ジオミラージュ
―ジオミラージュ―
それは滅茶苦茶な設定と異様な難易度が受けて今年話題になっている、ファンタジー世界を舞台とした多人数同時参加型のネットワークRPGだった。
サービスが開始されたのは一昨年の春。
グラフィックは相当頑張ったと見えて美麗と言えるレベルに達していたが、そこで力尽きたのか動きやレスポンス、敵の強さなど肝心の部分がお世辞にも良いとは言えず、致命的ではないにしろバグも多かったため当時は数ある凡作の中のひとつという認識しかされなかった。
いや、そういう認識を持っていた人すらどれだけいたか怪しい。
実際、どこから情報を得ていたのかゲーマーと呼ばれるような熱心な層にはサービス開始前から微妙という噂が流れてほとんど見向きもされなかったし、ゲーム雑誌に特集を組まれるでもなかった。
たまに紹介記事が載っても割かれたスペースは小さく、とても宣伝になるとは思えない内容だった。
興味を持って遊んでいた数少ないプレイヤーたちも、あまりに人がいない状況を見ておそらくは年内でサービスが終了すると思っていただろう。
自信作として世に送り出したにも関わらず作品が評価すらしてもらえないという事態に、製作元であるイーストアンドサウス社も危機感を覚えた。
「ジオミラージュは我が社の社運を賭けたといっても過言ではない一大プロジェクトだ!
それが思ってもみなかったこの現状…誰でもいい、これを打開する良い考えがあれば聞かせてくれ!」
この社長の号令のもと急遽対策会議が開かれ、社員に対しては開発部に限らず全部署を対象に広くアイデアを募り、そして様々な提案がなされた。
中には、年に一度程度と予定されていた拡張パックによる有料大型アップデートを無理を承知で年内に連続して行うという無謀なものまであったが、一発逆転のイメージがよほど強かったのか、これがまさかの満場一致で通ってしまう。
アイデアを出した社員もさすがに心配して「本当に採用なんですか!?」と何度も訊ねたほどだ。
結果、ファンタジーの前に「闇鍋的ごった煮風」という前置きがつくような、実に奇妙な何かが誕生した。
エルフやドワーフが似合う中世欧風の街並みを新たに実装された妖怪や宇宙人が闊歩し、冒険者がたむろする宿屋の隣には蕎麦屋と赤提灯が並んだ。
かと思えば、ミリタリー色の強い無骨な装いのロボットや萌えを意識した女性的なフォルムのアンドロイドなども追加され、街の一区画には夜でも派手なライトアップとホログラム映像がひっきりなしに映り出される近未来的な高層タワーが建った。
さらにシステム面でもおかしな部分は増えて武器はより攻撃力を高く、防具はより防御力を高く、モンスターはより強く、クエストとマップはより多く。
拡張パックがひとつ発売されるたびに調整にならない調整は繰り返され、そのたびにプレイヤーを翻弄していった。
低レベルの駆け出しプレイヤー救済のために質の良い防具を獲得できるイベントがあるのだが、2回目以降のアップデートを適用すると入手に至るまでに必要なレベル自体が跳ね上がり、また店売りの防具の方が高性能にされてしまってまったく意味のないものと化した。
ジオミラージュの世界を永遠に統べる存在、魔龍王ドラゴニアスという名のラスボスに至っては追加されたシナリオや強力な隠しボスが多すぎてもはや最強の座も圧倒的な存在感も維持できておらず、そこからつけられたネットでのあだ名は「中ボス」である。
大幅なシステム変更が3回、世界恐慌じみた貨幣価値の暴落が2回、能力全般の極端な強化と弱体化に至ってはほぼ毎回という有様に、公式サイトが炎上したのは一度や二度ではない。
イーストアンドサウス社も、ここまでくるとさすがに反省と責任を感じ始めた。
自分たちが正しいと信じて進んだ道は間違いだったのかと、心が折れそうにもなった。
だが、躍起になって修正したかったその出来の酷さが、ある時期から思いもよらぬ追い風となって彼らを救うことになる。
「なんかちょっとおかしいゲームがある」
「ファンタジーかと思ったら特撮だった…あいつ死んだら爆発するのかな?」
3回目のアップデートで特撮番組の怪人風のキャラが作れるようになった辺りから、ネットではこんな話題がじわじわとではあるが上がるようになっていた。
それが4回目のアップデートでより顕著になり、最新となる5回目で一気に火がついた。
「なんかどうしようもないゲームがある」
「駄目だ、本当に死んだら爆発するようになりやがった」
「ファンタジーってのはメーカーの頭の中の話だったんだな、今わかった」
これはもう怪我の功名としか言いようがないが、あれこれ盛り付けて異様な形になったことが逆に人の目を惹いたのである。
世界観を無視してまで継ぎ足した数々の要素も、そういう意味では間違っていなかったと言える。
噂は噂を呼び、話を聞きつけたゲーム雑誌が急遽数ページにも及ぶ特集を組むと、それを受けて大手ゲームサイトもこぞってジオミラージュを取り上げた。
プレイヤー登録数はわずか10日で爆発的な増加を見せ、それとともに拡張パックも5本すべてが売り上げを飛躍的に伸ばす。
クライアントのダウンロードページは混雑し、拡張パックを扱う店からは在庫がなくなった。
追加発注をかけても製造が追いつかず、入荷未定の張り紙がそこかしこで見られたという。
これにはイーストアンドサウス社の社員たちも心の底から沸き上がって喜びの声をあげ、感極まった社長も大声で万歳三唱の音頭を取った際に力み過ぎて肋骨を2本折り、唯一人苦悶の声をあげた。
世の中、次の瞬間に何が起きるか本当にわからないものである。
藤宮悠真も、そんなジオミラージュの持つ歪な魅力に心を奪われた一人だった。
たまたま知り合いがやっていて「変なゲームがあるぞ」と勧められたのがきっかけだったが、波長が合ったのだろう。
一発でハマってしまい、その後、拡張パックが出るたびに買い揃えた。
少しでも良い環境を整えるために高価な新型のヘッドマウントディスプレイも買った。
一般的に人気が出始める前から参加している数少ない古参プレイヤーであることは、人に言っても理解してもらえないが彼の隠れた自慢だ。
マウスをクリックして続きからを選択すると、データロード画面には本名を短縮して「ユマ」と登録された、愛着のある自分の分身が姿を現す。
ずんぐりとした身体は艶のある銀色の毛で覆われ、赤々と宝石のように輝く瞳と大きな口を持っていた。
頭頂部からは触覚が突き出し、手足の先から鋭い鍵爪を生やしている。背中には鳥を思わせる翼が見え、広げると内側には猛禽類の目を思わせる派手な模様が現れた。
その種族は蛾人といった。
UMA、未確認動物を意味する略称で呼ばれるオカルト的な存在の一種である。
大きな鳥を見間違えただけだという否定的な説もあれば、宇宙人ともそのペットとも言われる謎の多い生物で、その真相は今だ闇に包まれている。
そんな魔物のような見た目に反して剣と魔法の世界の住人らしからぬ設定を持つ蛾人は、2つ目の拡張パック『怪奇惑星』に収録された追加種族だった。
スタンダードな銀色の宇宙人や古めかしいタコ型の火星人、未来を感じさせる衣装の屈強な異星人らに混じって、パッケージの右端にその勇姿が描かれている。
オカルト好きでもなければ蛾という部分に若干の抵抗を感じないでもなかったが、それでもどことなく愛らしい風貌が気に入っていた。
さらに悠真に対してUMAという、自分の名前と合致する部分があったのも決め手のひとつだろう。
出番を今か今かと待ちわびるモスマンにカーソルを合わせてクリックすると、画面の中の分身は嬉しそうに両手を上げながら「キィ」とひと鳴きして応える。
■7月17日(金) 21時05分
「こんばんはー」
「ユマっち、うっすー」
「お、ユマさんこんばんはー」
オンライン状態になると同じギルドに属するプレイヤーに通知がいくため、チャット欄はすぐに簡単な挨拶で埋まる。
彼が所属するギルド『幻の探し手』は冒険や探検の好きなプレイヤーの集まりで、日々ジオミラージュという世界の謎の解明に力を注いでいた。
今までも特別なクエストや希少なアイテムの在り処など、多くの情報をどこよりも先に手に入れてきた実績がある。
それゆえ有力情報を独占しておきたいギルドからは商売敵として蛇蝎のごとく嫌われており、行く先々で顔を合わせれば決まって妨害を受けた。
彼らが雇ったのかは定かではないがPKと呼ばれる、他のプレイヤーを襲う者たちからの襲撃なども頻繁にあった。
一時期はそういった連中にギルドの本拠地まで攻められたこともあるが、圧力に屈して方針を変えたことは一度としてなかった。
このスタイルが楽しかったからだ。
メンバーの数は中堅どころの域を出なかったが、効率的に組まれたチーム単位で動いていくつものクエストに同時に挑み、有用な情報を持ち帰ってくるその仕事ぶりは周囲から高く評価された。
知名度だけで言うならば、『逆鱗騎士団』や『大翼の鳳凰』といった大規模戦闘もこなす大手の武闘派ギルドにも迫る。
藤宮が指揮を任されているチームはその『幻の探し手』の中でも3番手の成績を残しており、ギルドの中核を担う存在のひとつになっていた。
先月は滅多に入手できない超希少金属のジオダイト鉱石が採掘できる地下鉱脈を発見したし、4日前にはその実績をもって加工職人ギルド『鈍色鉄工』の協力を取りつけ、高品質の武具や道具の安定供給を可能にした。
今日はチームで出向いてその原材料となる様々な鉱石を一日でどれくらい集められるのかテストし、採掘できた分は『鈍色鉄工』のもとへ納めに行く予定である。
「この結果次第で今後受けられる支援の質が変わるからな、頑張らないとな」
食べていたパスタの残りをたいらげると、藤宮悠真はヘッドマウントディスプレイを通して映る自分の分身であるユマの操作に意識を集中させた。
■7月17日(金) 21時32分
ギルドが拠点としている城下町を抜け、南にしばらく進むと目指す迷宮はあった。
地下鉱脈を抱えるその迷宮は、大きく広がる森林地帯でうっそうと生い茂った樹々に囲まれており、何度か足を運んで地形を覚えるかアイテムのマーカーを設置してマップに印をつけるかしないと辿り着くことさえ困難な場所だ。
地上には古びれた扉だけが顔を出していて開けば地下へと続く階段が現れるのだが、あまりに地味で目立たないので近くまで来ていてもなお発見しづらい。
「おかげで邪魔者に入られなくて済んでるけどね」
「はは、違いない」
仲間内でそんな話をしながら、ユマが扉に手をかけて思い切り手前に引っ張る。
すると、いつもと同じように耳障りな音を立てながら扉はゆっくりと開いていった。
階段の奥は漆黒の闇に覆われていて数m先も見ることができず、不気味な雰囲気を放っている。
「よし、じゃあ準備ができたら行…」
最後まで発言することはできなかった。
誰かが「あ」と言ったのは聞こえた気がするが、そのあと何が起きたのかはわからない。
一瞬、無数の手のようなものが見えたあと視界は一転して暗闇に閉ざされ、それから壁に何度も叩きつけられるような音だけが響いた。
さながら2時間ドラマで誘拐犯が人をさらうときの演出のようだったと、後にして思う。
どこかに引っ張られているという感覚があったが、恐怖でヘッドマウントディスプレイを頭から外すこともできなかった。
リアルすぎる映像や音は容易に人を錯覚させ、そこに存在しないものでもあたかも存在するかのように感じさせるというが、まさに今がそれだった。
何かをするという思考がまったくできないまま時間だけが流れ続け、そして精神の限界を迎えたとき、藤宮悠真の意識はプツリと途切れた。
■?月?日(?) ?時?分
「う…うぅ、ん…」
いつの間に自分は気を失っていたのだろうか。
そんなに時間が経った気はしないが、ぼんやりとした意識の中、突き刺さるような太陽の光がやけに眩しい。
二日酔いにも似た気分の悪さを覚えながら頭を軽く振ってあたりを見回すが、目の前に広がる風景はさっきまでいた場所とはまるで違うものであった。