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なないろにひかる  作者: 如月元
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幼少期

僕のお父さんは、僕がお母さんのお腹の中にいる時に事故に遭って亡くなっている。

お母さんはお父さんのことをとても愛していたので、僕が生まれた時、「お父さんの分身が生まれた!」と非常に喜んだそうだ。助産師さんが僕を取り上げ、「藤見さん。元気な男の子ですよ!」と見せてくれた時、「男の子が欲しいという願いがかなった」と、思わず涙が出たと言っていた。そんな風にお母さんは、「優馬を産んだ時、本当に嬉しかったのよ」と、いつも僕に笑顔で話してくれた。

お母さんはお姉ちゃんと僕を大切に育ててくれた。片親家庭で決して裕福ではなかったが、それでも愛情をいっぱい注いでくれたので、僕もお姉ちゃんも幸せだった。

僕が小さい頃には、お母さんはいつもお姉ちゃんと僕を抱きしめ、「お母さん、美夏の事も優馬の事も大好きよ」と言ってくれた。お母さんは本当に優しい人で、僕もお母さんのことが大好きだった。

お母さんは三年半という、お父さんとの短い結婚生活をとても幸せだったと言い、僕が小さい時から何度も、お父さんとの数少ない思い出を楽しそうに話してくれた。

例えば、お父さんは大の車好きで、結婚前後はスポーツカーに乗っていたそうだが、お姉ちゃんが生まれる時にそれを手放し、妊婦さんも乗り降りしやすいようにとファミリーカーに変えたそうだ。自分の趣味趣向よりも家族を優先する、お父さんのそういう優しいところが、お母さんは大好きだったと話していた。

でもお父さんにはおっちょこちょいなところもあったらしい。僕が生まれる前、親子三人で湖に出かけて貸しボートに乗った時には、お姉ちゃんを抱っこしたお母さんをエスコートしようとして、お父さんは桟橋とボートの間に跨ったそうだ。ところがボートが桟橋から離れて行き、お父さんは股裂け状態になり、そのまま湖に落っこちたらしい。その時の様子がよほど滑稽だったようで、その話をする時お母さんは、決まって涙を流して笑いながら話していた。

でも、お父さんのそのエピソードの根底にあるのも、やはりお母さんへの優しさな訳で、「あんなに優しい人はいない」と、お母さんは最後には必ず寂しそうに言うのだ。

お父さんが死んでも、お母さんは再婚しなかった。お母さんはずっと、お父さんだけを愛し続けていた。女手一つで、たくさんの苦悩を経験したと思うが、それでもお母さんはいつも前向きだった。

ある時僕はお母さんに、「一人で寂しくない? お父さんがいなくて辛くないの?」と質問したことがある。その時のお母さんの言ったこの言葉を、僕は忘れることが出来ない。

「優馬。人はね、一生のうちで幸福な時がほんの一瞬で短くても、それを大切に記憶して、いつも鮮明に保っていれば、その思い出を原動力に生き続けて行くことが出来るのよ。だから悲しくなったら、幸せだった時のことを思い起こすのよ。もちろん、寂しい時も辛い時もあるわ。お父さんがいてくれたらなって思うことは、何度もあった。でも、それを乗り越えられると思えるぐらい、短くても、お父さんと過ごした日々は私にとって宝物なの」

 お母さんは本当に強い人だと思う。お父さんに先立たれ、幼い二人の子を残された不安はどれほどだったろう。投げ出したくなった時、死にたいと思ったこともあったかもしれない。でも、あきらめないこと、生き続けることの勇気、それを僕に教えてくれたのは、紛れもなくお母さんだった。


僕は小さな頃からよく喋る子で、みんなから、「優馬君は口から生まれてきたんじゃないの?」と言われていたそうだ。それにはどうやら二つ上のお姉ちゃんの存在が大きいようで、僕が二才の時にはすでにおままごとの相手をさせられていたらしい。まだ単語しか話せない僕に、お姉ちゃんは長文を言わせたかったらしく、「優馬! 『じゃあ、行ってくるね』だってば!」とか、「『今日のご飯は美味しいねぇ』って言ってよ!」とか、かなりの無理難題を要求していたそうだ。

おままごとの種類は多岐に及んでいて、普通のお母さんと子供から、警察と泥棒、スーパーの店員とお客さん、病院の先生と患者さんなど、いろいろなバリエーションをこなしており、お母さんはいつもその会話のチグハグさを笑いながら見ていたそうだ。

その無理難題が功をそうしたからなのかは分からないが、とにかく僕は小さな頃から口の達者な子供だったらしい。


僕が小学校五年生の時、お母さんは僕が三才になったばかりの時に起きたある出来事を話してくれた。

その日、お母さんは熱を出して仕事を休んでいたという。何日か前からひいていた風邪が酷くなってしまったことが原因らしい。熱が四十度を超えていて、起き上がることもままならない状態になり、お姉ちゃんと僕を保育園に連れて行くことすら出来なかったそうだ。

僕はいつもおままごとで、患者の役をさせられていた。それでお医者さん役のお姉ちゃんからどこが痛いか聞かれて、痛い場所を言わせられていたようだ。お母さんの観察によると、僕が痛いといった場所をお姉ちゃんは優しく、手のひらをいっぱいに広げて、包むように触りながら診察していたという。そしてお姉ちゃんはいつも同じセリフを言っていたそうだ。

「すぐに良くなりますからね」と。

実はこれは、お姉ちゃんと僕がかかりつけになっていた、小児科の先生の真似だったらしい。

お母さんはお姉ちゃんがしていた様子を、「こんな感じだったのよ」と、僕にして見せてくれた。

僕はおままごとのお決まりのパターンを覚えていたらしく、お姉ちゃんの見よう見まねで、お母さんに痛いところを尋ねたそうだ。

これはひとえに、僕がお姉ちゃんに訓練され、お喋りさんだったことが功を奏したと思われる訳だが、言葉の発達が早い子供は心の発達も早いという科学的な研究報告もあり、僕は感情が豊かで、小さくても人を思いやることが出来る子だったらしい。

お母さんは熱が高く、キツくて返事も出来ない程だったようだが、僕は眉間に皺を寄せて苦しんでいるお母さんの姿を見て、お母さんは頭が痛いのだろうと思ったようだ。それで、「頭が痛いんですか? 大丈夫。すぐに良くなりますからね」と言って、お姉ちゃんがするように、小さな手のひらをいっぱいに広げて、包むようにお母さんの眉間を触ったそうだ。

お母さんが言うにはその時、目の前が一瞬光った気がしたという。その後直ぐに熱は急激に下がり始め、数分するとお母さんは完全に平熱に戻っており、風邪の症状もすっかり消えてしまっていたという。お母さんは不思議なことが起きたと、鏡を見に行ったという。熱が引いたため顔の赤みもなくなり、平常に戻っていたそうだ。首を傾げながら部屋に戻って来て、ふと僕を見ると、僕の方は顔を真っ赤にし、まるでお母さんと入れ替わったかのように眉間にしわを寄せて苦しんでいたそうだ。

お母さんが僕を病院に連れて行くと、驚いたことに僕は風邪をひいていて、お医者さんに、「数日前から風邪の兆候が出ていたでしょう?」と言われたそうだ。もちろん自分の風邪がうつった可能性もあるが、自分と入れ替わるような急激な変化は不自然だと感じ、お母さんは驚きを隠すことが出来なかったという。でも、誰かに話したところで信じてもらえる筈もないと思い、その時は自分の胸だけにしまったそうだ。その後その話を僕にしてくれた小学校五年生までは、そうした不思議なことは、家族の誰にも起こらなかったという。

ただ、お母さんはその出来事がいつも頭の片隅にあり、僕に対して心配や不安な気持ちをずっと感じていたということだった。

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