ルール(その二)
結局、悟おじさんから僕にうつした五十肩は、僕から近所の猫にうつした。
しかし、その前に幾つかの実験をし、更にこの能力を理解することができた。
例えば、最初僕はこの五十肩を、うちで飼っているカメにうつそうとしたが出来なかった。続いて、捕まえたバッタでも試したのだが、それもダメだった。カメにしろバッタにしろ、額と思われる部分を手のひらで覆えないのが原因かも知れないと思ったが、手のひらの一部でも当たれば光は出るのだ。
しかし、カメやバッタで違うのは、二回光ることだ。そして病気や傷はうつらない。何度やっても、二回光ってうつらない。恐らくこれは、一度うつそうと、病気や傷などの不具合部分が僕の体を出はするのだが、定着せずに戻ってくるのではないかと推測した。これは多分、昆虫類、魚類、両生類、爬虫類、鳥類のいずれも、体の構造が人間とは違いすぎているために、対応することができないということではないだろうか? それで、病気や傷などの不具合部分をうつせるのは、哺乳類という分類の生き物のみなのだろうという結論に至った。
お父さんがウサギ小屋に向かったことも、そのことを確証しているように思う。虫でよければ蟻でも良いことになり、わざわざウサギ小屋まで行かなくても、直ぐ外で何らかの虫を調達出来た可能性は高いだろう。無論、虫の、特に蟻の額部分に手のひらを当てるのにはかなり無理があると思うが、蟻でも出来るなら、僕ならコツを掴むまで何度も練習する。であれば、お父さんも同じように考えたに違いないだろう。
また、自分でも本当にばかげているとは思ったが、お姉ちゃんの持っているリカちゃん人形でも実験してみた。人型の人形ならもしかして反応するかもしれないと思ったからだ。しかし、案の定これは光もしなかった。
その他、植物も試そうと思い、公園の木で実験してみたがこれも予想通り駄目だった。
しかしながら自分でも、絶対にうつせると自分自身に暗示をかけ、毎回色々なもので実験している自分の姿を、仮に第三者として見ることが出来るなら、かなり間抜けだろうと思った。
ちなみに右手を使ってみたところ光もしなかったので、僕の利き手である左手のみで発動することも分かった。悟おじさんによると、お父さんも左利きだったようなので、左利きであることと関係するのかもしれない。
そしてもう一つ分かったことがあった。哺乳類のみという結論に達した後、熊五郎のことがあったので犬が確実と思い、友達が飼っている犬に五十肩をうつそうとした。しかし、その時は何も起きなかった。光もしなかったのだ。能力が急に失われたのかと思い焦ったが、そうではなかった。
僕がうつそうとした、友達が飼っている犬はかなりの老犬で、友達は、「もう目も見えないし耳も遠い」と言っていた。これはまだ推測の域を出ないが、こちらからうつす場合には、相手が健康体でなければいけない、という条件があるのかも知れない。もちろん相手から僕にうつす時も、僕が健康体でなくてはいけないのだろう。つまり二重、三重に病気や傷を重ねられないということではないだろうか?
考えてみると、お母さんから風邪をもらった時、僕はまだ幼児で健康体だったろうし、僕からお姉ちゃんに風邪と傷をうつした時は、お姉ちゃんは健康体だっただろう。久志お兄ちゃんも悟おじさんも熊五郎も、きっとみんな同じ原理だったのだと思う。たまたま条件をクリアしていた事例が重なって、これまで検証を続けてこられたという可能性が高い。現に最終的に五十肩をうつした猫は、まだ若い猫で健康そうだった。
ただそうすると、熊五郎にしようと思った二回目の実験は無意味だったことになる。熊五郎には前の日に、久志お兄ちゃんの傷と水虫をうつしたばかりだったからだ。健康体ではなかった熊五郎に、当然悟おじさんの五十肩をかぶせてうつすことは出来なかったとするなら、僕が意図した、動物でもうつしたりうつされたりできるのは一回きりなのかどうかの検証実験は成り立たないことになる。まぁ、これまで重ねた実験の経過を考えると、動物と人間で法則に違いがあるとも思えないのだが。
こう考えると、この能力はかなりややこしい能力だ。制限も、法則のようなものもやたらと多い。正確に理解するとなると、幾重もの実験を重ねなければいけないだろう。しかし、注意しなければお父さんのように、生死に関わる問題も起こり得る。第一、相手から病気や傷をうつした自分も、どんな病気がうつってきたのか直ぐには分からないのだ。
確かに軽はずみに使えるものではないなと思った。
もっと数をこなして能力を会得し、正確に理解したいと思ったが、さすがに動物から病気をうつしてみるのは恐ろしかったし、そうそう近くに動物がいる訳でもない。人間で試すことは知られてしまう可能性が高く難しい。
そう考えと、なかなか実験の機会はないだろうし、そうするとこの能力の全容把握は時間がかかるだろう。
しかしながら僕はこの能力を分析し、少し色々なことが分かってきたことを嬉しく思った。見たことのないお父さんに近づけるような気がしたからだ。
僕はこの能力にリプレイスという名前をつけることにした。この言葉には入れ替えるとか、跡を継ぐという意味があり、この能力にぴったりの言葉だと思った。どうせ自分しか使わない言葉だけど、もしかしたらお父さんもこの能力をそう呼んでいたかも知れない。そんな風に考えるだけで幸せな気持ちになった。
また、他人から僕にうつすことを、貰い受けると表現し、僕が他人にうつすことを、引き渡すと表現することにした。スーパーヒーローが技に名前をつけるようでかっこ良いと思ったからだ。
僕はこうして考えた名前や表現方法、能力の法則を記録することにした。ノートにはこう書いた。
能力の名前→リプレイス。
他人からうつすこと→貰い受ける。
他人にうつすこと→引き渡す。
法則一→リプレイスは、それができると確信し強く念じなくてはいけない。
法則二→リプレイスは、僕の左手のひらと相手の額を合わせた時のみ発動する。
法則三→リプレイスが上手くいった時は、一度のみ光る。
法則四→一人の人や動物に対し、貰い受けるか引き渡すか、どちらにしても一度しかリプレイスできない。(未確定)
法則五→動物とは哺乳類であり、哺乳類以外の生き物(例えば鳥類や爬虫類)にはリプレイスできない。(更に、植物や人形なども不可)
法則六→最初から病気にかかっていたり、傷を負っている人や動物には引き渡しができない。(自分が傷を負っている時や病気にかかっている時は、貰い受けることができない)(これも未確定)
法則七→すでに治っている傷跡はリプレイスされない。
法則八→リプレイスが完了するまでに、約五分かかる。
法則九→貰い受ける病気や傷を、事前に知ることはできない。
この他に、お母さんの風邪をリプレイスした時のことから、近所の猫に五十肩をリプレイスした時のことまで、今までのリプレイスの事例も全て記録した。
この記録ノートは絶対にお母さんやお姉ちゃんに見られる訳にはいかない。それで、机の一番上にある、鍵のかかる引き出しにしまうことにした。
実は、お婆ちゃんのところから戻って直ぐに、僕はお父さんからのメッセージがどこかに残されていないか探し始めた。ピーター・パーカーはお父さんのカバンの中からヒントを見つけたし、クラーク・ケントもクリプトン星のクリスタルからメッセージを受け取った。僕は自分にも必ずあると信じて、お母さんもお姉ちゃんも居ない時を見計らっては、色々な場所を探しまくったが、どこにも痕跡を見つけることはできなかった。
第一、お父さんの持ち物だったと思えるものが、この家には全然ないのだ。唯一残っていたエレキギターも徹底的に調べたが、メッセージも、メッセージに辿り着くためのヒントも、どこにも見つけられなかった。僕は、映画のように上手くいくわけはないと思いつつも、お父さんが僕に何も残してくれなかったことに、強い寂しさを感じた。
お父さん自身はどこまでこの能力を把握していたのだろうか? お父さんが把握していたことを何か残してくれていれば、僕はこんなに苦労して実験したり、考察したりしなくて済んだのに……。そう思ったが、何も残されていない以上どうしようもなかったので、ひとまず僕は探すのをあきらめた。
それからわずか三か月後に大きな事件が起きた。お婆ちゃんが、通っていた病院の階段で転倒し、頭を強く打って意識不明の重体になってしまったのだ。医師の話では、意識が回復するかどうかわからい状態だという。
悟おじさん夫婦、久美子おばちゃん夫婦、そしてお母さんがお婆ちゃんの家で集まり、今後どうするか話し合われた。その結果、小田原のお婆ちゃんの家を引き払い、悟おじさんがお婆ちゃんを新潟に連れて行って、新潟の病院に入院させることに決まったそうだ。熊五郎も悟おじさんが引き取ることになった。
僕はお婆ちゃんを治してあげたいと心底思った。もちろん僕自身もお婆ちゃんのことが大好きだったが、一番の理由はお母さんが悲しんで泣いているのを見ていられなかったからだ。でも、意識不明ということはリプレイス能力が使えないということだ。お婆ちゃんをリプレイスして健康に戻しても、貰い受けた僕が他の動物に引き渡すことができなくなってしまう。この場合、このリプレイス能力というのは何の役にも立たない。もちろん、僕自身が完全身代わりになる覚悟であればできるのだが。
しかし、お婆ちゃんもお母さんも、決してそれは望まないだろうと思う。それに、僕自身それは果てしなく続く闇のように思え、非常に恐ろしく感じたので、実行することはできないだろう。まさに自殺と同じで、リアルに想像すれば想像するほど、意識不明の状態に自らなるということは、考えられないほどの恐怖を僕にもたらした。
結局、お婆ちゃんはそれから一か月もせずに、意識不明のまま亡くなってしまった。脳内出血がひどく、手の施しようがなかったらしい。
新潟で葬式をし、小田原にあるお爺ちゃんの墓に、お婆ちゃんは納骨された。お婆ちゃんが倒れてから、お母さんはずっと元気がなかったが、葬式の最中も常に泣いており、本当にかわいそうだった。僕は何もしてあげられない自分に耐えがたい無力感を覚えた。
その後、もう以前のように親戚一同が会することはなくなった。小田原の実家がなくなり、会合場所に都合の良いところが他になかったことや、皆が忙しくなったこと、久志お兄ちゃんも仕事の関係で福岡に転勤になったことなど、色々なことが重なった結果だ。
最初こそ僕もすごく寂しく感じたが、数年もすると親戚と疎遠であることをそれほど意識することもなくなってしまった。