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なないろにひかる  作者: 如月元
8/10

青年期(その二)

職場は大病院の割に、五人のエンジニアだけで切り盛りされており、仕事は本当に超多忙だった。癌を専門に扱うがんセンターのオープンを間近に控えており、そのための新しいシステムプログラムを設計しながら、現システムのメンテナンスもしなければいけないという状態だった。

ところが、現システムの調子がすこぶる悪く、すぐにシステムがダウンし、その修復対応に多くの時間が割かれてしまっていた。現システムがダウンする度に原因を究明して修復するわけだが、一つ修復しても、また違うバグでシステムがダウンするということを繰り返していたのだ。がんセンターのオープンまでに新しいシステムプログラムを開発しなければならなかったし、現システムとのリンクも必要なのだが、稼働中のシステム復旧に多くの時間を取られ、それが遅々として進まない状況だった。

また、病院のシステムということで、機能がダウンしたまま放置することはできない。人命が関わる恐れのある不具合もあるからだ。それで、システム復旧のために残業は当たり前、休日返上も当たり前の毎日を送っていた。

確かに、忙しい方が余計なことを考えずに済み、お母さんのことで悩む時間も少なくなったことは救いだったと思う。でも、夜一人で家にいる時、休日で呼び出しがない時などはやはり、憂鬱な時間を過ごすことが多かった。

システムエンジニアと言っても、ただただ病院の一角にあるメンテナンスルームで、パソコンとにらめっこをしているわけではない。大きな総合病院の様々な科のナースセンターに行ったり、時には病室の監視カメラやナースコールのシステムなども見て回る必要があるのだ。

そんな風に病棟にもちょくちょく出向くため、色々な病気に苦しんでいる人を目にした。それがお母さんのことをフラッシュバックさせることも多々あったが、入院患者さんやその家族に感情移入できたことも確かだ。

こう見ると、世の中は病人で溢れている。この病院だけではなく、全国、全世界となるとどれだけの人が苦しんでいるのだろうと思った。僕には見分けはつかないが、不治の病の人、致死的な病気にかかっている人もたくさんいる。そして、そこには多くの人の悲しみがあるのだ。

そういう人を僕なら治すことができるかもしれない。そうすれば、多くの人の悲しみや苦痛を取り去ってあげることができるかもしれないのだ。病院という、人の生死と密接にかかわる場にいると、僕の持つリプレイス能力は、個人というつまらない枠を超えたところで何かをしなければいけない、もっと大きなものであるような気がした。

そう考えると、僕のこの能力はいったい誰のためのものなのだろう? 僕自身に使うか使わないかを決める権利が果たしてあるのだろうか? 何かもっと大きな力、人知を超えた存在に僕の役割を問う必要があるようにも感じた。

ただ、そうした考えが頭をよぎることがあったとしても、僕は相変わらずリプレイス能力を使おうとは思えなかった。この能力が諸刃の剣であり、時に凶器と化してしまうことを滝崎の一件で思い知らされたし、お母さんの時には逆に、制約の多い、使いたい時に役に立たないダメ能力だと痛感させられてしまった。これ以上の失望を経験するのは御免だったし、更なる因果応報が僕に降りかかることを恐れてもいた。


約半年が過ぎ、無事にがんセンターのオープンにこぎつけることが出来た。オープン前の数週間は病院内で寝泊まりするような状態で、労働基準法も何もあったもんじゃなかったが、とにかく我武者羅に作業をこなした達成感は大きかった。

僕自身も、相変わらず旧システムとのリンク問題などが頻発はすることに手こずりながらも、それなりに仕事も一人でこなせるようになり、職場環境に慣れてきた感が出てきていた。

がんセンターのオープンにあたり、数名の医師とたくさんの看護師が新たに病院のスタッフになっていた。これで病院全体で千人以上のスタッフが働いていることになり、これだけいると当たり前だが、とても病院関係者全員を把握することはできない。もっとも、パソコンの使い方が分からないという年配の医師などは、いつも呼んでくれるので覚えてしまっているのだが、大抵はよく呼ばれる科でも、顔見知り程度の関係のスタッフが多かった。


がんセンターのオープンから更に数ヶ月過ぎたある日のこと、小児科の看護師からパソコンの調子が悪いので見に来て欲しいという依頼があった。行ってみると、突然パソコンの電源が落ちたそうで、その後何度も電源ボタンを押してみても、うんともすんとも言わないとのことだった。どうしようもないので、すぐに代わりのパソコンを運んで設置していた時、後ろから、「藤見さんですよね?」と看護師に声をかけられた。また、操作が分からないので聴きたいということかな、と思いつつ、「ええ、そうですけど」と振り返ると、新人看護師がつけるバッチをつけた、見覚えのある人物が立っていた。最初、この病院で会う顔見知りの看護師の一人だっただろうか? と思ったが、違っていた。

それは竹仲奈穂だった。中学生の時の面影はそのままだが、数段綺麗になっていて、すぐに竹仲さんとは気付かなかった。まさかこんなところで会うとも思っていなかったというのもあるのだが。

「竹仲さんだよね。驚いたよ」

「わかった? 覚えていてくれて良かった。『どなたですか?』何て言われたら、寂しいもんね」

竹仲さんはキラキラしていた。中学生の時のどこか陰りのある暗い雰囲気は全く感じられず、そのことはかえって僕を戸惑わせたが、本当に綺麗だった。

なぜ特に好きというわけではなくとも、美しい女性のキラキラした目を見ると照れくさくなってしまうのだろう。僕は竹仲さんを真っ直ぐに見つめ続けることができなかった。

僕は竹仲さんに、「いつからですか?」と尋ねた。

「先週から。実は静岡の病院に勤めていたんだけど、二ヶ月前に実家に戻ってきたの。それでこの病院に」

「そうだったんだ。本当にびっくりしました」

「藤見くんはいつからこの病院にいるの?」

僕が答えようとしたところで、「竹仲さん。よろしいですか?」と、竹仲さんが別の看護師に呼ばれた。

竹仲さんは、「はい。すぐにいきます」と答えてから、「藤見くんごめんね。今度また」と言って、先輩看護師のところに駆け寄っていった。

僕はすごく緊張していたらしく、後で考えると受け答えが敬語になっていたり、友達言葉になっていたりと混ざっていたことに気付き、とても恥ずかしかった。竹仲さんは気付いただろうか?

翌日、僕がお昼に職員専用食堂で食事をしていると、竹仲さんが目の前に座った。竹仲さんは、「藤見くん、おはよう」と言った。僕は柱の時計を見て、もうお昼ですよ、と思ったが、「おはようございます」と答えた。

竹仲さんは僕が時計を見たのに気付き、「そっか、もうお昼なんだね。こんにちわ」と言い直した。

「いや、そんなつもりではなかったんですよ。ごめんなさい」と僕が言うと、竹仲さんは、「謝るなんて、可笑しい」と言って笑った。

竹仲さんは、「この前の続きを話そう」と言い、「で、藤見くんはいつからこの病院にいるの?」と僕に質問した。

「一年経つか経たないかぐらいですかね。大学で情報処理を学んで、卒業後の約一年間は母の介護をしながら居酒屋でアルバイトをしてました。母が亡くなってから、大学の先輩の紹介でこの病院のシステムエンジニアになったんです」

「え? お母さん亡くなられたの? 藤見くんも、辛い経験してきたんだね。今はどうしてるの? 他の家族と暮らしてるの?」

竹仲さんは随分グイグイと色々な質問をしてきた。昨日あった時からものすごく友好的で、しかも以前からよく知っている人かのように垣根を感じない話ぶりだった。僕は逆に戸惑ってしまった。もともとこんな子だっただろうか? いや、もともとを語るほど、竹仲さんのことをよく知らないのだ。ただ、中学校三年生の時に滝崎のことで話した時も、確かにそれ程仰々しかった訳でもなかったし、自分の思ったことを率直に言える感じを受けたことは事実だった。それでも、中学生の時の印象はそれほど明るいという訳でもなく、どちらかというと陰りがあるように見えていたが、それは滝崎のことで悩んでいたせいだったのだろうか?

僕がこんなことを考えているので、間がだいぶ空いてしまっていたようだった。それで竹仲さんが、「ごめんなさい。私、ズケズケとプライベートまで入り込んじゃって」と謝った。僕は慌てて、「いや、そうじゃないんです」と言い、竹仲さんの質問に答えた。

「今はこの近くのマンションで一人暮らしをしています。父は僕が母のお腹の中にいる時に死んでしまって、兄弟は姉が一人いるんですが、結婚して今はアメリカにいます」

竹仲さんは僕が答えたので安心したようだった。

「私、人の気持ちを考えずに踏み込み過ぎちゃうところがあって、いつも反省するんだけど、何度も同じことしちゃうんだ。本当にごめんなさい。……そっか、一人暮らしなんだ。大変だね。ところで、なんでずっと敬語なの? 同級生だからタメ口で良いんじゃない?」

話がコロコロと変わる。本当に、思ったことをすぐに率直に言葉にできるタイプらしい。

「ごめん。気になった? 特に理由があったわけじゃないんだけど、職場の人の延長だったのかな。仰々しくてごめんね」

そう言ったものの、本当はどういうスタンスで接して良いのか分かりかねていたことと、美人を前にして照れと緊張していたのだと思うが、そうは言えなかった。

「私が馴れ馴れし過ぎるのかもね。ごめんなさい。なんか、久しぶりに知っている人に会って嬉しくなっちゃったんだ。でも、確かにそんなに親しいわけでもなかったのにね……」

会話の雲行きが怪しくなってきた。僕のせいであることは間違いない。竹仲さんが親しみを込めて近づいて来てくれたのを、僕の敬語がブロックしてしまったのだろう。とても申し訳ないという気持ちになり、僕は思わず竹仲さんに、「そんなことない。滝崎と一緒に闘った、同士だもんね」と言ってしまった。

そう言ってから僕は、この話題を出すべきではなかったと後悔した。少なくとも中学生の時は、竹仲さんは僕の見方をしてくれた。しかし、大人になった今はどうなのだろうか? 思い出されたその記憶は、僕を殺人者と認識するのではないだろうか? ちょうど、お母さんやお姉ちゃんがそうであったように、僕の能力に恐怖を感じ、竹仲さんもまた、僕と距離を置くようになってしまうのではないだろうか?

そして僕は、お母さんが死んだことも、滝崎を殺した罰ではないかという恐怖にも駆られている。そう、竹仲さんが僕の家に来たあの日、竹仲さんが口にした因果応報が僕に回ってきたのだと。それなのに何故、ヒーローぶってこんなことを言ってしまったのだろう……。

僕の発言に竹仲さんは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに、「そうだよ! 藤見くんは今でも私の命の恩人なんだよ。ずっと忘れてなかったから」と言って、満面の笑みを浮かべた。

一瞬驚いた顔をした理由は分からなかったが、とにかく僕を怖がったり、このまま会話が終了してしまう事態は避けられたと思い、ホッとした。

竹仲さんが話を続けた。というより、更に質問を続けた。

「さっきの話で、気になったことがあったの。気分を悪くしたらごめんね」

竹仲さんはそう言って辺りを見回し、近くに人がいないことを確認すると、少し身を乗り出して僕に顔を近づけて、小声でこう言った。

「藤見くん、特殊能力持ってるでしょ? どうしてお母さんを治してあげられなかったの?」

一応、この能力は人に知られてはいけないものだと覚えていてくれたらしい。ただ、竹仲さんの美しい顔が僕に近づくのがとても恥ずかしく、ものすごく緊張した。竹仲さんに僕の心臓の音が聞こえたんじゃないかとか、耳まで赤くなっているのを見られたんじゃないかと、変な心配をしてしまった。

僕は竹仲さんに、リプレイス能力の限界について話した。そしてそれ故に苦しんだこと、滝崎の件の因果応報ではないかと感じていること、お母さんが自殺の疑いがあること、お姉ちゃんに恐れられ、最後は見限られたことなども話した。

どうしてそこまで話したのか、自分でもわからない。でも、自分で話すのを止めることができなかった。もしかするとそれは、今現在僕の能力を知っていて、しかも唯一理解を示してくれる相手に対して、今まで溜めてきた全てを吐き出したかったからなのかもしれない。

竹仲さんは視線を逸らさず、一生懸命に僕の話を聞いてくれた。そして、「藤見くん、本当に辛い経験をしたんだね。でも、お母さんが亡くなられたのは藤見くんのせいじゃないよ。誰にもどうすることもできないことって、起こっちゃうんだよ。だから、自分を責めちゃダメだよ」と言ってくれた。

竹仲さんは中学生の時、滝崎のことを話した時も、僕のせいじゃないと言ってくれた。あの時はその言葉に本当に救われたのだが、今もあの時のように、竹仲さんがそう言ってくれると、なぜか救われた気がした。


僕のお昼休憩の時間が終わってしまったので、話はそこまでだった。ただ、竹仲さんの方がまだ話したいことがあると言った。それでお互いに時間が取れる日を確かめると、二日後がどちらも非番の日だったので、夕方に食事でもしながら、ということになり、近くのファミレスで待ち合わせることにした。

「じゃあ、そういうことで」と言って、僕が席を立とうとした時、竹仲さんが急に、「藤見くんって、彼女とかいるの?」と聞いてきた。突然の質問に僕は戸惑ったが、「残念ながら……」と答えた。竹仲さんは、僕の戸惑った顔に気付いたらしく、「いや、そういうことじゃなくて、彼女がいたら二人で会うのはマズイかなって思って。それで」と慌てて言った。

僕は、「残念なことですが、その心配はありません。竹仲さんは? 彼氏とかいるの?」と返した。竹仲さんも笑みを浮かべて、「残念なことですが……」と言った。

そして別れたのだが、僕は竹中さんの言った、「そういうことじゃなくて」って、どういうことだろう……と考えながら仕事場に戻った。


二日後、僕は約束の時間より早くファミレスに着いてしまった。竹仲さんが来た時、そんなに楽しみにしてたの? という印象を与えないかと心配になり、恥ずかしかったが、着いてしまったものは仕方がない。僕は紅茶だけを注文し、竹仲さんが来るのをゆったりと待っていた。

女性と二人で食事なんて、本当に久しぶりだった。高校は男子校だったので女子と知り合う機会もなく、部活動に打ち込む毎日だった。と言うと聞こえが良いが、つまりは寂しい高校時代を送ったのだ。

大学二年生の時、一度だけ女性と付き合ったことがある。凄く積極的な子で、美人ではなかったが可愛い子だった。映画に一緒に行こうと、向こうから誘われたのがきっかけで付き合うことになった。

数回食事をしたり、買い物デートをしたりしたが、交際経験豊富な彼女には、僕はあまりにつまらない存在だったらしく、三ヶ月で破局した。破局と言っても、「あなたとは性格が合わないと思う」と言われて、一方的に終わらせられた感じだった。後で分かったことだが、その彼女は僕と同時進行で少なくとも他に二人と付き合っていたらしい。

そんな経験をして、僕は女性に対して臆病になり、その後は親しい仲にならないように、無意識のうちに女性を遠ざけていたのかもしれない。

そんな過去の嫌なことを思い出して、ちょっとブルーになってしまっている時に竹仲さんは到着し、「ごめん! 遅れた」と言って僕の前に慌しく座った。

僕が時計を確認すると、約束の時間を十五分過ぎていた。僕にとっては、僕が早く来すぎたことがバレずに済んで助かったのだが、僕が時計を確認したことで、竹仲さんに更にプレッシャーをかけてしまったらしく、「本当にごめん!」と何度も手を合わせて謝られた。僕は、「全然気にしてないから。ホントに大丈夫だから」とその度に何度も言っていたので、周りの人から見たら変な二人だったと思う。


お互いに食事を注文し終え、竹仲さんが話を始めた。

「実は、藤見くんにお願いがあって、それを聞いてもらいたかったんだ。もちろん、それは藤見くん次第だから、断られても仕方がないんだけどね。……助けてあげたい子がいるの。藤見くんの能力でなんとかしてあげてほしい」

「どんな子なの?」と僕は尋ねた。

「私がこの病院に勤めだした時にはすでに入院していた子なんだけど、凄く素直で良い子なの。小学校五年生なんだけどね。穂花ちゃんっていうんだ。そして、ものすごく絵が上手なの。ベッドのところに自分で書いたひまわりの絵が飾ってあるんだけど、とても小学生とは思えないレベルなのよ。将来は画家になりたいって言ってた。でも、急性リンパ性白血病っていう小児がんを患っていて、もう一年近く入院してる。最近目に見えて悪くなってきていて、担当医の見解だと、あと半年持つかどうかだって。ご両親もとても良い人で、治療に殆どのお金をつぎ込んでるの。それなのに良くなるどころか、余命宣告までされてしまって。ご両親の落ち込んでる姿を見ていると居た堪れない気持ちになるの。……それにね、私、あの子の才能を開花させてあげたくって。本当に将来有望だと思うの。病気で希望も叶えられないまま死んで行くのを見るって、私には辛すぎて……」

竹仲さんは、堰を切ったように一気に話始め、話しながら涙目になっていた。

ちょうど、注文したものが運ばれてきてテーブルに並べられた。ウエイターが、「以上でお揃いでしょうか?」と僕たちに聞き、僕が、「はい」と答えると、ウエイターは、「ごゆっくりどうぞ」と言って、テーブルから離れて行った。

僕は、「先ずは食べようか」と竹仲さんに言った。

僕がそう言って、一度竹仲さんの話を止めた一番の理由は、考える時間が欲しかったからだ。僕は食べながら、どうするべきかを考えていた。

リプレイス能力はもう使いたくないと思っていたことは事実だ。この能力の非力さを知る度に、何とも言えない挫折感を味わう。今回も必ず成功するとは限らない。法則を全て理解しているわけでもないからだ。

そして、何が起こるかわからない恐ろしさもある。もしかすると、僕が貰い受けるたった五分の間で容態が急変するかもしれない。お母さんの時はそれも覚悟で臨むことができた。それは僕の大切な大切な人で、自分が身代わりになっても良いと思える人だったから。でも、赤の他人にそこまでの感情移入ができるだろうか?

竹仲さんは、僕が話すまでずっと黙って食べていた。あまりに間が空くのも気まずくなるので、僕は竹仲さんに質問した。

「余命宣告をされた状態から、突然治りましたっていうのは、大問題にならないだろうか?」

「そうね。確かに気になるところよね。でも大丈夫だと思う。アメリカの、ある大学論文を読んだことがあるんだけど、それは千件以上の医学論文から実際に自然に癌が治ったという人にインタビューした結果をまとめたものだった。末期と診断された状態から、完治したっていう話が多数報告されていた。もちろんアメリカだけではなくて、日本でもそういう事例は報告されていて、医学的には説明がつかないことも多々あるみたい。だから余程一つの病院で次々に自然治癒者が出ない限り、それ程大問題になることはないと思う。西洋医学にも限界があるってことは周知の事実だしね」

僕は竹仲さんに感心した。よく調べていて、すでに僕が提起するかもしれない問題点も把握しており、その対応策というか、問題点を論破できるだけの知識を持っていたからだ。

竹仲さんは、「今すぐに結論を出してとは言わないから、少し考えてみてくれる? 良かったら実際にその子に会ってみて欲しいの。良いかな?」と言ってスープを飲んだ。

僕は会うことに同意し、その会話はとりあえずそれで終わった。


僕は竹仲さんに聞いてみたいことがあった。それは、滝崎事件の後の竹仲さんの人生についてだ。僕は、竹仲さんの言った因果応報が頭から離れなかったのだが、それは、お母さんの死に代表されるように、僕には滝崎事件以来不幸が続いているようにしか思えなかったからだ。

確かに竹仲さんが滝崎に直接手を下したわけではない。あくまで竹仲さんは目撃者であり、滝崎の死とは何の関係もないのだが、竹仲さんには、滝崎の死の真相を知りながら、それを隠した罪があるのかもしれない。そうだとすると、やはり因果応報の法則が当てはまるのだろうか?

僕は竹仲さんに質問した。

「唐突だけど、竹仲さんはこれまでの人生幸せだったと思う?」

僕の質問に、竹仲さんは一瞬困惑した顔をした。

それもそうだろう。さっきの話とはまるで関連がないし、いきなりプライベートに踏み込む内容になってしまった。これはまずかったかもしれない。

僕の頭の中では決して会話が飛んでいる訳ではなく、リプレイス能力に関する話の続きとして、自然の流れで出てきた質問なのだが、因果応報に関するキーワードも提示した訳ではないので、竹仲さんにとってはまさに唐突過ぎる質問であったことは間違いないだろう。

僕は、「いや、ごめん。踏み込み過ぎたね。別に答えなくて良いんだ。本当にごめん」と謝った。

竹仲さんはしばらく黙って、フォークで付け合わせのニンジンを何度も刺したり抜いたりしながら、何か考えているようだった。

僕はとても気まずくなり、何か別の話題をと思うのだが、こういう時はなかなかネタが出てこないし、出てくるネタも他愛ないとか、裏がありそうと思われるとか、考え過ぎて口に出せなくなってしまうのだった。

そうこうしているうちに、竹仲さんが話し始めた。

「私、今まで家族のこと、誰にも話したことないんだ。親しい友達にも……。子供の頃から家に一度も友達を呼んだことがなくって。でも、どうしてか分からないけど、藤見くんには話すべきだと思った。藤見くんも私に家族が大変だったこと、話してくれたもんね。引いたらごめんね。すごい話なんだよね」

そう言って、竹仲さんは決意したように話を続けた。

「私が物心ついた時から、うちは問題だらけのうちだったの。もちろん、私はその環境で育ったから、問題だらけなんだってことは後で分かったんだけどね。私の父はアルコール中毒者だったのよ。ずっとうちにいて、いつも酔っ払ってた。母が働いて、なんとか生計を立てていたんだけど、ほとんどのお金を父がお酒やパチンコや、女に使っていたみたい。それより大変だったのは、父が機嫌が悪いと、母に暴力を振るっていたこと。時には、私や弟にも暴力を振るったわ。だから母は、自分が働きに行っている間は、私たちに部屋から出ちゃダメって、静かにしていなさって言っていたの。私たちはひたすら、父が怖くて怯えていた」

竹仲さんは、水の入ったグラスを見つめていたが、心はどこか遠くにあり、まるで他人事のように話していた。

「父は時折、数ヶ月いなくなるの。そして戻って来ては、同じように酒浸りの毎日を送っていたわ。いない時は女ができて、そっちの家に転がり込んでいただけなんだけど、すぐに愛想尽かされてたんだと思う。私、小学校の高学年の時、母に、『なんで父と別れないの?』って聞いたことがあるの。そしたら、『何されるかわからないから怖い。あの人は、地の底まで追いかけて来る人よ』って言った。その時の母の怯えた顔は忘れられない。その時は理解出来なかったけど、きっと、自分と子供達を守るために精一杯だったんだと思う」

確かにすごい話だった。僕は相槌を打つこともできず、ただただ話に聞き入った。

「私は母に、『なんでそんな人と結婚したの?』って聞いたわ。もちろん、最初はそんな人じゃなくて、それなりに筋の良い大工だったみたいなんだけど、弟が生まれた頃に右手に大きな怪我をして仕事ができなくなったらしいの。それから荒れてしまったんだって。父は私が中学一年生の時に死んだわ。お酒の飲み過ぎで肝硬変になっていたようだけど、最後は肝不全で。でも、本当に死ぬまで飲み続けていた。あの人は死んで当然だったと思う」

竹仲さんはとても冷たい眼差しで、自分の動かしているフォークの先をジッと見ながら話している。

こういう時、美人はなぜか尚一層冷酷な顔に見えてしまうものだ。竹仲さんの心の闇が見えたようで、寂しいというか、複雑な気持ちになった。もちろん、僕も心に闇を抱えている。人は誰でも闇の部分を持っているだろう。ただ、竹仲さんが僕を、それをさらけ出せる相手と見てくれたことは嬉しく感じた。

「私は父のせいで男性恐怖症になった。それで、小学生の時からずっと男子が嫌だった。だから中学の時、脅されて無理やり滝崎と交際させられた時は本当に死にたい気分だったの。それを助けてくれたんだから、本当に藤見くんは私のヒーローなのよ。今でも感謝しているわ」

そう言って、竹仲さんは微笑んだ。

僕は、「大変だったんだね。話させてしまってごめん」と言うのが精一杯だった。それ以上の言葉を思いつけなかった。

竹仲さんは首を横に振り、「良いの。初めて人に話して、なんだか気持ちが楽になった。聞いてくれてありがとう」と言った。

そして付け足すように、「私、今でも男性恐怖症で、男の人と普通に会話できないの。まともに目も見られない。でもどうしてか藤見くんだけは大丈夫なの。それは中学の時からなんだけどね。覚えてないかもしれないけれど、一番最初にうちの近くの公園で見かけた時、確かに巻き込んで本当に申し訳ないっていう気持ちはあったんだけど、いつもなら何も言えずに通り過ぎたと思うんだ。でも、なぜか話しかけられそうだと思ったの。不思議よね。今こうして藤見くんと二人でレストランにいるなんて、私には信じられないことなのよ」

竹仲さんはそう言って微笑むと、話のために中断していた食事をし始めた。

それは喜んで良いのか悪いのか。つまりは男として見られていないということなのだろうか? でも、答えが怖くてその質問はできなかった。

僕は、滝崎事件の後の竹仲さんの人生について、つまり因果応報が竹仲さんにも起きたのかどうかが知りたかったのだが、基本的に竹仲さんの今の話は滝崎事件の前からの話で、僕の知りたいことの答えになっていなかった。ただ、あまり幸せな人生だったと感じていないであろうことはわかった。もう少し詳しく聞いてみたいこともあったが、でも、この度はもうこれ以上聞くのはやめた。正確には、これ以上聞けなかったのだが。

その後は、病院に関する他愛もない身内話で盛り上がり、明日の夜七時頃に穂花ちゃんに会いに行く約束をしてお互いにレストランを出た。


僕は午後六時半に仕事を終え、小児病棟の休憩室で竹仲さんと待ち合わせをし、初めて穂花ちゃんと会った。

穂花ちゃんは帽子を深くかぶり、はにかんだ様子で竹仲さんに連れてこられた。細身で色白のかわいい子だった。ただ、確かにいかにも具合は悪そうだった。

竹仲さんが、僕に穂花ちゃんを紹介してくれた。

「穂花ちゃん、このお兄さんね、藤見さんって言うの。この病院の、パソコンのお医者さんなのよ」

僕は穂花ちゃんに、「こんにちは」と挨拶した。すると穂花ちゃんはクスクスと笑い、「もう、こんばんは、ですよ」と言った。

僕は大人の決まりごととしての、初めての人に会った時の挨拶をしたつもりだった。だが、子供にはそんなこと関係がなくて、時間で挨拶を変えるというのが、当たり前な感覚なのだろう。僕はその子供らしさがとても新鮮に感じられた。実生活の中で、子供と話す機会などまずないからだ。

穂花ちゃんは手に、小型のスケッチブックと鉛筆を持っていた。竹仲さんが、「後で会うお兄さんの似顔絵を描いてあげて」と、僕に会う前に話していたらしい。

休憩室のテーブルに、穂花ちゃんと竹仲さんが、僕と向かい合わせで座った。穂花ちゃんは僕に、「動かないでくださいね」と言って、僕のスケッチを始めた。

自分の絵など書かれたことがないので緊張した。僕が言われた通り本当に動かないのを見て、竹仲さんは可笑しくなったらしく、肩を震わせながら笑いを堪えていた。十五分程で穂花ちゃんが、「スケッチ終了」と言って、描いた似顔絵を僕に見せてくれた。

確かに小学生とは思えない画力があった。僕は思わず、「上手だね」と言っていた。穂花ちゃんは照れ臭そうに笑っている。竹仲さんは嬉しそうに、「ね、凄いでしょ!」と、まるで自分が書いたかのように自慢した。そして、「ベッドのところに飾ってある、ひまわりの絵も見てね」と言った。

穂花ちゃんが、「トイレに寄ってから病室に行く」と言い、竹仲さんは僕に、「先に病室で絵を見ていて」と言って、穂花ちゃんに付いて行った。

僕が言われた通り穂花ちゃんの病室に行ってみると、穂花ちゃんのベッドの前に、穂花ちゃんのお父さんとお母さんがいた。

僕は病室に入った瞬間に、穂花ちゃんのお母さんが涙を流しているのを見てしまった。僕を見て慌てたように涙を拭い、お母さんは、会釈をして病室を出て行った。

僕は病室に入ったものの、どうして良いかわからずに困惑してしまった。とりあえず、自己紹介をしなくてはいけないと思い、「私、この病院のシステムエンジニアをしている藤見と申します」と、穂花ちゃんのお父さんに挨拶した。

僕は身分証を首から下げていたので、穂花ちゃんのお父さんの視線はそこに向かい、それから、「穂花の父です。いつもお世話になっております」と挨拶された。そして、「メンテナンスか何かですか?」と質問された。それで僕は、「いえ、この病棟の看護士さんに穂花ちゃんを紹介して頂きまして、先程、穂花ちゃんにお会いしたばかりなんです。それで早速、僕の似顔絵を描いて頂いたんです。穂花ちゃんは本当に、絵が上手なんですね。ベッドのところに飾ってある、ひまわりの絵を見せて頂こうと思ってお邪魔しました。今、穂花ちゃんも看護士さんと一緒に来ると思います」と返事をした。穂花ちゃんのお父さんは、「そうでしたか。わざわざありがとうございます。先程、穂花と休憩室にいるところをちらりとお見かけしてはいました」と言ってから廊下を確認し、少し言いづらそうに、「あの、妻が泣いていたことは穂花には黙っていてもらえませんか?」と小声で言った。

「はい、もちろんです」と、僕も小声で答えた。それから直ぐに廊下から穂花ちゃんの声が聞こえ、竹仲さんとお母さんと穂花ちゃんが病室に戻って来た。

穂花ちゃんは戻って来て、お父さんを見ると直ぐにスケッチブックを開き、「ほら、このお兄さんを書いたんだよ」とお父さんに似顔絵を嬉しそうに見せた。穂花ちゃんのお父さんはその絵を見て、「上手に書けたね」と言って、穂花ちゃんの頭を優しく撫でた。

竹仲さんが、穂花ちゃんの両親を僕に紹介してくれた。穂花ちゃんのお母さんは、先ほどの件があったのでちょっとやり辛そうな感じに見えたが、話題がすぐに穂花ちゃんの描いたひまわりの絵に移ったので、僕も絵を褒める方に努めて集中した。穂花ちゃんが、「この絵はね、学校の校庭にあるひまわりを描いたの」と教えてくれた。

穂花ちゃんが絵の説明をしているうちに、お母さんが竹仲さんに小声で何かを伝え、二人で病室を出て行った。

穂花ちゃんは、僕にスケッチブックを見せてくれた。その中にはたくさんの人や、病院の窓から見える景色、花の絵などが描かれていた。ページをめくるたび、穂花ちゃんは、これは誰とか、病院のどこから見た景色かとか、色々なことを教えてくれた。

穂花ちゃんのお父さんは、穂花ちゃんの隣に座り、嬉しそうに娘の説明をニコニコしながら黙って聞いていた。

しばらくして、穂花ちゃんのお母さんと竹仲さんが、缶コーヒーやらジュースやらを買って戻って来た。それからしばし、穂花ちゃんの思い出や、家族のエピソードなどを雑談し、僕は穂花ちゃんのご家族に挨拶をしてその場を離れた。

複雑な思いだった。確かに穂花ちゃんはいい子だし、竹仲さんの言う通り絵の才能もあると思った。ご両親も穂花ちゃんを本当に愛し、大切に思っていて、何気ない会話や仕草の中に、娘を失いたくないという思いが痛いほど伝わってきた。治してあげたい気持ちは強い。

しかし、竹仲さんとファミレスで話した時にも直ぐに二つ返事で応じられなかったように、自分の中での葛藤は未だに続いている。お母さんを救えなかった時以来、この能力を用いようとすること自体に虚しさを感じるようになってしまい、この能力を積極的に使うべきかどうなのかという答えが見出せないままになっている。また、滝崎事件の時に感じた恐怖、つまり、一歩間違えば自分が死んでいたという思いも、尻込みさせる要因になっている。

また、お母さんの病気を治したいと思った時には必死さが先になり、自分の思考の中から吹っ飛んでしまっていたことなのだが、大人になって色々な知識を吸収する中で、リプレイス能力のある面に疑問を感じたことがあった。それは、失われようとしている命を救うことが、果たしていつも正しいことなのだろうかという疑問だ。

例えば、アフリカやアマゾンなどで動物を撮影する場合、もし目の前で草食動物が肉食動物に襲われても助けることはしないという。それは、肉食動物もまた命をつなぐ必要があり、誰かがそこに手を出すことによって生態系を狂わせ、物事が意図しない方向に進んでしまう恐れがあるからだ。

映画の題材などでも、タイムマシンで過去を変えることによって、現在、そして将来が本来の姿から狂ってしまうというネタはよく取り上げられる。

だとするなら、死にゆく定めの命を奇跡的な能力によって延命させるというのも同じく、将来が定められた方向に進むのを狂わせてしまうことになるのではないかと考えたのだ。

ただ、「では医師が行う病気の治療はどうなのか? その理論で行くと、病気になった時点で、人はそれを治すべきではなく、天命に任せるべきだということになるのでは?」と誰かに尋ねられたなら、それに明確に答えることは僕にはできない。

自分の持つリプレイス能力の行使が倫理に反するのではないかという考えは、何というか、感覚的な問題であって、人に容易に説明できる種類のものではないのだ。

そして誰かの肩代わりに、別の誰かが死ぬということも、僕の倫理観に反している気がしてしまうのだ。それが人間ではなく動物であったとしても。命の重さに違いを付ける権利が、果たして人間にあるのだろうかと。

ただ逆に、誰でも持っているわけではない、類い稀なこの能力を全く使わず封印することも、果たして人知を超えた何かの命令に逆らっているような気もしてしまうのだ。それはつまり、自分に与えられた使命があるのに、それを自ら放棄しているのではないかという感覚なのだが。

更に、これはちょっと後ろめたく感じることではあるが、もし僕に人を殺してしまった因果応報が付きまとっているのならば、善行を重ねることでそれを払拭できるのではないかとの期待感をずっと持ってきたことも事実で、これはその善行を行うための絶好の機会なのではないかという打算が働かないわけではない。

ただ、自分の命を懸けても穂花ちゃんを助けてあげたいと思うほどの、そして恐怖を払拭できるほどの、更に言うなら自分の倫理観を曲げてでもそうしてあげたいというほどの材料を、この短い時間だけの接点では、得ていないことも事実だった。


そんなことを悩みながら歩いていると、竹仲さんから携帯にメールが来た。メールには、〈後二時間程で休憩に入れるのですが、職員専用食堂で話すことはできますか?〉と書かれていた。僕は、〈分かりました。大丈夫です〉と返事を打った。


竹仲さんはとても神妙な面持ちで社員専用食堂にやって来た。その雰囲気から、あまり良いニュースではないということは伝わった。

「さっき、穂花ちゃんのお母さんから聞いたんだけどね、穂花ちゃん、恐らくここ一ヶ月で急速に悪くなって寝たきりになってしまうようなの。そして、『余命三ヶ月ぐらいだろう』と言われたそうよ。それでご両親は、もう穂花ちゃんを退院させて、自宅療養で最期を看取ろうかと考えているんですって」

竹仲さんはそう言って、後は黙ってしまった。下を向いていて、テーブルに涙がポタポタと落ちている。

僕は覚悟を決めた。もう一度、リプレイス能力を使おうと。グダグダと考えていても仕方がない。目の前の儚い命を救えるのなら、それは素晴らしいことだと思う。そして何より、竹仲さんが悲しむ顔は見たくないと思った。ものすごく利己的な動機だと思うが、僕にとって何にも代えがたく、それがリプレイスを決意させた一番の理由になった。

それで竹仲さんに、「穂花ちゃん、治せるかやってみようか」と言った。

竹仲さんは下を向いたまま、何度も、「ありがとう。藤見君、本当にありがとう」と言っていた。


竹仲さんと決行日を相談した。それで、本当に自宅療養に切り替えるのであれば、その退院の日の夜中が良いだろうということになった。ただし、この能力は過信してはいけないし、何が起こるかわからない。つまり、大人は子供を治せないとか、未だ僕の知らない別のルールが実はあって、穂花ちゃんを治せない可能性もある。その辺りを竹仲さんに説明し、自分のお母さんの時のように、期待通りの結果が出ない可能性についても説明した。

竹仲さんは納得し、それでも、「藤見くんの能力を試してみたい」と言ってくれた。


数日後、穂花ちゃんのご両親と担当医との話し合いがあり、「まだ穂花が動けるうちに自宅に連れ帰りたい」というご両親の意向が尊重されたと、竹仲さんから話を聞いた。ただ、症状が劇的に悪化した場合は、即再入院という条件付きだったということだ。穂花ちゃんには勿論理由は知らされていないのだが、本人は家に帰れることをとても喜んでいるらしく、穂花ちゃんに家に帰る本当の事情を話せないご両親は、さらに苦しんでいるらしかった。


退院は二日後のお昼前ということだった。退院日も確定したことで、僕も万全の体制を整えておかなければいけない。万全の体制と言っても、穂花ちゃんの病気を貰い受けてくれる動物を用意するというだけの話なのではあるが。


実は僕はハムスターを飼い続けていた。捨てるわけにもいかず、義務感からではあったが、ちゃんと世話をしていた。お姉ちゃんは三匹のハムスターを三つのカゴに分けて飼っていた。しかし僕はなぜ分けているのか理由がわからず、場所ばかりかさばると思い、三匹のハムスターを一緒にした。しばらくすると、子供が四匹生まれていた。これはマズイと思い、全部を一つ一つのカゴに分けて現在に至っている。

このハムスターたちを、穂花ちゃんのリプレイスに使うことにした。ハムスターたちには申し訳ないのだが、別に愛着を持って飼っているわけでも何でもなかったので、どのハムスターにも名前すら付けていなかった。


いよいよ、穂花ちゃん退院の前日になった。僕はプラスチックの小さな容器を三つ準備し、最初に飼っていたうちの二匹と、生まれた子のうちの一匹の、合計三匹をカバンに入れて出勤した。

その日の仕事はあまり手に付かなかった。

本当に成功するのだろうか?

まだ知らない新たな法則により、僕はお母さんの時と同じように、リプレイス能力が不発に終わることを一番に恐れていた。それは、自分のプライドの問題ではなく、治癒を期待している人、つまり竹仲さんを落胆させたくないという気持ちなのだ。

その日の仕事は大きなトラブルもなく、夕方六時で帰ろうと思えば帰ることのできる状態だった。僕は上司に、しばらく残って残業をさせてほしいと頼み、仕事場で夜中になるのを待つことにした。残業すると上司に言ったものの、ほとんど何も手につかず、ただソワソワするだけで時間が過ぎていった。

夜の九時を回り、計画実行の時間が近づく。僕は竹仲さんに、最終確認のメールを入れた。

〈本日決行可能ですか?〉

竹仲さんからは、〈大丈夫です。こちらは全て準備万端です。夜中の一時になったら実行しましょう。穂花ちゃんの病室まで直接来てください〉と、返事が来た。

いよいよ、夜中の一時間近になった。僕は仕事場を出ると小児病棟に向かった。一気に緊張が高まってくる。ここまで来たら、もう覚悟を決めて全力でやるしかない。成功してほしいと心から願いながらも、強い決意をもって真っすぐ前を向いて歩いた。

穂花ちゃんの病室に着くと、すでに竹仲さんが待っていた。見回りの時間にちょうど合わせて穂花ちゃんのところに来たということで、他の看護師さんに不審に思われないように、最大限気をつけたとのことだった。


竹仲さんと二人でカーテンの中に入り、穂花ちゃんを見る。穂花ちゃんはスヤスヤと寝息を立てており、グッスリと眠っているようだ。

竹仲さんがナースステーションに戻る時間が遅くなると、他の看護師さん達が何か起きたのかと心配して、来てしまうかもしれない。ぐずぐずしている時間はないため、僕は早速リプレイスを実行することにした。

お母さんの時と同じように、先ず、僕は自らの掌に爪を立てて引っ掻いた。掌がミミズ腫れになり、一部出血した。竹仲さんにはすでに行程を説明済みなので、何をしているのかと驚くわけではなかったが、竹仲さんは口に手を当ててじっと見ていた。

年功序列で行こうと思い、最初に飼っていたハムスターを鞄から取り出し、僕はそのハムスターの眉間あたりに左手のひらを当てた。手のひらから真っ白く、眩しい光が放たれた。約、九年振りに見た光だ。僕はひとまず、リプレイス能力が僕から消えてしまってはいなかったことに安堵した。

竹仲さんは僕の右手から、先程の引っかき傷が徐々に消えていくのを見て驚愕していた。そして無意識に、「すごい」とつぶやいたようだった。

時計で五分以上が経過したことを確認した。今僕は病気も傷もどこにもない完全体になっている。いよいよ、意を決して穂花ちゃんの病気を譲り受けることに取り掛かる。

「じゃあ、いくよ」と、僕は竹仲さんに確認の意味を込めて言った。竹仲さんは、緊張の面持ちで胸元を抑えながら、無言で頷いた。

僕は穂花ちゃんの額に左手のひらを置き、心の中で、「穂花ちゃんの病気を譲り受ける!」と叫んだ。その刹那、なないろのひかりが僕の手のひらから溢れ出た。暗い中で見るなないろのひかりはとても綺麗だった。まさに、命の息吹がほとばしるような感覚だと思った。

時の経過と共に、僕の身体をものすごい気だるさが襲ってきた。立っているのがやっとのような、フラフラする感じだ。穂花ちゃんはよくこの状態に耐えていたなと思った。この子供の体で懸命に病と向き合い闘っていた穂花ちゃんに、尊敬の念さえ覚えた。しかし僕自身はやはり、ここでもし容態が急変したら……と考えてしまい、とてつもなく怖かった。

五分以上が経過し、膝をついてしゃがみ込んだ僕に、竹仲さんが心配をして、「大丈夫?」と小声で呼びかけてくれた。僕は無言で何度か頷き、鞄から二匹目のハムスターを取り出して、眉間あたりに左手のひらを押し当てた。しかし、光らない。僕は焦って、何度も眉間あたりに左手のひらを押し当てたが変化はなかった。竹仲さんも、一体どうしたのかと心配そうに覗き込んでいる。僕はパニックになりそうになったが、一度深呼吸をしてから冷静に考えてみた。このハムスターは、どこかに病気を抱えているのかもしれない。それで、もう一匹の若い方のハムスターを取り出し、眉間あたりに左手のひらを押し当てた。

僕の左手のひらから再び眩いばかりになないろのひかりが放たれ、直ぐに収束した。僕の身体から気だるさが徐々に抜けて行く。恐らく全ての工程が成功したのだ。僕は竹仲さんに、「成功したみたい」と伝えた。竹仲さんは喜びを噛み殺しながらも、ものすごく嬉しそうにして、僕に抱き付いた。そして直ぐに、「ごめんなさい」と我に返って僕から離れた。

僕たちは廊下に人気がないことを確認して、穂花ちゃんの病室を出た。竹仲さんは興奮しきりで、「すごいよ! 藤見くん! すごい!」と小声で何度も、「すごい」を繰り返していた。

僕はそのまま竹仲さんに別れを告げ、僕自身も興奮冷めやらぬ中、家路に着いた。

ただ、なないろに光ったこと、僕自身に気怠さが移ってきたこと、それをハムスターに譲り渡し、僕の中から気怠さが消えたこと、どれをとっても完璧に成功したに違いないと思うのだが、いかんせん自信が持てない。僕は穂花ちゃんが目覚めた時、どんな感じなのか、果たして本当に治ったのかが気になり、その日はなかなか寝付けなかった。

翌日のお昼前に、竹仲さんからメールが届いた。メールの内容はこうだった。

その日竹仲さんは夜勤だったのだが、夜が明けるのが楽しみで仕方なかったという。朝になり、竹仲さんは穂花ちゃんが起きるのを、今か今かと待ちわびていたらしい。七時半頃に穂花ちゃんは目が覚めたようで、朝食が運ばれてきた時に、「今日はとても気分が良い」と言っていたそうだ。そして、十時頃に迎えに来たご両親と喜んで自宅に帰って行ったという。その際お母さんが、「穂花の顔色が、今日は全然違う」と言って喜んでいたらしい。前日までに、自宅療養のための全ての検査を終えていたようだが、その時は悪い状態の数値もあまり変わっていなかったので、担当医は、「家に帰れるので、気分が高揚しているのでしょう」と言っていたようだが、竹仲さんは本当のことを知っているので、ワクワクして仕方なかったとのことだった。


竹仲さんに実際に会って話を聞いたのは、二人の都合が合う、その三日後だった。感謝の気持ちということで、先日のファミレスで夕食をご馳走してくれるという。

やって来た竹仲さんは、それはそれは嬉しそうだった。「藤見くん! 何注文しても良いからね!」と上機嫌だ。

竹仲さんによると、穂花ちゃんの様子は前日とは打って変わっていたという。前日までは歩くのもキツそうだったのが、退院日の朝は飛び回りたい気持ちを抑えるのに必死だったようで、何度もお母さんに、「はしゃぎ過ぎたらキツくなるよ」と嗜まれていたそうだ。

退院から一週間後、つまり後四日後に穂花ちゃんは病院に来て検査を受けることになっているそうだが、その時どんな結果が出るのか、竹仲さんは楽しみで仕方がないとのことだ。ただ、その日はちょうど竹仲さんは非番で、穂花ちゃんに会うことができないそうで、さてどうやって結果が知れるだろうかと考えているとのことだ。

竹仲さんは、「藤見くん、本当にすごいことだよ。人の命を救ったんだよ! 藤見くんの持っている能力はものすごい宝だよ!」と褒めてくれた。

僕は喜びつつも、例えば、なぜか病気が再発するなどの、穂花ちゃんに今後イレギュラーな事態が起こらないだろうかとも心配していた。それほど、大人になればなるほど、この能力を手放しでは受け入れられず、全く信頼していなかったのだ。しかし、ともかく今は竹仲さんと一緒に喜ぶことにした。


結局、穂花ちゃんの検査結果をすぐに知ることは竹仲さんにもできなかったらしい。それで、竹仲さんも僕も結果が気になる悶々とした日々を過ごすことになった。だが、一ヶ月程して、穂花ちゃんのご両親が竹仲さんに挨拶に来たそうだ。

お母さんの話によると、穂花ちゃんの病気は現時点でかなりの快方に向かっていて、担当医も驚いているとのことだ。(恐らく完治とは認められないだけだろうが)ハッキリと完治とは言われないものの、少なくとも余命宣言は撤回されたそうで、「今後も定期的に検査して様子を見なくてはいけませんが、もう入院することはないでしょう」と言われ、竹仲さんに挨拶に来たとのことだった。穂花ちゃんはものすごく元気で、お父さんもお母さんも心配して止めるのだが、普通の子のように駆け回っているらしい。

退院一週間後の検査の日に詳細を知ることのできなかった竹仲さんも、どうなったのか気になって仕方なかったのが、ようやく状況を把握できたと本当に喜んでいた。

僕もその話を聞いて、とりあえずリプレイスが成功し、今のところは問題がないと思えることにホッとした。


穂花ちゃんの病気を貰い受けてくれたハムスターだが、僕はせめてもの感謝の念から、命尽きるまでお世話することにした。だが、それも長くはなかった。病気を僕が譲り渡した直後からダルそうにしていたハムスターは、夜になっても小屋から出てくることはほぼなくなり、三週間後には小屋の中で息絶えていた。ハムスターの餌もひまわりの種もほとんど手付かずで、キャベツやレタスなどの葉物を摘んでいる程度だった。僕は、「ごめんな。ありがとう」と声を掛け、こっそりと病院の花壇の隅に埋めてやった。僕の住んでいるマンションでは、埋めてやれるところがなかったからだ。

竹仲さんも、「穂花ちゃんの病気を貰い受けてくれたハムスターはどうなったの?」と心配してくれていたので、穂花ちゃんの現状が把握できた後に詳細を伝えた。竹仲さんは、「かわいそうなことをしたね……」と言って涙ぐんでいたが、「命のリレーをするだけの価値が穂花ちゃんには絶対にあるから、ハムスターの死は無駄にならないと思う」と、はっきりとした信念があることを言い表した。

僕は、竹仲さんは本当に強い人だと思う。僕はこれまでも、人間の為に愛玩動物を犠牲にすることに、抵抗がなかったわけではない。今までは、リプレイスによって実際に殺してしまった動物はいなかった。例えばお婆ちゃん家で飼っていた熊五郎も、子供の頃に住んでいた近所の猫も死んだわけではなかった。それでも、病気や傷を貰い受けてもらうことに申し訳なさを感じた。これまでも何度か、致死的な病を譲り渡すつもりでハムスターを購入してきたわけだが、一度も実際には犠牲にしなかった。だが今回は違う。今回は実際に貰い受けた病気によって、ハムスターは死んだのだ。ここに僕は新たな罪悪感をもった。

それはやはり以前から持っている疑問、つまり、命の価値に、人間と動物の違いがあるのだろうか? という疑問なのだ。

しかし現実には、人間の為に多くの動物が犠牲になっていることも事実だ。臨床実験に使われる動物しかり、食用として殺される動物しかり。

もちろん、狩猟のみを楽しんだり、ただ惨殺する為の動物殺しは悪だと思う。動物愛護団体は、どんな手段であれ動物を殺すことに難色を示すのかもしれないが、僕の場合、人の為の動物の犠牲は、致し方のないことなのではないだろうかと思う。人が生きていくためには、他の命をいただかないといけないわけで、それゆえ僕たちは食事の前に、「いただきます」と言うのだから。

ただ、そう思う自分と、やはりこれは僕のエゴで、動物を犠牲にした因果応報があるのかも知れないと思う自分もいるのだ。恐らく、どんなに考えても答えは出ないだろうけど、僕はこうした苦悩と共に、これからもこの能力と向き合っていかなくてはいけないのだろう。

しかしそんな僕に比べ、竹仲さんは何かの犠牲の上に誰かの命が成り立っていることをしっかりと理解し、そしてその事実を消化している。それゆえ、ぶれることなく自分の信じた道を進んでいくことができるのだろう。僕はそんな竹仲さんの強さに憧れ、同時にその強さゆえに僕自身も救われる思いがした。


その後、竹仲さんが穂花ちゃんの姿を病院で見かけることはなかったという。恐らく、完治と認定されたのだろうと思う。

医学学会の場ではどうなのかわからない。もしかすると小児がんの権威者たちは、今回の穂花ちゃんの突然の完治の事例を、大きな論題や話題として取り上げているのかもしれない。

しかし、余命宣告を受けた末期の状態からの突然の完治が、少なくともこの病院内では話題になることも騒がれることも全くなかった。

ある意味それは拍子抜けだった。僕の中ではそんな奇跡のようなことが起きるなら、マスコミが駆け付けたり、穂花ちゃんが実験動物並みに調べ上げられたりと、大問題になるのかもしれないと恐れていたからだ。

でも、僕はこれで良かったと心底思った。穂花ちゃんの癌の治療がひっそりと人知れずに行われ、穂花ちゃんと家族が無上の喜びを味わえたのなら、それこそ本望だった。穂花ちゃんの未来だけが、静かに、でも明るく輝いてくれればそれで良いと思った。

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