっている可能性もあるとのことだった。ただ、近隣臓器への転移はまだ見られていないとの診断だった。しかし、やはり、「恐らくはステージ四期に入っているだろう」とのことだった。

前の病院とは微妙に違う診断結果ではあるが、おおむね内容は一緒だった。ということはやはり、リプレイスは失敗していたということになる。失敗したのに、もうリプレイスできなくなっているというのも全く腑に落ちない話だ。

ただ、それより問題なのは奈穂の癌がステージ四期に入っていると言われたことだ。つまりは全身に転移している可能性があるということであり、その場合、リプレイスが失敗したにせよ、なないろに光ったことは見間違えではないということになるのかもしれない。考えたくもないことだが、それはもう奈穂の死は避けられないということであり、それなのに僕はどうすることもできないということを意味している。今はただ、僕の推論の全てが間違いであってほしいと願うばかりだ。

奈穂は直ぐに手術することになり、子宮全摘出とリンパ節の切除手術が行われる運びとなった。

もう、僕たちの子供を見ることはなくなる。奈穂はそれが一番辛かったらしく、深い悲しみに沈んでいた。僕は何度も、「奈穂さえいてくれたら、僕はそれで十分幸せだよ」と自分の気持ちを正直に伝えたが、奈穂自身の希望が失われたことと、僕を落胆させたのではないだろうかという思いが抜けないらしく、なかなか笑顔を見せてくれなくなってしまった。

手術は無事に成功し、摘出はできたものの、心配なのは他の臓器への転移だった。ステージ四期まで進行していると、五年生存率は二十パーセント台まで落ち込んでしまう。五人に一人しか五年後も生きてはいないという、極めて難しい自体であることに変わりはない。

医者は直ぐにでも、同時化学放射線療法を始めた方が良いと勧めた。奈穂は副作用を知ってしまっているため躊躇していたが、僕は嫌な予感が拭えず、医者が言うように直ぐに治療を開始してもらうことを望んだ。きっと奈穂はもう少し時間をかけて考えたかったのだと思うが、僕の必死さに負け、直ぐに治療を開始することに同意してくれた。

だが、癌は奈穂の身体を確実に蝕んでおり、同時化学放射線療法を始めたものの、三ヶ月後には癌が全身に転移していることが確認された。そして、癌の進行速度からすると、余命は半年から一年と宣告されたのだ。

僕は、自分の中の世界が終わってしまった気がした。僕が恐れていた事態が、本当に現実のものとなってしまった。奈穂をリプレイスしようとしたあの時、なないろに光ったというのは、見間違いではなく、紛れもない真実だったのだ。絶対に信じたくなかったのだが、もう認めざるを得ない証拠を突き付けられてしまった。

奈穂亡き世界を、僕は想像することすらできない。絶望という言葉が、これほどまでに重い言葉だと、僕以外の誰が知りえるだろうかと思った。

その頃から、僕の意識は常に緊張状態で、胸が締め付けられるように苦しくなり、ついには血尿が出るまでになった。恐らく、強度のストレスによる身体の悲鳴なのだろう。でも、僕の身に起きるそんなことはどうでもよかった。奈穂を失うという耐えられない事実にただただ圧倒され、他のことを考えられなくなってしまっていた。

僕は数日、奈穂に余命を伝えるべきか、ものすごく悩んだ。しかし、職業上奈穂は癌に関しての豊富な知識を持っているし、僕はすぐに顔と態度に感情が出てしまうタイプなので、隠し通すことは無理だと思った。そう思っていると、案の定、奈穂の方から、「私、もう長くはないんでしょう? いつまで生きられるの?」と、僕に余命を教えて欲しいと言ってきた。

僕が、余命は後半年から一年と言われたことを伝えると、奈穂は穏やかに微笑み、「最後は優とゆっくり過ごしたいな」と言った。僕には奈穂の、その最後の願いをかなえてあげたいという強い思いがあり、上司にそのことを伝えると、同じ病院職員のよしみもあってか、「その間は臨時職員を雇うから、存分に奥さんを大切にしてあげなさい」と、理解を示してくれた。

それからの半年間、僕と奈穂は何をするのも一緒に時を過ごした。結婚してからも共働きでずっとやってきたので、こんなに長い間二人で過ごしたのは、結婚してからの約九年間で初めてのことだった。

ある時、奈穂が見たいと言った映画をレンタルで借りてきて、二人で見ていたのだが、奈穂が突然、「私が死んでも、あなたは生き続けてね。どうするのが良いのか私にはわからないけど、あなたの素晴らしい能力でたくさんの人を助けてあげて」と言った。その映画とは、アンブレイカブルという映画なのだが、その主人公の男と僕が被ったのかもしれない。もしくは、僕にこの言葉を伝えるために、「見たい」と言ったのかもしれない。

半年を過ぎた頃から、奈穂の病状は急速に悪くなっていった。なかなか立って歩くこともきつくなってきたようで、ベッドで横になっていることが多くなった。全身に転移した癌も相当進行しているらしく、痛みも強くなってきて、病院から処方された強力な鎮痛剤を飲んで何とか耐え忍んでいる感じだった。

奈穂が心配するといけないので話していなかったのだが、奈穂の病気の悪化と共に、僕の血尿の頻度も増しており、最近は膀胱に違和感があるようになってきていた。

最初は奈穂のことで、自分自身が多大のストレスを抱えたためだろうと思っていたのだが、段々とそれは違うのではないかと感じ始めていた。奈穂の精密検査の結果が最初の病院と、自分達の勤めている病院で微妙に違っていたことを思い出したのだ。

最初の病院では、「膀胱へ転移している」と言われていたのだが、自分達の勤めている病院では、「近隣臓器への転移はまだ見られていない」と言われた。もしやと思った僕は、奈穂には内緒で、奈穂が最初に行った病院で診察してもらった。

やはり、思った通りだった。僕は膀胱癌にかかっていたのだ。しかも、ステージ二期まで進んでいた。

だが、これで奈穂をリプレイスした時に失敗したと思われた現象の理由が理解できた。なないろに光った時、確かにリプレイスされており、膀胱に転移していた癌を僕は貰い受けていたのだ。もしリンパ節にも転移していたとすると、それも貰い受けているのだろう。でも、子宮癌は貰い受けることができなかったと思われる。なぜなら僕は男で、子宮という臓器を持っていないからだろう。これは、哺乳類以外にリプレイスできなかったのが、恐らく身体の構造が全く異なるからということと、ある意味合致することなのかもしれない。つまり、同じ哺乳類であっても、男と女では共通しない臓器があるため、その臓器に関してはリプレイスできないということなのであろう。それで、子宮癌だけは奈穂に戻って行き、二度光ることになったのだと思う。ただし、リプレイスは一人一度きりという法則通り、それ以後はリプレイスされないために、二度目以降の挑戦では、再び光ることはなかったのだと思われる。

このことを理解した時、僕はまた、自分の生まれ持った能力の無力さに絶望させられた。大事な人ほど守ることができない。掴んだ砂が手の隙間から零れ落ちるように、僕の能力は肝心なところでするりと僕の手の間から零れ落ちてしまう。そんな感覚に襲われた。

僕はこの事実を奈穂には話さないことにした。そして奈穂から貰い受けたこの癌を他の動物にリプレイスすることもしなかった。


小学生の時、好きな子が隣の席になったことがある。ある時その子が風邪をひいていながらも頑張って学校に来たのだが、途中で具合が悪くなり早退した。僕はその日の夜から熱が出て、隣の席の好きな子から風邪がうつったと思った。その時、なぜか幸せな気持ちになった。何かを共有しているという感覚なのだと思う。例えそれが風邪でも、好きな子からうつされたものなら嬉しいと思ってしまうことは誰でもある感覚だと思う。

そんなことを思い出したが、今の僕にとっては、奈穂から貰い受けたこの癌により、奈穂と同じものを共有しているという奇妙な安堵感を覚えた。深層心理では、いつでもリプレイスで直せるという感覚があるのかもしれないが、僕の意識の中では、奈穂亡き世界に生きる意味が見出せない以上、一緒に死んでも構わないという気持ちの方が強かったと思う。

それから三ヶ月が過ぎたある日、奈穂が僕に、「ドライブに行きたい」と言った。奈穂はもう容易に動ける状態ではなかったが、どうしてもというので、僕は奈穂を抱きかかえて車に乗せ、ドライブへと出発した。

奈穂のリクエストは海だった。僕たちが正式に交際を始めた時、最初にデートしたのが海だったのだ。横浜にだって海はあるのだが、奈穂が、「飛び切り綺麗な海を見たい!」と言ったので、静岡の下田までドライブに行った。そのことを思い出し、僕たちは再び思い出の海岸に向かうことにした。

季節はもう秋で、平日の夕方ということもあり、たどり着いた海岸には誰もいなかった。僕は奈穂を毛布にくるんだまま抱きかかえ、海まで歩き、砂浜に二人で座った。

しばらく二人とも何も話さずに、ただ寄り添って穏やかな波の音を聞いていたのだが、ようやく奈穂が口を開いた。

「ねえ。前にここに来た時のこと覚えてる?」

「もちろん覚えてるよ」と僕は答えた。

「あの日ね、私、本当に嬉しくて、その嬉しさを表現せずにはいられなかったの」

 それを僕はわかっていた。その日の奈穂はいつも以上におしゃべりで、海に着くまでの車の中でもずっとご機嫌に話をしていた。そして海に着くと、「着いたよー!」と言っていきなり海に向かって走り出し、洋服を着たまま海に真っ直ぐダイブしたのだ。あの時は夏だったし、数時間もすれば洋服も乾いて平気だったのだが、後にも先にもあんなにハイテンションな奈穂を僕は見たことがなかった。

「私、優のこと本当に好きだったの。だから、初デートが嬉しすぎて、あんな恥ずかしいことしちゃったんだよね」

 奈穂は恥ずかしそうに、はにかみながら、でも、幸せそうに話していた。

「今でも、私の優に対する気持ちは変わらない。優と結婚して本当に良かった。暗いだけだった私の人生に、光をくれて……ありがとう……」

 奈穂は感極まったらしく、最後が涙声になったまま泣き出してしまった。僕は奈穂の言葉が嬉しくて仕方がなかった。そして、奈穂を心から愛しいと思った。奈穂を強く抱き寄せ、決して離したくないと思った。

僕の頬にも涙がとめどなく伝わっては落ちていった。僕は奈穂に、「僕と結婚してくれてありがとう。僕の方こそ、奈穂に光をもらったんだよ。それなのに、助けてあげられなくてごめん」と言った。奈穂は抱き寄せた僕の胸に顔を埋めながら、何度も何度も首を横に振っていた。

着いたのが夕方だったこともあり、あまり時間が経たないうちに辺りが薄暗くなってきてしまった。

「残念だけど、もう帰ろうか。また来ようよ」と、僕が奈穂に話しかけると、奈穂はいきなり立ち上がり、毛布を脱ぎ捨てて海に向かって走り出した。

 どこにそんな体力が残っていたのかと僕が驚いている間に、奈穂は真っ直ぐ海にダイブした。

 もう先がないと悲観し、自殺するつもりなのか? 僕は焦って、奈穂を追いかけ、同じく海に飛び込んで奈穂を助けようとした。ところが奈穂は、波間に立ち上がり、大声で笑いながら、「最高ー!」と叫んだのだ。最近見せたことのない、本当に嬉しそうな満面の笑みだった。

 僕は呆れ半分、愛おしさ半分の複雑な気持ちのまま、奈穂を抱きかかえ、びしょ濡れのまま車に戻り、ヒータをガンガンにかけて家路を急いだ。

 

家に着いてお風呂で体を温めた後、奈穂は、「ごめんなさい。反省します」と言い、ベッドに入った。僕は奈穂が楽しめたのならそれで良いと思い、「いや、久し振りに楽しそうな奈穂を見れて良かったよ」と答えた。奈穂はまた満面の笑みを浮かべ、「だから優が大好き」と言って目を閉じた。


それきり、奈穂が目を覚ますことはなかった。翌日から昏睡状態になり、そのまま奈穂は永遠の眠りについたのだ。リンパを通じて肝臓に転移した癌の影響により、昏睡状態に陥ったようで、その数日後に息を引き取った。

昏睡状態になるあの前の日の出来事は、奈穂がそうなることを予期していて、最後にしたいことをしたのかもしれない。


奈穂は末期によく、「楽しいことって、長く続かないよね。優ともっと長く一緒にいたかったな」と言っていた。そして、「あなたは生きてね。生きて、あなたの能力でたくさんの人を助けてあげて。それが私の最後のお願いなの」とも言っていた。だがその時も、奈穂がいない世界で僕には希望が見いだせないと思ったし、そんな前向きなこと僕にはできないと思った。それに、奈穂の死期が近付くにつれ、ますます僕自身も生きる気力をなくし、一緒に死んでもいいと思っていたことも事実だった。

そしてとうとう本当に奈穂が死に、僕は絶望感から何もする気になれなくなり、仕事も辞めて家に引きこもるようになった。恐らく一年は、生ける屍状態で過ごしたと思う。あまりのショックと絶望感故、奈穂が死んでから今までの記憶がすっぽりと抜けてしまっている。

この一年は気が狂いそうだった。今すぐにでも奈穂の後を追って死にたいと、何度も思った。でも、なぜ僕はこんな目に合わないといけないのか、この不幸だらけの僕の人生は一体なんなのか、答えを誰かに示してほしいとも思った。それを探り当てるまでは死ねないという気持ちもいくらか湧き上がっていた。それはなぜかというと、天国なのか地獄なのか、黄泉の国なのか、それとも輪廻転生で生まれ変わって再び出会える時なのか、僕には死後の世界はわからないが、その時奈穂に笑顔で会えるようにするためには、答えがどうしても必要だと思ったからだ。ただ、もうダラダラと生きていたくはないと思ったので、奈穂から譲り受けた癌を治さず、自分の命が尽きる時までを探求のリミットにしようと決めた。

僕は住んでいたマンションを引き払い、必要なものだけ大きめのリュックに詰めて旅に出た。その他のものは全て処分した。自分ではとても奈穂のものを処分できなかったので、全て業者任せにして。

共働きをしていたので、節約すれば数年やっていけそうなそれなりのお金は持っていた。恐らく、日雇いの仕事でも見つけながら転々として行けば、僕が死ぬまではなんとかなると思った。


北海道から始め、東北、北陸と南下し、九州まで辿り着いた。その間、日雇いで働いたり、夏はテントで、冬はユースホステルやゲストハウスを中心に宿泊していると、様々な背景を持った人間に会った。生き急いでいるように見える若者、僕と同じように絶望して答えを探している年配の男性、深く物事を考えているのかいないのか分からない、楽天的な中年男……。でも、誰も僕の知りたい答え、納得のできる回答を持ってはいなかった。

仏教、神道、キリスト教など様々な宗教の信者や、時には高位の僧や神官、牧師にも会って話したが、皆、既に僕と奈穂が話し合った因果応報の話から際立って違う、抜け出たものはなく、宗教にも納得のいく答えを見つけることはできなかった。

結局人々は、人生どうなるか誰にも分からないのだから、今を楽しく生きれば良いという科学信者グループと、現状の幸せと死後の将来の為に、何があっても善行を積むことを続けるべきと考える宗教信者グループ、本当に何も深く考えておらず、毎日をただ惰性で生きているように見える楽観視型のグループに大別できるように感じた。

人が生きる理由。そして、なぜ不幸ばかりが続くように思える人と、幸せばかり続くように思える人がいるのかということ。また、そういう幸、不幸の違いが、一概にその人の行いに全てかかっているとも言えない状況が生じるのはなぜなのか……。そういういう疑問に対し、約一年半の旅路の末に僕が辿り着いた結論は、「答えなんてどこにも存在しない」というものだった。

もちろん世界中を回ったわけではないし、日本に限っても隅々の全ての人に聞いて回ったわけでもない。でも、科学にも宗教にも、個々の人間の様々な考えからも答えを導き出せない以上、この世界のどこにも答えなどないのだろう。

では、自分はどのグループの考え方に属して生きるのか?

いや、生きることに意味など見出せない以上、どこにも属するつもりもなく、やはりこの命を終わらせること以上に、僕にとって相応しいと思える選択肢はなかった。


この一年半で、奈穂から貰い受けた癌も着実に進行していた。下腹部の痛みは慢性的になり、奈穂が飲んでいた強力な鎮痛剤を常時服用しなくては耐えられないようになっていたし、排尿障害も起きていた。腎臓に影響が出始めるのも時間の問題だろうと思う。もう長くはないだろう。答えが得られなかった今、当初の計画通り、自分の死をもって探求のリミットを迎えることになったのだろうと思う。

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