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なないろにひかる  作者: 如月元
7/10

青年期(その一)

僕が大学の情報学科に通うようになり、もう四年生になっていた時のことだ。

まず、何故その進路を選んだかと言うと、これからの時代、パソコンが仕事の中核を担うようになると言われたからだ。言われたからと言っても、それを言ったのは久志お兄ちゃんだ。実は僕が高校三年生の時に、久志お兄ちゃんが結婚することになり、久し振りに久志お兄ちゃんと会った。その時に進路を悩んでいる話をしたところ、「これからの時代は絶対パーソナルコンピューターだ!」と久志お兄ちゃんが僕に情報学科を進め、半ば強引に道を決められた格好だったのだ。結果的には僕が好きな分野でもあり、久志お兄ちゃんには感謝している。

幸い僕は、頭がそれほど悪くはなかったので、奨学制度を利用することができ、貧乏な我が家でも、なんとか大学に通えるようになったのだ。ただ、夜の居酒屋バイトをしながらの通学だったので、本当に忙しい毎日を送っていた。

お姉ちゃんは大学には行かなかった。高校が商業科だったので簿記の資格を取り、一般事務として十八歳から就職していた。

大学四年生になっていた僕は就職活動真っ盛りで、とにかく待遇が良く、給料も高い企業に就職すべく奮闘していた。

そんな中、我が家に大きな事件が起きた。お母さんが倒れたのだ。原因は、くも膜下出血だった。僕はバイト中だったのだが、お姉ちゃんから連絡が来てそのことを知った。お姉ちゃんが帰宅すると、お母さんが床に倒れていたという。僕に連絡が来たのは、お姉ちゃんが救急車を呼んだ直後だった。

僕がバイトを切り上げ、病院に着いた時には、もうお母さんは手術室だった。手術室の前の椅子に座っていたお姉ちゃんは、今までずっと泣いていたという様子だった。二人でお母さんの手術が終わるのを待つ時間は、永遠にさえ感じられた。

その間、僕はリプレイス能力について考えていた。もう約七年間封印していたのだが、リプレイス能力について考えると、必然的に滝崎のことが頭に浮かんでくる。

思い返してみると、中学校三年生の時の事件から数ヶ月は、毎日のように罪悪感に悩まされていた。その後徐々に考えない日がポツポツと出てくるようになり、一年程経つと、逆に考える日がポツポツとあるぐらいになっていった。そしていつしか、この事件を心の中に封印していったのだ。ただ、完全に忘れることはできず、誰か親しい友達や家族が怪我をしたり、テレビで病気の恋人が死んでしまうドラマのストーリーを見たりすると、僕なら治せるのに……などとリプレイス能力についてふと考え、そしてセットのように滝崎の事件が頭をよぎって、再び罪悪感に悩まされてしまっていた。

この時もやはり、お母さんの病気を治せるかどうかと考え始めたところで、また滝崎事件のことが思い出されてしまっていた。僕はそれを振り払うように、お母さんを治せるかどうかに注意を集中した。

しかし、考えてみる程、恐らく無理だろうという結論に至ってしまう。仮に手術が成功したとしても、お母さんに対しては三歳の時にすでにリプレイス能力を使ってしまっている。僕の考察によると、一人の人間や動物に対して一度しかこの能力は使えない。ただ、数年経てばまたできるようになるのかもしれないという、一縷の望みを持ってはいたが、一度も実験したことがなく、それは希望的観測に過ぎないままだった。

そして現状、手術が終わるまでは何れにしてもどうすることもできない。手術そのものが失敗するかもしれないのに、僕には何もしてあげられない。改めて本当に使えない能力だと思った。


手術中の赤いランプが消灯したのは、お母さんが運び込まれてから六時間後のことだった。

永遠にも感じた時間が終わり、手術室から執刀医が出てきて僕たちの前に立った。

「藤見さんのご家族の方?」

「はい。そうです」とお姉ちゃんが答えた。

「ご安心ください。お母さんの一命は取り留めました。しかし、お母さんが倒れられてから発見されるまでに、少し時間があったようで、後遺症が残る可能性が濃厚です。その点は覚悟が必要です。どこにどの程度の障害が出るのかは、今はまだ分かりません。お母さんの目が覚めてから、はっきりすると思います。では失礼します」

そう言って、執刀医はまた手術室の中に入っていった。

僕はショックを隠せなかった。恐らくお姉ちゃんもショックだったに違いない。まだ分からないとはいえ、後遺症は残ってしまうと言われた。助かったという喜びも束の間、お母さんに会うのがたまらなく怖かった。お母さんに何て言えば良いのだろう……。

お姉ちゃんはうつむいて、また泣き出している。泣きながら小さな声で、「優馬、なんとかならないの?」と僕に尋ねた。

お姉ちゃんがリプレイス能力のことを言っているのは明らかだった。僕はなんと答えていいのかすぐには思い浮かばなかった。ただ、期待に応えてあげられる自信が全くなかったので、「分からない」と答えた。

お姉ちゃんが、「分からないって、どういうことよ?」と、僕に聞いたタイミングで、手術室から、色々な器具を付けられたお母さんが出て来た。

僕もお姉ちゃんも、黙ってただ病室の前まで移動した。病室の前で看護師さんが、「ここでお待ちください」と言って、病室のカーテンを閉めた。

お姉ちゃんは、「分からないって、どういうこと?」と、僕にもう一度質問してきた。僕は、「今は、何ができて、何ができないのか分からないという意味」と答えた。お姉ちゃんが、「詳しく話してみなさいよ」と言ったところでカーテンが開き、看護師さんに、「まだ麻酔が効いています。話しかけないで自然に目覚めるのをお待ちください。後数時間は眠っていると思いますので、ご家族の方も少しお休みになられた方が良いかと思います。私たちがしっかりと見ていますから」と言われた。

お母さんは、麻酔が効いていてぐっすりと眠っていたが、いつもよりとても老けて見えた。考える程、苦労をかけていたと思う。お姉ちゃんを心配させまいとずっと我慢していたが、お母さんを見ながら、僕も涙が溢れてきた。

お姉ちゃんに促され、病院内の休憩室に二人で移動した。お姉ちゃんがもう一度、「さっきの話だけど、詳しく話してみなさいよ」と言った。


お姉ちゃん自身、僕のリプレイス能力についてずっとコメントを控えてきた。いや、控えてきたというより、避けてきたと言った方が良いかもしれない。僕が中学校三年生の時の滝崎事件も、薄々何か感じていたと思う。でも、きっと敢えて触れなかったのだろう。それは得体の知れないものに対する恐怖ゆえだろうと思う。しかし今回、お母さんが倒れて、頼みの綱はそれしかないと思ったのだろう。

僕はお姉ちゃんに、リプレイス能力について詳しく話した。現在までで僕が知り得ている情報の全てを。そうするべきだと思ったからだ。

お姉ちゃんは顔を強張らせ、「じゃあ、九十九パーセント無理だってことなんだね」と言ってから、小さな声で、「役立たず」と付け足した。そして、「ねぇ、そんなに詳しい分析、なんで出来たのよ?」と僕に聞いた。僕は、「色々とね。聞いたらお姉ちゃん絶対引くから言わない」と答えた。それ以上、お姉ちゃんは僕に質問しなかった。

数時間後、明け方になってお母さんが目を覚ました。お母さんは何かを話そうとしていたが、酸素吸入器を付けているので上手く話せるわけもなく、こちらもお母さんが何を話しているのか聞き取ることができなかった。

お姉ちゃんが、「大丈夫だから。もう少し落ち着いたら詳しく話すから、今はゆっくり安静にしていてね」とお母さんに伝えると、お母さんは軽く頷いてまた目を閉じた。僕たちはお母さんが再び眠りに入ったことを確認してから、入院に必要な物の準備をするために、一度家に帰った。

短い時間仮眠を取り、夕方に再び病院に着いた時、僕とお姉ちゃんは担当医に呼ばれ、お母さんの状態について告げられた。

「ご本人には先程お伝えしたのですが、一命は取り留めたものの、お母さんは大変な状態です。左半身が麻痺しています。そして発声障害と嚥下障害を併発しています」

お姉ちゃんが質問した。

「もう少し詳しく説明して頂けますか?」

「そうですね。まず左半身の麻痺ですが……お気の毒ですがはっきり申し上げますと、重い障害です。手も足も全く動かすことのできない状態です。リハビリで動かせるようになる可能性も、極めて低いと思います」

この時点で、お姉ちゃんは涙が次々に溢れ出ていた。担当医は、「続けても大丈夫ですか? 一度、少し休みますか?」と僕達に聞いた。

お姉ちゃんは、「大丈夫です。続けて下さい」と答えた。

「では続けます。発声障害ですが、左半身が麻痺していることによって、口を上手く動かすことができません。そして声帯も上手く動かすことができていないようです。よって、言葉をはっきりと話すことができない状態です。また、嚥下障害ですが、これは気管支が麻痺しているために食べ物を上手く飲み込むことができずに、肺に食べ物や飲み物が入ってしまう障害です。気管に物が詰まると窒息する恐れがありますし、唾が上手く飲み込めずに肺に入ってしまい、肺炎になったりする恐れも高いです。本当にお気の毒ですが、命があっただけ良かったと思って頂くしかないと思います。本当にもう少し遅かったら、亡くなっていたと思いますから」

僕もお姉ちゃんも、言葉が出なかった。出てくるのはただ、とめどなく流れる涙だけだった。

「気をしっかり持って下さいね。お母さんの前では、なるべく明るく振舞ってあげてください。家族が深刻になると、余計に不安を煽ることになりますから」

最後にそう言われて、面会室を出た。

お姉ちゃんが、「すぐにはお母さんの所には行けそうもない」と言うので、しばらく休憩室に行くことにした。お姉ちゃんは缶コーヒーを買ったものの、缶のフタを開けるでもなく両手で握りしめたまま動かない。

僕はやるせない気持ちと自分の無力さに打ちのめされていた。お姉ちゃんも同じだと思う。

お姉ちゃんはまだ、お母さんの所に行く決心がつかないと言うが、もう暫くお母さんを一人にしているので、僕だけ様子を見に行くことにした。しかし、第一声を何と言おうか考えても答えが出ない。迷っているうちに病室の前まで着いてしまった。

カーテンの中に入ると、お母さんは真っ直ぐ天井を見ていた。僕が来たことに気付いてこちらを見たが、まだ酸素吸入器が付いたままで、何も話さなかった。僕は、「大変だったね。でも、お母さんが生きていてくれて良かった」と言った。お母さんは何も言わず、天井を見たまま涙を流していた。僕もそれ以上何も言えず、自分の掛けた第一声がこれで良かったのか、口調が深刻になってしまったのではないかと、考え込んでしまった。そこにお姉ちゃんが来て、「さぁ、家族で頑張らなくっちゃね。泣いている暇なんてないから」と、努めて明るく、僕達に言った。

こういう時、女の人は本当に強いと思う。さっきまで、「お母さんとどんな顔をして会って良いか分からない」と言っていたお姉ちゃんの影はどこにもない。

とにかく、お姉ちゃんの一言にお母さんも救われた気持ちになったのか、お母さんは天井を見ながらも小さく何度も頷いていた。


数日後からお母さんのリハビリが始まったが、やはり医師の言った通り状況は思わしくなかった。左半身は全く動かないままだったし、言葉も上手く話せなかった。何かを食べたり飲んだりしても、すぐに咳き込んだ。見ているこちらも辛かったが、現実を直視しなくてはいけないお母さんが一番辛かっただろう。

数ヶ月後、お母さんは退院したが、家では常に介護が必要な状態だった。

僕は、お母さんの退院を見計らって、残りの一パーセントの可能性を試さなくてはいけないと思っていた。つまり、数年経っても、やはりリプレイス能力は一度使った人物に対しては無効なのかどうかを。僕が三歳の時から十八年あまり経っているわけで、時の経過によりリプレイス能力が再び有効になる可能性もなくはないだろうと思っていたからだ。

滝崎の事件以来、リプレイス能力は完全に封印しようと決意していたが、今はそんなことを言っている場合ではない。

お母さんの退院翌日、僕はペットショップに行き、ハムスターを買った。もし、病気のハムスターだったら大変なことになるので、今回は大事を取り、予備としてもう一匹買った。そして、自分の身体をまず完全体にするために、最初に僕の不具合を譲り渡すためにもう一匹。合計三匹のハムスターを買った。大人になり、少なくとも中学生の時よりは用心深くなっている。

だが、リプレイス能力について色々と考えている内に、封印した筈の記憶が、更に鮮明に思い出されてくる。僕は人殺しだ……。

そこでふと、今まで考えたことがなかった考えが僕の中に芽生えてしまった。滝崎を殺してしまったあの時、竹中さんが僕に言った言葉、因果応報というものだ。

もし、滝崎が自分のしてきた行いゆえに、死をもってそれが清算されたのであれば、人を殺した僕にも因果応報が巡ってくるのではないだろうか? 滝崎は人を殺してはいない。でも、その清算が死だったとすれば、人殺しである僕に巡ってくる因果応報はどれほどの悲惨なものなのだろうか。もしかして今回のお母さんの病気は、僕に巡ってきた因果応報の一つなのだろうか。そう考えると、無性に恐ろしくなった。

しかし、今はそんなことで怯んでいる場合ではない。お母さんを治すことに集中しなければならない。再び甦り、自分を責め続ける罪悪感と、その罪を清算すべく、因果応報が自分の身に降りかかったのかもしれないという思いを必死に振り払いながら、僕は家路を急いだ。


家に着いた僕は、もう二人に隠す必要もないので、お母さんとお姉ちゃんに、これから自分がしようと思っていることを順番に説明した。ただ、一人に対して一度きりの能力である可能性が高いので、今回のリプレイスが成功する確率は極めて低いということを強調し、過度に期待しないようにと、二人に何度も念を押した。

お母さんは説明を聞き、僕のことを心配してこう言った。

「失敗……して、優……馬が……大変な……こ……とに……なる心……配は……ない……の?」

 僕はお母さんが安心出来るように、「大丈夫だよ。治せるか治せないのかどちらかしかないだけだよ」と言った。

お母さんはそれを聞き、黙って頷いた。

しかし本当は、僕自身も何らかの失敗を恐れていないわけではなかった。大人になってから考えると、滝崎事件の時も、僕が死んでいてもおかしくはなかったわけだった。それに気付いた時、物凄く恐ろしく感じた。死と隣り合わせの恐怖を。それに、このリプレイス能力は今も未知の部分が多い。自分の解釈している通りになるのかも怪しい。お母さんから貰い受けた後、ハムスターに譲り渡せなかったら? そう考えないわけでもない。

でも、全ての可能性を受け入れる心の準備はできていた。僕は、お母さんのためなら死ねる。お母さんと入れかわっても構わない。そこまでの覚悟で臨んでいるのだ。


まず僕は、自分の手の甲を自分で思い切り引っ掻き、ちょうど中学生の時にお姉ちゃんが久志お兄ちゃんにしてしまったような、みみず腫れで血が滲むほどの傷を作った。そして、僕の身体の不具合を譲り渡すために、一匹目のハムスターを取り出し、その額に僕の左手のひらを押し当てた。そして心の中で、僕の怪我を譲り渡す、と念じた。ハムスターの額部分と、僕の手のひらの間が光を放った。

お母さんとお姉ちゃんが、驚きの様相で僕を見ている。二人は僕の手の甲につけた傷が徐々に薄くなって行くのを、不思議そうにただ黙って見ていた。

これで、僕が完全体になったことは、視覚的にも明らかになった。いよいよ、お母さんを治すことができるのかどうかがわかる時が来た。

お母さんが、ゆっくりと目を閉じた。

お母さんの額に僕の左手のひらを当てる。僕は渾身の思いで、「お母さんの病気を貰い受けろ!」と叫んだ。本当に必死の思いだった。でも、無情にも手のひらは光を放つことはなかった。

誰も口を開かなかった。しばらくの沈黙の後、お姉ちゃんが、「役立たず」と呟いて自分の部屋に行ってしまった。お母さんは僕に微笑みかけながら、「大…丈夫…だ…から。あ…りが…とう」と言った。

僕は涙を堪えることができなかった。残りの一パーセントの望みは、完全に打ち砕かれたのだ。本当に使えない能力だ。僕はお父さんを恨んだ。


こんな能力、僕はいらなかった。これがあるが故に期待し、打ち砕かれ、余計な重荷を背負い、罪悪感に苛まれる。いたたまれない気持ちで、僕も自分の部屋に戻った。

一人になって黙り込んでいると、また、因果応報なのではないかという考えが僕の頭をよぎった。これは自分に対する報いなのだろうか? 僕の罪なら、僕の身体が直接報いを受ければいい。どうして家族が苦しまなければいけないのか。自分の過去の罪のせいでお母さんがこうなってしまったのなら、僕はお母さんに何と言えばいいのか、どう償えばいいのか。

何の答えも出なかった。どこに答えを求めたらいいのかもわからなかった。そんな自分にほとほと嫌気がさした。


例え一パーセントの確立でも、もしかするとリプレイス能力を使って、お母さんを完全に治せるかもしれないと思っていた。もし、治せたのなら、病院関係者以外に、お母さんの状態を知られることなく何とかできただろう。でも、その希望が破れた以上、近しい人にはお母さんの状態のことを話さなくてはいけないだろうと思った。しかし、お母さんはそれを望まなかった。それで、悟おじさんや久美子おばちゃんには、お母さんのことを伝えなかった。

確かに最近は行き来もなくなり、年に数回お母さんが電話をしている程度ではあったが、もう、回復も見込めず、一生この状況に向き合っていかなければならない状態である以上、お母さんの兄弟である二人には現状を伝えた方がいいのではないかと思った。お姉ちゃんも、お母さんを何度も説得したのだが、お母さんは頑として嫌がった。お姉ちゃんが、「どうせいずれはわかることなんだよ!」と言ったのだが、それでもお母さんは、「い……まは、いい……た……くない」の一点張りだった。きっとそれほど、お母さんにとってもこの事態は受け入れ難く、辛いものなのだろう。そういうお母さんの姿を見るたび、僕もお姉ちゃんもいたたまれない気持ちになった。


卒業間近ではあったが、僕は大学を辞めるつもりでいた。お母さんの介護が必要で、誰かがしなければならなかったからだ。僕はお母さんがこうなったのは自分のせいだと思っていたので、当然自分がすべきだと思った。それに、そうすれば日中は僕が見ていられるし、夕方お姉ちゃんが帰って来たら替わってもらって、僕は働きに行けばいいと思った。でもお姉ちゃんは、「絶対にダメ!」と言った。

「しっかりと卒業まで頑張りなさい。始めたことは最後までやり遂げなさい」と。

お姉ちゃんはヘルパーを雇い、自分達がいる以外はいつもヘルパーさんがお母さんを見ていられるようにした。恐らく、給料のほとんどをその費用と生活費に充てなくてはいけなかったと思う。

それでもなんとか、僕とお姉ちゃんで協力し合い、出費を最小限に抑えて、僕は卒業の日を迎えることができた。

ただ、僕は就職しなかった。今、この家を出て行くわけにはいかないと思ったし、近くで就職できたとしても、情報処理というこの業種は残業も休日出勤も当たり前の仕事だ。金銭面では協力できても、その他の面でお姉ちゃんに負担がかかり過ぎることは目に見えている。僕を卒業させるために、お姉ちゃんが約半年、どれほど大変な思いをしていたかも分かっているつもりだ。お姉ちゃんは真面目だから、自分がお母さんの側にいてあげられる時は必ずそうしていた。だから出かけるのも、僕がバイトがたまたま入らなかった夜だけだった。お姉ちゃんにも、彼氏ぐらいはいるようだった。彼氏とデートもしたいだろうし、時には友達とも遊びたいだろうと思う。もう少し、お姉ちゃんに自由な時間をあげたいと思った。お姉ちゃんには幸せになって貰いたい。そう思い、僕は当面就職はしないと決めた。それで、「いい就職口を焦らずじっくり探すから、卒業と同時に就職はやめた」とお姉ちゃんに言ったら、お姉ちゃんはかなり疑ってはいたが、「じゃあ、就職するのはとびきりの所にね」と言ってくれた。


僕が日中はお母さんを見ていられるようになったので、ヘルパーを雇う必要もなくなり、お姉ちゃんも少し自由な時間が増えたようだった。僕は相変わらず居酒屋で夕方からバイトをしていたが、仕事が暇になる火曜日には仕事を入れていなかったので、火曜日はお姉ちゃんの自由な日だった。それでもお姉ちゃんは必ず夜九時には帰ってきた。そういうところは相変わらずまじめで、責任感が強かった。まぁ、残念ながら僕が信用できないのかもしれないが。


それからまた半年余りが過ぎ、ヘルパーなしの生活パターンにようやく慣れてきた頃、最悪の事態が起きた。

その日は火曜日で、僕はバイトが休みだった。お姉ちゃんは友達か彼氏か分からないが、「今日も仕事の後真っ直ぐ出かけるから」と言っていたので、「僕がお母さんを見ているから良いよ」といつものように話していた。

ところが夜の八時頃にバイト先から僕に電話が来て、「急な休みが出て、しかも予想外に混んでいるので、客が引き始める十一時頃までで良いから出てもらえないか?」と言われた。僕はお母さんを一人にするわけにはいかないと思い、申し出を断った。しかし、電話を聞いていたお母さんが、「行って…あ…げなさ…い」と言う。そして、「短…い時間…なら…私…は大…丈夫だ…から。お…姉ちゃ…んも…い…つも…九時…過…ぎに…は…帰って…来…るし、こ…れか…ら…先、ずっ…と優…馬の…足手…纏…いにな…る…つもり…もな…いか…ら」と言うのだ。

僕はどうしたら良いのかとすごく迷ったが、これで、「それでも残る」と僕が言うと、お母さんの尊厳を傷つけるのではないかと思った。ただでさえ、子供たちに迷惑をかけているといつも気にしているのに。それで迷った挙句、バイト先に電話して、「三時間だけ手伝います」と伝え、家を出た。お母さんには、「絶対に安静にして休んでいるように」と念を押した。お母さんは、分かっているといった風にこくりと頷いた。それに、いつもの通りなら、お姉ちゃんが後一時間前後で帰って来るだろうとも思った。一時間ぐらいなら、お母さんが一人でも大丈夫だろうと。


九月でまだ残暑は厳しいものの、夜になるとやはり涼しい風が吹くようになっている。僕はスクーターにまたがり、バイト先を目指した。


十一時になり、客が引き始めた。店長は、「平日なのにたまんねえな。藤見、ホント助かったわ」と、僕に何度も感謝の言葉を口にした。そして、「これ、お袋さんに食わせてやれ」と言って、豆腐をお土産に持たせてくれた。

人のために何かをするということは、本当に気持ちの良いことだと思った。そして、「行きなさい」と言ってくれたお母さんに感謝しなければと思った。

豆腐を貰い、僕はお母さんのことを思い出し、小一時間一人で大丈夫だったかな? お姉ちゃんはもう帰っているだろうか? などと考えながら、家路を急いだ。


家に帰ると、最悪の事態が僕を待ち構えていた。

うちは、玄関を入るとすぐ隣に台所と食堂があり、その奥が居間になっている。そういうアパートの造りだ。お母さんの介護が必要になってからは、お母さんのベッドを居間に持って来て、お母さんはそこで生活していた。

僕が、「ただいま」と食堂のドアを開けると、お姉ちゃんが無言で立ち尽くしていた。その異様な様子に直ぐに目線をお姉ちゃんが見ている方に向けると、お母さんが仰向けに倒れていた。そして、全く動いていない。

「お姉ちゃん! どうしたの!」と声をかけたが、返事もしない。

食堂のテーブルに、きな粉の入った皿が一枚置いてあるのが目に入った。僕は急いでお母さんに駆け寄った。心臓に耳を当ててみたが鼓動が聞こえない。鼻と口元に手を当てたが、息をしていない。死んでいる? 手と口にきな粉が付いていたので、お母さんはきな粉餅でも作って食べたのだろうか? 

「お姉ちゃん! 救急車呼んでよ!」と僕は叫んだ。お姉ちゃんはようやく口を開き、「呼んだ……。でも、もう死んでる。遅かった……」と言った。

事態が掴めないまま、遠くから救急車のサイレンが聞こえてきた。救急隊員はお母さんの生死を確認しているようだった。そして、「お気の毒ですが、お母様は亡くなられています。恐らく、何かが喉に詰まり、窒息したのではないかと思います。死後硬直が始まっていますから、亡くなられてから数時間経っているものと思われます」と僕たちに告げた。そして、「実況見分が必要になりますので、警察の方を呼びますね」と言って、電話をかけた。

言葉もなかった。ただ頭が混乱し、何も考えられなかった。頭が真っ白になるとはこういうことなのだろう。お姉ちゃんも、涙も流さず、ただ立ち尽くしている。

僕は責任を感じていた。僕がバイトになんか行かなければ、こんな事態にはならなかっただろう。お姉ちゃんは何も言わないが、僕を責めていると思う。同時に、いつもの時間に帰ってこなかった自分も責めている感じだった。

その後、警察が到着し僕とお姉ちゃんは状況を詳しく聞かれた。死因の特定が必要とのことで、検死に回されるということが説明された。その後、実況見分が行われ、それが終わるとお母さんの死体を車に乗せて、その日警察は引き上げていった。

検死の結果を知らされるまでは、長い時間に感じられた。警察は引き上げていく時、「気を落とさないで。こういう時は二人で支えあって。身近な親戚に来てもらうのも良いと思いますよ」と言っていた。しかし、仕方のないことだが、実況見分などをされると、この状況で自分たちが殺人犯かもと疑われているようで、非常に落ち込んだ。同様の状況に直面した人もたくさんいるのだろうが、家族が死んだという、言葉にできないほどの辛い状況の下で、さらに疑われるというのは、不快極まるものだった。

僕もお姉ちゃんも、二人ではほとんど何も話さなかった。お姉ちゃんは、話せば喧嘩になると思ったのかもしれない。お互いに罪の擦り合いになり、傷つくと思ったのかもしれない。それとも、事実そうなのだが、一方的に僕が悪いと思っていて、口も利きたくなかったのかもしれない。いずれにしても、お姉ちゃんは翌日会社を休み、ずっと部屋に籠っていた。

僕は罪悪感に押し潰されそうになった。お母さんを見殺しにしてしまったという思いが僕の頭を支配した。滝崎を殺してしまったと感じたあの時のように、何度もその思いがループして、疲れ果てて眠ってしまうということを繰り返した。

翌日の夕方に死因が伝えられた。予想していた通り、喉に大きな餅が詰まって、窒息したことが死因だということだった。

しかし、僕の中では様々な疑問が沸き上がっていた。なぜ、お母さんは一人で餅なんか食べたのだろうか? 嚥下障害がある人が、餅なんて食べられないに決まっていることぐらい、お母さんも知っているはずだ。しかも、一口で食べようとしていたのだ。そして、あの日お姉ちゃんが帰ってきたのは、僕が帰ってくるちょっと前、十時四十五分ぐらいだそうだが、その時で死後数時間が経過していたということは、僕が出かけた直後に餅を食べる準備を始めたことになる。お腹が空いていたとも思えないし、なぜお姉ちゃんを待たなかったのか?

そこまで考えて僕は、ハッとした。達した結論は一つだったが、僕はその結論が恐ろしくて口に出すことはもちろん、考えることもやめてしまった。それは、僕の心が僕自身の精神の崩壊を食い止めるためだったのだろうと思う。


お母さんの葬式が終わった。大人になるとそれぞれに忙しく、つい疎遠になりがちになってしまう親戚と久し振りに会った。悟おじちゃんも、久美子おばちゃんも、やり切れないという思いだったのだろう。誰も多くは語らなかった。お母さんの希望だったものの、くも膜下出血で倒れ、その後後遺症と闘っていたことを知らせなかったことも、二人とも残念に思っているようだった。

久美子おばちゃんの家族は、葬式が終わると直ぐに帰って行った。久美子おばちゃんは僕たちに、「気を落とさずにね」と言ってくれたが、妹を亡くしたショックは大きかったようで、久美子おばちゃん自身、気を落としているのが分かった。早々に引き上げていったのも、きっと、余りに落胆し、ここに長く居たくなかったというか、居られなかったのだと思う。

悟おじさん夫婦は、葬式の翌日まで残ってくれた。悟おじさんは僕を責めなかったが、僕は中学二年生の時に悟おじさんに話をされたことを覚えており、それ故に悟おじさんといると胸が痛んだ。悟おじさんが帰る時になって、僕は悟おじさんに謝った。

「ごめんなさい。僕、お母さんを守れなかった……。おじさんに、『人を助ける前に、自分の家族のことを考えろ』って言われていたのに。おじさんの期待に沿えなかった」

 悟おじさんは涙を流しながら、「お前のせいじゃない」と言って、僕を抱きしめてくれた。

「本当に二人で大丈夫か? 何か困ったことがあったらいつでも連絡しろよ」

 悟おじさんはそう言って、心配そうに新潟へと帰って行った。


その日の夜、お母さんがいなくなり、家には僕とお姉ちゃんの二人だけになった。お姉ちゃんは、病院でも葬式の席でもほとんど何も話さなかった。全てが終わり、僕と二人だけになって、お姉ちゃんはようやく話し始めた。でも、それは僕を傷つけ、僕を生き地獄へと叩き付けた。

「お母さんは自殺したんだよ。あんたがお母さんを殺したんだからね」

自分でもその結論に達していたが、恐ろしくて考えることさえ否定していたことを、ずばりお姉ちゃんに言われた。

そうなのだ。お母さんは餅が喉に詰まることを知っていて、わざとそうしたのだ。僕がバイトに行く前にお母さんが言った、「これから先、ずっと優馬の足手纏いになるつもりもないから」という言葉は、こういうことだったのかも知れない。お母さんはいつか機会が訪れたら、自ら命を絶とうと決意していたのだろう。ただ、常に誰かが介護しており、今まではその機会すらなかったということなのかも知れない。だから、僕がバイトに行った後の一人の時間を逃さなかったのだろう。

死後数時間が経っているということは、僕がバイトに行った直後に行動していることを意味する。お姉ちゃんがいつもの時間に帰って来たとしても、結果は変わらなかっただろう。そう考えると確かにお母さんを殺したのは僕だ。決して一人にしてはいけなかったのだ。

当然、遺書のようなものもないし、餅が喉に詰まったということで、事故として処理されたので真相は分からないが、それが逆にお母さんの狙いだったのかも知れない。

遺書を書く時間もなかったと言えばそうなのだが、あくまでも事故と思わせることで、僕たちが罪悪感を持たないようにしたのだろう。でも、死に至る様々な過程は、それが自殺であることを疑う余地なく示している。僕が目を離したのがいけないという罪悪感にかられるだろうことまでは、考えなかったのかも知れない。

そう、その全てを僕はわかっていた。でも、それを認めると僕の精神は崩壊すると思ったのだ。だから、考えることすら恐怖だったのだ。

僕の沈黙が長かったのだろう。お姉ちゃんは更に僕を責める発言をした。

「第一あんたが就職しなかったから、お母さんは責任を感じたんだよ。自分がいたら足手纏いになるって思わせたのよ。それに、あんたの使えない能力のせいで、『もしかしたら治るかも』って期待させておいて、結局治らなかったから絶望させたのよ。だから、全部あんたのせいよ!」

お姉ちゃんは泣き出した。でもお姉ちゃんが言ったことはその通りだと思う。何も言葉が出なかった。僕も死んでしまいたいと思った。心が音を立てて折れたように感じた。

ただ、お姉ちゃんはそう言いながら、明らかに自分も責めていた。自分もお母さんに足手纏いだと思わせていたのかも知れない、あの日出かけなければと。

きっと人は起こった出来事に対し、必ず、もっとこうしていたら……と考えてしまい、自分に非があったと考えてしまうのだろう。よっぽど自己中心的な人間じゃない限り、全て他人が悪い、私は正しいとは思わないと思う。だからお姉ちゃんも、僕を責めながらもそれは自分を責めているのだろうと思った。

「優馬、私、このうちを出て行くわ。あなたとも、もう会うこともないかも知れない」

お姉ちゃんは更に僕に追い打ちをかける。

「私、ずっと優馬のこと、薄気味悪いと思ってた。あんたに傷をうつされて以来ね。お母さんには話したことあるけど、『優馬が傷つくから言っちゃダメ』って言われてた。ただ、そういうお母さんもあんたのこと怖がってた。あんたが中三の時、同級生が死んだ事件があったでしょ? 中学生なのに心筋梗塞って普通ありえないから、あんたが絡んでるんじゃないかって疑ってた。その前後数日、あんたの様子もおかしかったしね。だけど真実を聞くのが怖くて、お母さんも私も何も言えなかった。でもお母さんが倒れた時、あんたにお母さんが直せるか聞いたでしょ? あの時詳しく話してたけど、私が、『優馬は自分の能力を何でそんなに詳しく知ってるのか』って聞いた時に、『色々あってね』って言ったでしょ。あの時私、中三の事件にあんたが絡んでいるって確信した。……悪いけどもう耐えられない。お母さんがいなくなって、あんたと二人きりで一緒にいるなんて無理」

やっぱりそうだったのかと思った。薄々はお母さんにもお姉ちゃんにも、気味が悪いと思われているかも知れないとは感じていたが、面と向かって言われると、とても傷ついた。

「私、結婚することにした。あんたも気付いてはいたと思うけど、私、付き合っている彼がいるの。会社の同僚なんだけど。その彼が来週アメリカに転勤なの。それで、一緒に行こうって前からプロポーズされてたんだけど、お母さんのことがあって、一度は断った。遠距離恋愛でしばらく頑張ろうって。でも、一昨日一緒に行くって言ったら凄く喜んでくれた。職場にも無理を言って、今月一杯で退職させてもらった。それで、昨日入籍したの。結婚式なんてしなくても良いって言った。身の回りの物だけ旅行カバンに入れて、明日から彼のところに行くわ。悪いんだけど、残った荷物は全部処分してちょうだいね。最後に迷惑かけるけど、よろしくお願いします」

もう、何も言葉がなかった。お姉ちゃんがとても遠い人に見えた。確かにそれほど仲の良い兄弟ではなかったが、仲が悪いわけでもないと思っていた。でも、今のお姉ちゃんはまるで他人だ。今まで家族として生きて来たことがなかったかのようだ。それほどお姉ちゃんにとって、お母さんの死は衝撃的で、僕はただ薄気味の悪い存在だということなのかも知れない。悲しかったが涙も出なかった。

僕は最後に、「幸せになってね」とだけ言った。もう、それ以上何も思いつかなかったし、気持ちを言葉にできなかった。

お姉ちゃんは何も答えず、自分の部屋に入っていった。

僕はお姉ちゃんに図星のことを言われ、家族の絆を否定され、心が折れてしまった。精神の崩壊はしなかったものの、思考も停止し、ただただ涙が訳もなく溢れ出てきた。気が付けばそのまま、動くこともできず朝を迎えていた。

翌日、お姉ちゃんは本当に旅行カバン一つだけ持って家を出て行った。

僕は誰もいなくなった部屋で、ただ時間が過ぎるだけの数日を送った。心にぽっかりと穴が空いたような感じで、何も僕の心を埋め合わせるものはなかった。また、一人にしては広すぎる空間も、思い出の詰まったこの家の一つ一つのものも、僕をさらに寂しくさせた。

そして、これが滝崎を殺したことに対する、因果応報なのかもしれないという思いが、また僕の中で頭をもたげた。いつまでこのことは引きずらなければいけないのだろう。僕にとってこれはもう呪いだった。どこにも助けを求めることのできない、もがけばもがくほど深いところに落ちていく蟻地獄のようだった。

数日後、このままではうつ病にでもなりかねないと思い、バイトに出かけた。店長は、「あの日、俺がお前を呼び出したばっかりにこんなことになって……、すまないとしか……。無理しなくていいんだぞ」と言ってくれたが、働いている方が家にずっといるよりは少しはマシだった。それで、毎日バイトに行き、時間も長くしてもらった。でも、仕事をしていてもお母さんのことが頭をよぎり、ミスを連発した。そして家に帰るとまた、空虚な心と闘わなければならなかった。

そんな生活が二か月ほど続き、本当に少しではあるが、まともな思考を働かせることができるようになってきた。そうすると、この家に住み続けること自体が自分を辛くしているのではないかと思えてきた。それで、引っ越そうと思った。

お姉ちゃんの荷物を本当に全て処分していいのか、お姉ちゃんに連絡を取りたかったが、連絡を取る術がない。恐らくもうアメリカでの新しい生活を始めていることと思うが、連絡を取る手段さえ教えてくれないということは、本当に兄弟の縁を切るつもりらしい。

僕は、お姉ちゃんとお母さんの使っていたものや残していったものを全て処分した。思い出はいらないと思った。辛いことを僕に思い出させるだけだ。それで、残ったのは家財道具と僕の部屋のもの、そして三匹のハムスターだけだった。

お母さんを治せないと分かった後も、ハムスターは処分することができず、お姉ちゃんがかわいそうだからと世話をしていたが、そのハムスターも置いて行かれたのだ。そのハムスターを見るたび、僕はお母さんを救えなかったという現実を叩き付けられるのだが、これは僕が負っていかなければならない十字架なのかもしれない。


お母さんのものを処分している中で、お父さんが僕と同じリプレイス能力をもっていたことを証明するものを初めて見つけた。それは、お母さんが昔から使っていた化粧道具箱の底にしまってあった。化粧道具箱の中から物を全て取り出し、敷いてあったデパートの梱包紙を剥がしたところにそれはあった。きっとお母さん自身も、そこにしまったことすら忘れていたのだろう。

それは封筒に入れられていた、お父さんがお母さんに宛てた手紙だった。手紙は結婚式の前日に書かれたものらしく、「一生愛し続けます。これからよろしくお願いします」という、読んでいるこちらが照れくさくなるようなものや、いつか悟おじちゃんが言っていた、「僕に何かあったら、別の人と再婚し、幸せになってください」といったことが書かれているものだった。

リプレイス能力を暗示するような、そしてその能力をお父さんがどう考えていたのかが分かるようなものは、もう一枚の紙に書かれていた。それは、お母さんに宛てて書いた詩だった。

こう書かれていた。


僕はあなたを愛する

心の底から愛する

何もこの愛を失わせることはできない

闇も光も

地の下も天の上も

死でさえも


僕はあなたを助ける

必ずあなたを助ける

どんな怪我からも

どんな病からも

一度限りの命

僕は自分を犠牲にしても

僕は必ずあなたを助ける


僕の愛するものは

この世界の愛する人は

僕が必ず助ける

でも命をかけて助けるのはあなただけ


リプレイス能力に関する直接の描写はないものの、能力を知っている人間にとっては、同じ力があることを確信するのに、こうした抽象的表現だけでも十分だった。

お父さんはやはりリプレイス能力を持っており、ここぞという場面でお母さんに使おうと思っていたのだ。そして、家族のためにも、親戚や愛する人たちのためにも、この能力を使うことをためらってはいなかったように思う。だから、後輩の命を救おうともしたのだろう。

お父さんは僕と同じジレンマに直面したのだろうか? この能力を使えない能力だと嘆かなかったのだろうか? 人を死に至らせるような失敗をしなかったのだろうか? 能力を理解するまでに愛する人に無駄遣いしてしまい、肝心な時に能力を使えず、後悔することはなかったのだろうか?

でも、今となっては全て虚しい問いだった。お母さんを助けられず、お姉ちゃんにも愛想を尽かされた今、僕にはお父さんと同じ能力を持っているという事実も、もうどうでもいいことだった。


いつでも引っ越しができる状態にして、僕は就職を目指した。この街に残るのか、それとも新天地で新たな出発をするのか考えたが、それは見つかった就職先に任せることにした。

数ヶ月後、僕は大学の先輩から、市内にある大型の総合病院での、院内PCネットワークのシステム開発と、そのシステムの管理をするシステムエンジニアの仕事を紹介された。

超多忙の職場のようだったが、給料として提示された額は悪くなかった。正直、思い出の残る地元より、新天地を希望する気持ちは大きかったが、仕事の経験を積むためにも、この仕事を受けることにした。

僕は家族の思い出が残るアパートを出て、職場近くのマンションに引っ越した。


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